6 アニーシャルカ/ツァギール/ロイク/ゲルマン
「火事だぜ」アニーシャルカは空を眺める。業火が網膜で踊る。焼け焦げた臭い。黒煙が曇天に昇っていく。「そう遠くねえな。見に行くか?」
「悪いが遠慮する。あれは辺境伯の城館だ。進んで面倒事に首を突っ込むのはよせ。さっき巻き込まれたばかりだろう?」
「ああ、アレな」アニーシャルカは先ほど貧民窟で絡まれた事を思い出す。昨夜、仲間を殺された事への報復だろう、組織犯罪集団たちが待ち受けていた。彼等は無謀にも三人に襲いかかり、アニーシャルカに皆殺された。今ごろは路地裏で無惨に凍りついているだろう。
「あんな雑魚を何人殺してもな。せめてもうちょいまともな相手と戦いたいもんだ」
「帝国騎士団だ」
ロイクが前方を見据えながら呟いた。白銀の鎧の集団が走り抜けていく。三人がいるのは街の中心部の大きな広場だ。帝国ギルド支部、多くの旅人を収容できる巨大宿屋などの建築物に囲まれた広場には多くの露店が出店されており、一部では祭りが開催され、一部では市場が形成されている。第四区画に似た乱雑さを三人は味わったが、ここは市民や旅人が多く、王都のような陰惨な気配はない。子供の笑い声や商人の叫び声には、どこか優しさが滲んでいる。健全な喧騒だった。先ほどまでは。
辺境伯の城館が燃え始めてから状況は一変した。
現在の中央広場には不穏な気配が流れている。皆心配そうに空を昇っていく黒煙を眺めている。「西門で何かあったらしい」「城門すべてが封鎖されたようだぞ」「殲滅騎士団が街中を嗅ぎ回ってるのを見た」口々に交わされる噂は不安を呼び、それは燃え盛る城館の姿で決定的なものになった。ヤコラルフで何かが起きている。そこにきて帝国騎士団が広場に現れた。子供を抱きかかえ広場をあとにする者や、宿屋に引っ込む旅人などが散見される。騎士団に近づき事情を聞く市民もいたが、騎士たちはじろりと睨み返すだけでとりつく島もない。騎士団はすばやく辺境伯の城館へと駆けていく。
「トラブルの臭いだ」アニーシャルカは白銀の背を眺めながら呟いた。「何かヤバいことが起きてやがるな」
「そのようだな」バルガスがうなずく。「どうにも嫌な予感がする。自慢じゃないが、俺の勘はよく当たる」
「その勘は現実になりそうだよ」
ロイクが静かに、だが警戒心のみなぎる声を出した。
気が付くと大広場の人群れの中に、藍鉄色の鎧の騎士が四人立っている。群衆は、まるでその騎士たちと関わるのを恐れるように、彼等の周囲から距離をとる。四人は兜越しにロイクとアニーシャルカを凝視している。その視線には、明確な殺気が乗っている。
「後ろにもいるぜ」アニーシャルカは四人への注意をそのままに、後方を振り返る。露店の間から、さらに二人の蒼鎧の騎士が現れる。計六人の騎士はゆっくりと歩き、三人を取り囲むように広がり、攻撃にも撤退にも即座に移れる絶妙な間合いで立ち止まる。いつでも抜き放てるように全員が腰の剣に手を当てている。明らかに先ほど駆け去った騎士団とは雰囲気が異なる。獲物を見極めるその視線は、間違いなく猟犬の眼だ。
「貴様等の顔、知っているぞ。ユリシール王国ギルド最大戦力に指定されている二人だ」ひとりの猟犬が唸るように発し、ゆっくりと二人を指差す。「十闘級魔法剣士アニーシャルカ・デュム・ルガル。おなじく十闘級戦士ロイク・シャルドレード。王国ギルドの切り札と呼ばれる貴様等が、なぜ帝国領にいる。しかも、この非常事態に」
猟犬全員が剣を抜く。膨れ上がる殺気に空気がひりつく。蜘蛛の子を散らすように住民たちが広場から逃げ出していく。第八殲滅騎士団は敵を殺すためなら住民の犠牲などいとわない。過去帝都で猟犬は六属性魔術集団と交戦した。八人の侵入者を排除する過程で、帝国民に85人の死傷者が出た。彼等は周囲の被る被害の一切を無視し、それを赦されている。
「今、この街で起きている事と貴様等が無関係だとはとうてい思えない。貴様等が手引きをしているのか? あるいは、西門の虐殺は貴様等のしわざか」
「話が見えねえな。言いがかりもいいとこだぜ」アニーシャルカは眉をひそめ、冷たく吐き捨てる。「だがわたしの事を知っていて剣を抜く、その心意気は嫌いじゃねえ。わたしとしても帝国最強の騎士団とは一度殺合ってみたかったんだ。安心しろ。できるだけ苦しまないように殺してやるよ」
アニーシャルカは曲剣に手をかける。
「第八殲滅騎士団か。まさか本当に遭遇することになるとはね」
ロイクは闘志みなぎる視線を猟犬に注ぐ。
「どうやらアイツ等の狙いはお前たち二人らしい。思うんだが、俺は必要ないんじゃないか?マフィアのせいで食い逃した昼飯でも食って待っているから、お前らは存分に殺し合いをしていてくれ」
「わたし等と一緒にいるんだ、オメーも獲物に決まってんだろ。バルガス、オメーも手伝うんだよ」
「俺は武闘派じゃないんだ」
「九闘級が何いってやがる」
「言葉が足りなかったな。お前等と比べて、俺は武闘派じゃない」
「そんな理屈が通用する人間たちには見えないよ」ロイクは大剣を抜き放ち、バルガスを見る。「彼等を見てみるんだ。君も殺す気だよ」
「そうだ。その二人と行動を共にしている貴様も当然殺す」「その通り。ツァギール副騎士長の命令は、怪しい者すべての殲滅だ」「我々の命に代えても、貴様等の息の根を止める」「それが第八殲滅騎士団である我等の務めだ」
猟犬たちは自らの使命を再確認するように言葉を交わす。
六本の剣がギラつく。一拍の間を置き、猟犬が走り出す。三人は視線を交わす。アニーシャルカが背後の二人を、ロイクとバルガスは前方の四人を、目線だけで役割を決める。
「仲間を呼ばれると面倒だ。素早く仕留めよう」
「猟犬か。俺には重たい食い物だ」
「ちゃちゃっと殺して仕舞いにするぜ」
アニーシャルカは軽々とそう言うと、前傾姿勢で、凄まじいスピードで猟犬との距離を詰める。振り下ろされる剣を曲剣で受け流し、死角を狙うように放たれた左からの斬撃を前方への跳躍で回避する。猟犬の間をすり抜け、曲剣を地面に突き立て強引に方向転換、二人の背後をとり、そのまま下段からの一閃。金属の打ち合う音。さすがは猟犬、アニーシャルカの一撃に反応する。だがすでにアニーシャルカは曲剣から手を離し、二本の斧刀を抜いている。瞬く間の連撃。猟犬は剣で受けるも、彼女の二刀はまさに斬撃の嵐。すべては防げず、鎧ごと切断される片腕。
「両腕落としたつもりだったが、いい反応速度だぜ」
左腕を失った猟犬は痛みを殺し、アニーシャルカに斬りかかる。背後に回ったもう一人の猟犬もそれに合わせる。
挟み撃ち。
アニーシャルの眼が残酷に光る。片腕の猟犬の腹をおもいきり蹴り飛ばす。女の蹴りとあなどるな。十闘級とは壮絶な鍛練の果てに到達する領域。完璧な重心移動により放たれた蹴りは、軽々と猟犬を吹き飛ばす。背後からの一撃を避け、そのまま二刀の乱舞。返す刃で受け止めた猟犬だが、もはや勝負は決している。斧刀の刃が蒼く輝き
「焦げて死ねや」ゼロ距離から放たれる中位雷魔法【強雷塊】。閃光。轟音。蒼い爆発に包まれる騎士。「おまけだ」言葉と共に【強雷塊】。爆発の衝撃を利用し、アニーシャルカは高く跳躍する。ちょうど立ち上がった片腕の猟犬の頭部を、落下のエネルギーの乗った斧刀が襲う。兜ごと割られる頭蓋骨。飛び散る脳漿。即座に拾い上げた曲剣で止めを刺す。猟犬の首が飛ぶ。頬についた血を拭い顔をあげると、雷魔法により上半身を吹き飛ばされた騎士が膝から崩れ落ちるところだった。肉の焼ける匂いが漂う。
「思ったほどでもねえな」アニーシャルカは振り返る。
ロイクの大剣が振り下ろされるところだった。刃根を握り、体重の乗った重い一撃は猟犬の剣を砕き、袈裟斬りにする。上半身を完全に両断され、鎧が地面を叩く音、ついで血の噴き出す音が続く。ロイクの足元にはさらに二体の殲滅騎士。どちらも上半身と下半身が切り離されている。大剣という武器の恐ろしさをまざまざと見せつけるような死体だ。
ロイクは剣の血糊を振り払い、アニーシャルカを見る。
「あいかわらず過剰殺傷が目立つよ」
「念には念を入れるのがわたしの流儀だ」
「私が三人、君が二人。あと一人でおしまいだ」
「おいバルガス、いつまでやってんだよ。はやく殺れよ」
「簡単に、いってくれる」バルガスは二本の鎌で猟犬の剣を弾き、距離をとる。荒い息を吐きながら二人を見る。「そこらの雑魚を相手にしているんじゃないんだぞ。お前等はまるで食人鬼を相手にしているように殺すが、どう考えても九闘級並の実力者だ。簡単に殺せるわけがない。終わったんなら手伝え」
「バカいえ。少しはオメーも役に立て」
「亜人の坩堝へのパイプ役に安全地帯の手配、俺は十分役になってるだろ。戦闘はお前等の」いい終わらぬうちに、猟犬が斬りかかる。バルガスは紙一重で避けると、鎌の二連撃を見舞う。防がれる。猟犬の反撃。両者の実力は拮抗している。目まぐるしい攻防が展開される。一瞬の隙をつき、バルガスが猟犬の脚を払う。体勢を崩した猟犬の首を狙うバルガスだが、それより早く猟犬の剣が彼を襲い、防ぎ、バランスを崩し、結果二人は凄まじい勢いで密集した露店に突っ込む。屋台の砕ける音と砂埃が立ち上る。
「何やってんだアイツ」
「バルガスくんも弱くはないが、相手は第八殲滅騎士団なんだ。私たちとは違う。苦戦は当然だよ」
「しかたねえ、助けてやるか」
アニーシャルカが歩き出したとき、獣の吠え声が上がった。
二人は視線を向ける。
広場の入り口に、一頭の白い巨犬が立っていた。
雪巨狗だ。
獣の視線でアニーシャルカとロイクを睨んでいる。
「野良犬にしちゃあデカいな」
「あんな野良犬はいないと思うよ」
雪巨狗はもう一度吠え、牙を剥くと、猛スピードで駆け出す。白い巨体がアニーシャルカに飛びかかる。「駄犬が」アニーシャルカは雪巨狗の身体を潜るように避け、そのまま曲剣で腹を裂き、後ろ足を斬り飛ばす。体勢を崩し、血と腸を撒きながら雪巨狗は石畳を転がる。
「躾のなってねえ犬だ。飼い主見つけたら殺し」
背後から研ぎ澄まされた殺気。うなじが粟立つ。アニーシャルカは言葉を切り、振り返ると同時に曲剣で首を防御する。刃と刃のぶつかる澄んだ音。散る火花。凄まじい斬撃を紙一重で防ぐと、アニーシャルカはバックステップで距離を取る。美貌の騎士が立っていた。右腕には小盾、左腕には湾曲剣。カミソリのように鋭い両眼が、殺意に濡れている。
「やはり帝国に侵入していたか、雷刃」
ツァギールの冷えきった声がアニーシャルカの鼓膜を撫でる。
「オメーの顔、見たことあるな」アニーシャルカは、こちらも負けず劣らず鋭い視線でツァギールを射る。「亜人の坩堝で鬼人を殺した猟犬じゃねーか。名前は忘れたが、第八殲滅騎士団の副騎士長だろ」
「あの場にいたのか。アウグストめ、これだから亜人は信用できない。ユリシール王国の唯一の美徳は、国内から亜人を排除したことだな。それだけは僕としても評価せざるを得ない」ツァギールは不愉快そうに吐き捨てると、腹の裂かれた雪巨狗に近づく。痙攣し、血を吐き、それでもなおアニーシャルカに牙を剥く軍犬。「貴様の役目はもうすんだ。ゆっくりと休め」
湾曲剣が犬の首を裂く。血が迸る。舌を垂らし、軍犬は眼を瞑る。
「囮に使っといて最後に殺すとは、なかなかの博愛主義者ぶりだな」
「死ぬのもコイツの役目だ」ツァギールは周囲に眼を走らせる。無数の殲滅騎士団の死体。「そして僕の部下もな。コイツ等は立派に使命を果たした。使命をまっとうした者だけに、安らかな眠りが訪れる」
「そうかい。無駄死にじゃなきゃいいけどな」
「いちいち癇に障る女だ」ツァギールは剣を突き出すように構える。一分の隙もない、殺意の充溢した完璧な臨戦態勢だ。「まあいい。ジュルグ帝国への不法侵入、殲滅騎士団殺害、そして現在のこの街の状況、すべてが貴様等に死刑宣告を言い渡している。僕の手であの世に送ってやろう」
「さっきもそんな事いわれたな。虐殺がどうとか。悪いが身に覚えはねえよ。冤罪吹っ掛けてくんな」
「僕にそれを信じろと?西門の虐殺と侯爵城館の火事に貴様等は何の関係もないと?帝国最大の敵国であるユリシールの十闘級が眼の前にいるというのに?」
「わたしは事実を語ってるだけだ」
「あくまで潔白を主張するか。傲慢な女だ」
「テメーはムカつく男だな」
「かなり面倒な展開になってきたね」ロイクがアニーシャルカの隣に立つ。「ここは敵地のど真ん中、そして彼の腕前は十闘級並ときてる。確実な勝利の為にふたりで行くかい?」
「殲滅騎士団の副騎士長と殺り合う機会なんてそうそうねえし、個人的には少し楽しみたいんだが、まあ、現状の把握がまったく出来てねえし、さっさと殺してサツキとでも合流するか」
「悪いがそう簡単にはいかん」
低い険のある声が轟いた。
雪巨狗に乗った、巨躯の騎士が現れる。ゲルマンは軍犬から降りるとツァギールに近づく。
「レオニード辺境伯の元へ急行しようと駆けてみれば、とんでもない賊に出会うものだな」ゲルマンは険しい表情でふたりを睨み付ける。「雷刃に・・・ほう、貴様は強戦士だな。たった一人で巨大鬼の群れを壊滅させた戦士、帝国にもその名は届いている。是非一度、手合わせ願いたいと思っていた所だ」
「ゲルマン、お前は強戦士をご所望か?」
「ああ。奴の剣術は王国でも随一と聞く。相手にとって不足は無い。それに俺では雷刃とは相性が悪い。アレの相手は対魔術戦に長けたお前に任せる」
「では、そうしよう」
ツァギールとゲルマンがゆっくりと歩き出す。
「向こうは話が纏まったみたいだぜ」アニーシャルカは曲剣で肩を叩きながら横目でロイクを見る。「あのでくの坊はオメーと闘る気まんまんだな。じゃ、わたしはあの色男をブチ殺すか」
「私は構わないが、君は良いのかい?亜人の坩堝で聞いた通り、湾曲剣の彼は相当魔術戦に慣れているらしいよ」
「おいおい、わたしは十闘級魔法剣士だぜ?そこらの魔術師と一緒にすんなよ。対魔術戦者相手だろうが後れはとらねえ。焦がして解体しておしまいだ」
「頼もしい限りだ」ロイクは苦笑すると、次の瞬間、その面貌に闘志がみなぎる。「殲滅騎士団の副騎士長が相手だ。アニーシャルカ、死ぬなよ」
「死なねーよ。テメーもわたしも禁足地から生還したんだぜ?数千匹の百足の中に飛び込むのに比べりゃ、だいぶマシだ」
「ああ、確かに。多頭獄犬を二頭相手取るよりは希望がありそうだ」
ロイクとアニーシャルカの視線が、ツァギールとゲルマンの視線とぶつかる。ピンと張られた糸のような緊張感が広場を支配する。四人は思い思いに剣を構え、相手の動静を伺い、静かに対峙する。強者同士が相対した時のみに生ずる膠着。相手の初動、こちらの初撃、そこから敵を殺すためにどう動くか、斬りかかるか、打撃を見舞うか、魔法を放つか。あるいは敵の攻撃をどう受け、どう避け、どう捌くか・・・答えの見つからない様々なパターンが四人の脳裡に浮かんでは消えていく。一手の誤りが死に直結する、拮抗した実力者同士の殺し合い。四人は動かないのではない。動けないのだ。
だが、永遠に続く膠着などあり得ない。
きっかけは唐突だ。
濃い影が四人を覆った。
天高く、グロテスクな触手が伸びている。街のどこかに魔物がいる。だが四人はその事実を無視する。すでに戦いは始まっている。思考を脇道にそらす暇などない。魔物に意識を向ける隙などない。集中を欠けば、即座に殺られる。そういう闘いだ。
蹂躙が始まる。触腕が振り下ろされる。破砕。倒壊。爆音。
遠くから少年のような、あるいは少女のような、不気味な嗤い声が響いた。
その声を銅鑼に、四人は走り、殺気が迸り、そして刃が疾る。アニーシャルカの曲剣とツァギールの湾曲剣が鍔迫り合い、ロイクの大剣とゲルマンの斧槍がぶつかり合う。




