4 黒い鎧の男
「よほどの人間嫌いか、それとも出世に興味がないのか」ヴォルフラムは面倒臭そうに呟く。「まあ、なんにしろ王国ギルドの中でも異質な野郎なのは確かだ。異常な速度での昇格、後ろ楯無し、そして特権階級を平然と無視してお咎めなし。確かに十闘級は独自権限を有しているが、にしてもここまでの特別待遇は異常だ。噂じゃ新入りは化け物だとよ」
「化け物?」
レオパルドの疑問に
「話によれば、クシャルネディアを討伐したのはそのルーキーらしいんです」
ヨハンが答える。
「『王国ギルドには化け物がいる』」
小さくオーギュスタが呟いた。
「そんな話を聞いたことがあります。その噂がルーキーを指しているのでしょうか」
「だろうな」とヴォルフラムが肯定する。「クシャルネディアは序列第三層の怪物、つまりあのイビルヘイムと同格だ。そんな魔物を殺したんだとしたら、ユリシールがルーキーを特別視するのもうなずける」
「人間がクシャルネディアを殺せると、本気で思ってる?」ディアナが口を開いた。「たしかにさ、アタシもむかしはしっかり準備して、精鋭揃えて、作戦たてて、そうすれば超越魔物ってモノを殺せると思ってたし、それが無理にしたって互角に渡り合えると自惚れてた」彼女はパーティメンバーの顔をひとりひとり眺めた。「アンタたちだってそう思ってたはずだよ。あの頃の赤い羽根はノリにノってて敵無しだったじゃん。世界に殺せない魔物なんて存在するはずがないってくらい絶好調だったでしょ。それが実際はどう? あの塔で死霊魔導師と対面した瞬間、絶対に勝てないって悟った。それくらい圧倒的な魔力を感じた。超越魔物ってのはアタシたちとは存在そのものが違う。ユリシールが祖なる血魔を殺したなんて、それも人間がひとりでクシャルネディアを殺したなんて、到底信じられない」
「だから噂なんだろ」ヴォルフラムはディアナを見る。「俺だってルーキーがクシャルネディアを殺ったなんざ、本気で信じてるわけじゃない。だがほとんど人前に出てこない野郎で、会えるのは一握りの人間だけ、そういう状況じゃ何が真実なのかわからない。もっとも血魔姫の領域から生還し、会談でドーグの野郎を殺してるんだ、実力は本物だ。アニーシャルカとつるんでるとなると闇側の人間かもな」
「あまりかかわり合いになりたくない手合いだな」とルイソンが言う。
「連盟の方でももう少し探ってみますが、まあ収穫は期待できそうにない。先にヴォルフラムくんが上げた三人同様、警戒するに越した事はなさそうですね」
「そりゃそうだ。そもそも王都で十闘級と揉め事起こすなんざゴメンだ」
「確かにそうだな」レオパルドがうなずく。「あくまで俺たちの仕事は皇太子様の護衛だ。王都の中で騒ぎは起こしたくない。できるだけ穏便に事を進めよう」
「もう夜ですね」
ヨハンが窓外を見た。遠くで繁華街の明かりが瞬いた。夜の喧騒が聞こえてくるようだった。
「皆さん、申し訳ありませんがもう少しだけお付き合いください」
ヨハンは微笑むと、皇太子様出発の日時などを話始めた。
受付嬢は、その男を見上げなければならなかった。
あと少しで交替の時間だった。彼女は来館名簿を整理し、受付周辺の清掃を終え、交替職員を待っていた。いつも通りの一日だった。市民が訪れ、学者や魔術師を魔導書の書庫まで案内し、書類仕事に追われる。気がつけば夜だった。受付嬢は残りの時間をぼんやりと過ごしていた。
そんな彼女の前に、ひとりの男が現れた。
異形の男だった。多種多様な種族に接する彼女であるが、そんな彼女の目から見ても、男は並外れた巨躯を誇っていた。大柄な体躯を持つ獣頭を、さらにひとまわりほど大きくしたような巨体である。だがそれだけならばこの国では珍しくない。オルマ領には大鬼や巨人が棲んでおり、数は少ないがこの街にも彼等はいる。男を異形たらしめているのはその身を覆う黒い鎧が原因だった。おそらく竜をモチーフにしたのだろうその鎧は、何か禍々しい魔力を内奥に秘めていた。
「図書館とは、ここで間違いないのだろうか」
受付嬢の耳に飛び込んできたのは、姿とは真逆の、穏やかな声だった。
「え? ・・・ああ、はい、そうです」
この図書館は連盟の冒険者もよく訪れる。基本的に無害な者たちだが、中にはやくざな者も含まれる。冒険者でありながら平然と暴力を働き、盗賊まがいの仕事を請け負い、裏社会の一員として様々な悪行に手を染める。立ちのぼる異様な雰囲気に、彼女は眼前の男がそういう類いの人物だと思ったのだが、どうやら違うらしい。男はとても優しい声をしていた。受付嬢は緊張をとくと笑顔を浮かべた。
「ここがバルシア魔術協会図書館になります」
首都バルシアにはオルマ魔術協会が運営する図書館がある。世界中のありとあらゆる書物が集まる巨大施設だ。図書館は市民にも解放されており、銅貨一枚で入館することができ、魔術師見習いや冒険者を志す若者など幅広い利用者をもつ。重要な希書や貴重な歴史書などは厳重な警備のもと、すべて地下に保管されており、地下一層に降りるには金貨一枚を必要とする。図書館には地下三階まで存在し、二層に降りるには金貨十枚にくわえ、ある程度の階級や地位を証明しなければならない。三層ともなると連盟の極秘資料や【神魔戦争】と呼ばれる神話の記された文献、さらには【消失魔法技術】に関する魔導書など、危険な資料が保管されているため、この場所に入れるのはそれ相応の人物に限られる。
あきらかに初来館の男に、受付嬢はそう説明した。
「それでは、何層をご利用になりますか」
受付嬢の質問に黒鎧の男はしばらく沈黙したのち、
「魔女について調べている」
静かに呟いた。
「魔女、ですか」受付嬢は男を見上げる。「ひとくちに魔女といっても色々ありますので・・・たとえばオルマ領北西にある迷いの森には『星詠み師』と呼ばれる老婆が棲んでいまして、その魔女に関する書物ならこの奥の資料室で閲覧することが出来ます。百年前にジュルグ帝国ミュレビリィ地方で勃発した大量殺戮に関することなら、地下一層に保管された『帝国魔女狩り回想録』に載っているはずです。あるいは六属性魔術集団から生じた、女性のみで構成された魔術部隊『血の魔女たち』についてお調べなら地下二層となります」
図書館の職員は全員、オルマ魔術協会に所属する優秀な魔術師だ。職員は様々な本の種類、棚の位置などを把握している。彼女も同様だ。
受付嬢はいったん言葉を止め、
「魔女という種別はとても広いです。もう少し具体的な、たとえば名前や特徴などがわかればご案内できるのですが」
「右半顔に逆五芒星の刺青のある女、黒い炎を使う魔女だ」男はゆっくりと口を開いた。その声は変わらず穏やかではあったが、しかし何かを圧し殺しているような、感情を抑制しているような、不穏な響きがあった。男は受付嬢の目をみつめ、力強く告げた。「【獄炎の魔女】について調べている」
「コラフェルヌ・マギス・・・」
受付嬢はいささか緊張した面もちで繰り返した。
魔術師界隈には絶対に触れてはならない恐怖の対象が二つ存在する。死霊魔導師と獄炎の魔女だ。どちらも魔術に執り憑かれ、魔力に呑まれ、魔導を極める為に人を棄てた狂人たち。天賦の才を持ち、優れた魔力を持って生まれ、あるいは英雄と呼ばれ歴史に名を刻むことができたかもしれないというのに、みずから魔を選び、哄笑と共に奈落に堕ちた人外の者ども。
「あなたの調べている獄炎の魔女とは、最重要一級危険存在に分類される超越者の異名です。いわゆるブラックリスト案件ですので、彼女に関する情報は厳しく制限されています。地下三層に降りなければ閲覧できません」
「どうすれば降りられる」
「先ほど説明したように、三層への立ち入りはそれ相応の条件がかせられます。上流階級の方々でさえ、お断りさせていただいているのです。三層に入れるのはいわゆるその筋の方々、つまり各騎士団および皇族近衛隊の二等以上の騎士、あるいは魔術協会から黄金冠以上を与る魔術師、またはオルマ多種族連盟所属の金級以上の冒険者。最低限の危険に対処できる実力者の方にのみ、三層は門戸を開いております。失礼ですが、それらに類する何か証明書のような物をお持ちでしょうか」
「いや、持っていない」男は首を振った。「私がこの街にたどり着いたのはほんの数日前だ。それまでの数ヶ月は、この国の領地をさ迷っていた。こういった大都市に来るのははじめてだ。ゆえに貴女の提示した条件というものに疎い。だが私はどうしても獄炎の魔女について詳しく知りたい。そこで教えてほしいのだが、私でも閲覧条件を満たす為の証明書というものを確保することは可能だろうか」
「そうですね・・・」
彼女は男の巨体を眺め、考えた。見かけこそ無骨だが、非常に礼儀正しい方だ。鎧に覆われているため種族がわからないが、兜から一本の巨角が突り出していることから、おそらく獣人に類する亜人だろう。オルマ騎士団はあらゆる種族を歓迎し、特に肉体の強い獣人を歓迎するが、しかし素性のさだかでないこの男の入団を簡単に赦すとは思えない。近衛隊はさらに厳しく、それ相応の血筋と経歴が求められる。魔術協会の門徒は広いが、この男が魔術を嗜むとは思えない。となると残るはひとつ。
「オルマ多種族連盟ならば、あなたでも登録することができると思います」
「多種族連盟」
「はい、いわゆるギルドです。世界でも有数の組織ですが、そちらについてもご存じないですか?」
「あいにく」男は首を振る。「長いあいだ樹海で生活をしていた。国というもの自体がはじめてだ」
「わかりました。連盟というのは冒険者と呼ばれる人々が所属する組織です。百年ほど前までは未開の地の探索や魔物の調査などが主な仕事だったらしいのですが、最近では荒事専門の便利屋のような位置づけになっています。その連盟に登録し、依頼をこなし、階級を上げていけば、もしかしたら金級の階級証を手に入れることができるかもしれません」
「なるほど」男は納得したようにうなずくと受付嬢に礼をのべた。「手間をかけた。色々と教えてくれて感謝する。階級証というものを手にいれて、またここに来るとしよう」
「あ、でも金級というのはそう簡単に上がれる階級では・・・」
受付嬢が声をかけたとき、すでに男は背を向け歩き出していた。
その巨体と異形の鎧に気をとられ気づかなかったが、男は凄まじい巨斧を背負っていた。彼の巨躯をもってしても扱うことなど不可能に思えるほどの、弩級の鉄塊だった。その刃が放つあまりの威圧感に彼女は息をのみ、押し黙った。
男は最後に振り返り、彼女に軽く会釈すると図書館をあとにした。




