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ドラゴンキラー  作者: あびすけ
第三話 魔獣狩りの人狼編 後編
69/150

9 アンチヒーロー・スーパースター











 六属性魔術集団シュラメール・マギ・グルムの四人は呆気なく喰い殺された。彼等は魔術王国に選ばれた優秀な者たちだったが、海魔の支配者たるレヴィアの操る巨海獣リヴァイアサンの軍勢を前には無意味だ。


 海蛇や怪魚に寄ってたかってもてあそばれ、裂かれ砕かれ撒き散らされた。


「嫌な魔力を感じるんだけど」


 レヴィアは不快そうに顔をしかめ、魔術師たちの護っていた二人の人間を見る。一人は精悍な顔つきの男、イオセフ。宗教的な装飾の施された短杖をレヴィアに向けている。だが彼女は視線さえ向けない。取るに足らない、ただの下等種族だ。


 彼女が興味を抱いたのはその隣にいる人間だ。フードを深々と被り、顔を隠した女だ。この人間が忌まわしい、不快な魔力を発している。


「お前さ、もしかして天使アンヘル?」レヴィアが歩くと巨海獣は道を開ける。「天使の臭いがするんだよなー。胸くそ悪い神の奴隷の臭いがさ。僕はね、神の信者どもが死ぬほど嫌いなんだよ。暗黒の時代ダークエイジの時、さんざん同胞を殺されて頭にキてるんだよね。とっくの昔に黒竜に滅ぼされたっていうのに、いまだに神の名を掲げて世界を支配している聖都がとくに嫌いだ。あの国は滅ぶべきだよ。ていうか、これから滅ぼすんだけど」


「貴様ッ! やはり地獄に堕つ五芒星ヘル・ペンタグラムの狙いはセイリーネスかッ! 魔物め、貴様等の好きには」


 イオセフの叫びは巨海触クラーケンの一撃により掻き消される。


「イオセフッ!」


 吹き飛んだ彼の元にマエルは駆け寄る。


 イオセフの下半身はぐちゃぐちゃに潰れ、血と臓物が爆発したように広がっている。マエルは彼の手を握る。体温が消えていく。口から血を吐きながら痙攣し、イオセフは彼女を見つめ、しかしその瞳から光が消える。


「やっぱり天使だ。何でこんな所にいるの?」


 ゾッとする声が背後から響き、マエルの四肢を痛みが襲う。


「殺しちゃダメだよ。少し天使とお喋りしたいんだ」


 大海蛇シーサーペントは絶妙な加減でマエルをくわると、あるじが話しやすいように、宙に掲げる。マエルの白銀髪が風に揺れ、だらりと垂れた両腕から血が滴る。


「天使がこの国で何してんの?」


「貴方のような穢れた種族に、語る言葉はないわ」


 瞬間、マエルの右腕が噛み砕かれる。絶叫がこだまする。


「あのさぁ、お前が神だろうと天使だろうと、僕より弱い奴がふざけた口を利くの止めてくれない? すごくイライラするし、殺さないようにするのも大変なんだよ。お前なんか少し捻っただけで死にそうだし」レヴィアは右腕をさらす。肘上から綺麗に切断されている。「これを見てよ。この腕、魔獣狩りにやられたんだ。屈辱だよ。あんな野良犬にいいようにあしらわれるなんて、クソ犬がさ・・・あの夜から僕は苛つきっぱなしだ。本当に我慢できなくてさ、とにかく人間をぶち殺してもぶち殺しても、ぜんぜん収まらないんだよ。本当はお前も今すぐグチャグチャにしてやりたいんだけど、でもさ、天使に会うなんてなかなかない機会だし、だからこうやってお喋りしてあげてるわけじゃん。わかったら言葉に気を付けろよゴミが」


 レヴィアの顔が凶悪なものへと変わる。左手が彼女の首に伸び、その肌に指が食い込むほど、ギリギリと締めあげる。マエルが窒息する前に、レヴィアは力をゆるめた。荒い息のマエルの髪を鷲掴むと、強引に上向かせる。


「で、セイリーネスの使徒が何をしてるわけ? ヘル・ペンタグラムからしても【神の軍勢】はなかなか厄介だからさ、セイリーネスの情報は重要なわけ。お前はなんなの? 聖騎士パラディンの部下? 堕天使デモン・ドイカしもべ? 教えてくれたらさ、少しは楽に殺してあげるよ」


「さっきも、言った、はずよ。貴方のような、穢れた種族に、語る言葉は、ないわ」


「僕も言ったよね。口に気を付けろってさ」


 レヴィアがマエルに手を伸ばした時、


「邪魔な魔物どもだ」


 ざらついた声と共に、連鎖的な破裂音が響いた。


 巨海獣の血肉が宙を舞った。


「一体誰の奴隷スレイブだ? 躾くらいしておけ」


 血雨の中から、男がひとり現れた。


 四肢は血に染まり、足元には巨海獣リヴァイアサンの死骸が散乱している。くすんだ灰色の髪が寒風に揺れ、頬をいく筋もの血が垂れていく。男はレヴィアとマエルに顔を向ける。緋色の双眸そうぼうが、ふたりを視た。昆虫が獲物を捉えた時のような、無機質な視線だった。


「誰だお前」


 レヴィアは眉をひそめ、男を見返した。


 ただの人間だ。


「あれは・・・」


 マエルは涙に霞む眼をこらし、男を捉え・・・瞬間、背筋を悪寒が貫いた。


 あの時の記憶は曖昧だ。だが、身体が覚えている。


 アレは人間ではない『何か』だ。


 アレはおぞましい『化け物』だ。


 天使は痛みも忘れ、震えはじめる。


 レヴィアはマエルを放り捨てると、男と向き合った。


 彼女は三百年以上を生きる魔物だ。


 当然、種族全面戦争を経験している。


 だが、生体兵器と遭遇したことがない。


 もちろんドラゴンキラーの数限りない逸話は耳にした。たった十五体の暴虐により二十五万の亜人デミが虐殺された第一次異種族掃討作戦。異種族殲滅用生体兵器ドラゴンキラーの異名を世に知らしめ、No.11イレブンの恐ろしさを全種族に刻みつけたザルトニア砦防衛戦。そして史上最悪の闘争と呼ばれ歴史に名を残すヌルド最終決戦。全面戦争を生き残った者たちなら、これらを知らぬはずがない。しかし、戦争の激化にともない、水魔精ウィンディーネは海底に逃げ、終戦まで深海で過ごしていた。レヴィアは生体兵器を見たことがない。


 彼女が全面戦争で味わった絶望はひとつだけだ。


 当時、ウィンディーネはバミューレラル海域に点在する孤島を故郷としていた。原始の自然に覆われ、島内には巨大な湖がいくつも存在した。四方に広がる海はどこまでも青く、吹き抜ける潮風は多量の水属性エレメントを含む。水の魔物にとっての理想郷は、しかし竜血族ドラグレイドよって蹂躙された。海竜バハムートの存在が、彼等の逆鱗に触れたのだ。


『ゾラペドラス様の庇護を離れ、このような下等種族との共存を選ぶなど・・・その罪、その業、貴様等の穢血であがなえるほど軽くはないが、しかし、せめてゾラペドラス様の為に死に絶える慈悲を私が与えてやろう』


 五統守護竜ガルゾディ・ドラゴンズの一柱は無慈悲に言い放った。


 ドラゴンと思えぬ荘厳な魔力を持つ、純白の聖竜。巨体を覆う鱗は透き通るように白く、頭頂から首筋にかけて生える白金色のたてがみは眩い。頭部の三本の角は、まるでそこだけ空間が消失しているかのように、冒涜的なまでの輝きを放ち、広げられた翼は太陽を見上げたときのような、直視を赦さぬ神々しさを纏う。ある者はその魔力に天使アンヘルを感じ、ある者はその姿に神を見出だす。神族の血脈にのみ扱えるはずの光属性を操る、竜血族ドラグレイドの中でも異質の存在。


 光を統べる守護竜。


 白竜 ミル・カムイ。


 だが、その眼に宿る異種族への軽蔑と黒竜への忠誠は、この者がまぎれもない竜血族であると物語っている。


 ミル・カムイによってレヴィアの故郷は壊滅した。同族の死骸に埋もれることによって、彼女は生き延びた。死体の隙間から見上げた白竜は、今なおレヴィアの脳裏に焼きついている。彼女が天使アンヘルを必要以上に敵視しているのは、その魔力が白竜を喚起するからだ。


 種族全面戦争においてもっとも恐ろしい存在はドラゴン。


 だから、彼女は知らない。


 眼の前にいる男が何者なのか。


「人間が、僕の奴隷ペットを殺してんじゃねえよ」


 クラーケンの触手が、男に打ち降ろされた。


 轟音と衝撃波。立ちこめる砂塵。破砕された岩盤と家屋が舞い、そして・・・血が飛び散る。


 引き戻された触腕の先端が、千切れ、抉られている。だがこの程度の傷なら瞬時に再生する。問題はそこではない。クラーケンはレヴィアの上級奴隷魔物エルダー・スレイブだ。その触手は岩盤を砕き、打ち降ろされる速度は人間の反応速度を凌駕する。王国ギルドの基準に照らし合わせれば、その危険度は9。魔獣狩りが易々とクラーケンをあしらえたのは、彼が超越魔物トランシュデ・モンストルだからだ。断じて普通の人間が受けることの出来る攻撃ではない。まして、反撃するなど。


「お前、なんだ? ただの人間じゃないな」レヴィアはそう問い、しかし興味を失ったように嘲る。「まあ、なんでもいいや。人間に用なんかないし。さっさと死ねよ」


「身の程をわきまえない無礼なガキね」


 冷たい囁きがレヴィアの耳朶じだを撫で、同時に鋭い衝撃が身体を貫いた。レヴィアの胸から槍が突き出ていた。いや、それは腕だ。黒い血に被われ、指の一本一本が鋭く変質した、槍のような腕。普通なら即死だろうが、しかしレヴィアは平然としている。


 上位水魔法【水の肉体アクネロ・ソマ】により肉体を液状化している彼女に、物理攻撃は効かない。


 死体のように冷たい指先が、レヴィアの首筋の逆五芒星をなぞる。


「この刻印、やっぱりヘル・ペンタグラムなのね」


「ウゼェな。汚い手で僕に触るんじゃねえよ」


 レヴィアの背中が蠢き、大量の海蛇や怪漁が背後の敵に襲いかかる。だが、巨海獣リヴァイアサンの牙が届く前に彼女を貫いていた腕は黒い霧となって霧散した。


 霧は赤眼の男の前を漂う。


無明の霧ダーク・ミスト?」


 霧状変化は数いる血魔ヴァルコラキの中でも【純血】、血魔ヴァルコラキ序列第一位の存在でなければ扱えない魔技まぎだ。現在確認されている【始まりの血】は、たったひとりだけだ。


「イビルヘイムからは死んだと聞かされたんだけど、なんだよ、生きてたのか」レヴィアはだるそうに、しかし明確な殺意を込めてその名を呼ぶ。「クシャルネディア」


 黒い霧から声が響く。


「軽々しくその名を呼ばないでくれる? 貴方のような品行の悪いガキが口にするには、私の真名いみなはいささか高貴に過ぎるわ」


「血を吸うしか能のないゴミが貴族気取りかよ。苛つくなあ。殺してやろうか。ていうか、お前は僕達の手を振り払ったんだから、当然殺すんだけどさ」


 レヴィアは苛立たしげに吐き捨てる。


「しかし意味がわからないな。なんでイビルヘイムの申し出を断るんだ? まさか、今のこのクソみたいな現状に満足してるのか? どこもかしこも人間だらけのこの世界に? いい加減飽き飽きだろ。神も竜も、もういないんだ。これからは魔物ぼくたちの時代だ。なんでそれがわからないんだ?」


「イビルヘイムも同じような事をいっていたわ。でもね、私は世界になど興味はないのよ。人間なんて食料でしかないし、この世がどうなろうと知ったことではないわ。本音をいえば貴方たちにさえ私は興味がないの。イビルヘイムが私に宣戦布告をするまではね。あの日、ヘル・ペンタグラムは不愉快な存在になったわ。だから、貴方が私の邪魔をするというなら、その身体の血、一滴残らず飲み干してあげる・・・と言いたいところだけれど」


 クシャルネディアはサツキを見る。


「あの無礼な水精魔ウィンディーネはいかがいたしますか? 命じて頂ければ、すぐにでも貴方の剣として殺して見せますが」


 サツキは頬を撫でる。血が付着する。先ほどのクラーケンによる傷だ。緋色の瞳が狂暴に沈む。


 その意味を、クシャルネディアは理解する。


「どうやらあの水魔精ウィンディーネは、サツキ様の敵のようですね」


「ああ。俺の獲物だ」


「大変失礼いたしました。出過ぎた真似を御赦しください」


 クシャルネディアはサツキに慇懃に一礼すると、冷たい笑みを浮かべた。


「でしたら、私はもう一体の方へ向かいます。どうやらこの街にはもうひとり、超越魔物が侵入しているようですので」


「もはやここは戦場だ。好きなように暴れろ」


かしこまりました」


「おいおい、なに勝手に話をすすめてるんだよ」


 巨海獣リヴァイアサンの大群が、サツキとクシャルネディアに襲い掛かる。だが、至るところから現れた毒虫どもが、それを喰い止める。


「なんで僕が下等な人間の相手なんかしなきゃなんねーんだよ。わかってるのか? 僕は地獄に堕つ五芒星ヘル・ペンタグラムだ。超越魔物トランシュデ・モンストルなんだよ。人間なんかお呼びじゃないんだよ。僕が相手をするならお前だ、クシャルネディア。月の狼マーナ・ガルム祖なる血魔ルーツ・ヴァルコラキは僕らの抹殺対象だ。見つけしだい、殺すんだよ」


「確かに私が相手の方がよかったかもしれないわね」クシャルネディアは柔らかく微笑んだ。「そうすれば、まだ少しは長く生きられたかもしれないもの」


 その言葉を残し、クシャルネディアは消えた。


 後に残されたレヴィアはだるそうに頭を掻く。


「まあ、さっさと殺してクシャルネディアを追えばいいや。あの女ならクソ犬が来るまで僕を楽しませてくれそうだし」


 嘲笑を浮かべ、レヴィアはサツキを見た。


 そう、竜殺しドラゴンキラーを。











 アニーシャルカは毒づきながら、なんとか立ち上がる。筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋む。皮膚は切れ、削れ、血が滲んでいる。曲剣ファルシオンを握る手が痺れている。避けきれず、咄嗟に特大剣グレートソードを受けてしまった。後方に飛び威力を分散させたが、それでもアニーシャルカは軽々と吹き飛ばされた。


 曲剣ファルシオンにヒビが入っている。あと少しタイミングが遅ければ、胴体から上が無くなっていただろう。


「クソが。どうにもならねえ」


 彼女は荒い息を吐きながらザラチェンコを見る。三人がかりで相手をしているというのに、眼の前の騎士は、いまだ無傷だ。


「これだけやって、血の一滴も流させる事ができないとはね・・・」


 曲刀ショーテルを杖がわりに、こちらも満身創痍のロイクが立ち上がる。「せめて一矢報いたかったよ」


「弱音は死体になってから吐け。まだ死ぬと決まったわけじゃねえ」


「同感だな」ツァギールが二人の背後から現れる。鎧は砕け、右顔面が血にまみれ、湾曲剣ファルカタは刃こぼれしている。彼は強く剣を握り、最強の帝国騎士を見据えながら呟く。「僕はまだ生きている。まだ剣を握っている。ならば獲物の喉笛に咬みつき、全身全霊を持って喰い千切る。それが猟犬だ」


「その通り!」


 ザラチェンコは楽しそうに拍手をする。


「そう、それこそが第八殲滅騎士団の矜持だ。君は猟犬の鑑だ。ゲルマンも悪くなかったが、やはり騎士長の地位を譲り渡すならツァギール、君だ。教官としての資質に自信は無かったんだが、予想外に俺にはその才能があったらしい。いや、優秀な後継者を育てられて俺は満足だ。もう思い残すことはない。これからは君が第八殲滅騎士団 騎士長 ツァギール・イリュムヴァーノフだ。期待しているよ。ぜひ、帝国のためにその身を」そこでザラチェンコは手酷い失敗を思い出したかのように、自分の額を叩いた。「いや、失礼、無理だったな。君たちはこれから死ぬんだった」


 蛇は巨刃きょじんを担ぎ、残忍に嗤った。


「正直こんなに長く生き残るとは予想外だった。いや、君たちの健闘は称賛に価する。俺を前に果敢に立ち向かうその勇姿を、俺は後世まで語り継ぎたいね。だが正直な所、もう飽きた。悪いな。俺はこういう性格なんだ。ククッ、やはり闘いとは対等な殺し合いに限るな。こう一方的だと、弱い者いじめをしているみたいで哀しくなる。ガルドラクの気持ちが少しわかるよ。確かに雑魚ばかりを相手にしていたら、虚しいだろうな。魔獣狩りの闘いはいつも一方的だ。相手は知らぬうちに、その姿を捉えることすらできず、ただ解体ばらされる。来る日も来る日もその繰り返し。奴が強敵に餓えているのも頷ける。もっとも、ガルドラクの求めているモノは黒竜のような桁外れの化け物だろうがな。さすがの俺でも、そんな闘いは遠慮願いたいものだが」


「ベラベラとうるせぇ野郎だ。お前は女のアソコじゃなく、口から産まれて来やがったのか?」


「なかなか面白い事をいうな雷刃ブロンテー・エッジ。土壇場でもユーモアを忘れないその姿勢、悪くない」


 ザラチェンコが近づいてくる。


 ここまで三人は、本当によく戦った。たとえそれが特大剣の嵐をかろうじて避けるだけだったとしても。そしてこちらの攻撃がまったく届かなかったとしても。それでもただの人間なら、ザラチェンコの前に五秒と立ってはいられない。彼等の心はまだ折れていない。


 だが、三人は気づいている。肉体がすでに限界を迎えつつあることを。深手こそないが、全身の傷は確実に体力と気力を奪っている。これ以上魔人の相手を出来るはずがない。


「安心しろ、一瞬だ」ザラチェンコは巨刃を構える。「痛みを感じる事はない。一瞬ですべてが終わる。恐怖も無意味だ。どうせいつかは死ぬんだ。早いか遅いかの違いでしかない。だから、気にするな」


 魔人の嗤い顔。


 そして特大剣が三人を薙ぎ払う寸前、


「殺しなさい」


 ザラチェンコの周囲の空間に亀裂が走り、百足の大群が溢れ出した。毒々しい赤と、黒い鎧がもつれる。巨大百足ガデルムカデ黒鎧百足ペゾディアン・ガデルムカデ。解き放たれた彼等は、殺戮を求め、魔人に襲いかかる。だが、相手はヘル・ペンタグラムだ。


 百足の大顎脚だいがっきゃくがザラチェンコに届く前に、冷たく、湿った、蛇の魔力が毒虫を包む。


 瞬間、周囲のすべてが石化する。


 百足の大群は空中で静止し、地面に落下し、砕け散る。


 しかし、まだ終わってはいない。新たな亀裂から、ぬめった巨体が這い出す。石化した百足ごと呑み込もうと、毒霧蜥蜴バジリスクの大群が現れる。ザラチェンコは嗤い、特大剣を肩に担ぎ、腰を落とし・・・そしてやいばが消えた。


 毒霧蜥蜴バジリスクの巨体が、上方に吹き飛んだ。四肢は解体ばらされ、胴を切断され、いくつものパーツにわかれた、血と臓物を撒き散らす肉塊が次々と降り注ぐ。恐れず突撃する蜥蜴たちは、自ら刻まれに行くようなものだ。刃のきらめきすら視認できぬほど、わずかに空気が歪んだように見えるだけの、常軌を逸した斬撃の嵐。


 アニーシャルカの顔に薄ら笑いが浮かぶ。彼女が認識できたのは、最初の二、三撃だけだ。そのあとの斬撃は、もはや知覚の外。あれだけ巨大な剣を、残像すら残さぬ高速で、ああも軽々と操るとは。『人間として相手をしてやる』というザラチェンコの言葉は正しかった。奴はまったく本気を出していなかったのだ。その事実に、アニーシャルカは薄ら笑いを浮かべる。


 だが、理由はもうひとつある。


「ロイク」アニーシャルカは眼前を凝視しながら呟く。「逃げられるチャンスかもしれねえぞ」


「どうやらそのようだね」


「一体何が起きている? 何なんだ、この魔力はっ!」


 あまりにもおぞましい黒い魔力に、ツァギールの背筋に冷たいものが走る。


 三人の視線の先には魔人、死にゆく毒虫、そして黒い霧。


「いったろ、チャンスだ」ツァギールの言葉に、アニーシャルカは血を吐きながら笑う。「オメーん所の騎士長も化け物だが、あの女も相当の化け物だ。死にたくなきゃ逃げることだ。もうわたし等がどうこうできる次元じゃねえ。あの女がここにいるってことは、サツキの野郎も動き始めてるってことだ。今すぐ街を出ねえと、わたし等は死ぬぜ」


「ああ、今すぐにね」


 ロイクは同意すると、ザラチェンコを見た。


 血の海の中で魔人の鉄靴てっかが鈍く光った。


「ずいぶんと熱烈な歓迎だな」蟲どもを皆殺し、剣の血を振り払うと、ザラチェンコは肩をすくめた。「誰だか知らないが、いるんだろ? 姿を見せないとは、いささか礼を欠いているんじゃないか?」


「少なくとも、貴方よりは礼儀を心得ていると思うけれど」


 ザラチェンコの頬を、白く長い、冷たい指が撫でた。いつの間にか、眼前に女が立っていた。凄絶な美貌の女だ。上唇からのぞく鋭い犬歯が、残酷な光を放っている。潤沢な長髪は闇のように広がり、それゆえ蒼白の肌がいっそう引き立つ。クシャルネディアは、いささか驚いたように嗤った。


「あら、思ったよりいい男ね」


「これはこれは、いや、まさかとは思うが・・・君はの有名なクシャルネディア・ナズゥ・テスカロールじゃないか?」


 ザラチェンコから笑顔が消えた。絶対零度の殺意を湛えた、魔人の本性が鎌首をもたげた。


 蒼い瞳と、蛇の視線がぶつかる。


 瞬間、凄まじい殺気が二人を中心に渦巻く。


「人間に殺されたなどおかしいと思っていたが、やはり生きていたのか。しかしこんな所で出逢えるとはね。しかもこんな絶世の美女に。俺はツいているらしい」


「解釈によるんじゃないかしら。少なくとも私が貴方に与えるのは、快楽ではなく苦痛よ」クシャルネディアは微笑む。蒼い眼が、暗く沈む。「殺す前に一応聞いておくわ。貴方はあの傲慢な死霊魔導師リッチの同胞かしら?」


「だとしたらどうする?」


「質問に質問で答えるなんて、礼儀がなってないわね」


「ああ、これは失礼。こういう性格でね」ザラチェンコは右腕をクシャルネディアに晒す。手の甲の皮膚が剥がれ、鱗に覆われた真の皮膚が顔を出す。そしてそこには逆五芒星。「これが答えだ」


「その刻印シンボルを身体に刻んでいる、ただそれだけの事で、貴方を殺す理由としては、十分に過ぎるわ」


「やけに嫌われているな。俺が君に何かしたかな?」


「気にしないで。イビルヘイムの非礼の代償を、貴方に払ってもらうだけよ」


 クシャルネディアは脚で地面を打ち鳴らす。


 赤黒い薔薇の蔦が、石畳を突き破って現れる。鋭利な棘に覆われた、幾本もの太い蔦は一瞬でザラチェンコを縛る。蔦は無限に増殖し、ザラチェンコの姿が薔薇の繁茂はんもに消える。


 上位魔法【血薔薇の処女ローゼン・メイデン】。


 薔薇に囚われた獲物は蔦により絞められ、乱杭歯のようないばらが全身を切り苛む。薔薇は流れ出る血潮を養分とし、すべてを吸血し終えると一輪の大きな花を咲かせる。高貴な血魔ヴァルコラキが好んで使う闇魔法であるが、主に拷問や凌遅刑りょうちけいなどにもちいられる術で、瞬間的な破壊力は無い。だが、自らの血を魔力に練り込み、威力を増大させる血闇魔法ダーキュリル・マギの使い手であるクシャルネディアが扱えば、その殺傷能力は飛躍的に上昇する。彼女の薔薇は多頭獄犬ケルベロスでさえ数秒で吸い殺す。


 だが、それだけでは終わらない。


 薔薇の蔦には、いくつもの黒い球体がっている。それらひとつひとつが上位魔法【血闇の猛爆塊ダーキュリル・エクラルゴ】だ。動きを封じ、切り刻み、闇の爆炎によって消し炭に変える。そう、これは連鎖魔法だ。


 凄まじい爆発の連続が、クシャルネディアの前方すべてを呑み込んだ。中央広場はもとより、背後の建物さえ吹き飛ばし、何区画をも破壊し、その威力に地面が震える。人間の極大魔法を凌駕する魔法を軽々と複数発動。超越魔物トランシュデ・モンストルとは文字通り怪物。絶対に闘ってはいけない存在。


 だが、彼女と相対している騎士も、また怪物なのだ。


 爆炎の中で、巨刃がきらめく。


 闇の一部が掻き消される。


 そこに、クシャルネディアは視る。


 人間性を剥ぎ取られた、魔の蛇を。


 クシャルネディアの身体が、縦に両断された。すかさず追撃。四つ、八つと刻まれるクシャルネディアの肉体が一瞬で石化する。彫像となった彼女の身体を、特大剣が粉々に砕く。石塊いしくれの山が風に吹かれる。


「まったく、岩の皮膚リトラ・デルマが台無しだ」歩み出てきた男は、すでに人の姿を捨てている。目元から頬にかけて広がる鱗。二股に分かれた舌。そして極低温の蛇眼。


「しかし、噂に聞いてはいたが、本当にふざけた再生能力だ」


不死者ノスフェルトゥですもの。私をあまり舐めないでくれる?」


 殺されたはずのクシャルネディアが立っていた。


解体ばらされた状態で石化を解除し、一瞬で元の状態まで戻るとは。やはり闇王ヴァシレウスとは比べ物にならないな。君を殺すにはどうすればいいんだ? 頭を潰すか? 永劫の石化に閉じ込めるか? それともやはり、心の臓を抉り出すべきかな?」


「なかなか素敵な提案ね。ためしてみれば? どうせ殺せないから」


「ククッ、イビルヘイムが傲慢だとする意見には俺も賛成だが、なかなかどうして君も傲りが過ぎるよ。まさか今のが俺の本気だとでも?」


「その台詞はそっくりそのまま貴方に返そうかしら。臭いでわかるわ。貴方、魔人デヴェークでしょう? 穢れた血を相手に、始祖である私が、まさか最初から全力で相手をすると思っているの?」


「どうやら血魔ヴァルコラキという種族は血統にうるさいらしいな。血を操る種族なのだから当然といえば当然だが、しかし俺に向かって『穢れた血』とはね」ザラチェンコはため息をつくと、冷徹な蛇眼でクシャルネディアを射た。「俺の獲物は君じゃないんだが、しかし騎士として誇りを傷つけられたまま引き下がるというのも、なんというか格好が悪い。それに君はヘル・ペンタグラムの敵だ。どうだ? ひとつ俺に殺されてみてくれないか? できるだけ悲惨な死を約束するよ」


「ふざけた男。殺すわ」


「まさしく、それこそが魔物の本能だ。結局、俺たちはその法則ルールの中でしか生きられない。人生とは哀しく無慈悲なものだな。もっとも、俺たちは人じゃあないが」ククッ、とザラチェンコは嗤い「じゃあ、殺し合おう」


 二人の魔力と殺意が極限まで高まり、底のない静寂が流れ、しかし出し抜けに均衡は破られる。


 蛇と血の魔物が激突する瞬間、


 それは訪れた。


 獣の咆哮が、天をつんざいた。











「このままいくと暴動が起こりますよ」


 年若い兵士が、角櫓すみやぐらから不安そうに身を乗り出した。


 北門に詰めかけた市民たちは、暴発する一歩手前だ。荷馬車を引く者、着の身着のままといった者、子供を背負う者、様々な市民が詰めかけ、しかし門は固く閉じられ、帝国騎士は無表情に、門番としての役目を果たしている。


 飛び交う怒号、悲鳴、哀願。


「門を解放した方がいいのでは?」


 兵士の問いに「馬鹿をいうな」と初老の兵士が怒鳴る。


「何があっても門扉を開けるなと隊長に厳命されただろ。それにどうやら、この命令は第八殲滅騎士団直々のお達しらしい。猟犬に刃向かうのは国家反逆と同等の罪に問われる。扉を開けたが最後、処刑されるぞ」そこで老兵士は口調をやわらげ「安心しろ。今、我らが騎士団が帝国に牙を向く賊を粛清している所だ。歴代最強の帝国騎士のザラチェンコ騎士長率いる第八殲滅騎士団だぞ。わたしは国境紛争であの方を見たことがある。ザラチェンコ騎士長ならば、必ずや賊どもを皆殺しにしてくださる」


「それはそうですが・・・しかし・・・」


 兵士は街の中心を見つめる。レオニード辺境伯の屋敷が炎上し、あらゆる場所から破壊音が鳴り響き、凄まじい魔力の余波がここまで届く。何かが起きている。想像を絶する何かが。


 兵士は嘆息すると、気分を変えるために雪原を眺めた。


 どこまでも広がる銀世界。頭上には暗澹たる暗雲。雪か、あるいは雨でも降るのか。


 警備に戻ろうとしたその時、彼の眼が奇妙な物を捉えた。


 雪巨狗ニクスドッグが駆けているかのような、雪煙が、こちらに近づいてくる。だがニクスドッグではない。いぬにしては雪煙せつえんが大きすぎるし、何よりはやすぎる。そう、凄まじい速度で『何か』がこの街に向かっている。


「なんだ?」


 兵士が眼を凝らしたその時、背後で悲鳴が連続して上がった。振り返ると、門に詰めかけていた人々の後方からおぞましい怪物が現れる。巨大な怪魚、長大な海蛇、巨海獣リヴァイアサンだ。さらにその魔物に混じって毒虫どもが ――巨大百足ガデルムカデ毒霧蜥蜴バジリスクが―― 現れる。彼等は絡み合い、殺し合い、それでいて餌を放られた魔物の本能に忠実に、人々を喰らいはじめる。北門は数秒で地獄と化す。


 角櫓とて例外ではない。


 城壁を這い上がり、跳躍し、魔物たちは全ての人間を喰らい尽くそうと蠢く。最初に老人が角櫓から引きずり出され、喰われた。兵士は尻餅をつき、失禁する。糞尿と老人の血潮が床を満たしていく。兵士は逃れられない死を悟った。


 だが、怪魚と毒虫の牙が兵士を殺す寸前、魔物の動きが止まった。種族に関係なく、すべての魔物がある一点を凝視し、そして威嚇が始まる。大海蛇シーサーペントは牙を剥き、巨大百足ガデルムカデ大顎脚だいがっきゃくを打ち鳴らし、毒霧蜥蜴バジリスクは咽喉を膨らませる。彼等の本能はわかっている。とてつもない獣が現れるということを。


 雪原でひときわ巨大な雪煙せつえんが吹き上がり、


 城壁の上に、一匹の狼が降り立った。


 城壁とは等しくそうだが、辺境伯の住まうヤコラルフの壁はとりわけ堅牢だ。対物理、対魔術を想定して造られた城壁は、なまなかな攻城兵器では傷ひとつ付けられない。だが、着地した、ただそれだけの衝撃で、砕けた壁面が中空を舞い、城壁に幾百ものヒビが入り、そして崩壊する。


 血の臭いがする。死の臭いがする。血肉が飛び散る。臓物がこぼれる。慟哭が響く。怨嗟が轟く。凄惨な戦場を前に、ガルドラクは壮絶に嗤った。


「イイ感じだ」


 狂喜の言葉とともに、獣の殺気が、荒れ狂う津波のように周囲を呑み込む。奴隷スレイブにとって、あるじの命令は絶対だ。だが、飢餓と強敵によって極限まで研ぎ澄まされた魔獣狩りを前に、本能に抗える魔物など果たしているだろうか?


 魔物たちは震え、撤退を始める。


 だが、鏖殺など一瞬で十分だ。


 ガルドラクは消え、そして、すべてが裂かれる。


 人も、魔も、街も。


「せっかくの戦場だ。楽しまねえとな」


 彼は歩き出す。大量の血液と、死体の山を背に。


 獣は、ひたすらに血の轍を歩むことしかできない。


 そして、この街には同類がいる。


 同類だけが、ガルドラクに死闘を与える。


「狩りの時間だ」


 咆哮と共に、ガルドラクは跳んだ。











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