sector.3
地下駐車場から三人でエレベーターに乗り、一階のエントランス部分に出る。エントランスと言うにはあまりにも閑散としていて、寂しさを感じた。
「本当にここがあんたらの支部なのか?」
「支部って言っても、ここは特に人数が少ないからな」
ジャック・ラビットで思い出したが、【ブルズアイ】とか【谷神】だかって組織を聞いたことがある。
ジャックはブルズアイのメンバーで、ベトナム戦争時代に結成された民兵組織の上位互換のようなもの。戦争とそれに関する研究に大きく関わっていて、困ったときに泣き付く政府も少なくないらしい。
日系の谷神という組織は夜刀神という蛇神をモチーフにしたエンブレムを使っていて、大昔から存在する概念的な組織らしい。ブルズアイとは協力関係であり、恐らくあのギルバートがそこのメンバーだろう。今ではブルズアイと同じような仕事をしている。
我ながら怪しい情報に詳しいが、職業病というやつだ。足を洗ってからもずっと各地の動向を探り続けたのは、危険を避けるためでもある。
「今の時間なら食堂やってそうだな」
言われてみれば、カレーのようなエスニックな香りがする。昼食はまだなので、かなり腹が減ってきた頃だ。
「先に軽くメシにするか。案内は後になるがいいか?」
ジャックの素晴らしい提案に俺とテツはうんうん言いながら首を縦に振った。
受付自体はあるがそこに立つ人はいない。明るいながらも、どこか不気味さを感じる。そう思ったのも束の間、いい香りがする奥の方へ近づくと、ガヤガヤと楽しげな声が聞こえてきた。
食堂の入り口でジャックが先頭に立ち、その両斜め後ろに俺達が立つと話し声が止まり、一斉にこちらを見た。
それは嫌な沈黙ではなく、面白いショーの始まる直前のような期待を感じるものだ。
見回すと動物的なパーツを持つ女だったり、表皮の硬そうな大男などの異質な存在がチラホラいる。
「ジャック、その人達は新しいメンバーで?」
俺と同じか、少し上程度の赤髪の青年が最初に口を開く。
「あー、こっちがそうでもう一人が見学だ」
ジャックは親指で俺とテツを指差し、伝えた。
「おー、そうかそうか。よろしくなぁ!」
先程まで食べていたトマトスープのスプーンを皿の端に落とし、立ち上がると半袖シャツの左袖が揺れた。存在しない左側の腕に視線を奪われたと同時に、周囲がオレンジ色に染まる。
生暖かい熱風が吹き荒れ、炎の渦が左腕を形成していく。
「俺はスコッピオってんだ! 炎なら任せてくれ!」
燃え盛る炎の腕を差し出し、握手を求められてどう反応すればいいか知ってるやつはいるだろうか? 知っていたら是非アドバイスを求む。至急で。
遠くから「おめーもっと地味な名前だっただろー」なんて野次が飛んできたが問題はそっちじゃない。
(新手の新人いびりか?)
俺の困惑を察したジャックが口を開く。
「そいつの今出してる炎は平気だぞ、触ってみろ」
この奇妙な光景を切り抜けるには彼の言葉に従うしか無いと思い、恐る恐る右手を出す。
相手は左腕だが、よく見ると右手の形をしていたので、意外と律儀なやつなのかもしれない。
いざ手を近づけると、大して高温ではないことが分かり、スムーズに握手が済んだ。触れてみれば人肌より少し暖かい程度、どうなっているんだ。
「神藤暁だ、よろしくな」
「そっちの見学者さんも」
テツは俺を見て安心したのか、同じように握手して名乗った。
「お前らもいろいろ話したいこともあるだろうが、後にしてくれ。腹が減ってるんだ」
そうジャックが言うとスコッピオが小さく「じゃあまたな」と囁き、食べかけの少し冷めたスープを左腕で温めて食事を再開した。
ジャックは近場に空いた席を見つけ、俺とテツを座らせる。
「ここの食堂、休みが多かったりメニューが日替わりで少ないんだが、その分いいやつ仕入れてるから美味いんだこれが。今日は確か……」
「カレー作りすぎて『安くするから食べてくれ』って言ってましたよ」
食事を終えた男が通りすがりに耳寄り情報を伝え、去っていく。
「カレーか、別の食いたいもんあったら頼むがどうする?」
「俺はそれで、テツは?」
「俺もカレーは好きだ、いくらだ?」
「いいよいいよ、おごりだ。どうせ定価三百円で割引だし」
二人でどうもと言いながら会釈をし、彼を見送る。待ち時間を過ごすためにテツに話しかけた。
「随分と安いなぁ、やっぱこういう施設内の食堂だからか?」
「だろうな。周りのを見た感じ、しっかり具も入ってるし個人経営の店じゃ赤字の値段だ」
周囲を見回せば、治療跡のある人が多い。頭と目を包帯に包んだ者や、上半身裸で包帯を巻き、背中に血を滲ませた者もいる。もし彼らに笑顔がなければ、負傷者の多さは野戦病棟そのものだった。
「おっまたせぃ」
トレーに皿から溢れつつあるほど盛ったカレーを乗せ、バランスを取りながら戻ってきたジャック。思わずテツと顔を見合わせるほどには盛ってある。桔梗さんじゃ絶対やってくれない盛り方に少し興奮した。
「さ、食うぞ」
ジャックはカレーを配ってから乱暴に椅子に座り、トレーからスプーンを拾った。
「これはすごい量だ、食えるかな?」
間近で改めて感じる量の多さにテツは驚いている。
「今なら食えそう。いただきます」
テツも続いて「いただきます」と言い、俺は少なめにスプーンで掬って食べた。
「んんっ! うまい!」
いつも作ってくれる桔梗さんのカレーは中辛で、まろやかな旨味の優しい味とは全くの別物だ。
圧倒的な塩分量、深すぎるコク、とろみの暴力。味を消さない程度の強い辛味と、複雑な風味を醸し出すスパイスのおかげもあり、疲れた体に染みこむようだ。
「ここのメシは美味いだろう。どうせなら日本式だけじゃなくて、タイカレーとかバングラデシュカレーも頻繁にやって欲しいんだがな」
俺とテツはうまいうまい言いながらカレーをかき込む。俺が三分の一を食ったところでジャックはカレーを喰らい尽くし、これまた大盛りのペペロンチーノを注文していた。
強化兵というものは燃費が悪いのか、ジャックが大食らいなだけかは分からない。
「ここに居るのは全員強化兵なのか?」
少し腹も落ち着き、ペースが落ちた頃に疑問をぶつける。
「いや、ここは世界中から集めた異能者がほとんどだ。強化兵は俺とルーちゃんと……」
「この【ニカ】のことかい?」
ジャックの後ろからひょっこり顔を出した小さな女の子。ルーちゃんよりも更に小さく、どう多く見積もっても発育の悪い小学五年生程度だろうか。
小さな黒髪ツインテールの上から、バンダナを巻いている。
(ここは託児所の機能もあるのか)
「ほう、随分と失礼な目だな。どうせ託児所がどうのこうのと言いたいのだろう?」
「いや……その……」
ここに来てから困りっぱなしの俺、テツは居ないふりをしながらカレーをひょいひょい口に運んでいる。
余計なことを言うのが大好きなジャックが、余計な口を容赦なく開いた。
「ニカはこう見えてもアレな年齢だからな。百歳とかだったら妖怪的でいいが、リアルな年齢過ぎて引くやつだから」
ニカと呼ばれた少女? は微笑みながら額に血管を浮かべ、俺に詰め寄った。
「ほぅら、ちっこくて可愛いだろう? ニカちゃんって呼んでいいんだぞ?」
「は、はい……ニカ……さん」
「ん? 聞こえないぞ」
「ニカちゃん!!」
「よろしい」
ジャックはこんもりと巻いたペペロンチーノを持ちながら、余計なことを追加する。
「あんまり若い子イジメちゃダメだよ。この前だってルーちゃんの若さに嫉妬して突っかかってたしよ」
口喧嘩では引く気がないらしいニカ……ちゃんは、小さなおててで机を弱々しく叩き、吠えた。
「そーいうお前は何歳なんだ!? 一番古い強化兵だって聞いたことがあるぞ!」
ジャックは絵に描いたようなやれやれポーズで答えるが、一瞬目つきが鋭くなったのに気付いたのは俺だけだろうか。昔のことを聞かれると、一瞬だけその時の自分が出てきてしまうので、よく分かった。
「オレの昔話を信じるやついねぇんだもん。どいつもこいつも大笑いするか、首かしげるだけだからなぁ」
「ほれ、大笑いしてやるから言うてみぃ。どうせ桃から生まれたとか、竹から生まれたと言うんだろう?」
「はっは、そんな単純なオチで説明できりゃ何度でも話してやるよ。ほらほらお客さん待ってるから注文聞いてこい」
露骨にはぐらかしたのは分かったようだが、待たせているとなればそうはいかない。というか、彼女が食堂の店主とは思いもしなかった。
小さなあんよでダッシュしたが途中で振り返り、晴天のような笑顔で手を振ってきたので返しておいた。
巻いたままだったペペロンチーノを一口で食べてしまい、椅子を軋ませながら背もたれに寄りかかった。
「ふぅ、食った食った。ちと部屋に戻ってタバコ吸ってくるわ。なんか飲み食いしたくなったらこれ使いな、時間かかるかもしれんから。釣りもいらん」
どこからともなく万札を取り出し、畳んで俺に握らせる。彼にはルーちゃんの件を聞き出したかったが、彼女の尊厳のためにこの場で聞くのはやめておこう。
俺とテツはほぼ同時に食い終わり、ちらちらと様子をうかがっていた人達に取り囲まれた。転校生の周りにとりあえず輪っかが出来るあれだ。
自己紹介が入り乱れ、全く頭に入ってこない。一つ分かったことは、ここに住まう人々は異質な能力を持つ者が多く、ギフトと戦うために集まっているとのことだ。
そのとき、弱い強化兵や、異能者を何人か殺したことがあるのを思い出した。優れた能力ゆえ、適切な訓練を受けようとしない者も多く、強さはピンきりという印象がある。
結局記憶に残ったのはスコッピオと、ちびっ子料理人のニカ……ちゃんだけだった。