sector.5
俺はカレーを食っていたんだ。
いつもの味とは違う、刺激的で大盛りなやつを。
もしかしたら、桔梗さんが作るやつより美味いかもしれないと思い始めた時に彼女は乗り込んできた。
「アキラさん!」
「げっ」
薙刀を下段の構えにし、食堂の入り口に仁王立ちしている。
テツの方に視線をやると、またしても他人のふりをしていた。
(くそぅ、薄情なやつめ)
桔梗さんはポケットからトランシーバーのようなものを出して、とんでもないことを口走った。
「話は全て盗聴器で聞きました。さぁ! 帰りましょう!」
「盗聴器ぃ!?」
食堂が一層ざわつき、俺と桔梗さんへ視線を行ったり来たりさせている者が多い。
「ちょっとまって、盗聴器なんてどこに」
ポケットや鞄を叩いて探るが、それらしきものは見つからない。
「技術は日々進歩するもの。アキラさんが現役だった頃より、電子機器の小型化は進んでいます」
ジリジリと距離を詰め、引きずってでも連れて帰りそうな気迫だ。あんな表情は見たことがない。
「もう戦う必要なんてないんですよ! 痛いとか、苦しいとか思いながら生きて欲しくないんです!!」
だが、俺は引く訳にはいかない。
今日、久しぶりに銃を握って自分が何かを思い出した。
「敵がいて、死ぬかもしれない場所が俺の家なんだ! 穏やかに暮らしていると、腐りそうになる」
その言葉を聞いて、桔梗さんは悲しい顔で言葉を返した。頼むからそんな目で見ないでくれ。
「もっと……長い間ゆっくり暮らしましょう。そうすれば、きっと今のほうが良いと思えるようになりますから……」
硬直状態の俺達を囲んで賭けをしているが、可能ならそちら側に俺も行きたい。というか、ニカちゃんが胴元かよ。
「オメーら、なぁに勝手に楽しそうなことしてるんだよっ!」
俺にとっての救いは桔梗さんではなく、このイカしたジャック・ラビットなのかもしれないと思った。
重そうな長い刃渡りのポールウェポンは、彼の頭上で振り回されて威圧感のある音を放つ。
それを玩具のように弄ぶ彼の前に桔梗さんが立ちはだかり、敵意を剥き出しにした。今の御時世、格闘武器同士の戦闘が見られるのは稀だ。
「久し振りですね、九条のあの子は元気にしていますか?」
「ああ元気だよ。それにしてもいろいろとデカくなったなぁ、お嬢ちゃん」
この二人、九条を通してどこかで出会っていたのか。
「まさか貴方がアキラさんを誘惑し、自分のものにしようとするとは」
周囲の観客がひそひそと「やっぱり」とか「どうりで彼女とかいないわけだ」などと囁いている。
俺は思わず胸と股間を手で隠した。
「お、おめっ! 変に勘違いさせるようなこと言うんじゃねぇ!!」
男が多い戦場に長く身を置くジャックのことだ。もしかしたら、もしかするかもしれない。
ニカちゃんが前に出て、さらに追い討ちの発言をする。
「こんな話を聞いたことがあるぞ。孤児の少年をたぶらかし、自分好みに育てるが大人になったらポイしたという鬼畜外道な噂が――」
周囲から「Oh……」やら言葉にならない吐息が聞こえてくる。
「テメーらまとめてぶった斬ってやろうか」
空いた左手で頭を掻きながら彼は続けた。
「言っておくがなぁ、あれには聞くも涙語るも涙の物語があるんだぜ?」
どうもこの男には、その場の流れを引き寄せるカリスマとは違う何かがある。
「あー、なんで変な方に話がズレるかなぁ。オレは侵入者を追っ払いに来ただけだってのに」
ジャックが槍を上段に持ち替えた瞬間、空気が張り詰める。
「強化兵としての筋力と能力は使わないと約束しよう。俺が一滴でも血を流したら、アキラの意思に関係なく引き渡すという条件でどうだ?」
これには裏があるはずだ。
ジャックの勝利条件が明示されていないし、最初から別の方法で勝てる何かを隠している。
「分かりました」
頭に血が上った彼女に、条件の怪しさに気づく余裕はない。
(もう決めたことだ。勝ってくれ、ジャック)
不気味な気配を出しつつも、攻撃を彼女に当てる気すら感じられない。何度も何度も、俺を殺そうとしてきた奴の気配を見てきたからよく分かる。
「では、行きます!」
薙刀を強く握り締め、間合いを詰める。一方ジャックは槍を短く持ち直し、攻撃に備えた。
「ありゃぁ、相当重い金属だぜ」
今までだんまりを決め込んでいたテツがようやく口を開く。
「タングステンと同等の比重……いや、それ以上だ。持ち上げる時の踏ん張り方でよく分かる。コーティングも初めて見るような感じだが……」
流石は合金屋の息子だ。
そんな彼の言葉に反応し、ジャックが答える。
「ああこれ? コーティングじゃなくてこの物質の色だよ」
余所見した隙を桔梗さんは見逃すことなく、飛び込むように突きを入れる。
木製の柄を持つ薙刀に比べ、黒い槍は全てが比重が大きい金属で構成されているので、想像を絶する重さだろう。
しかしながら、強化兵の能力を封じた状態でも経験と技術の差は明白だった。
短く持った得物の槍頭部分で突きを弾き飛ばし、柄の部分で殴る素振りを見せる。そうすれば必然的に距離を取るので仕切り直しだ。
金属同士がぶつかったにしては、どうも音が小さくて鈍い。これも、あの黒い金属の特性なのだろうか?
「戦いの最中に余所見をするとは……何を考えているのですか?」
桔梗さんのあそこまで切羽詰まった表情は見たことがない。打って変わってジャックは薄い笑みを浮かべたままだ。
「どんな状況でも対処できるようにしてるからな。試合のときだけ集中してりゃあいいスポーツ武術とは、一味も二味も違う。最善の構えで戦うものより、最悪の構えでもどうにかする方が、戦闘用としては優れている」
銃の扱いだってそうだ。いつまでも正しい姿勢で撃つ訓練をするより、転んだ姿勢や逆さ吊りでも撃てる訓練をしたほうが役に立つ。現に俺も、そういうのを叩きこまれた。
「くっ……」
桔梗さんは再び突き――と見せかけて薙刀を縦に振り下ろす。ジャックはフェイントに動じず槍を横に持ち、そのまま受け止める。
単純な筋力差で圧倒的にジャックが有利なのだが、思いもしないことが起きた。
押し合いになっていた槍を急に離し、薙刀は地面に突き刺さる。その場から消えたジャックは俺に向かって凄まじいスピードで走ってきた。
本能的に貰ったばかりの銃を引き抜く。発射可能な状態まで持ち込むが、伸ばした腕の内側にまで入り込まれてしまう。
「神藤桔梗。お前に、アキラは守れない」
俺の首元では、これまた黒いナイフが静かに息を潜めていた。
内側へ湾曲していて、鎌に似たフォルム。いわゆるカランビットナイフだ。人差し指を、そのナイフ特有の輪っかに通し、逆手に構えられていた。
(これがッ、ジャックの勝利なのか!?)
混乱する脳では何を思って俺を負かしたのか理解できなかったが、丁寧にその意味を教えてくれた。
「手の内で守ろうと思ってるのか知らんが、コイツを守れるほどお前は強くない」
桔梗さんは悔しさや憎しみ、哀情が詰まった表情をしている。
「蚊帳の外だったアキラですら、すぐに銃を抜けた。守りたい人間をほったらかして、自分の戦いしか見ていない。むしろお前が守られていたんじゃないのか?」
プライドというものを壊されていく桔梗さんを見ているのは忍びなかった。でも、俺が俺として生きていくには彼女から距離を置く必要がある。
ジャックは俺から離れ、くるりとリング使ってナイフを一回転させる。そして静かに上着の中にあるシースへ収めた。
「賭けが無効になったな。ニカ、ここはオレの勝ちってことで全額――」
「だめ」
「えぇ、そんなぁ」
エプロンのポケットに大量の紙幣を詰め込んだニカちゃんは、賭けに参加した人々に返して歩く。
「さー、無効だよ。賭けたものが帰ってきたら散った散った」
槍を拾ってから、足で引いた椅子に座ったジャックは小さく「くそう」と漏らす。
恨めしそうに睨む桔梗さんの視線に、彼は気付いた。
「ん? まだ納得できんか。そうだな――」
思考を巡らせ、座ったまま槍を杖代わりにして、前屈みで囁く。
「人類の想像以上に、今は状況が悪い時期だ。泥臭い戦争が起きる時のにおいがする」
ギフトの出現以降、地震雷火事親父の次にギフトが追加された。黒い災害による死者は年々増加傾向にある。
「においで人類の行方を決めつけられたら、たまったものではありません」
ここまで機嫌の悪そうな桔梗さんは、他人のようにも思えてしまった。
「オレの勘を舐めてもらっちゃ困る。クソ永い人生で得た『なんとなく』ってのは、結構当たるもんなんだよ」
ジャックが語る最中、ニカちゃんがお盆にコーヒーを乗せてふらふらと歩み寄ってきた。
「ほれ、これでも飲んで落ち着いたらどうだ?」
まずは桔梗さんに渡してから、立ち尽くす俺とテツ。最後にジャックに渡した。それぞれ口をつける中、彼は話を続ける。
「いざ大規模な戦闘や、今まで以上に強力な個体が出てきた場合どうする? お前一人でギフトをなぎ倒して、アキラを守るつもりなのか?」
「その覚悟だって――」
「それじゃ二人とも死んでおしまいだ。強化兵や異能に囲まれた、この環境の方がまだ長生きできる」
そこで彼はようやくカップに口をつけた。
「できるだけ長い間コイツの顔を拝みたいなら、戦わせてやれ。今日だって死にそうだったが、俺達が出てきて助かったし、コイツ自身もギフトを倒してみせたんだ。逃げるより戦うほうが向いてる」
桔梗さんはうつむいて悩み、それを皆が静かに待つ。
「――そこまで言うなら、貴方を信じてみます。私がアキラさんを守れなかったのは事実ですから……」
俺は信じちゃいないがな。どうせ今だけは納得させるための嘘に違いない。そのあくどさを含めて、仲間にいると心強い。
それに、武器を持ち、前に出ることの覚悟を知らない男ではないはずだ。俺の昔のやり方よりはマシかもしれないが。
男娼のふりをして暗殺(貞操は無事)したり、正面から手榴弾投げまくって襲撃をするのよりは安全な日々が送れそうだ。
ずっと口を出す機会がなかった俺に、桔梗さんは向き直る。
「大丈夫……なんですよね?」
戦いに安全などない。でも桔梗さんが守れるならそれでいい――ということにして、俺はアルファライザーの魅力に屈する。
「もちろん。ちょっと鈍ったから鍛え直さないと不味いけど、しっかり守ってみせますから」
俺もジャックと変わらない立ち振舞だと、心の中で笑った。