10 ユリシール・ギルド 2
「おいおい、そんな飛び級聞いたことねえぞ」
ドーグの声に
「そりゃそうだよ。前例がないからね」イェスタが答える。「そもそも飛び級自体が希だよね。魔術師なんかだと結構あるけどさ、というかこの前、五等級魔術師のカルネって娘が一気に魔法系最高等級の八等級に飛び級したけど・・・そういやあの娘もクシャルネディア討伐の功績によって等級を上げたんじゃなかった?」
ロイクはイェスタに頷いてみせる。
「そうだよ。禁足地から生還したバルガス、リアン、カルネの三人は皆級位が上がった」
クシャルネディア討伐の功績を讃えられ、バルガスは九闘級狩人に、リアンは七闘級冒険者に、そしてカルネは五等級から一気に八等級魔術師へと昇級している。九闘級傭兵であるネルグイの昇級も検討されたが、十闘級とは王国ギルドへの甚大な貢献と、類い稀ない戦闘センスの持ち主にのみ赦される闘級だ。その重みを知っているネルグイは総支配人に『俺はその器ではない』と、申し出を辞退した。
「残るは一闘級戦士のサツキのみだ。正直な所、名も知らぬ一闘級の男が世界脅威一覧に名を連ねるクシャルネディア・ナズゥ・テスカロールを討伐したなどあり得ない、というのが王国ギルド本部の見解だった。しかし討伐隊の面々の証言、何より我等が十闘級、ロイクとアニーシャルカ両名の証言が一致している事から、本部も考えを改めた。ユリシール王国が『実質的に干渉不可能』と位置付けたクシャルネディアをたったひとりで討伐した。もしそれが事実だとすれば、あの男は間違いなく王国最大戦力。実績、実力、ともに申し分ない。ギルドとしても最高闘級を与えないわけにはいかん。本部は『一闘級戦士サツキの十闘級昇級』を認めようと思う。だがあくまでも我々は裏方、命を賭けるのは現場の役目だ。ならば最後に諸君等の意見が聞きたい。彼が本当に十闘級足り得るのかどうか、その実力に嘘偽りはないか、見極めて欲しい」
「私達が試験官を務めるということか」ギデオンはひとり納得する。「妥当なところだ。前々から王国ギルドの選定には疑問を抱いていた。その男がクズならば、私は認めん」
「見極めるなんていうが、大したことはしないんだろ?」
ソモロンの疑問に
「その通り」
総支配人が首肯する。
「あくまで面談のみだ。実力に関してはロイクとアニーシャルカの証言を信用している」
「つーことは何か?まさかあの野郎、ここに来てやがるのか」
「話の流れからすると、そうなるね」
アニーシャルカとロイクの顔に、若干の緊張が走る。
「なに、アンタたち」それを捉えたアストリッドは不審の眼を向ける。「まさかそいつが怖いわけ?」
「おいおいクソ魔法剣士が怯えるならまだしも、俺を負かしたおめえがそんな顔をするんじゃねえよ。俺のプライドに傷がつくじゃねえか」
「誰が怯えただ?ドーグよお、テメーわたしに喧嘩売ってんのか?性器切り落として一生楽しめないようにしてやろうか」
「その男はワタシが殺すんだから横取りしないでよアニーシャルカ」
「下等な女が俺に一端の口を聞くんじゃねえよ」
「二人とも少し落ち着こう。ドーグ、君もだ」
「やらせとけよロイク。その方がおもしれえ」
「全く、ここには下衆しかおらんな。ユリシール王国が誇る巨大ギルドがこの体たらくとは。王女様がこの現状を知れば、さぞお嘆きになるであろう」
「何でもいいからさっさと終わらせようよ。禁足地行くための準備しなきゃいけないんだからさ」
「・・・こいつが最後の一本か・・・失敗したな・・・」
沸き立つような喧騒が室内を満たす。総支配人はしばらく様子を眺めた。ようやく場が落ち着いてくると、彼は口を開く。
「悪いが諍いはその辺でやめて、面接に入ろう。先程アニーシャルカが言ったように、一闘級戦士のサツキは召集ずみだ。おい、呼んでくれ」
総支配人は扉に向かい声をかける。
「一応オメー等全員に忠告しといてやる」アニーシャルカは円卓に身を乗り出す。「いいか、絶対にアイツに絡むな。行儀正しくしてろ。特にドーグ、オメーが一番血の気が多いから耳の穴かっぽじってよく聞け。最悪絡んだとしても、武器だけは抜くな。テメーが死のうがどうでもいいが『巻き添え』くらうのはごめんなんだよ」
「確かに」ロイクはアニーシャルカに同意する。「サツキくんを刺激するのは得策じゃない。下手をすればこの部屋の全員」
そこで彼は口をつぐむ。
「おいおいロイク、この部屋の全員が何だってんだ?」
ドーグの声をロイクは無視する。
そしてたった今、自分が呑み込んだ言葉を復唱する。
皆殺しにされる。
サツキ自体は、基本的に全てに関心がない。彼は病的といっていいほど周囲に価値を見ていない。ひとたび彼に剣を向ければ殺戮が始まるが、裏を返せば剣を抜かぬ者には無関心だ。問題はクシャルネディアだ。サツキが王都に戻ってから五日後、彼に絡む馬鹿どもが現れた。クシャルネディア討伐に参加し生還した一闘級がいる、という噂は瞬く間に王都に広がっていた。そして報酬が金貨五万枚だということも。ハイエナたちが動き始める。様々な傭兵、剣士、狩人・・・中でも甚大な被害を出したのはシュラフ盗賊団と王国騎士団第五訓練所だ。シュラフ盗賊団は王都までの旅路を狩り場とする大型盗賊団で、王都から四十キロほど南に位置する山脈にアジトを持つ。王国騎士団第五訓練所は第三区画に六つ存在する騎士団の衛戍地のひとつであり、ここにはジェラルドの部下が数多く配属されている。盗賊と金に餓えた王国騎士はサツキの金を巻き上げようと近づき、彼に殺された。そしてクシャルネディアが動く。彼女はサツキへの敵意の有無を判断することなく、全てを殺し尽くした。盗賊団58名、第五訓練所135名、さらには盗賊団の捕虜と奴隷15名、訓練所周囲を歩いていた王都民21名、計229名が喰い尽くされた。ほとんど無差別に祖なる血魔は血を啜った。サツキはそれを止めない。いや、止めるはずがないのだ。クシャルネディアはサツキの【殺戮の剣】。剣が敵を殺すのは当然の事だ。そしてサツキからすれば127人の同胞以外、価値ある命などひとつも存在しない。魔物が、亜人が、そして人間さえ、何人死のうがどうでもいい。
異種族殲滅用生体兵器という災厄が祖なる血魔という災厄を従える。
『剣が必要だ。黒竜の『盾』を砕く『矛』、まさしく殺戮の剣がな』
なぜクシャルネディアを生かしておくのか。
一月前、ロイクの問いに答えたサツキの言葉だ。
『俺は必ず誓いを果たす。必ずだ』
そう言ったサツキの顔は、狂気に染まっていた。
つまり、ロイクの抱える不安はこういう物だ。
『もしこの部屋の誰かが剣を抜けばサツキに殺される。そして関係者として残りの十闘級全員がクシャルネディアに殺される』
その可能性は十分あり得る。
「お連れしました」
声がかかり、扉が開く。
男がひとり立っている。
暗い色調の布を使った、お世辞にも仕立ての良いとはいえない戦士服。武具の類いは見当たらず、しかし腰には黒い棒状の物が差されている。剣の柄のように見える。表面に魔方陣が浮かび、柄頭と鍔に緋色の魔水晶が埋め込まれ、その水晶の内部には幾重にも魔方陣が刻まれている。そう、確かにこれは剣の柄だ。だが肝心の刃が見当たらない。
男が部屋に踏み入る。
灰色の髪。
赤い眼。
一闘級戦士 サツキ。
十闘級八人の視線がサツキに集まる。
「よう。調子はどうよ」
アニーシャルカがサツキに手を振る。
「お前たちか」
サツキはアニーシャルカとロイクを見る。
「お前たちかはひでえな。一緒に禁足地に行った仲だろ?」
アニーシャルカの軽口。
「やあサツキくん」ロイクはサツキの周囲を見回し「『彼女』も一緒かい?」
「アイツには俺の周りをウロチョロするなと言っておいた。鬱陶しいからな」サツキは無表情で言う。「大体アイツは剣だ。剣は殺す為、ただそれだけの為に存在する。だが何を勘違いしたのか、アイツは忠誠心という名目の元、俺を護衛しようとする。身の程をわきまえない女だ」
サツキは凶悪な瞳でロイクに問う。
「このくだらない王都で、俺に護衛が必要だと思うか?同胞が英雄と信じた俺を護だと?アイツの忠誠心になど興味はない。俺が奴に求める物は力だ。ただひたすらに血を貪り、俺の剣として完成する事こそが奴の使命だ。それ以外は些末な事だ」
「話してるところ悪いけど、さっさと始めない?」
イェスタが急かす。
「同感だな。貴様等と長時間一緒にいるのは不愉快極まりない」
ギデオンの賛成。
「ワタシもアンタといると苛つくよ」
アストリッドの軽蔑。
「何でもいい。おれは煙草を買いに行きたい」
ザニッチの憂鬱。
「しかし面接といってもな、俺にそんな経験はないし、お前らにも無いだろう。何を聞けばいいってんだ」
ソロモンの疑問。
「話なんてどうでもいいじゃねえか」
そしてドーグの敵意。
「なあ総支配人、ギルド本部はロイクとアニーシャルカの証言を信じたとしてもな、俺はそうじゃねえんだよ。確かに雰囲気はある。そこらの一闘級じゃなさそうだ。だがそんな野郎は第四区画には掃いて捨てるほどいやがる。この薄汚い野郎がクシャルネディアをぶち殺しただと?どうにも信用ならねえな」ドーグは立ち上がり、鋭利な視線をサツキに注ぐ。「実物が目の前にいるんだ。ちょいと試させてくれよ」
ドーグが両刃剣の柄に触れたと同時に。
「やめるんだ」
「忠告したばっかだろうが。頭沸いてんのか?」
二人が立ち上がる。ロイクは曲刀に、アニーシャルカは曲剣に手をかける。
「なんだそりゃ?てめえ等一体どういう了見だ」
「言ったろうが。巻き添え食らうのはごめんなんだよ」アニーシャルカの眼が冷たい敵意に沈む。「テメーが抜いたらその首撥ね飛ばしてやるよ」
「ドーグ、別に敵対したいわけじゃない。ただ君の為にこうしているんだ。いいかい、絶対に抜くな」
「俺はな、一度剣を抜くと決めたら抜く男なんだよ」
「やめろ」ドーグの腕をソロモンが掴む。「アニーシャルカ、ロイク、お前等もだ。俺たちは十闘級だ。どれだけ理性的に行動しようが、結局闘いに生きるしかねえイカれだ。一度剣を抜いたら収まりなんかつかねえ、勝敗が決まるまで殺り合うのは目に見えてる。だからやめろ。ここは戦場じゃねえ。無駄に血を流すな」
しばらくの間、張り詰めるような緊張感が室内を満たした。何か起きた場合、すぐに行動できるよう全員が臨戦態勢を維持していた。
「チッ、わかったから手を離せや」
そう言うと、ドーグが憎らしげにソロモンの手を振り払った。
ドーグからは敵意が完全に抜けていた。
それを確認すると、十闘級全員は臨戦態勢を解除した。
「まったく君たちは」
総支配人は肩を落とす。
「貴族や王族に接する機会もあるだろうに、もう少し慎んだ行動を心掛けて貰いたいものだ」
「悪いが俺は帰らせてもらうぜ」
ドーグは席に着くことなく、歩き出す。
「まったくよ、俺はこのくだらねえ集まりをすぐに終わらせてやろうとしてるんだぜ?だいたい十闘級が面接だあ?魔術師じゃあるまいし、話し合いで解決しようだと?王国ギルドもずいぶんとふ抜けたもんだ」
扉に向かうドーグは、しかしサツキの背後で立ち止まった。
ロイクとアニーシャルカ、次いで他の面々がドーグの意図に気づく。ロイクは止めに入ろうと動くが、アニーシャルカが制す。
「無駄だぜロイク」アニーシャルカは嗤う。「もう遅い」
すでにドーグは剣を握っていた。
「言ったはずだぜ。俺は一度剣を抜くと決めたら、抜くんだよ」
サツキの背後。ドーグは両刃剣を抜く。完璧な死角から双剣の一閃。その攻撃は、獲物に確実な死を与えるには十分すぎる力が乗っている。サツキの首を切断するために二振りの刃が左右から迫る。ドーグは『試す』と言っているが快楽殺人者である彼に躊躇いなど一切ない。受けきれず死ぬならそれまでの存在、いや、むしろドーグはそれを望んでいる節がある。幼少より剣の天才ともてはやされてきた彼はプライドが高く、故に劣等感も人一倍強い。『一闘級から十闘級への飛び級』という前代未聞の待遇は、たとえ職種が違えど、彼のプライドに傷をつけるには十分すぎる。
(タイミング、スピード、パワー、全て完璧だ)
ロイクでさえ捌くのに苦労するドーグの剣撃、それを背後から放ったのだ。
ドーグはサツキの死を確信した。
だが。
左右から迫る剣はサツキの首に届かない。幾百もの人間と魔物を刻んできた両刃剣は、サツキの掌で止められていた。
「殺す気で抜いたな」
ざらついた声が響いた瞬間、ドーグの全身に鳥肌が立った。いやドーグだけではない。室内にいる人間全員の背筋を電撃のように凶兆が走り抜けた。サツキの纏う空気がガラリと変わる。重く、鋭い、禍々しい気配が室内を支配する。
首だけで振り向いたサツキの眼を見た瞬間。
(ヤバい!)
ドーグはサツキから距離を取った。
彼の心臓が早鐘を打つ。額を汗が流れる。手が震える。サツキの顔をまともに見れず、視線を反らす。人間の眼だとは思えなかった。真っ赤に染まった瞳から、殺意が溢れ出ていた。それは今まで対峙したどのような存在よりも凶悪で、狂暴で、絶望的な殺意だった。
この瞬間、ドーグの圧倒的敗北が決定する。ドラゴンキラー相手にただの人間が勝てるはずがない。だが圧倒的敗北とは技量、力量を示している言葉ではない。それはいわば、精神の問題だ。クシャルネディアのような超越魔物ですら一歩引かざるを得ないサツキの殺意をこの至近距離から浴びて、平静を保てる人間などいるはずがない。ドーグの意識に根ざした本能的な恐怖は彼の腕を鈍らせ、気力を奪い、死を招き寄せる。
肉体だけではなく心まで殺される。それこそが圧倒的敗北。
恥ではない。目の前の男は最強の異種族殲滅用生体兵器、【No.11】。
もしサツキ相手に臆さず立ち向かえる存在がいるとすれば、黒竜か、五統守護竜か、あるいは狼王ボロスと魔狼月牙隊のような頭のイカれた戦闘狂どもか。
なんにせよ、相手が悪すぎた。
なんにせよ、ドーグは無惨な死を迎える。
空を切る音がした。ドーグは咄嗟に双剣を構える。サツキの右腕が振るわれた。双剣でガードをするが、サツキの指が刃に触れた瞬間、凄まじい衝撃が彼の両腕に、さらには全身にかかる。その衝撃を逃がすために、ドーグは飛び退く。
(なんつう力だ!ガードしきれねえ!)
右の刃に亀裂が入り、左の刃が折れる。振り抜かれるサツキの腕。剣を犠牲に、ドーグはサツキの一撃を凌いだ。しかし、本当に凌いだといえるだろうか。ドーグは右手の剣を落とす。血が滴る。右腕の肉が、ごっそり抉られていた。
「なかなか動ける奴だ」サツキは感心したようにドーグを見る。「だがさっさと死ね」
凄まじい殺気がドーグを襲い、彼は右方向に飛ぶ。
着地と同時に彼の左足が吹き飛ぶ。ドーグは体勢を崩す。ドーグの下半身をサツキの蹴りが捉える。右足が吹き飛ぶ。一瞬宙に浮いたドーグの頭部を鷲掴むと、サツキは凄まじい力で壁に叩き付けた。部屋全体が揺れ、壁に穴が開き、穴から血が吹き出す。そこから引き抜いたサツキの手は血と脳漿に染まっていた。頭部を失ったドーグの死体がぐずりと崩れ落ちる。奇しくもドーグは『足裂き魔』の被害者と同じように両足を失って絶命した。
静寂が訪れる。聞こえるのは血の滴る音のみ。
「あいかわらずエグい殺り方をしやがる」
その静寂をアニーシャルカが破る。
「まあさ、あそこで死んでるドーグの死体がアイツの実力を証明してくれたんじゃねーの?」
アニーシャルカの声に、しかし室内は沈黙で答える。
かまわず彼女は続ける。
「というわけで、面接なんてしなくていいんじゃね?」




