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ドラゴンキラー  作者: あびすけ
第三話 魔獣狩りの人狼編 後編
67/150

7 ザ・スタート








 おぞましい殺戮が始まっている。


 虐殺をもたらすのは巨大な触腕しょくわん、長大な海蛇、乱杭歯らんぐいばを剥く巨海獣リヴァイアサンの群れ。群れの中心には少年のようにも、少女のようにも見える童顔の水魔精ウィンディーネがいる。嗤っている。レヴィアが腕を振ると巨海獣リヴァイアサンの群れは同じように動き、建物を破壊し、人間を殺していく。巨海触クラーケンは十本の腕で掴めるだけの人間を掴み、押し潰し、五十人ぶんの血肉を空に撒く。降り注ぐ死体の雨壁から飛び出した大海蛇シーサーペントが、逃げ惑う街人を喰らっていく。咬み千切り、咀嚼し、吐き出す。挽き肉のような血肉があらゆるものを汚していく。


「みんな、好きなだけ殺していいよ。ただ、食べちゃいけないよ」


 レヴィアは楽しそうに傍らの巨海獣リヴァイアサンを撫でる。


「血の臭いを撒くんだ。あのクソ犬を誘き出すために。僕たちの兄弟バハムートを殺した、あのクソ犬を殺すためにさ」


 憎悪に燃える声でレヴィアは嗤う。


「下等な人間はさ、ぐちゃぐちゃになって死ねばいいんだよ」


 男も、女も、子供も、等しく挽き肉となり、魔獣狩りを呼ぶための撒き餌となる。


 嗚咽や叫喚すら上がらない。


 そんな暇すら与えない、虐殺。


 レヴィアの通る場所は、地獄と化していく。


 そして、その地獄を眺める一組の男女。その背後に控える四人の魔術師。


「マエル、今すぐこの街を出るぞ!」


 イオセフの声に、しかしマエルは答えずに虐殺を凝視している。


「何をしてる!早くこの街を、この国を出るぞ!地獄に堕つ五芒星ヘル・ペンタグラムが動き出したんだ!一刻も早くセイリーネスへ帰還しなければならない!」


「あれを見て」マエルは絶望的な声を出す。「人間が、神の血を受け継ぐ人間が、ゴミのように殺されているわ!子供までもよ!国は違えど神の血があんなに流されるなんて、それも天使わたしの眼の前で・・・赦せない、私はあの魔物が赦せないわ!」


「俺も同じ気持ちだ!だが、どうにもならない!アレは俺たちがどうこうできる存在じゃない!聖騎士パラディン堕天使デモン・ドイカでなければ、どうにもならない怪物なんだ!俺たちに出来ることはヘル・ペンタグラムの情報を神樹聖都に持ち帰ることだけだ!冷静になれ!」


 切迫したイオセフの叫びに、マエルは我を取り戻したように静かになる。


「ごめんなさい・・・」


「いいんだ。気持ちはわかる。だが、俺たちはセイリーネスの使途。生き残り帰還する。その使命が何よりも重要だ」


「そうね・・・その通りだわ。生きて帰りましょう、私たちの故郷に」


 マエルは決然とそういった。


 だが、餓えた獣が血の臭いに敏感なように、魔物は天使アンヘルの魔力に敏感だ。


 巨海獣リヴァイアサンはすでに、マエルの気配を嗅ぎ付けている。











 絶え間ない金属の摩擦音。目まぐるしく動く二つの影。瞬くような火花が散る。


 凄まじい剣撃の応酬が繰り広げられている。


 アニーシャルカはバックステップで距離を取り、斧刀コピスを突き出す。


「焦げろや」


 中位雷魔法【雷矢の炸裂ブロンテー・デスプリット】。


 閃光が集中し、凄まじい数の蒼い矢が、刃先から放たれる。ツァギールは走る。露店を焼き、石畳を穿ち、連射される鋭い矢はツァギールの残像を追う。


 彼は走り続ける。懐から小さな布袋を取り出し、小盾バックラーの上に中身をぶちまける。粉雪のような、薄碧色うすみどりいろの粒子が煌めき、わずかにけぶる。ツァギールは盾の表面に湾曲剣ファルカタの側面を押し当てると、マッチのように擦った。摩擦により火花が生じ、熱により薄碧の粒子が発火し、その炎がやいばに纏いつく。


 ツァギールは逃げるのを止め、正面から雷を斬る。霧散する魔法。飛来する雷の矢を次々と斬り払っていく。


「チッ、妨害術ジャミングか」アニーシャルカは魔法を消しながら迫り来るツァギールを睨む。「なかなかに厄介な野郎だ」


 妨害術ジャミングとは無効術式全般を指す魔術師メイジ用語だ。おそらくツァギールの使っているジャミングは魔方陣を刻んだ魔水晶を細かく砕き、油や焔硝えんしょうと混ぜ合わせ作られる、ダストと呼ばれる物だろう。発火させる事で魔力に干渉する炎を生み出し、中位魔法程度なら簡単に相殺できる、対魔術戦者クラッカーお気に入りの品だ。


 ツァギールは一気にアニーシャルカとの距離を詰める。


 アニーシャルカは舌打ちをし、後方に飛び退く。疾風のような湾曲剣ファルカタの斬撃が彼女を追う。服の胸元が裂かれ、何本も束ねた首飾りネックレスが地面に落ちる。まるであらかじめ決められていたかのような、滑らかな追撃がアニーシャルカの首を狙う。彼女は脱力し、姿勢を崩し、紙一重でそれを避けると、一瞬でツァギールの背後に回り込み、曲剣を振るう。


 完璧な死角からの一撃。


 だが猟犬は回転するように上半身を捻ると、そのままアニーシャルカの剣を、小盾バックラーをもちいて、最小限の力ではじく。


 瞬間、アニーシャルカの重心がぐらつく。


「マジかよ」


 アニーシャルカは毒づく。


 受け流しパリィだ。


 相手の攻撃の速度と威力を見極め、絶妙なタイミングではじくことで攻撃のエネルギーの支点ずらし、重心に空白を生み、結果相手の体勢を無理やり崩す、高等近接術。


 訓練を積んだ騎士や修羅場をくぐり抜けてきた剣士なら扱うことの出来る技術ではある。アニーシャルカも時おり使うことがある。だがそれは格下相手に、だ。剣を交えればお互いの力量はわかる。剣術はツァギールが上だろう。騎士らしい直線的で素直な剣筋。だが搦め手を捨てているぶん、その剣速はあまりにもはやい。瞬きする間に五回、六回と放たれる斬撃はロイクに匹敵、あるいは凌駕しているかもしれない。動体視力も優れている。こちらの攻撃をギリギリでかわし、それでいて一切の焦りがない。完璧に剣筋を見切っている証拠だ。戦闘勘センスも図抜けている。こちらが避けにくい位置や間合いを直感的に認識し、自分が有利になるよう闘いを進めていく。剣士として完成している。それはアニーシャルカも認めざるを得ない。


 だが、だからといってアニーシャルカがツァギールに劣っているかといえば、それは違う。型にはまらない独特の剣術に斧刀コピスを使った二刀流、さらに身体中に忍ばせたナイフによる搦め手により、ツァギールとはまた違った性質の剣士として高い領域に踏み込んでいる。そして何より雷魔法を自在に操る事で圧倒的な殲滅力を得て、雷刃ブロンテー・エッジとその名を轟かす生来の魔法剣士。方向性は違えど、二人の実力は間違いなく拮抗している。


 そして拮抗していればしているほど、受け流しパリィのような高等技術を極めるのは難しくなる。


 リスクが大きすぎるのだ。


 躱すのでもなく、受けるのでもなく、流す。0.01秒でもタイミングがずれればパリィは不発に終わり、隙をさらし、致命傷を負いかねない。だから同格同士の闘いでパリィを使う者などいない。だがツァギールはアニーシャルカの剣を、それも背後から迫る斬撃を、完璧にパリィした。


 疾風。


 重心のずれたアニーシャルカを湾曲剣ファルカタが襲う。曲剣での防御ガードは間に合わない。左手で斧刀コピスを引き抜く。甲高い金属音。衝撃。火花。支点を欠いた彼女の身体がぐらりと傾く。


「死ね」


 ツァギールの小盾バックラーがアニーシャルカの顔面めがけはしる。亜人の坩堝デミ・シェイカーでオークを殺した打撃。喰らえば顔面が砕ける。完全に体勢を崩したアニーシャルカに避けるすべはない。


 だが彼女は十闘級だ。


 鏡面のような小盾が頬に触れた瞬間、アニーシャルカは全身の力を抜き、打撃の振り抜かれる方向に回転する。ツァギールの腕から手応えが消える。脱力と回転により威力を殺したのだ。さらには回転の遠心力により曲剣を振り、ツァギールの踏み込みを牽制。しかしなんなくその一撃を防ぎ、ツァギールはアニーシャルカに迫る。瞬間、彼の頭部を二刀が襲う。防がれた瞬間に曲剣を捨て、アニーシャルカは両手に斧刀コピスを握っていた。今度はツァギールが舌打ちし、紙一重で回避する。


 二人は距離を取る。


 アニーシャルカは口腔に溜まった血を吐き出す。血に折れた歯が混じる。さすがに打撃による衝撃すべてをいなしきる事は出来なかった。歯が二本に、口腔が切れている。右頬あたりに青あざが浮かび、血が滲む。


「テメー、乙女の顔をぶん殴ってんじゃねえよ。騎士の風上にもおけねえ野郎だ」


 ツァギールはその言葉を無視し、頬を、次いで耳を撫でる。血がベッタリと付着する。裂かれた頬肉に、耳輪上部が切断されている。忌々しそうに血を振り払うと、カミソリのような眼でアニーシャルカを射る。ユリシールの雷刃ブロンテー・エッジ。その名は帝国まで届き、間違いなく強者だ。それはツァギールも認めていた。下層血魔ローザ・ヴァルコラキを餌とする強大な上級吸血鬼エルダー・ヴァンパイア血魔喰らいブラッド・イーターを殺した女だ。そしてクシャルネディア討伐に参加した猛者だ。弱いわけがない。だが、それでも魔法剣士。二つの技量を極限まで高めることなど不可能。剣の技術を魔法で補い、魔法の不足を剣で補う中途半端な存在、それが魔法剣士だ。だが蓋を開けてみればどうだ?眼の前の女は、間違いなく剣で彼と渡り合っている。


「どうやら僕の認識不足だったらしい」


 ツァギールは殺意を込めて名乗る。


「第八殲滅騎士団 副騎士長のツァギール・イリュムヴァーノフだ」


「今さら自己紹介かよ」


「僕は騎士だ。ジュルグ帝国最強とおそれられる第八殲滅騎士団の猟犬だ。弱者や魔術師に名乗る名など無い。だが剣に生きる者に敬意を示すのは、騎士として当然の礼儀だ。貴様は強い。その剣術は尊敬に価する。せめて貴様を殺す男の名前を胸に懐きながら死ね」


「ウゼぇな。今どきそういうのは流行らねえんだよ。だがわたしはノリがイイからオメーの騎士道ごっこに付き合ってやるよ」アニーシャルカは嗤い、血濡れの唾を吐く。「ユリシール王国ギルド十闘級魔法剣士アニーシャルカ・デュム・ルガルだ。別に覚えなくていいぜ。どうせオメーは死ぬんだからよ」


「剣の腕と人格は比例しないとはよくいうが、貴様を見ているとこの諺に一片の真理を見出だせそうだ」


「そりゃオメーのことだろ。殲滅騎士団なんてのは詰まるところ人殺しの掃き溜めじゃねーか。オメー等猟犬の非道の数々はこっちの耳にまで届いてんだよ。別に非難してるわけじゃねーぜ?わたしやオメーみたいな奴等は、だいたい人格が破綻してると相場決まってんだ。ま、同じイカれ同士仲良くしようぜ」


「貴様の同類と思われるのは勘に障るが・・・まあいい、言葉を交わすのはここまでだ」


「ああ、剣で語る方が楽でいい」


「同感だな」


 二人の殺気が膨らみ、ぶつかり、限界に達する。


 両者は脚を踏み出す。


 しかし。


 凄まじい斬撃音が静寂しじまを破った。


 咄嗟に動きを止めた二人の視界を、煌めく物体が掠める。


 二人の間に折れた大剣が突き刺さった。


「ああ?この剣は」


 アニーシャルカの言葉を遮るように、男が吹き飛んできた。男はなんとか受け身を取り、ほうほうのていで立ち上がる。


 金髪。精悍な顔立ち。ロイクだった。


「ロイク、オメーボロボロじゃねーか。まさか負けやがったんじゃ」


「マズイぞ」


 アニーシャルカの言葉を、緊迫したロイクの声が遮る。折れた大剣の柄を捨てると、彼は曲刀ショーテルを引き抜き、構える。


「いいかアニーシャルカ、あの男は、マズイぞ」


 ロイクの視線の先から、ひとりの騎士が現れた。











 闘いが始まってすぐに、ロイクはアニーシャルカたちから距離を離した。


 もとより共闘するつもりはない。アニーシャルカがツァギールを、ロイクがゲルマンを、役割分担は決まっている。乱戦はこちらに有利にも、また不利にも働く。こちらが敵の一人を片付ければ即座に二対一に持ち込め、勝率は格段に上がるだろう。だが逆もまたしかり。それに魔法剣士、特に敵味方区別なく魔法をぶっ放すアニーシャルカと共闘するのは、ロイクからしてもリスクが高い。お互いが邪魔になる。何より十闘級は自分の技量に絶対の自信を持っている。彼等はスタンドプレーを好む。場所を変えるのはなかば自然な流れだ。


 大剣ツヴァイヘンダー斧槍ハルバードの打ち合う重い音が連符を刻む。


 猛攻をさばきつつ広場から離れていくロイクの考えをゲルマンは見抜き、しかしあえてその意図に乗った。


 彼としても一対一は望むところ。


 二人は剣を交えながら大通りを進む。


 通りを歩いていた街人たちが逃げていく。


 斧槍は軽々と石畳を砕く。受け止めると手に痺れが生じるほど、その一撃は重い。ロイクは多頭獄犬ケルベロスとの戦闘を思い出す。大樹を抉り倒す恐ろしい爪、岩を咬み砕く圧倒的な交合力。眼の前の重騎士はケルベロスに匹敵するほどの怪力を持っている。


 左から薙がれる斧槍を身を屈めかわし、一歩踏み込む。ロイクの腰から閃光が放たれる。瞬く間に曲刀ショーテルの連撃。


 ゲルマンはそれを左腕で受ける。鎧に五本の刀傷が刻まれるが、ゲルマンには届かない。彼の肉体を護る鎧は、通常の騎士団が着用する物とは異なる。重量、硬度、厚さ、すべてが規格外の彼専用の重鎧だ。ゲルマンの全身そのものが一個の大盾といって差し支えない。


「硬いな」


 曲刀では無理だと悟ったロイクはすぐさま大剣を構えるが、振り下ろされる斧槍がそれを邪魔する。


「さすがにその大剣を鎧だけで受け止めるのは難しそうだ」


 ゲルマンは斧槍を棒術のように振り回し牽制する。


 大剣と斧槍。


 大得物が生み出す重撃の嵐は、壮絶な応酬となって二人の空間を震わせる。


 両者の鍛練、技量、気迫が凄まじい熱量を生み出し、一撃一撃に必殺の威力が込められ、しかし、だからこそ両雄は一歩も引かず、敵の攻撃をさばき、防ぎ、受け止める。まさしく剣聖どうしの闘いは白熱し、ゆえに勝負は一向終わる気配を見せない。


 主に『斧』を中心に闘っていたゲルマンが、不意をつくように『槍』にシフトする。重騎士と呼ばれるようにゲルマンは怪力を武器に力任せな剣術を主体とするが、その動きに相手が慣れた頃、急旋回するように小技や高い技量を披露する。思わぬ攻撃に相手は対応できず、串刺しにされる。


 斬り払いから強烈な刺突。


 普通の相手ならこれで勝負は決するだろう。


 だが、ロイクは十闘級だ。


 凡人では気づけない微細なゲルマンの腕の動き、目線の角度、踏み込みの深さ、そういった所作から刺突が来るのはわかっていた。


 空気を裂くような刺突を避けると同時に間合いを詰め、大剣での袈裟斬り。


 鎧を断ち、肉を削ぎ、だが、浅い。大剣といえど一撃でゲルマンの重鎧に纏われた肉体に深傷ふかでを負わせることはできない。


 もう一撃を見舞う前に、ゲルマンの強烈な裏拳打ちがロイクの顳顬こめかみを襲う。至近距離であろうと肘のバネをもちいて十分な威力を確保できる裏拳、ましてゲルマンの怪力となればその破壊力はさながらハンマーだ。


 咄嗟に大剣で防ぐも、ガードの上から吹き飛ばされる。


 二人の間に距離が空く。


 ゲルマンの追撃を警戒し、ロイクはすばやく立ち上がる。しかし、ゲルマンは奇妙な顔つきで街を凝視していた。


 砂利を踏むような感覚に、ロイクは違和感を覚えた。灰色の砂が地面を覆い、砕けた岩が散乱している。寒風がロイクの顔を叩く。疼痛が頬に走る。風に砂塵が混じっている。


「なんだ、これは」


 愕然としたようにロイクは呟いた。


 ゲルマンとの戦闘に集中するあまり、周囲の光景が見えていなかったのだ。


 眼前に広がる街並み、そのすべてが灰色の岩に覆われていた。


 家屋は岩壁のように聳え、人々は日々の営みをそのままに、彫像のように石化している。


「一体、何が」


 瞬間、石化した建物が吹き飛び、彫像の人々が粉々に砕け散った。突風のような衝撃波。耳をつんざく雷鳴のような斬撃音が遅れて届く。濃霧のような砂煙が立ち込め、砂礫されきとともに肉塊が降り注ぐ。ロイクは何が起きたのかわからない。ただ、足元を転がる無数の肉塊だけが現実だ。死体はみな、藍鉄色の鎧を纏っている。腕が、首が、胴体が、完璧な切断面を晒している。


「おいおい、君たちは猟犬だぞ?もう少し善戦してくれないと俺の立場が無いだろう。アレだけ鍛え、育て、立派な殲滅騎士に仕立ててやったというのに、まさか剣のひと振りで皆死んでしまうなんてなあ。創るのはかたく壊すのやすしと言ったところか?人生とは本当にままならないものだな」


 嘲笑を含んだ冷酷な声が砂煙の向こうから響いた。


「騎士・・・長・・・?」


 唖然としたゲルマンの声がする。


「おや、ゲルマンか?ちょうどいい所で出会ったな」


 煙の向こうで人影が動く。その影は何か巨大な、剣のようなものを振り上げている。


「俺は殲滅騎士団を探していたんだよ。今となっては君たちなどただの獲物にすぎないが、しかし仮にも俺の名に忠誠を誓った君たちだ。俺の手で殺してやるのは、せめてもの慈悲だと思わないか?知ってるかゲルマン?俺は帝国騎士長総会に出席するたびに、他の騎士長どもに散々罵られてきたんだ。冷徹だの冷血だの無慈悲だの、常識がないだの礼儀がなってないだの、酷い言われようだ。だが蓋を開けてみればどうだ?こんな六万人も暮らす都市で、たった数十人の猟犬を殺すために労力も惜しまず歩き回っている。なんて部下思いの心優しい上司だと、そう思わないか?どうだ?副騎士長として答えてくれ」


「この者共は、貴方が、貴方が殺したのですか!」


「そうだ」


「まさか、帝国を裏切ると!?」


「それは違うな。ククッ、俺は最初から、貴様等の側になど、立ってはいない」


 空間を震わせる斬撃音。消し飛ぶ砂煙。斧槍ハルバードごと真っ二つに両断されたゲルマンの身体が崩れ落ち、噴水のように血が空に上がった。ロイクと互角に渡り合った重騎士が、その一撃を受けることも避けることも出来ず、理不尽なほど巨大な剣によって命を断たれた。


 ロイクは見る。


 血に赤黒く染まった鎧を着た、蛇の眼の男を。


 その男の持つ、常軌を逸した巨刃きょじんを。


「ところで君は誰だ?」


 ザラチェンコはロイクに嗤いかけると、特大剣グレートソードを肩に担いだ。











 血の臭いが鼻腔を撫でる。


 死の臭いが嗅細胞を刺す。


 戦場の臭いが本能に染み込んでいく。


 霜に覆われた銀毛が震え、人狼の瞼が開かれる。


 眠りから醒めた魔獣狩りから、獣の魔力が立ち上る。


 極度の餓えと地獄に堕つ五芒星ヘル・ペンタグラムの出現により、ガルドラクの感覚は極限まで研ぎ澄まされている。見開かれた金色こんじきの双眸は血走り、針の先程まで細められた瞳孔は獣の狂暴性をたたえている。剥かれる牙はよだれに濡れ、打ち鳴らされる牙音はおとは獲物の肉を求めている。毛は逆立ち、血が奔流し、筋肉が膨張する。暴力的な圧威あついが空間を歪める。ガルドラクは立ち上がる。


 切り立った崖の岩棚。天は雲で覆われ、眼下はどこまでも広がる銀世界。地平線の彼方に立ち上るわずかな黒煙を、ガルドラクの天眼てんげんが捉える。


 虐殺が起きている。


 数十キロ、あるいは数百キロ先からさえ嗅ぎ分けられるほど濃厚な血臭が漂うような、大虐殺。


 そんなことを行える存在は、超越魔物トランシュデ・モンストルをおいて他にいない。


「なんだよ、オレ抜きで楽しそうなことをしてるじゃねえか」


 ガルドラクの哄笑が雪原に響き渡る。


 彼は岩棚から飛び降りる。数十メートルの落下。雪が高く吹き上がり、氷片が宙を舞い、しかしガルドラクは平然と着地する。


 ヘル・ペンタグラムの二人はガルドラクを『殺す』と宣言した。


 最強の人狼と呼ばれる月の狼マーナ・ガルムを。


 あの【魔獣狩り】を。


「オレを、殺す?」


 ガルドラクは両腕を振るう。その速度を捉えられる存在などいるのだろうか。ガルドラクの動きはあまりにも、あまりにもはやすぎる。


 突風が吹き抜ける。


 背後の崖を、数百の風のやいばが襲う。


 一瞬の間を置き、氷塊と岩塊で形成された巨大な崖が、粉々に崩れ落ちた。


「オレを殺せるヤツなどいねぇ」


 崩壊する崖を背景に、ガルドラクは歩き出す。


「オレに殺せないモノなどねぇ」


 白くけぶる雪煙を振り払い、狂暴な魔狼が現れる。


「オレこそが、最強」


 ガルドラクの咆哮が天を穿つ。


「そう、オレこそが、最強だ」





 

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