11 アンダーグラウンド
「魔力保有量の多い亜人を十体ほど見繕ってくれ。できればエルフ族を、特に純血の耳長が望ましい」
奴隷館の商人に、バルガスはいつものように注文した。
カウンターの向こうの商人はでっぷりと太った男だった。王国騎士団と闇ギルドの運営する奴隷館を任されている奴等は皆こうだ。金と肉と女に不自由しない彼等は家畜のように肥え、家畜のように貪り、家畜のように交尾する。奴隷を売りさばくコイツ自身が奴隷のようだな、とバルガスは思い、その皮肉さに嗤った。俺には無理だ。いくら金払いが良いとはいえ、こんな場所で一日中奴隷の相手をしていたら気が狂う。戦場で生死のやり取りをしている方が遥かに面白い。もっとも、もう一度禁足地に赴けと言われれば断るだろうが。
「毎度ありがたいがね、あんたらこんなに大量の奴隷を何に使ってるんだい?」
羊皮紙に何かを書き付けながら、商人は下卑た声で言う。
「あんたには関係の無いことだ」
「そりゃそうだがね」
「客に探りを入れるのは商人として問題があると思うけど」
バルガスの傍らに立つ女が、不愉快そうに男を睨む。
少年のような髪型のボーイッシュな少女。魔術師のカルネ。
「ちょいと気になっただけさ。何せこうも頻繁に大量の亜人を買う客はそうそういないからね。いやね、何に使用する奴隷かわかってれば、こっちとして用途にみあった奴隷を用意できるかもしれないしね」
なおも探りを入れてくる男が身を乗り出した瞬間、バルガスは男の頭髪を掴み、カウンターに鼻っ柱を叩きつけた。二度、三度と顔面を強打すると、男の鼻骨は折れ、前歯は欠け、額が裂ける。バルガスは男の頭部を強引に横向かせると、顔面スレスレの場所にナイフを突き刺した。刃面に自身の悲惨な顔が映り、男は悲鳴を上げる。
「カルネも言ったように、客の懐を探るのはルール違反だろう。闇ギルドの人間なら、それくらい心得ているはずだが」バルガスはナイフの柄をトントンと叩く。「あまりしつこいとコイツで貴様の頸動脈をかっ捌く事になるが、どうする?」
男は震えながら許しをこう。
バルガスはしばらく男の悲壮な表情を眺めていたが「まあいいだろう」と解放する。男は鼻を抑えながら奥に消え、怒声をとばす。奴隷の用意を急がせたのだろう。
「ああいう馬鹿ってなんでいなくなんないんだろ」
「こんな時代に子供など作るような奴は馬鹿に決まっている。すると馬鹿が産まれる。あの男は馬鹿親の馬鹿息子なんだろう」
「アンタってさ、結構厭世的だよね」
「こんな仕事をしているからな」
「アタシは結構楽天的なんだけど」
「いいことだ。俺のようにはなるな」
バルガスは自嘲するように笑う。
肩をすくめるカルネ。
「おや、バルガスじゃあないか?」
背後から声をかけられ、振り返ると黄金鎧の騎士が立っていた。ニヒルな笑いを口元に張り付け、透けるような金髪をオールバックに決めている。白銀の剣を腰に差し、下級騎士には赦されない王国紋章が鎧の胸元にあしらわれている。
王国騎士団にありながら奴隷市場を支配する上級騎士 ジェラルド。
「やはりバルガス、お前か」
差し出されたジェラルドの手を、バルガスは握る。
「久しぶりだな」
バルガスはルガル傭兵団を抜けすぐに裏の世界に足を踏みいれた。彼は雑務のような仕事から一闘級の人間さえ受けないような汚らしい仕事まで様々な依頼を堅実にこなし評価を固めていった。気がつけばバルガスの人脈は第四区画を網羅するに至っていた。ジェラルドとは昔よく仕事をした。
「九闘級に昇級したそうじゃないか。おめでとう。クシャルネディア討伐隊の一員として無事帰還したのだから、当然と言えば当然だが、しかし堅実なお前が禁足地に赴くなど、些か驚いたよ。アニーシャルカにでも唆されたのか?」
「そんなところだ」
「彼女は周囲を巻き込み、引っ掻き回すのがうまいからな。・・・そうそう、この前アニーシャルカに聞いたんだが、アレは本当なのか?お前とルガル傭兵団の副団長が、老貴族を殴ったアニーシャルカの尻拭いをするために」
「ジェラルド」バルガスは苦々しげに呟く。「今すぐその話を忘れろ。あの時の事はいまだに夢に見る。俺の人生最大の汚点だ」
「いやはや、すまない。少し無神経だったな・・・しかし本当に久しぶりだな。奴隷市場からは手を引いたと思っていたが、また一枚噛むつもりか?」
「いや、今日は買い物だ」
「そうか。知っていると思うが、俺の扱う奴隷は貴族も愛用する、文字通り一級品だ。メイドにするもよし、性道具にするもよし、戦闘奴隷として使い潰すのも悪くない。様々な要求に応えられるよう調教済みだ。・・・ところでバルガス」ジェラルドはカルネに視線を移す。「俺の記憶が正しければ、お前の隣にいるのは先日魔法系統最高等級に登り詰めた天才魔術師 カルネ・ルル・オートゥイユじゃあないかな?」
「そうだ。お前は会ったことが無かったな。こいつはダムドの一員だ」
カルネはジェラルドに軽く頭を下げる。
「君のような素晴らしい魔術師が闇ギルドに所属しているとは、なんとも心強い限りだ。いずれ仕事を頼む時も来るだろう」
「機会があったらね」
「よろしく」
ジェラルドは輝くような笑顔で頷く。
奥から商人が出てくる。奴隷の手配が済んだのだろう。憎々しげにバルガスを睨むが、傍らのジェラルドに気付きすぐさま表情を正す。ジェラルドは男の真新しい傷跡を認めると、冷笑する。
「奴は何か粗相を?」
「少しな」
「それは失礼した」
ジェラルドが手招くと、男はブルブル震えながらカウンターを迂回し、ジェラルドの前に立つ。
「ジェラルドさん、貴方のお知り合いだとは知らなかったんです。知っていれば」
言葉の終わらぬうちに、ジェラルドは男の咽喉に拳を叩き込む。唸りにすらならない音をたて、男はうずくまり、血と唾液を大量に吐き出す。完璧に喉が潰れていた。
「この奴隷館のお得意様には貴族や豪商が多い。だから俺はこうやって店を一軒一軒周り、貴様等に忠告を与えてやっているんだ。『絶対に粗相をするな』と。俺は他の商人同様、貴様にも耳にタコができるほど言っておいたはずだ」ジェラルドは男の耳を掴むと、顔を上向かせる。「それにな、彼等が俺の知り合いかどうかは関係ない。客に媚びろといってる訳じゃない。ただ誠意を持って接しろと言っているんだ。粗相をするなとな。そんなに難しいことか?」
ジェラルドの問いに、しかし男は答えられない。喉が潰れているのだ。だがジェラルドにそんな事は関係ない。
「俺の質問が聞こえないのか?ならば喉だけじゃなく、耳もいらないな」
ジェラルドは指先に力を込め、耳の付け根を捻り、次の瞬間、男の右耳を引き千切る。耳の根本から血が噴き出し、それは頬と首筋を染めあげる。男は痛みに悶絶し、ただひたすらジェラルドに頭を下げる。
ジェラルドがなぜ現在の地位を維持できるのか、理由は様々だ。まず彼は用心深い。ジェラルドが一人きりで移動する事はない。彼はひとりで奴隷館を訪れたように見えるが、最低でも四人の手練れが何処かに潜み、ジェラルドを護衛している。とはいえジェラルド自体、剣の腕は相当なものだ。数年前、まだ一王国騎士として王都外周を警邏している際、危険度8 死霊使い と遭遇、増援を呼びに馬を駆った仲間たちとは反対に、彼はひとり残り、これを剣一本で撃破している。王国ギルドの基準に当てはめれば、九闘級に匹敵する戦闘力を有する。王国上級騎士は腕前よりも家柄や血筋を重視する傾向があり、しかしその中にはジェラルドのような本物も確かに存在する。そうそう殺れる男ではない。さらにジェラルドは上級騎士という身分を活用し、通常では考えられないような広い人脈を持つ。貴族、豪商、元老院、一部王族、王国ギルド、闇ギルド、そして十闘級魔法剣士アニーシャルカ。こと裏の世界において、【雷刃】の名を知らぬ者は存在しない。低級吸血鬼五体と上級吸血鬼をひとりで殺し切った女がジェラルドの側についている。まともな神経の者なら手を出さない。だが、何よりジェラルドが恐れられているのはその残虐性だ。こんな話がある。ある時ひとりの奴隷商がジェラルドの金を盗み、家族を連れ王都を出た。ジェラルドはあらゆる手を使い、商人を探し、彼の前に引きずり出した。商人は赦しをこうが、ジェラルドは彼の見ている前で彼の妻と二人の娘を生きたまま解体し、その肉を彼に食わせた。相手がなんであれ、ジェラルドを裏切る者には酸鼻を極めた死が訪れる。奪い、壊し、殺す。恐怖こそがジェラルドに地位を与える。
「ところで、彼等の商品は?」
ジェラルドの質問に、男は震える右手で羊皮紙を差し出す。ジェラルドはそれに眼を通す。
「ずいぶんと買い込んだな」
バルガスの肩を叩き「今回は俺の奢りだ」とジェラルドは笑う。
「君たち二人の昇級を祝って、俺からのプレゼントとしよう。受け取ってくれ」
「悪いな」
「気にするな。持ちつ持たれつさ」
それから数分で商品がバルガスの前に並んだ。鎖で繋がれ、猿轡を噛まされたエルフ族が五体。ダークエルフ族が三体。獣人族が二体。計十体の亜人奴隷。残念ながら純血の耳長は帝国最大の亜人ギルド【亜人の坩堝】に押さえられ品切だった。だが、この割合なら『彼女』も気に入るだろう。
カルネは奴隷を連れ館を出る。バルガスはジェラルドと二言三言言葉を交わす。そしてバルガスが別れを告げたとき
「ああ、そうだ」ジェラルドは何かを思い出したようにバルガスを見た。「先ほど王国ギルド本部で行われていた十闘級会談が終了してね、一闘級戦士サツキの十闘級昇級、これを現十闘級七名が了承し、王国ギルド及び王国騎士団は彼を正式にユリシール王国最大戦力のひとりと認定した。まあ、功績を考えれば妥当なところだろう」
「七人の了承?現在十闘級を預かっているのは八人のはずだ」
「確かにそうだが、会談の途中にドーグが殺されたようでね」
「足裂き魔のドーグか」
「そう、あの快楽殺人者だ。酷い死に様だそうだよ。剣は折れ、両脚は無くなり、頭部は原形をとどめていないらしい。サツキに殺されたそうだ。今もっとも第四区画で大迷惑を引き寄せる、得体の知れない男に」
「そのトラブルもすぐに収まるさ。今までは一闘級ということで身の程を知らない馬鹿どもがサツキに絡んでいたが、十闘級昇級となれば話は違ってくる。剣士だろうが魔術師だろうが、第四区画で生きることを決意した奴等の脳みそに最初に叩き込まれる教訓は『何があろうと十闘級に喧嘩を売ってはならない』だ。表にしろ裏にしろ、この掟は絶対だ。しかし、いやに事が早く進んだな。ギルドも騎士団も十闘級を与える事に関しては、気が滅入るほど慎重なはずだ。アニーシャルカなど審査に一年を要した」
「俺が言うのもなんだが、彼女は素行が悪すぎるんでね。総支配人はその辺り甘めだが、騎士団の将校どもは些か厳しい。騎士道精神なんてものはもはや廃れて久しいが、それでもギデオンのような古くさい連中は少なからず存在する。俺がこの世界に手を出してから、一体いくらの賄賂を送り、敵対者を暗殺してきたと思う?これで苦労しているんだよ」
ジェラルドは肩をすくめる。
「まあ、確かに異例の早さだ。クシャルネディア討伐という功績を加味しても、異常だ。裏があるのさ。ユリシール王国はあの男を一刻も早く十闘級に上げたかったのだよ」
「どういうことだ?」
「実はある小国からある魔物の討伐依頼がユリシール王国ギルドに極秘裏に持ち込まれた」
「極秘裏?胡散臭いな。討伐対象はなんだ?」
「悪いがこれ以上は言えないんだ。何せ内容を知っているのは元老院と王国騎士団上層部の一部、そして支配人以上の役職を持つ上級職員のみだ。正規の仕事というよりは、ほとんど闇の依頼扱いで、それをユリシール王国が承認した形になっている。表沙汰にしたくない。お前の人脈を使えば内容を突き止められなくもないが、俺の口からはこれ以上は語れない」
「なるほど。クシャルネディアを討伐した男を使いたいわけだ」
「国絡みの闇の依頼に一闘級の男を使うなど論外だ。昇級を急いだのはその為さ。だが正直な話、上の連中は彼ではなくロイクとアニーシャルカに期待している。上層部はクシャルネディア討伐の功績は彼等の物だと思っている。とはいえ十闘級二人の意見を無視することも出来ない。二人は執拗に『クシャルネディアを倒したのはサツキだ』と主張している。俺の予想だが、上層部はサツキに形だけ十闘級を与え、仕事を受けさせ、それで死ぬもよし、生き残ったなら後で闘級を剥奪するつもりだったんだろう。だが会談中に軽々とドーグを殺したことで、彼の実力が本物中の本物だと証明されてしまった。これは嬉しい誤算だ。上は当初の予定通り事を進めるだろう」
「ロイク、アニーシャルカ、そしてサツキの三人に仕事を依頼する」
「おっと、少し喋りすぎたか。後はご想像にお任せするよ」
最後にジェラルドともう一度握手をすると、バルガスは館を後にした。
外には薄暗い暗黒町が広がっていた。
「遅い」
カルネの愚痴をバルガスは受け流し、奴隷を見る。
これからどのような運命が待ち受けているのか、彼女たちに知るすべはない。
「さっさと行こうよ」
「そうだな」
バルガスは口元を歪める。
「我らが女王に『食事』を届けにいくとするか」
そう言うとバルガスは歩き出した。
※※※※※
王都第四区画の地下には暗黒町が存在する。王都の中でも特異な第四区画の、さらに深い闇がそこにある。異種族奴隷の密輸入経路、および奴隷調教・監禁施設。各国闇市場重鎮や一部貴族にのみ解放されるV・VIP専用娼館。掃除屋の回収した死体を解体する闇ギルドの死体処理場、通称【肉屋】と呼ばれるこの場所は、文字通り人肉を扱う。鮮度のよい死体は氷付けにされ、鬼人族や小鬼族の食用に、あるいは闇魔法や呪術の媒体として魔術師が購入する。腐乱した死体に使い道はなく、ゆえに暗黒町最深部に位置する【穴】へ棄てられる。奈落のように深いその縦穴に、誰が最初に死体を投げ棄てたのかは不明だが、いつの間にか地下墓地と呼ばれ利用されている。
その地下墓地の底で、クシャルネディアが眼を覚ます。
捨てられた死体は瘴気を孕み、腐臭は鼠を呼び、穢れた魂は死種を産み落とす。食人鬼、動く骨、死肉鼠・・・地下墓地は低級アンデットの巣窟と化していた。生者を恨む唸り声、骨の軋る音、肉を求める鳴き声。穴の中で反響する怨嗟は止むことがなく、永遠に続くものと思われた。
しかし、もはや怨嗟はない。
低級アンデットの知能は低い。理性もない。ただ本能に従い、殺し、犯し、貪るのみ。そんな彼等が、今はひたすら頭を垂れ、額を地面に擦り付けている。
二月前、祖なる血魔が地の底に舞い降りた。
「死と瘴気の満ちた、良い場所ね。寝室と呼ぶには薄汚れているけれど、何より闇こそが優先されるべきだわ」
クシャルネディアが眠りに就くには、第四区画は喧騒く、明るく、人間臭すぎた。
死種の頂点には四種類の超越魔物が存在する。
魔導を極めた不滅の悪霊 死霊魔導師。
血を糧に永遠を生きる始まりの血 祖なる血魔。
永劫の石化で全てを呑み込む闇蛇 岩蛇の女帝
強大な力を有する存在が、死後邪悪な死者として復活する 蘇りし者。
この四種の中でもっとも高貴な魔物といわれるのが祖なる血魔 クシャルネディアだ。遥か昔、まだ神々が天を統べ、魔神が地を支配していた時代、夜の種族と呼ばれる闇の獣が存在した。悠々の時の中で夜の種族は絶滅したが、その血は今なお様々な魔物に受け継がれ、これからも絶えることはないだろう。血筋の中でもっとも強力な魔物に分類されるのが血魔、そして月の狼の二種だ。血魔は夜の種族の血と魔力を色濃く受け継ぎ、闇の魔法を統べる夜の王と成った。月の狼は夜の種族の牙と爪と強靭な肉体を、獰猛な獣の性質を引き継ぎ、死種ではなく魔獣に、月に吼える狂狼と成った。
岩蛇も太古の血を引く種族ではあるが、夜の種族の血筋ではない。蛇はその姿形から竜血族に縁深い魔物だといわれ、確かに飛竜は竜と毒大蛇の混血であり、両者の間には何らかの繋がりが見出だせるのかもしれないが、詳しいことは不明である。もっとも古い蛇の末裔は夜の種族と同時期に繁栄していた邪蛇龍であり、この蛇は石化魔法を使った最初の魔物だといわれる。おそらく岩蛇の女帝はこの蛇の血を受け継いでいるが、女帝はすでに滅びて久しい。ジュルグ帝国領で恐れられた【闇潜みの石蛇】が最後の一匹だったが、彼女は帝国六大英雄のひとり【蛮勇の騎士】の手によって滅されたといわれる。これにより蛇の血は途絶えた。・・・おそらくは。
死霊魔導師と蘇りし者は少々特殊であり、後天的要因が大きく作用した結果、超越魔物へと相成った異端であり、先天的要因の強い血魔とは毛色が違う。
なればやはり、死種においてもっとも高貴な存在はクシャルネディアであろう。
古の血族である彼女は貴族だ。
低級アンデットからすれば視界に収める事さえ畏れ多い、圧倒的存在。
そんなクシャルネディアが地下墓地に現れた。
彼等に従属以外の選択肢はない。
深い闇は、クシャルネディアが目覚めた事により、さらにその密度を増す。墓所全体を彼女の黒い魔力が満たしている。
「渇くわ」
クシャルネディアの咽喉が上下し、青ざめた舌で唇を舐めた。




