5 モンストルズ・タイム
ミロとリロは床に座り込み、お互いの頬に付着した血液を舐め合う。まるで百合の花のように可憐で、華奢で、そして恐ろしい双子の少女だ。顔も、声も、体つきも、何から何まで瓜二つだ。差異があるとすれば栗毛色の長い髪。ミロは右のサイドテール、リロは左のサイドテール、あたかも左右対称を演じるように、二人は左右に髪を結う。
「毎日こんなに楽しめるなんて」
「うん、とっても幸せだね」
お互いに呟き、拷虐の双子は微笑む。二人は血の海の中にいる。地下室だ。何人もの人間の死体が、壁に杭で磔にされ、梁に吊るされ、虚無を見つめている。ひとつとしてまともな死体はない。欠損と、苦悶と、絶望の刻まれた物ばかり。異名の通り、双子は拷問と虐殺を何よりも楽しむ。エルフ、オーク、コボルド・・・これまで殺してきた亜人種の数を彼女たちは覚えていない。数百、数千、食事から切り離された純粋な殺戮。しかし人間を殺したことは数えるほどしかない。クシャルネディアは人界を静観していた。始祖の行動は、たとえ言葉にしなくとも眷族を呪縛する。真祖第五階級【闇王】と云えど、始祖の血に抗うべくもない。二人は人間の悲鳴が好きだ。恐怖が好きだ。血が好きだ。クシャルネディア消失の噂に、血魔たちは歓喜する。これで好きな様に生きられる。特に序列二位の闇王は続々と動き出す。祖が消え、次の覇権を握るために。玉座への道は開かれた。
「ミロ様、リロ様。ドラキス様がお目覚めになりました」
静謐な佇まいの男が双子に告げる。従者の下層血魔だ。
双子は立ち上がると手を繋ぎ、地下室を後にする。闇に沈む階段を抜けると広間に出た。フューラルドの地方都市、そこに住まう貴族の館は、いまや血魔集団の根城と化した。広間のいたるところに下層血魔と上級吸血鬼が蔓延っている。彼等は双子が現れると、深々と頭を下げる。窓から射し込む夕陽はすでに力を失い、夜気が香る。町は死で溢れている。住人は全て食人鬼に転化しているか、食用として監禁されてある。
「やあ皆、今日も良い夜が始まるね」
頭上から声。二階へ続く階段からひとりの男が降りてくる。血族の前に立つと、優しく微笑んだ。女のように艶やかな金髪を腰まで伸ばした、細面の優男。
「「ドラキス様!」」
双子は歓声を上げ、ドラキスに駆け寄る。さながら飼い犬の体だ。同序列でありながら、ミロとリロは目の前の【闇王】に仕えている。
ドラキスはジュルグ帝国最東部、その向こうに広がる未分類地、そこに建つ古城に住まう血魔だ。おそらく現存する闇王の、その中でも一二を争う力を持っており、故に同序列の拷虐の双子を御し、多くの配下を持ち、始祖の後釜に座る最有力候補と噂されている。彼は双子を傍らにはべらせ、眼前の配下を見渡し、満足そうにうなずく。眷属の数こそが力の証だとドラキスは考える。この配下の魔物こそ、私の実力の左証なのだ、と。
「この町はもう喰い尽くした。次の狩場に移動しようか」
ドラキスの言葉に、血の魔物が歓喜する。
すでにフューラルドは帝国騎士団と帝国ギルドの連携によって封鎖されている。街道には厳重な警備がしかれ、等間隔に配置された魔術師が探知魔法を張り巡らしている。ドラキスの言う狩場とは、その警備団の駐屯地だ。騎士とギルドを虐殺し、ジュルグへの宣戦布告とする。そのまま帝都に攻め入りるのもいいかもしれない、と彼は考える。クシャルネディアから解放された彼は、破壊衝動を抑えない。さらなる力を求め殺し、喰い、荒らす。クシャルネディアの玉座に座るのは私だ。野心がドラキスを満たしている。
「悪いがもう一晩、この町に留まっていてくれないか?今夜だけでいいんだ」
軽薄な声が笑った。屋敷の大扉が開き、男が広間に入ってくる。藍鉄色の鎧を着た男だ。ザラチェンコだ。
「本当に今夜だけでいい。これから一匹の人狼がこの町を訪れる。奴の狙いは君たちだ。そして俺の狙いは人狼だ。君たちは大事な囮だ。餌、と言いかえてもいいが君たち血魔はプライドが高いからそんな下品な呼ばれ方は好まないだろう?なんと呼べば・・・いや、失礼、無駄話が過ぎるな。昔からどうにも俺は口が多くてね。そうだ、思い出した。アレは俺がまだ幼少の頃だ、夏だった。いや冬かもしれないな。どうにも記憶が曖昧だ。とにかく、この無駄口が災いしてある事件に」
「貴様は誰だ?」
ドラキスはザラチェンコの話を遮る。
「それは哲学的な問題かな?自分とは何か、意識は何処に宿るのか、俺は一体何者なのか」
「殺せ」
いい放たれたドラキスの言葉に、二体の上級吸血鬼が応える。ザラチェンコに向け飛び掛かる。だが吸血鬼の爪がザラチェンコに触れる前に、二体は石になっていた。ザラチェンコの右手で岩剣が生成される。彼は石像となった吸血鬼の一体を剣で砕く。細かな石塊と化し、崩れ去る。もう一体の石像を地面に倒し、ザラチェンコはそこに腰掛ける。
「思ったよりも座り心地がいいな。吸血鬼は椅子に向いているらしい。新しい発見だ」
「貴様、人間ではないな」
「なぜそう思う?」
「石化魔法は遺伝魔法だ。特定の魔物の血筋しか扱えない」
「御名答」ザラチェンコは拍手する。「さすがは闇王、伊達に長く生きている訳じゃないな」
「それで、貴様は誰だ」
「うぜぇ死体どもだ」
少女のような、あるいは少年のような声が答えた。凄まじい衝撃が館全体を揺らし、壁が吹き飛ぶ。土煙の中から中性的な少年、あるいは少女が現れる。レヴィアだ。右肩から三本、巨大な触腕が生えている。彼女が体内で飼っている家族の一匹、海巨触の物だ。触腕には回転式の鉤爪がびっしり生えており、触手の先端には一際巨大な鉤爪が目立つ。触腕は血と肉で染まっている。レヴィアに近づく食人鬼と吸血鬼はこのグロテスクな触手に殺し尽くされた。
「鬱陶しい死人がゴキブリみたいに集ってる町だなー。イラつくんだけど」
「君は今朝から気が立っている。カルシウムが足りないんじゃないか?」
「うるせえなザラチェンコ。お前の無神経な無駄口が僕のイラつきを増長させてるんだよ。少し口を閉じてろカス」
「そういう君は顔に似合わず口が悪い。もう少し清楚な言葉遣いを覚えた方がいい。良ければ俺が指導しようか?まあ君の場合、まず礼儀から知るべきだな。とりあえず」
言い終わる前に、ザラチェンコを触腕が襲う。超高速で叩き付けられた触手の衝撃に、地面が割れ、屋敷が半壊し、余波で家々が崩れる。
「仲間割れは禁止だと言われただろ?」
瓦礫の中からザラチェンコの声。彼の左半身を包み込むように、巨大な岩の盾が形成されている。触腕の鉤爪がいくつも食い込み、しかし盾に阻まれザラチェンコに届かない。
「これは僕の意思じゃない。主を侮辱されて海巨触が怒っただけ」
「なるほど忠誠心ゆえの行動というわけだ。なかなか泣かせるね」
瞬間、無数の血の槍が二人に放たれた。レヴィアは触手で防御し、ザラチェンコは岩剣で叩き落とす。
苛立たしげに眉を歪ませたドラキスが二人を睨んでいる。
「貴様らは一体、何者だ」
「地獄に堕つ五芒星」
レヴィアは『お前には欠片も興味が無い』といった調子で告げる。だがドラキスの方はその名に興味を示した。
「ヘル・ペンタグラムだと?」
闇王のように上位の存在であり、かつ世界の闇に深く潜るドラキスはその名に聞き覚えがあった。膨大な魔力と強大な戦闘力を備えた超越魔物、彼等は集団を作り、闇の底で何やら企んでいる。目的も面子も一切が不明の化け物集団。名をヘル・ペンタグラム。
だが
「ヘル・ペンタグラムは有名な噂だ。故にその名を騙る輩は多いと聞く。貴様らもその類いか」
「別に信じてもらおうとは思わないが、虚偽者呼ばわりとは、いささか傷つくね」
「信じるも何も、貴様は魔人だろう」
「これは驚きだ。気取られるほど隙を見せたつもりは無かったんだが」
「石化魔法を使っておきながら人間の臭いしかしない。だとすれば、おのずと答えに辿り着く」
「なるほど。俺はどうにも詰めが甘くていけない」
「穢れた血が超越魔物を名乗るなど」ドラキスは鼻で嗤う。「滑稽を通り越して腹立たしくすらある」
ドラキスに同調するように、血魔たちはザラチェンコに軽蔑の眼を向ける。純血をもっとも重視する彼等からすれば、人間や亜人以上に魔人は唾棄すべき存在だ。
「穢れた血?」
ザラチェンコの顔から表情が消える。
「聞き間違えだと助かるんだが・・・今、俺に穢れた血と、そう言ったのか?」
「薄汚い混血が、ドラキス様と言葉を交わすなんて」
「赦せないです。汚血が移ります」
ミロとリロの言葉。
「そうか」
ザラチェンコは肩をすくめる。
「君達は囮だ。たんなる撒き餌だ。だから俺は君達の生死になど頓着していなかったんだが・・・こんな話がある。ある村に酷く愚鈍な少年がいた。そいつは何を言われても反論せず、何をされても、それこそ殴られようが蹴られようがニコニコ笑っているだけで、村中から馬鹿にされ、迫害され、しかしそれでもニコニコしていた。そうやって笑っていればいずれ村人に受け入れられると思てたんだろうな。哀れだよ。だがその愚直な哀れさは健気じゃないか?普通そんな状況に置かれた人間は発狂しそうな物だが、彼は普通じゃなかった。少年には誇りがあったんだ。父と母だ。少年の両親は、彼が物心つく前に死んでいる。少年を生かすために、両親は戦って死んだんだ。少年はそんな父と母の血を誇りに思っていた。ある日、村の悪ガキどもが少年を袋叩きした。驚くべき事に血を流し、痣を作り、それでも少年は笑っていた。そんな姿が悪ガキたちの癇に障ったのだろうな、一人が少年を『穢れた血』と嘲った。その言葉はすぐに伝播し、全員が『穢れた血』と嘲笑った。・・・知ってるかな?人にしろ魔物にしろ、絶対に赦せない言葉と言うものが存在するんだ。少年はその夜、村人全員を皆殺しにした」
ザラチェンコの顔面に皹が入り、肌が崩れていく。蛇と人の交わったザラチェンコの『本当の顔』が現れる。目元、鼻梁、首筋から生える薄茶色の鱗。二又に別れた長い舌。そして蛇の魔眼。ザラチェンコの全身から薄ら寒い冷気のような魔力が立ち上り、湿り気のある圧力が血魔たちにのし掛かる。ザラチェンコは快活に告げる。
「まあ、そう言うわけで君達を殺そう」
「ハハッ、ザラチェンコ、お前のイカれ方、嫌いじゃないぜ」レヴィアが楽しそうに眼を細めた。「僕たちはヘル・ペンタグラムなんだ。そうじゃないとね」
レヴィアの全身で巨大な牙が、長大な触腕が、鋭利な尾鰭が蠢く。
二体の超越魔物が冷酷に嗤う。
その時、遠吠えが響く。
※※※※※
ガルドラクは高台から町を見下ろす。雪の積もった家屋や商店街、豪奢な館などが無数に広がり、しかしその窓には明かりひとつない。全てが闇に沈み、徘徊するは食人鬼の群れ、町は死で満ちている。月光だけが世界を照らす。十三月夜。あと数日で満月。
長寿人狼の両眼は月光を反射し、金色に輝く。古来より月は魔性の者共に強大な力を与えてきた。とりわけその力を存分に引き出してきた種族は人狼。ガルドラクは月光を浴び、月の魔力をその身に蓄える。ゆえに月の狼。
魔獣狩り。
それは同胞を殺す者。
ガルドラクは戦闘狂だ。
戦いに執り憑かれている。
飢え、渇いている。
その渇きは、120年前から加速する。
あるいは今とは違う未来もあったのかもしれない。120年前、ガルドラクは人狼集団に所属し、同族と共に暮らしていた。そこには仲間がいた。親友と呼べる雄がいた。愛した雌がいた。だが彼等は死んだ。あるいはガルドラクが『殺した』と云えるかもしれない。その日、人狼集団の前に一匹の飛竜が現れた。ガルドラクはまだ若く、長寿人狼では無い、ただの人狼だった。しかしその頃から彼の戦闘力は他を圧倒していた。救おうと思えばガルドラクは友を、愛した女を救えたかもしれない。だがガルドラクはそうはしなかった。同族が飛竜に喰い殺されるのをただ傍観した。ガルドラクは初めて見る竜血族に圧倒され、そして血が滾った。その魔力に、その圧威に、全身が火山のように噴火しそうだった。
いつからかわからない。物心ついた時には、ガルドラクの中に飢えがあった。渇きがあった。肉を喰おうが、雌を抱こうが、その『飢え』と『渇き』が満たされることは無かった。焦燥がつのり、自分の存在がぼやけ、しかしそれから逃れることの出来ない絶望感。ガルドラクは今も倦んでいる。だが当時彼が抱えていた倦怠は、現在の比ではない。
そこに『敵』が現れる。
オレの求めているモノはこれだ。
ガルドラクは確信する。
笑い合える友でも、幸せを分け合える女でも、まして血を分けた子供でもない。そんなモノは邪魔なだけだ。
ガルドラクは完全に自覚したのだ。自分の欲望を。自分の本能を。自分の目的を。オレが『何』を求め『飢え渇いている』のかを。飛竜が同族を喰い殺すのを眺めながら、ガルドラクは答えを手に入れた。
強大な敵との死闘こそ、オレの生きる目的。
当時は遥かに格上の飛竜に、ガルドラクは襲い掛かる。三日三晩の激闘の末、ついに彼は飛竜を仕留める。全身の骨が砕け、肉が裂け、致死量を越えた出血を無視し、ガルドラクの牙は飛竜の首を喰い千切った。己の生死を度外視した戦い方をガルドラクが身に付けたのはこの時だ。死の淵をさ迷い、肉体が慟哭を上げ、しかしだからこそ空腹は貪婪に輝き、ガルドラクは飛竜の死肉を喰らい、血を啜り、臓物を呑んだ。竜血族の血肉が人狼の生を繋ぎ止めた。月日が過ぎ、ガルドラクは快復する。完全に。完璧に。完治後、彼が最初に行ったのは、自らの去勢だった。鋭い鉤爪で睾丸を抉り取り、血にまみれたそれを放り投げた。もう必要なかった。親友を、愛した女を、同族を自分の欲望のために見殺しにした。オレのような存在は子孫を残すべきではない。なぜなら、オレはオレのみの為に生きる事を選んだからだ。オレの血など受け継がれる必要はない。なぜなら、オレはオレの生涯で最強になるからだ。
ガルドラクは戦闘狂。
飢え渇く狂狼。
故に、強い。
最強の人狼。
まさしく、魔獣狩り。
眼下に死の町。獲物は血魔の集団。多少は楽しませてくれよ。ガルドラクはそう思う。そして狂暴に言い放つ。
「狩りの時間だ」
ガルドラクの遠吠えが大気を震わせた。
※※※※※
「来るぞ」
「らしいね」




