2 セイリーネス
雪大狗の外套に身を包んだ六つの人影が雪の上を歩いていく。
「この村も皆殺しか」ひとりの男が立ち止まり、集落を見回す。人の気配はない。家屋や雪上は赤い。村は血の薄氷によって覆われている。悲惨な光景、だが、決定的な物が抜け落ちている。「やはり死体は無しか」
「残留魔力を感じる。この現場は新しい。虐殺が行われて二、三日といったところでしょうね」
男の傍らに立つ人影はそう言うと、目深に被っていたフードを取り払った。雪上にあってさえ透き通るような銀髪が風になびく。輝くような白い肌には、えもいわれぬ神々しさが宿っている。神秘的な女性だ。彼女は眼を細め、何かを探るように視線を動かす。
「マエル、捉えられるか?」
男は女の名を呼び
「ええイオセフ、これなら魔力を探れる」
女は男に笑いかける。
マエルは凍りついた血溜まりへ歩き、そこにしゃがみ込む。
「しばらく時間がかかる」イオセフは背後に控える四人を見る。「すまないが、周囲の警戒を頼む」
「わかりました」
「ありがとう」
「ありがとうなど、我々には勿体ないお言葉です」ひとりがそう言うと、残りの三人も同調する。「我々六属性魔術集団は魔術王国の、そしてなにより世界樹の忠実なる僕です。【神聖都市国家セイリーネス】 その使徒である貴方がたの為に労を尽くすのは、我々にとって非常に誉れ高いこと、御礼には及びません」
深々と頭をたれると、四人は散る。
「忠実な信徒たちね」マエルが微笑する。「篤い信仰こそもっとも尊いものよ」
「彼等も気合いが入るさ。なにせ【天使】を目の前にしているんだ」
「それは正確じゃないわ。私は混血よ」
「神の血が流れていることに変わりはない」
「それをいうなら人にだって神族の血が流れているわ。天使も人間も、神の慈愛のもと生み出され、その寵愛を一身に受け止める【選ばれた民】であることに変わりはないわ。本来ならば国などという境界は必要ないの。人々はひとつとなり、神を崇め、魔を屠り、すべての種族を統一すべきなのよ」
「そういう選民意識はどうかと思うけどね。信仰を押し付けるのはよくないよ。君のような思想は、かならず争いの火種を生む。すべての種族は自由であるべきだ。もっとも」イオセフは血を顎で示し「確かに【魔】は駆逐すべき存在だ。特に世界転覆をもくろむ超越魔物たちは、このうえなく危険だ」
「その魔の中にはベリアル・シルフォルフ様も入っているの?」
「まさか。世界樹の守護者たるあの方は例外だ。俺が言っているのは『世界の敵』のことだ」
「地獄に堕つ五芒星」
マエルは呟く。
世界中に散る【セイリーネスの使徒】たちの情報は、随時、聖都へ届けられる。種族全面戦争後、セイリーネスは超越魔物の存在に敏感だ。戦後、衰退した人類に魔物の逆襲が始まり、それにより訪れたのが俗にいう【暗黒の時代】だ。全面戦争に次ぐ悪夢と呼ばれるこの数年は、魔物の増殖、魔王の誕生、そして魔神の邪遺物『凶剣』の顕現という最悪の展開を迎え、しかしその脅威は激戦に次ぐ激戦により退けられた。だが【暗黒の時代】がもたらした災厄は魔王でも凶剣でもない。最悪の悪夢は【ギグ・ザ・デッド】の存在だ。種族全面戦争最悪の悪鬼が【異種族殲滅用生体兵器】であったように、人類とはいつも化け物を生み出してしまう。もっともドラゴンキラーにしろ、ギグ・ザ・デッドにしろ、彼等はすでに滅びている。
魔物とは冒涜の存在。光に仇なす者ども。セイリーネスは早くから地獄に堕つ五芒星の存在に気付き、奴等の動向を見張っていた。その異形の集団が、ここ数年活発に動き始めている。死霊魔導師 が祖なる血魔を訪問し、悪魔が蟲王の砂漠で目撃され、獄炎の魔女が華瓏国の化け狐と接触を持つ。ブラックリストに名を連ねる魔物たちが次々と繋がっている。あるいは最初から繋がっていたのかもしれない。何かが始まろうとしている。恐ろしい何かが。
「何にせよ、やるべきことを終わらせよう。俺たちは極秘裏に帝国に侵入している。いまこの地方には第八殲滅騎士団が訪れている。見つかるのはまずい。調査を終わらせ、すみやかにセイリーネスに帰還しよう」
「そうね」
マエルは頷くと、魔法を発動する。眼球で魔力が凝集し、瞳から燐光がこぼれる。マエルはその状態で足元の血溜まりを見つめる。光の属性を投射し、残存する魔力を刺激し、その反応から様々な情報を引き出す光魔法を応用した探知術。【天使の視線】と呼ばれる高等魔法。
「濃密な水と氷の属性を含んだ、恐ろしい魔力だわ・・・最低でも二日は経過しているというのに、ここまで濃く魔力が残存しているなんて・・・この密度からいって、おそらく魔力保有量は二十万を越えている。水と氷の超越魔物・・・水魔精よ」
「レヴィア・リュリュサタンか。やはり五芒星が動いているか」
「ジュルグ帝国といえば、魔獣狩り。やはりヘル・ペンタグラムの狙いは月の狼で間違いなさそうね」
「数日前、フューラルドの街がひとつ、消えたそうだ。その街は血魔によって占領され、その状況を打破するために帝国は魔獣狩りを雇ったそうだ。だが魔獣狩りからすれば血魔を狩るなど、余興にすらならない。どうも実情は違うらしい。その街には血魔以外の『何か』がいたそうだ。その『何か』との争いにより、街ひとつが地図から消滅した。間違いなく超越魔物同士の闘いだ」イオセフは思案顔で呟く。「月の狼は地獄に堕つ五芒星に牙を剥く。どうやら聖女様の見解は正しいようだ」
「シャルルアーサ様の考えはいつだって正しいわ」
「もし魔獣狩りがヘル・ペンタグラムと敵対するのなら、利用できるかもしれない。奴は報酬次第では人間の仕事も引き受ける」
「私は反対よ。聖都の使徒である私たちが、あのような獣を頼るなんて、それは堕落に他ならないわ」
「確かに教会は赦さないだろうが、すべての信徒が、そして枢機卿たちが君のような理想主義者じゃない。地獄に堕つ五芒星は目的もメンバーもいまだに不明、だが現在確認されている超越魔物の数を考えると、もはやその戦力は一国を凌駕する。我等が聖騎士はその事実を重く受け止めている。守護者であるベリアル様もだ。自身が超越魔物であるが故に、その力の強大さに警鐘をならしている。君もベリアル様の言葉を聞いただろ?」
『戦争による淘汰を生き残った魔物、あるいはその血を引き継いだ怪物は、まさに正真正銘の化け物なのだ。それらが300年という年月を経て、さらに強力に、強大に、隔絶した魔力を身につけた。もはや奴等は竜と並べても遜色は、ない。神聖都市国家セイリーネスの使徒たちよ、心に刻め。混沌の時は近い』
マエルは心の中でベリアルの言葉を反芻し、押し黙った。
不気味な沈黙が二人を包んだ。
陽が傾き、風は身を切り裂く寒風となる。
夕闇が迫っている。
「まあ、何にせよ」イオセフが沈黙を破る。「魔獣狩りがヘル・ペンタグラムの敵となるなら、喜ぶべきことだ。お互い潰しあってくれると助かる。クシャルネディアのように」
「そうね。その通りだわ」
すでに世界にはユリシール王国によるクシャルネディア討伐の報が駆け巡っている。セイリーネスは、その話を信じていない。神を崇め、天使と共存する聖都は、それ故に魔物の恐ろしさを熟知している。クシャルネディアは全面戦争以前から存在していた祖なる血魔、聖都の計測による彼女の魔力保有量は二十八万。確かにユリシール王国のギルドは優秀であり、十闘級を持つ者たちは何れも人間離れした強者どもだ。だが光魔法を操る聖職者や、聖都の守護者たる堕天使、そして天使たる聖騎士など、【神の軍勢】を持たぬただの国に、クシャルネディアを殺せるとは思えない。存在が永遠と位置付けられる超越存在、もしそのような魔物を殺せる人間がいるとすれば、それは325年前もっとも畏れられた
「ドラゴンキラー」
マエルは呟いていた。
彼女はその名を、神学院の授業で学んだ。
神に背きし禁忌の技術。
竜を殺すという、常軌を逸した魔導師たちの、狂気の産物。
数千、数万という人体実験の果てに完成した最初期ナンバー。
人造魔導強化骨格 略式魔方陣 半永久魔力精製炉 すべての性能が限界値に設定され、故に多くの被験者のうち適合したのはたったの十五人。
第一次異種族討伐作戦に投入され、圧倒的な戦果を上げた最初の十五体。
あらゆる戦場を蹂躙し、制圧し、その名を轟かせた生体兵器。
そして、彼等は名乗る。
自らを殺戮の剣と呼称した最初の十四人。
やがて127人すべてが自らをそう呼ぶようになる。
ひとりの生体兵器はその圧倒的な魔力ゆえに、赤い鬼神と畏れられた。
彼等はただそのひとりの為だけに剣を振るった。
どれだけ絶望的な状況であろうと、その男が投入されれば生体兵器たちの士気は極限まで高まった。
幾百、幾千もの竜血族を屠り。
やがてその男はこう呼ばれるようになる。
竜殺し、と。
竜殺しと殺戮の剣。
それが歴史の授業で最初に習う項目だ。
そう、それほどの存在ならば、クシャルネディアを滅することも容易であろう。だがそれはあり得ない。異種族殲滅用生体兵器はヌルドの森で全滅した。生体兵器は竜と共に消え去った。
ユリシール王国はクシャルネディアを殺していない。真祖討伐の報告を受け、セイリーネスの使徒は禁足地に赴いている。祖なる血魔の領域は破壊され、蹂躙され、戦禍の中心だった。人間の闘いではない。超越魔物の闘いだ。クシャルネディアは姿を消した。彼女はヘル・ペンタグラムに殺され、ユリシール王国がそれを利用した。そう考えた方がよほど辻褄が合う。ジュルグ帝国でも同じことが起きようとしている。魔獣狩りとヘル・ペンタグラムの間で。イオセフのいうように、同士討ちになってくれれば、これほど素晴らしいことはない。ガルドラクとレヴィア。ブラックリストから二つの名前を消すことができる。
「陽が暮れるな」イオセフは薄暮の迫る空を眺める。「そろそろ行くぞ」
「ええ」
マエルが立ち上がる。
そして六人は村を後にする。
雪原を歩いてしばらく経った時、前方から男がひとり歩いてくるのをマエルは見た。すぐにフードを深く被った。天人である彼女の容姿は、人間とはかけ離れて美しい。イオセフも四人の魔術師も顔を伏せる。彼等の顔立ちも帝国民とは違う。目撃されないことにこしたことはない。
男の顔を直視しないように、マエルはその容姿を確認した。どうやら騎士団の人間ではないようだ。平民か、帝国ギルドの人間か。どちらにせよ問題は避けられそうだ。
六人は男とすれ違った。
瞬間、マエルの背筋を禍々しい予感が貫いた。肌が粟立ち、血が逆流するような不快感が全身を引き裂いた。呼吸が浅くなり、心臓が鼓動を速める。天使の血が最大限の警告を発している。おもわずマエルは立ち止まる。「どうした?」イオセフが肩に手をかけるが、マエルは答えずに背後を見る。男は淡々と歩いている。方角を考えるに、マエルたちが後にした村を目指しているのかもしれない。特に変わった様子はない。珍しい灰色の髪をしているが、ただの人間だ。
だが、マエルの中の天使の血は、いぜん彼女に警告を囁きかける。
アレは人間ではない。
アレはおぞましい『何か』だ。
【天使の視線】を発動する。
彼女は男の背を凝視する。
赤みがかった魔力が男から立ち上っている。魔力を識別可能な状態に置いた場合、人間の魔力は赤く輝く。あの男は人間だ。少し魔力濃度が薄すぎるが、魔術師でないならあの程度でも問題ない。
(杞憂かしら)
マエルはそう思ったが、しかし本能はさらに深く探れと訴えかける。
アイヘルムは魔力識別の為だけの下級魔法ではない。相手の魔力濃度 属性 性質 保有量 特質性 遺伝性 術者の技量によるが、探ろうと思えばどこまでも視ることのできる高等探索魔法だ。彼女の両眼に光が凝集し、アイヘルムの精度が高まっていく。投射された光属性は肉体をすり抜け、純然な魔力だけを照らし出す。男の中に、仄かな火の燻りを思わせる魔力を見いだす。マエルはさらにその魔力を探る。深く、深く。
だがそれは、無知な幼児が深淵を覗き込むようなものだ。その底に渦巻く混沌は、幼子の心には、あまりにも禍々しい。
アイヘルムには欠点がある。光属性を投射し、その反応から相手の魔力を分析するのだが、その分析に自身の魔力が干渉してしまうと精度が落ちる。そのため魔法を発動中は眼球を覆う自身の魔力を薄めなければならない。さらに瞳孔は開き、魔力感知の第六感は極限まで研ぎ澄まされ、ゆえに現在マエルは魔力に対して無防備だ。そんな状態で想像を絶する禍々しい魔力を視てしまった場合
「マエル!」
イオセフは叫んだが、すでに彼女には届かない。マエルの眼球が裏返り、鼻と耳から血が噴き出す。口からヨダレが垂れ、彼女はくずおれる。すんでのところでマエルの身体を抱き止めたイオセフは、すぐに呼吸と脈を確認する。生きている。だが体内の魔力が滅茶苦茶に乱れている。一体何があったんだ、とイオセフは周囲を警戒する。落日と雪原。そして灰色の髪の男。
(あの男か?)
浮かぶ疑問を、しかしイオセフは打ち消す。
彼は末端とはいえセイリーネスの使徒、残る四人は六属性魔術集団。あの男が魔法を発動したのなら、気づかないはずがない。むしろ発動していたのはマエルの方だ。ならば自動反撃術式のような物か?しかしそれでも魔法が発動したなら、それを見逃すはずは・・・
(いや、そんなことを考えている場合ではない)
とにかくマエルを安全な場所に移さなければならない。
気絶した彼女を背負う。四人の魔術師は臨戦態勢に入る。彼等はゆっくりと歩き始める。
視線を感じイオセフはチラと背後を向く。
灰色の髪の男がイオセフたちを見ていた。夕陽のためか、それとも元々そうなのか、男の眼は真っ赤に見えた。その視線に、なぜか彼はぞくりとした。
なぜそんな連想を抱いたのかわからない。先ほどマエルが呟いた一言が原因かもしれない。それがイオセフの脳内から幼き日の記憶を、戦争史の授業、325年前の文献、大賢者様の話、そういったものが、イオセフからその一言を引き出した。
「ドラゴンキラー・・・」
言葉は寒風に混じり、すぐに消え去った。
すでに男の姿はなかった。




