9 皇太子護衛、そして魔蛇
ヴォルフラムは城壁に寄りかかり騎士たちの隊列を眺めた。皇太子殿下護衛の為に特別に組まれた一個大隊ほどの騎士団は、北門の前で彫刻のように整列している。
「壮観だな」
獣頭のレオパルドがヴォルフラムの隣に立った。いつもなら腰布だけだが、今日は急所である首と右胸に鎧を身につけている。象牙獣の分厚い皮膚で作られた革鎧だ。腰には愛刀の幅広剣。幅広の切っ先を持つ無骨な鉈のような刀剣だ。レオパルドは腕を組みうなずいた。
「あの数の騎士が一糸乱れぬ隊列を作っている。見事なものだ」
「あれだけいれば俺たちの出番はなさそうだ」
「かもしれん。だが護衛任務だ。俺たち紅い羽根の出番が無いにこしたことはない」そういうとレオパルドは思い出にひたるような眼で騎士団を見つめた。
「騎士団が懐かしいか」ヴォルフラムは煙草に火をつけ紫煙を吐いた。「冒険者のようなやくざな稼業より騎士の方がお前向きだろうな。いや、上官を殺しかけて除隊処分を受けたお前は、むしろ連盟向きなのか」
「古いことを持ち出すな。若気のいたりというやつだ」
「俺が会ったときに比べりゃ、お前はだいぶ丸くなった」
「それはこちらの台詞だ。初対面の俺に刃を突きつけたあの頃の凶悪な精霊使いに比べれば、今のお前はずいぶんと大人しくなったよ」
「あの頃は自分が一番強いと思っていた。だが、上には上がいると思い知らされた」
「古塔か」レオパルドは神妙な表情を浮かべる。「確かに死霊魔導師との遭遇は強烈な体験だった。あれ以来俺も慎重になった。つねに最悪の事態を想定して動くほどに」
「お互い歳を食ったってことだ」
「なにジジイ臭いこといってんの」あきれたような顔つきでダーク・エルフのディアナが現れた。「レオパルドはまだしもアンタまでそんなこというなんてどういう風の吹き回し? 気味悪いわ」
「俺もこれで大人でね、永遠のじゃじゃ馬娘のお前にはわからないだろうが」
「喧嘩売ってるわけ?」
「売ってきたのはそっちじゃないのか?」
「お前等、これからユリシール王国へ向かうんだ。喧嘩をはじめたらさすがの俺も本気で怒るぞ」
「冗談よレオパルド。アタシにだってそれくらいの分別はある」そういうとディアナはこれから始まる仕事の邪魔にならないよう、美しい銀髪を馬尾に結った。彼女は最小限の装備だけを身に付けていた。ディアナは戦闘部族ゼルノの出身であり、彼女は長老にその力を認められ部族の神 精霊王に血の誓いを打ち立てた筋金入りの戦士だ。ゼルノの戦士は獣の牙を、敵の剣を、妖魔の魔術を畏れない。鎧や盾は戦士の恥だ。身に纏うは軽装、手に持つは得物のみ。ディアナの得物は二本の槍だ。腰に短槍、背に長槍、どちらも独特な形状の刃を持ち、柄には部族の紋様があしらわれている。
「カチーラよ、どうか我等の手に勝利を」
ディアナは太陽に祈りを捧げ、呪文のような短い霊句を呟いた。戦いの前に祈るのは戦士の掟だ。
祈りが終わると彼女は二人に向きなおり
「まだオーギュスタを見てないけど」
「そういえばそうだな。オーギュスタにいたって遅刻などあり得ない。何かあったのか」
「アイツは魔術師だ。準備に時間が掛かってるんじゃねぇのか」
三人が話し合っていると
「すいません、お待たせしました」
オーギュスタが小走りで駆け寄ってきた。亜麻色の髪が朝陽に煌めいた。彼女はいつもと変わらぬ格好をしていた。金銀糸により装飾をほどこされた魔術師外套に、シュラメール魔術王国製の魔法の杖。彼女は胸に手をあて呼吸を整えると、三人に笑いかけた。
「実はそこでヨハン副会長にお会いして、それですこし遅れてしまいました。ごめんなさい」
「オーギュスタ嬢が謝ることはない。僕が引き留めたんだ」彼女の背後からヨハンが現れ、全員に挨拶をした。
ヨハンは数人の男たちを引き連れていた。副会長である彼には連盟から銅級以上の護衛が派遣される。ヴォルフラムはその全員に見覚えがあった。偉大な伯爵に所属する裏の冒険者。ヴォルフラムの同類。オルマの闇側の猛者たち。彼等はヴォルフラムに気づくと目礼する。
「ああヨハン、やっと見つけたよ」隊列の方から快活な声が響き、騎士団を押し退けるように黒髪の男が現れた。灰白の肌の長身の男はヨハンの隣に立つと深く頭を下げた。「いやはやまさかはぐれるとは、貴方の護衛としては失格だな。申し訳ない」
「気にしないでくれ。それより皆に紹介しよう。彼は僕の私兵、ザーチャだ。まあ専属の護衛だと思ってもらえればいい」
「たった今紹介にあずかったザーチャだ。姓は無い。ただのザーチャと覚えてくれ。君たちがオルマ多種連盟最高峰のクリムゾン・クローバーか。こうして対面してみるとなかなかどうして猛者揃いといった面構えだな」ザーチャは四人全員に握手を求めレオパルドにはその肉体の素晴らしさ、ディアナとオーギュスタには二人の美貌を過剰なほど褒め称えた。ディアナは顔をしかめ、オーギュスタはどうしていいかわからずおろおろした。最後にザーチャはヴォルフラムの手を強引に握り「君に会うのは二回目だな、ヴェノム・アネスティード。これも何かの縁だ、ぜひ仲良くしてくれ」
そういって嗤った。
ヴォルフラムはザーチャの手を払いのけた。
「ああ、また嫌われてしまったらしい」
ザーチャはわざとらしく肩をすくめた。
(なんだ、今のは)ヴォルフラムは掌を見、次いでヨハンの隣に戻った男を凝視した。確かにヴォルフラムは人嫌いだ。愛想もない。他者と交流を持とうとも思わない。だがヨハンの護衛ということは、ザーチャは仕事仲間になったということだ。連盟は危険な職業ゆえ、最低限の仲間意識が必要になる。冒険者は仲間を助け、裏切らず、絶対に見捨てない。だからヴォルフラムがザーチャの手を振り払ったのは、彼自身の好悪の念とは無関係だ。ヴォルフラムが手を振り払った理由は
(精霊が怯えた?)
ザーチャの手が触れた瞬間、ヴォルフラムを取り巻く精霊が一瞬だけざわめいた。震えたといってもいい。
すでに精霊は平静を取り戻している。異常はない。ザーチャの周囲の精霊を視る。異常なし。辺り一面の精霊すべてを観察する。異常なし。たった今起きた精霊のざわめきがなんだったのか、ヴォルフラムは計りかねている。少なくとも人間に触れた程度で精霊はああも怯えたりはしない。
(気のせいか?)
一瞬の出来事だった。原因はわからない。
「どうしました?」
オーギュスタが心配そうに声をかけた。
「なんでもない」ヴォルフラムは素っ気なく首を振った。「単なる気のせいだ。仕事の前は集中するから感覚が敏感になる。魔術師のお前ならわかるだろ」
わかります、とオーギュスタは頷いた。
ヴォルフラムは新しい煙草をくわえた。
もう一度ザーチャを見た。
異変はない。どう見てもただの人間だ。
「気のせい、か」
紫煙とともに呟いた。
街の方で喧騒が巻き起こった。騎士団が隊列を変え、道を作った。一糸乱れぬ完璧な動作で敬礼をする。やがて四頭の一角馬に引かれた巨大で豪奢な馬車が騎士団の作った道から進み出てきた。馬車の周囲は鎧を着た人狼、皇族近衛隊【狼隊】が固めている。
「皇太子殿下の御出ましだ」レオパルドは敬礼する。「そろそろ出発の時間か」
「ユリシール王国の王都を目指すのですね。道中何もなければいいのですが」
「逆だオーギュスタ。王都で何もないことを祈れ」
「どっちにしたって、何も起きないに越したことはないわけよ」ディアナは首都バルシアを振り返った。「王都ってかなり遠いし、この街ともしばらくお別れってわけね。生きて帰ってこれればいいけど」そこで彼女は北門に向かってくるひとりの男に目を留めた。大きな男だった。群衆の中にあって、その男の姿はあまりに異質で異形だった。「なにあの馬鹿デカい斧。あんな武器はじめて見た。本当に振れるのかな」
その言葉にクリムゾン・クローバーの面々も振り返った。
「アイツは確か」
ヴォルフラムは男を見据えた。
黒い鎧の亜人がそこに立っていた。
ザーチャはヴォルフラムの背を眺めた。
(なかなか鋭い男だ)愉しそうに嗤った。(やはり古来より『預言者』と呼ばれる精霊使いの感覚は並みではないらしい。だがまぁ、気づいたところで何が出来るわけでもないか、ククッ)
「どうしたザーチャ、ひとりでニヤニヤして」
「いや、なかなか愉しい道中になりそうだと思ってね。こんな素敵な旅路に誘ってくれて感謝するよヨハン副会長」
「僕は君の腕を高く買っている。用心棒として期待しているよ」
「任せてくれヨハン副会長、俺は期待を裏切らない男だ」
ザーチャはヨハンから少し距離を取り、周囲を見回した。人間、亜人、冒険者、騎士団、貴族。様々な種族、様々な身分の者たちが都市の中で生活を営んでいる。その中で暮らすのは楽しい。だからザーチャは人間に化ける。人を演じ、社会に溶け込み、平和を享受する。だがそんなものは所詮、かりそめの生活でしかない。
「そろそろ血が見たくなってきたな」
ザーチャは蒼穹の果てに聳える古の塔を思い描いた。
魔と瘴気の渦巻く死霊魔導師の居城。
逆五芒星をその身に刻んだ魔物たちが集うべき、約束の地。
異形の化け物集団【地獄に堕つ五芒星】が蠢く場所。
「やはりどう足掻いても俺は人にはなれないらしい」ザーチャは三月前の記憶に思いを馳せる。血と夜の支配者たる女王との戦い、最強の狩人たる狼との死闘、そして彼の同胞を屠った常軌を逸した赤い魔力・・・あの日ヤコラルフは血と死によって満たされていた。殺意と狂気が溢れていた。人間が立つことなど赦されない、掛け値なしの地獄。戦塵吹き荒れ戦禍渦巻く、超越魔物の為の戦場。今までそんな風に考えたことはなかったが、あれは、そうだ、あれは、本当に
「愉しかった」
あの地獄を神樹聖都セイリーネスを舞台に演ずることが出来るのだとすれば、地獄に堕つ五芒星に入った意味は十分にある。
なにせセイリーネスには奴がいる。
蛮勇の騎士と岩蛇の女帝を、彼の両親を殺した聖騎士が。
「蛇は執念深いものだよな」ザーチャは嗤い「それに復讐は冷えた頃が一番美味いというからなぁ」その双眸が魔蛇と成る。
冷気のような魔力が彼の全身から滲み、鱗を覆い隠す岩の肌に亀裂が走った。
『全員集結する前に帰ってこい』
ザーチャはカ・アンクの言葉を反芻し
「そうだな、もう少し戯んだら俺も塔に帰るとするか」
呟いた時には、すでに魔人は人の皮を被っていた。




