1 オルマ多種族連盟
「なんで都の近くにこんな蟲がいやがる」
ヴォルフラムは魔力を解いた。ロングソードほどもあった風の刃が霧散し、魔術的装飾の施された短刃が現れる。魔術師、その中でも精霊使いが好んで使用する儀式用短剣【術式剣】。ヴォルフラムは短剣を懐に戻し、腕に飛び散った緑色の体液を拭った。
足元で切断された外骨格が痙攣していた。
「はじめて見る魔物だ。連盟の危険指定リストに載ってないな」
面倒くさそうに呟くと、ヴォルフラムは煙草に火をつけ、たった今殺したばかりの蟲を眺めた。
三匹の巨大な魔蟲。砂色の外骨格に虎のような赤黒い模様がはしっている。二本の前脚は鎌のような形状をしており、死してなお獲物を求めるように空を掻く。鋭い顎と二対の触角が不気味に痙攣している。そのフォルムからしておそらく羽蟻だろう。どこか遠くの国から飛んできたのかもしれない。迷惑な話だ、とヴォルフラムは毒づく。オルマ国はあらゆる種族を受け入れる。だが話の通じない蟲まで受け入れるほど寛容な国ではない。
ヴォルフラムは切断された蟲の頭部を蹴り飛ばし、紫煙を吐き出して「終わったぞ。開けろ」と叫ぶ。
彼の後方で重たい門扉が開いていく。
「いやあ、悪かったね連盟の冒険者さん」
扉をくぐったヴォルフラムに長身の男が近づいてきた。
色白で美形の男だった。流れるような金髪から長い耳が飛び出している。上流の耳長族だ。この城門の責任者なのだろう、彼の背後には数人の衛兵が付き従っている。
「いやあ兵士を出してもよかったんだが、衛兵たちは衛兵たちで仕事がある、いやもちろん城壁前に現れた魔物を追い払うのも兵士の仕事ではあるが、しかし見たことのない魔物だ、下手に手を出して危険度の高い魔物だったら取り返しがつかない、ならばやはりもう少し様子を見て・・・」
男はくどくどと言葉を並べ立てているが、ようは部下に損失を出したくなかったのだ。喋り方や身のこなしからして男は上流階級の出身だろう、そういう階級に属する者たちは出世に余念がない。部下を失えば当然上層部や騎士団などからの評価が下がる。さてどうするか・・・ちょうどその時ヴォルフラムが通りかかったというわけだ。
「いやあ本当に助かったよ。同種族として、君の働きに感謝する」
男はにこやかに笑うと、ヴォルフラムに手を差し出した。
ヴォルフラムはその握手を無視し、短くなった煙草を放り捨て紫煙を男の顔面に吹きかけた。
「やめろ! なんのつもりだ!」
男は不快感に顔を歪め、声をあらげた。
「ごたくはいい」ヴォルフラムは男を見据えながら口を開く。「俺はタダ働きはしない。さっさと金を払え」
「金? 君はこの首都バルシアを護る為にあの蟲と戦ったんじゃないのか? それなのに金銭を要求するというのか? 君に愛国心は無いのか。連盟員として恥ずかしくはないのか」
「俺をただの連盟員と一緒にするな」ヴォルフラムは上衣をめくり胸元の連盟証を晒した。白銀に輝く階級章が冷たい光を放った。「俺は聖銀級だ。つまりオルマギルドを代表する連盟員だということだ。鋼級や鉄級のような冒険者と俺を同列に扱うな。ミスリル・クラスは連盟の名誉を護る義務があり、そのためなら侮辱者を殺すことも厭わない。同じ理由で最高階級の俺がタダ働きなどすれば下の奴等にしめしがつかない。連盟の掟はオルマ騎士団に匹敵する。だから金を払え。払わないならお前はここで死ぬ」
「な、なんだ、それなら先にそう言ってくれればいいじゃないか。まさかミスリル・クラスとは・・・」男は掌を返したように態度をあらため、ひきつった笑顔を浮かべた。「しかし、そうか、聖銀級のエルフ族といえば一人しかいないと聞いている。君が【紅い羽根】の一員、精霊使いのヴォルフラムか・・・失礼、私は先日バルシアに赴任してきたばかりでね、どうか非礼を赦してほしい」
ヴォルフラムは無感情な瞳で男を眺め、新しい煙草をくわえた。
男はマッチを差し出した。
紫煙をくゆらせながらヴォルフラムは口を開く。
「わかったなら金を払え。お前が思っているほど俺は暇じゃない」
それを聞くと男は慌てたように財布から金貨を取り出した。
聖銀級のヴォルフラムといえばオルマ国最高の精霊使いだ。連盟の他にオルマ魔術協会から神聖な冠の階級も授かっている。ヴォルフラムの名は有名だ。数年前、ユリシール闇ギルドとオルマ闇ギルドの間で抗争が勃発した際、彼は王国闇市場の大物【雷刃】と互角に闘っている。ヴォルフラムは間違いなくこの国有数の冒険者だ。同時に素行の悪さでも有名である。前々から黒い噂が絶えないヴォルフラムだったが、闇ギルドの抗争に参加した事実が彼の印象を決定的にした。
男はヴォルフラムに金貨を握らせた。
彼はそれを数えると懐にしまった。
「あの蟲はおそらく外来種だ」城門の向こうの死骸を指し示し、ヴォルフラムは忠告する。「連盟の危険指定リストに載ってない新手だ。戦った感触からして危険度は2、3ってところだろうが蟲ってのが厄介だ。魔蟲の繁殖力は侮れない。念のため上に報告しておけ」
それだけ言うとヴォルフラムは街の中へ歩き出した。
彼の姿が遠のいていくと、男は舌打ちをした。
「まさか、あんな粗暴な男が聖銀級だとは。あれではならず者と変わらないじゃないか」男は背後の部下たちに同意を求めるように毒づいた。「それに奴は同じエルフ族である私に、それもハイ・エルフである私に一片の敬意も払わなかった。いくら連盟最高階級所持者とはいえ、よもやあそこまで横柄な態度を同族に取るとは・・・ユリシールの王国ギルドよりはマシとはいえ、所詮ギルドはギルドだな」
男はヴォルフラムの背を睨んだ。
「凶悪な精霊使いめ」
男は吐き捨てた。
ヴォルフラムの姿は喧騒の向こうに消えていった。
門番に連盟階級章を見せ、ヴォルフラムはオルマ騎士団の衛戍地に入った。多種多様な種族の亜人たちとすれ違った。重々しい鎧や訓練着を着用する騎士たちの間でヴォルフラムの姿は浮いていた。
エルフ族は珍しくない。だが彼の眼には普通のエルフ族にはみられない、剣呑な光が滲んでいた。それは国家を守る騎士団にも連盟の冒険者にも宿ることのない、聖銀級として修羅場を潜り抜けてきた者だけが纏うことのできる気配だった。エルフ族には美形が多くヴォルフラムもその例に漏れないが、しかし彼の陰惨な表情はその美貌を台無しにしていた。飢えた獣のような表情に、さすがの騎士たちも彼から距離を取るようにすれ違った。
「俺が最後か」
邸宅と見まがうほど豪壮な兵舎、その最上階の応接室に足を踏み入れたヴォルフラムは、悪びれる様子もなく呟いた。
部屋には三人の男女が長椅子に腰かけていた。
「遅いよヴォルフラム。仕事の打ち合わせに遅刻するなっていつも言ってるだろ」
ひとりの女がヴォルフラムに毒づいた。美しい銀髪の隙間から大きな瞳が覗いていた。野性動物のようにすらりと伸びた肢体は鮮やかな褐色だった。暗色の耳長族だ。長い耳に複数のピアスが並んでいる。ダークエルフは部族の伝統や迷信を重んずる傾向にある。魔除け、信仰、呪術など様々な意味合いを持つ装飾品が存在するが、女の身に付けているピアスは彼女の部族で【戦士】を表すモノだ。
彼女の首もとで聖銀級の階級章が光っていた。
「来ただけマシだろディアナ」ヴォルフラムは彼女の隣に腰かけると煙草をくわえた。「これで俺は忙しくてね、連盟の仕事以外にも色々請け負ってる。顔を出しただけありがたく思え。それにまだ打ち合わせは始まってないんだろ。いちゃもんをつけるな」
「アンタのそういう態度が紅い羽根の評判下げてんだよ」ディアナはあきれたようにヴォルフラムを睨んだ。「だいたいアンタのいう忙しいってのは裏の仕事でしょ? 少し自重しろよ。これでもアタシたちはオルマ多種族連盟最強の一角に数えられるパーティなんだからさ、メンバーの一人が闇市場に通じてるなんて知れたら仕事が減るだろ。聖銀級の意味を考えろよ」
「俺は俺の解釈でこの階級章の名誉を護っている。パーティメンバーだからといって俺の価値観に口を出すな。俺のルールは俺が決める」
「ガキみたいなこと言いやがって。アンタのそういうところが苛つくんだ」
「お前の態度も俺を苛つかせるには十分だ」
「アンタがアタシの同族だと思うと虫酸が走るよ」
「ならエルフとダークエルフ、どっちが上か白黒つけるか?」
「ディアナ、ヴォルフラム、その辺にしておけ」
男の声が二人の諍いを制した。
獣頭のレオパルドだ。隣に座るエルフ族よりも一回りは大きな獣人族の体躯に、黒豹の顔が乗っている。その面貌の獰猛さとは裏腹に、彼の声からは知性と冷静さとが感じられた。
レオパルドは二人の顔を順繰りに見つめため息をついた。
「まったく、場所を考えろ。俺たちはここに招かれている客だ。喧嘩ならスラムや酒場でしろ」
「でもさレオパルド」
ディアナの反論を獣頭の獰猛な視線が黙らせた。
「俺が紅い羽根のリーダーだ」レオパルドは厳然たる表情を浮かべた。「君たちがどこで何をしようと自由だ。どんな依頼を受けようと、どんな後ろ暗い仕事に手を染めようとそれはお前等の勝手だ。だがパーティとして動く時は、クリムゾン・クローバーとして動く時は別だ。俺たちがパーティを組んだとき取り決めた掟を覚えているか? その一、メンバー同士極力仲良くしろ。その二、リーダーの言葉に極力従え。その三、戦場での単独行動は禁止。たったそれだけだ。簡単なことだろう?」
「悪かったよレオパルド」ディアナは頭を下げた。「コイツがこういう男だってのは前から知ってるのに、ついカッとしちゃってさ。謝るよ」
「ヴォルフラム、お前はどうだ」
ディアナの謝罪を受け入れたレオパルドはヴォルフラムに問いかけた。
「まだ何か問題があるか」
「何も」彼はくわえていた煙草に火をつけ、煙越しに獣人族を見た。「別に俺だって喧嘩するためにこんな所に来た訳じゃない。仕事の話で呼び出したんだろ? ならこのくだらない諍はこれでおしまいだ。さっさと用件に入ろうぜ」
「そうだな。もうすぐ依頼主が来るはずだ」
「にしてもわざわざ騎士団兵舎に招くなんて、今回の仕事ってなんなの? 騎士団絡みの仕事って面倒くさい割りに金払いが良くないから嫌いなんだけど」
「少なくとも報酬に関しては問題ないはずだ」ディアナの言葉にレオパルドが応える。「提示された報酬は十分な額だった。だが依頼の全容はまだわからない。まあ、それなりの内容を覚悟した方がいいだろうな」
「まあ、なんでもいいさ」
ヴォルフラムは投げやりに呟いた。
「金になるならな」
窓外から射し込んだ夕陽が室内を照らした。
赤光がヴォルフラムの眼を焼いた。鬱陶しそうに首を振ると灰が床に落ちた。
「最近、喫煙量が増えていませんか?」
おっとりとした女性の声が響いた。
オーギュスタがヴォルフラムの口先で燃える細巻きを眺めていた。
彼女は眼を見張るような美女だった。金銀糸を用いて魔術的装飾の刺繍された魔術師外套に身を包んでいた。透き通るような肌や、腰まである艶やかな亜麻色の髪は連盟員というよりはどこかの侯爵令嬢、あるいは天使に仕える神官を思わせた。ヴォルフラムに微笑みかけるその顔には亜人の持つ身体的特徴は見られなかった。彼女は人間だった。
「あまり吸いすぎると身体によくありませんよ」
「こいつは妖精の霧だ」ヴォルフラムは指に挟んだ煙草を軽く振った。「精霊たちはこの煙の匂いが好きだ。外にくらべて都市の中ってのはどうしても精霊の密度が低くなる。だから俺はこの煙草で俺の周囲の精霊の量を調節している。オーギュスタ、お前だって水魔薬で魔力量を調整するだろ。違いがあるとすれば体内を直接循環する魔力と違って、精霊はあくまで外部的要因だってことだ。ポーションは飲み過ぎると魔力の流れが乱れるが、精霊に関してはどれだけ纏っていようが関係ない。むしろ多ければ多いほどいい」
「それにしてもですよ」
「無駄だよオーギュスタ」
ディアナがやれやれと首を振る。
「コイツが素直に人の言う事を聞くわけないんだから、ほっときゃいいんだよ」
「珍しく意見があったなディアナ。そうだ、ほっておけ」
「まったくね、肺がイカれて死ぬのはアンタの自由だよな」
「ディアナ、そういう言い方いけませんよ。仲間じゃないですか」
「お前たち、先ほどの俺の言葉をもう忘れたらしいな。喧嘩をするなといったはずだ」
四人の口論がにわかに熱を帯はじめたその時、ノックの音、ついで扉が開かれた。




