sector.2
住宅街を抜け、鉄道沿いにある大通りを突き進む。低い建物だらけの景色が徐々に変わり、オフィスビルがちらほらと増え始める。
「どうやら、間に合ったな」
信号を奇跡的に全て回避した俺は、今日は運が良い日だと言い聞かせていた。
(この調子ならいい買い物ができたりしてな……)
今日はテツと街をぶらつくだけの予定。よく行く店を巡り、気に入った物があったら買うというテツとの定番の遊び方だ。これがなかなか楽しい。
「ううむ、今日はどこで昼飯にしようか」
楽しいことの算段を立てるのはワクワクする。だが、俺の視線の先にはそんなことも考えられなくなる光景が広がった。
上空には大型の黒い飛翔体――大きな黒い鳥にも見える。思わず止まりその様子を見ていると、無数の小さな粒がそれから放出されていた。
「なんだ……?」
緩やかに滑空する小さな粒が出尽くすと、黒い鳥が耳をつんざく声で絶叫する。それを合図に、地上に向かう粒と黒い鳥の付近に残った粒に分かれる。
清々しい青空に浮かぶそれは不釣合いで、何よりも不気味でしょうがなかった。
「テツ!!」
黒い粒が降下した先は、哲広との待ち合わせ場所に近い。恐怖よりも先に、友人の安否が気になる。それと同時に、自分の中にある「ヒーローになりたい」という思いが生存本能を無視して体を動かした。
「なんだってんだよこんな日に!!」
恐らくあれはギフト。今朝のニュースで丁度見ていたやつだ。巨大な黒い鳥は【空母型】と呼ばれるものだろう。空母型には小型・中型ギフトが搭載され、それは地上を歩いたり空を飛んだりと多彩だ。
兵科分けがされていて、高度な知能を感じさせる戦いをするのがギフトの特徴の一つでもある。
「魔法少女とやら、さっさと来てくれよ。いっそのこと、俺が変身してやっても……」
一瞬、自分がフリルまみれの衣装で着飾っているヴィジョンが浮かび、気持ち悪くなった。
下らない考えは一瞬で捨て、ひたすら街に向けて自転車を進める。途中、暴走気味の逃げる自動車や人々が徐々に増え、事の重大さに恐怖を感じた。街の中心に着く頃になってから、神経を逆撫でするブザー音でギフトの出現を知らせる。
「今更遅いっての」
待ち合わせの交差点にあるコンビニまで来たが、テツの姿が見当たらない。トイレにでも籠っていたであろう逃げ遅れが数人逃げ惑っているだけだ。
「うわぁああ!!」
逃げ遅れたシェフ風の男が空を仰ぎ、絶叫。それに釣られて同じ方を見てしまった俺も叫びたくなる。
「うっそだろ……」
先程までは黒い点だったそれが、刃の翼を持った人間サイズの黒い鳥だと認識する。さらには、その鳥の一部が遠方で人型の怪物を投下しているのも見受けられた。
「これは……地獄だな」
既にギフトに殺されてしまった人間が数人転がっている。
とりあえず武器を持たなければこの命も持たない。人間が持ち歩ける武器でギフトを殺すのは難しいとされ、小型の個体を数匹相手する場合、分隊規模の兵士が必要だと言われている。
戦争屋すら苦戦する相手。それに対抗する魔法少女が都合良く登場したことに違和感を感じたこともあった。
「何か長くて固い物……」
自転車を隅の方に停め、周囲を見回す。
丁度いい長物――それこそスコップでも落ちていれば有り難いが、パイプ椅子がおもちゃ屋の前に置かれているだけだった。
「これでプロレスごっこでもしろってか?」
素手よりはまだいい。パイプ椅子の地面に接している方から持ち上げ、武器としての具合を確かめる。
「やっぱ持ち難いな……」
どうも気に入らない武器にヤキモキしながら周囲を見回す。
「あぁ……なんだよこの数……」
適当に数えて五十。もしこれが人間だったら驚く数ではないだろう。しかし、連中は人間でも可愛らしい犬っころでもない。怪力で人間の半身は引き千切られ、頭蓋骨は飴細工のように踏み割られる。唯一の救いが、妙に優柔不断な動きをしていることだ。
「こんなのと戦っちゃダメだろ、魔法少女」
目の前にいるのは人間に近い形をしているが、表皮は影の様に暗く、頭部が無い。
怪物というのは、頭を叩き潰して殺すのが主流だが、一番面積の広い胴体を狙うのが常套手段らしい。
「っへ……っへっへへ」
以前、興味本位で見てしまったギフトの襲撃映像を思い出してしまい、体の奥底が縮こまるような感覚に陥る。それと同時に、なんだか自分の置かれている状況が可笑しく思えてきてしまった。
映像の中でのギフトは、殺人に満足した後にその場を立ち去る。誰かの手から滑り落ちたカメラの荒い映像だったが、何を目的として動いているか解ってしまった。せめて、殺した人間を喰らったり金品を奪ってくれた方が救いがあったのだが。
そう、奴等は殺しが目的なのだ。
「一匹でも殺したら自慢できるなこれは……」
冷静に考えてみれば、テツはとっくに避難先で俺を探し歩いている頃だ。この際、俺バーサスギフトの試合を楽しんでやろうという妙案すら浮かぶバカさ加減に、自分で呆れた。
「来いよギフト共!! お仲間の一匹ぐらいは道連れにしてやるぜ!!」
既に囲まれてしまった状態では、逃げて死ぬより戦って少し長生きした方がマシだ。
パイプ椅子を大きく振りかぶり、一番近くの【歩兵型】の腹を殴りつける。軽くふっ飛ばしたが、安物だったらしく折れ曲がってしまった。
仰向けに倒れた歩兵型は何事もなく立ち上がり、体を震わせ金属音のようなものを発する。それをきっかけに、俺に気付いていなかった複数の歩兵型が狙いを定めた。
「ははっ、テツの野郎はもうとっくに逃げてるんだ。俺みたいに死に急ぐバカじゃない。変なヒーロー意識のせいで殺されるなんてホントバカらしいなぁ……」
自分を落ち着けるための、虚しい独り言。それと同時に桔梗さんへの申し訳無さでいっぱいになった。きっと悲しむだろうから。
だが、俺の本心は怪物と戦ってみたいという、イカれた好奇心で満たされていた。
「誰がバカだって?」
半笑いのもう一つの声。どうやらバカは一人じゃないらしい。
「て、テツぅ!?」
薄暗い路地からするりと男が出てきた。
「せっかく待ち合わせの場所に来てやったのにひでえやつだ
少々いかつい顔の彼こそが【月島 哲広】、待ち合わせの相手だ。
「アキラ、待ったか?」
「今来たところだ」
カイザーファウスト腕時計を横目で見れば午前十時キッカリを示している。
「ばっかでー、こんな所にいたら死んじまうぞ。俺はてっきり逃げてたのかと思ってた」
「んまぁ、そうなんだが……バカが一人、俺を探し回ってたらいけねえと思ってな。しっかしお前、パイプ椅子で戦うとかプロレスか?」
「それは俺も思った」
強面のニッカリ笑顔に俺もいつもの笑顔で答えた。「この程度」の雑魚に怯えてたら、ヒーローは務まらない。それに、悪意を持った知的な人間に比べたら何十倍も弱いことをよく知っていた。
「テツ、その背中の――」
テツの背中には勇者の剣の如く鉄パイプを差していた。
「ああこれか?」
軽く脚を開き、ポーズを決めて引き抜いてみせる。
「こう使うんだよ!」
一瞬、俺に殴り掛かるように見えたが、背面のギフトを殴り飛ばしてくれた。鉄パイプの先端はカーブしていて、打撃力が高そうだ。
「おお、サンキュ。気付かなかったぜ。テツだけに鉄パイプってか?」
「お前、このタイミングでそれ言うか?」
俺に向けられた鈍器も、コイツが持っている物なら怖くない。それだけ信頼しているのだ。
少しばかり鉄パイプという武器が羨ましかったが、俺にはこの拳がしっかりと二つも生えている。その立派な拳を握り締め、テツと背中合わせに語った。
「ここで全部倒したら俺達はヒーローだ。魔法少女だけが救いじゃないってのを見せてやろうぜ」
「おう!!」
さっきまで怯えていた俺が嘘のように力が漲る。「人の強さは目的を持っていること」だとカイザーファウストも語っていた。
守り守られの戦い。ついさっきまでとは気概が違う。
温もりと優しさに飼い慣らされた俺を殺し、冷たさと悪意に曝されながら生きた俺が出てくる。
身体を守る保守的な立ち回りを忘れ、勝つための動きを思い出す。
「うおおおお!! パイプ椅子なんかよりぃ、よっぽど固い硬い俺の拳を――」
片っ端から殴り飛ばしてやろうと思ったが、左腕のカイザーファウスト腕時計(定価七万八千円)が目に入る。
「おっと……」
「そこで腕時計外すのかよ! 盛り上がり考えろよ!」
「だって高いし」
「なら仕方ない」
テツは俺にツッコミを入れながら殴ったからか、よく打撃が効いている。ギフトが地面に叩きつけられて動かなくなっていた。
背負った黒いスカウトバッグに時計を入れようとした時、コツリとした感触。思わず手に取る。
「アキラ、それって」
「ああ、名も無き変身グッズだ」
俺がまだ小さい時の話。強すぎる悲しみは無意識に死を求めた歩き方をしていた。虚空を眺め、いつか死ねることを祈って街を彷徨う。
そんな俺にも転機というものがあった。笑い合う親子を尻目に「死にたいけど怖い」そう思いながら歩いていれば、当然注意力なんてあってないようなものだ。その状態で横断歩道を渡ろうとしたのは、どこかで死の恐怖が薄れつつあったからかもしれない。
車は赤信号の横断歩道から人が飛び出すなんて思っちゃいない。
「俺は死んだ……死んだ? いや、死ねる」
口だけは薄く笑い、横断歩道に吸い込まれたはずだった。
固く鋭い指が俺の襟を掴み、男の強くはっきりした声。
「どうせ死ぬなら、誰かの為に死ね」
装甲のようなものを纏った腕が俺に何かを手渡す。
渡された長方形の白い箱は腕輪になっていて、T型とI型のレバーが飛び出していた。カードのようなものを挿す大きい穴が一つ、小さな長方形の穴が五つある。
顔を上げると機械的な白い装甲がこちらを見ていた。
少年だった俺がその腕輪を眺めていると、続けて口を開く。
「何時か、それがお前に力を与えるだろう。そして、戦い続けろ。人々に救いをもたらすヒーローとして」
声の主は風に溶けるように消えていった。その時の記憶は霧のようにあやふやだが、白い甲冑をはっきりと覚えている。
実際問題、白い鎧が街を歩いていたらちょっとした事件だ。きっと、俺以外には「それ」が見えていなかったんだと思う。あの時の妙にふわふわした感覚は今でも忘れられない。
無気力な自分を救った白い装甲。
生きる希望を見出したカイザーファウスト。
そのどちらも白い色をしているが、デザインはかなり違う。腕輪を渡してきた装甲はどこか悪魔的なデザインをしているが、カイザーファウストは高貴な雰囲気を漂わせている。
淡白な白い装甲に比べ、カイザーファウストは熱血漢。しかし、そのどちらも俺を救ったヒーローだ――
「アキラっ……アキラ! 何をボサッとしてるんだ」
テツの呼び声が上の空な俺を引き戻す。
「すまん、ちょっと昔を思い出してた」
俺を見ているテツの顔はギョッとしていた。きっと、相当険しい顔をしていたのだろう。
「この俺がヒーロー語るってのも、変な話だよな」
「どうしたんだいきなり? とにかくこの状況何とかしねえと」
「もう大丈夫だ、落ち着いた」
それなら良かったという素振りを見せた彼は、再び鈍器を構え直す。
「これで少しはヒーローっぽくなるか?」
カバンから出した腕輪は凄まじくタイトな作りをしている。どう調べてもどこの製品なのかも分からない。
テツの親父にも見てもらったが、「象がタップダンスをしても壊れない」と言われた。分解してメーカーを調べようにも、破壊しなければその中身を見ることが出来ないらしい。
(案外、本物だったりしてな)
左腕の上に乗せると、自動的に二つの輪っかが閉じて固定される。
「いざって時は、こいつが守ってくれるかな?」
大切な物だからこそ、身に付けていたい。この腕輪が自分を救うと信じて。
俺の意識が飛んでいる間にギフトの数が増している。
「うおおオラァ!!」
右の拳を握り締め、ギフトの胸のあたりを思いっ切り殴る。鉄パイプに比べれば軽い攻撃だが、それを素早さで補う。右拳の反動を利用し、すかさず左拳を振るった。
ギャッ! と鳴いたギフトは後ろに転がりながらも腕を使い、器用に立ち上がる。
「なあ、こいつらさっきより活発になってないか?」
「確かに……」
言われてみれば、薄のろだったギフトの動きが機敏になっている。
「急に走ったり跳ねたりしやがって!!」
このまま戦い続けても俺たちの体力切れで負け。俺たちを囲むギフトは更に増え、ダウンしていたやつも立ち上がっている。
「うわー、やめてくれよ。演技でもいいから倒れてろよ」
「やめてくれたら、とっくにこいつらと仲良しこよしの関係だぜ?」
俺も相棒も、まだ軽口が叩ける余裕があるらしい。
「へっへ、なんか楽しいなぁテツ?」
「これがゲームなら心から楽しめたのにな……」
振り回されたギフトの爪に、咄嗟の反射で左腕を差し出す。白い腕輪は金属音の悲鳴を上げたが、傷一つ付いていない。
「おぉっ! やっぱこれ硬いな」
奇妙な思い出の品が、微力ながら力を貸してくれている。それだけで心理的優位に立つことができた。
しかし、人間風情が十発や二十発殴ったところで勝てる歩兵型ではない。アサルトライフルのマガジン全弾を叩き込んで殺せたら上出来だ。