13 赤い羽根の掟
気づいた時には、夜営地の一画は呑まれていた。
「クソッ!」
ヴォルフラムは精霊の堅風盾を広範囲に展開した。精霊によって生み出された強風の壁が焔を断絶し、皆を守った。
風の向こう側は地獄だった。仄暗い空に焔が燃え上がった。火に包まれた人々の絶叫と嗚咽が朝まだきに轟く。
「何が起きた!」
熱波に顔をしかめながらレオパルドが叫んだ。
「わからねぇッ!」
ヴォルフラムは苦々しげに叫び返した。
予感はあった。だから神経を研ぎ澄ませていた。周囲への警戒は怠らなかった。特に不自然に静まり返った森を注意して視ていた。
(だというのにこの様だッ)
森の深奥で甚大な魔力が膨れ上がり、次の瞬間には、森からキャンプまでの一直線が炎上していた。被害規模からいって広域殲滅用の上位、あるいは極大魔法。高度な魔法であるのは確かだが、それだけならヴォルフラムはここまで苛つかない。問題は発動時間だ。魔力を練り上げてから魔法に転換するまでの時間が、あまりにも速すぎる。天才と呼ばれるヴォルフラムの第六感をして、遅延が感じ取れなかった。発動短縮のような補助術式の気配もない。だから反応出来なかった。精霊の堅風盾の展開が遅れてしまった。
この魔法を放った何者かは、息を吸うように超高等魔術を扱っている。つまり、化け物だ。
しかし一番の問題は、この炎が黒焔だということだ。
黑い猛火がすべてをなめていた。
すでに騎士たちは隊列を整え、近衛兵たちは殿下の護衛にあたり、街道を全速力で進み始めている。さすがは今回の為に編成された皇太子直属護衛騎士団だ。これほどの災禍に直面しながらも混乱は一瞬、すぐに皇太子の安全を確保するために動いている。
ヴォルフラムの背後に赤い羽根の三人が集まった。
「俺はしばらくここにとどまる」
ヴォルフラムは振り返らずに宣言した。
「いいだろう」レオパルドは進み行く隊列を眺め、頷いた。「殿はお前に任せる。俺たちはルイソンと合流し、皇太子殿下の護衛につく」
「アタシも残るよ」
二本の槍を引き抜き、ディアナが前に出た。
「皇太子の安全が優先だ。お前はレオパルドたちと行け」
「だからアタシも残るんでしょ。こんな状況だからこそ、アタシたちの掟に忠実にいくべきよ。クリムゾン・クローバーは戦場において絶対にひとりで行動しないって鉄則、忘れてるわけ? 二手にわかれる時のアンタの相棒はアタシでしょ。いつもみたいにアタシが前衛、アンタが後衛でいく」
「俺は遊撃的前後衛だ」ヴォルフラムは煙草に火をつけディアナを見た。「お前と組むと俺の仕事量が増える」
「なにそれ、嫌味?」
「お前ら、こんな時まで喧嘩をするな」
「いつも通りだ」ヴォルフラムは紫煙を吐き、レオパルドを、次いでディアナを見た。「お前がいつも通りにしろといった。だからいつもと同じように接してるだけだ。絡んでくるな」
「アンタのそういうとこ、すっごくウザいよ」
そういったディアナの表情は、しかし笑っていた。
燃え盛る炎。吹き抜ける風が熱波となる。彼等の横を次々と隊列が駆け抜けていく。
「そろそろ皇太子殿下を追わねば追いつけなくなるな。急ぐぞ」レオパルドは身を屈めた。その意味を理解したオーギュスタは、レオパルドの大きな背中に身を預け、黒い体毛を掴んだ。
「ディアナ、ヴォルフラム、また後でな」
「死なないでくださいね」オーギュスタが素早く天に祈りを捧げ、大きな瞳でふたりを見つめた。「ディアナ、ヴォルフラムさんが無茶をしないように見張っていてくださいね」
その言葉が終わらぬうちに、レオパルドは跳んだ。人ひとり抱えているとは思えないほど見事な跳躍だった。さすがは獣人の中でもとりわけ身体能力の高い黒豹族だ。軽やかに着地すると、今度は猛スピードで草原を駆けていく。
「アタシはアンタの子守りだってさ。いいえて妙ね」
「オーギュスタは勘違いしているだけだ」ヴォルフラムは吸殻を放り捨て、首を振った。「いつも無茶をするのはお前の方で、俺が尻拭いだ。お前のせいで死にかけた場面が何度あると思う。いい加減なりふりかまわず突っ込むのをやめろ」
「前衛が突っ込まないで何するってのよ」
「クソ脳筋のお前には何を言っても無駄らしいな」
「ニヒリストのアンタよか、脳筋のアタシの方がマシじゃない?」
「どうだか」ヴォルフラムは懐から術式剣を取り出し、森を睨んだ。あの深奥から魔法は放たれた。何かが来るとすれば、それはあの森の中からだ。
空は薄闇から朝焼けへと変わりつつある。燃え盛る黒い焔の轟音と、隊列の遠ざかっていく足音が響く。ふたりの間で緊張感が膨らむ。何が来るのか、あるいは来ないのか、もし来るならどこから来るのか、いつ来るのか、どれだけの数が来るのか、ひとりか、ふたりか、それとも大群か、そもそも敵の正体は何か、人間か、亜人か、魔獣か、魔物か・・・連続する思考とその取捨選択にふたりは集中する。神経がヒリつくような緊迫感が彼等の意識をクリアにする。普通の冒険者であれば発狂しかねないほどの重圧も、聖銀級のふたりからすれば慣れ親しんだストレスだ。ヴォルフラムとディアナは、完全に臨戦態勢に入った。
その瞬間、背後で足音がした。
ふたりはほぼ同時に振り返った。
ヴォルフラムは術式剣を突きつけ、ディアナは短槍を突き出していた。
彼等は寸前の所で、武器を納めた。
黒い鎧の牛頭が立っていた。
今の今までヴォルフラムはアステルの事を忘れていた。正確には考えないようにしていた。彼の最優先事項は皇太子殿下の安全確保であり、この状況ではそれ以外のすべてが夾雑物だった。ディアナも同様だろう、ミノタウロスの姿に驚き、だがすぐにそれが仲間だと思いだし口を開いた。
「アステル、アンタまだこんなところにいたの。ここは危険だから早く」
「逃げろ」ディアナの言葉を遮るように、アステルは呟いた。硬い声だった。まるですべての感情を抑え込んでいるかのような、断固とした言葉だった。アステルはふたりの間を通り抜け、炎上する草原に脚を踏み出した。
「おいアステル、どこに行く気だ」
ヴォルフラムの言葉に、しかしアステルは振り返ることもなく歩き続けた。
「おい聞いてるのか、無視するな」
さらに口を開いたヴォルフラムに
「今すぐ逃げるんだ」
アステルは再度の忠告と共に振り返った。
そして近づくふたりを極大の斧で牽制した。
「頼む、ここは私に任せて貴公等はどうか逃げてくれ。この焔が何なのか、私は知っている。先ほど遠方で立ち上った魔力が誰のものなのか、私は知っている。忘れたことはない。この三十年間、一日たりとも忘れたことなどない。ついにあの女が手の届く所に現れたのだ。私はこの機会を絶対に逃しはしない」アステルは斧を背に戻すとふたりを見つめた。兜に遮られてふたりには彼の表情がわからなかった。だがこの時アステルは笑っていた。優しく、温かく、まるでミドナが生きていた頃のように穏やかな顔をしていた。
「たった数日だったが、貴公等と旅ができて良かった。仲間と共に歩き、話し、焚き火を囲むなど、三十年ぶりだった。そんな風には見えなかったかもしれないが、私は楽しんでいた。本当に楽しかった。楽しいと思ってしまった」アステルは眼を瞑った。瞼の裏にこの最近出会った人々の顔が浮かび上がった。とりわけ首都バルシアに入ってからの記憶が鮮明だ。彼に救いを求めた少女のヘルマ、その孤児院の子供たち、そしてヴォルフラムにディアナ、レオパルド、オーギュスタ、ザーチャ。三十年間、たった独りで憎悪の研鑽に身をゆだねてきたアステルには、たった数ヶ月の出会いが大きな意味を持っていた。そのすべてが温かく、光輝いて見えた。
あるいはそういう生き方もあったのかもしれない。憎悪に囚われず、ミドナと暮らした日々を胸に新たな人生を歩むことも出来たのかもしれない。
あの子は優しかった。もしかしたら、ミドナは復讐など望んでいないのかもしれない。
『パパ・・・熱いよ・・・』
それでもアステルは、魔女を赦すことができなかった。
ゆえに地獄を選んだ。
復讐の先に破滅が待っているとしても、彼は絶対に立ち止まるわけにはいかない。
『殺すよ』焼け爛れたミドナの手を握り締め、アステルは嗚咽しながら誓ったのだ。『必ずあの魔女を殺すよ。それが終わったら、ミドナに会いに行くよ。だからもう少しだけパパを待っていてくれ』
アステルは眼を開いた。その瞳にはもはや、優しさなどありはしなかった。ただ、憎悪だけが渦巻いていた。
「レオパルドとオーギュスタによろしく伝えてくれ。それからヘルマと孤児院の皆に謝っておいてほしい。『必ずまた会いにくる』と約束したが、どうにも守れそうにない」
「そんなことは自分で言え」
「そうだな、本当はそれが一番いいのだろうな」アステルは自嘲するように笑い「すまない」
その言葉を最後に、彼は森に向かって駆け出した。
「あの馬鹿がッ」
遠ざかるアステルの背に、ヴォルフラムは苛立たしげに吼えた。
「この黒い炎」ディアナが周囲を見回し口を開く。「黒焔なんて魔法を扱える魔物は限られてるし、もしかしたらなんて思ったけど、やっぱり獄炎の魔女が関係してんだね。ブラック・リストに名前の載る序列第三層の超越魔物、そんなもんとアステルは戦うつもりなの?」彼女はため息をつくと額に青筋を立てる精霊使いを見やった。「で、どうする? 敵はイビルヘイムに匹敵する化け物だよ。正直アタシ等じゃどうにもならない。殿なんてやってる意味ないかもね。今すぐ逃げなきゃふたり仲良くあの世行きだ」
「あの馬鹿には、まだ借りを返してない」ヴォルフラムは煙草をくわえるもマッチが切れていることに気づき、箱ごと放り捨てる。「まったく面倒事ばかり起きやがる」そう毒づくと術式剣を強く握り、ディアナに告げた。
「お前はレオパルドたちと合流しろ。俺はアイツを連れ戻してくる」
「そ、ならアタシも一緒に行く」
「お前には関係ないことだ」
「あのさぁ、もうアタシ等の掟忘れたわけ? クリムゾン・クローバーは絶対にひとりで行動しない。アンタが行くならアタシも行く。それにアタシ、アステルのこと好きだよ。なんていうか真面目で、優しくて、不器用で・・・そりゃ会ってまだ日は浅いけどさ、なんていうか、アイツいい奴だよ。死んでほしくない。アンタだってそう思ってるから助けに行くんでしょ?」
「俺は借りがあるだけだ」
「あっそ。ま、アンタが認めるわけないよね」ディアナは鋭い戦士の顔でヴォルフラムの胸を叩いた。「いつも通りアタシが前衛、アンタが後衛。アタシのことしっかり護ってよね」
「逆だ。お前が俺を護るんだよ。それに何度もいわせるな。俺は」
「遊撃的前後衛、でしょ、聞き飽きたっつーの。しっかしさ、やっぱりオーギュスタは正しいよ」ディアナはにやりと笑い「無茶をするのはアタシじゃなくアンタだ」




