4 ザラチェンコ
空が白みはじめている。ジュルグの国境砦は沈黙している。約二百名の帝国兵士の駐屯するこの砦は、一夜にして落とされた。いや、蹂躙された。
「遅い。イラつく」
少年のような、あるいは少女のような声が響いた。
朝靄の中にレヴィアの姿が浮かび上がる。透けるような薄水色の髪、非常に中性的な、少年とも少女とも思える顔立ち。剥き出しの手足はすらりと長く、不気味なほど蒼白い。
身を裂くような寒風が吹き抜けるが彼女(レヴィアの性別は不明だが、便宜上『彼女』に統一する)はまったく気にする風もない軽装で砦の中庭を歩く。大量の血液と喰い千切られた手足が散らかっている。レヴィアは足元の逆五芒星を爪先でなぞる。彼女が血で描き、【夜明けまで待つ】のメッセージを添えた地獄に堕つ五芒星。この砦が彼女に襲撃されたことは、すでに帝国に知れ渡っている。先ほど斥候が訪れた。レヴィアは数名の騎士の内ひとりだけ見逃し、残りを皆殺しにした。この砦の兵士同様に。
「お腹いっぱい?」
レヴィアは自分の胸を撫でながら呟く。彼女の体内で何かが蠢く。
「まだ食べたいの?食いしん坊な家族だね」
くすくす笑い、レヴィアは点在する石椅子に腰掛ける。
「人間なんかいくら喰ったって満腹にならないよね。でも待ってて」彼女はゾッとするような表情を浮かべる。「もうすぐ『大物』を食べさせてあげる。美味しいかどうかは知らないけど」
薄闇の彼方から鉄靴の音が聞こえ、やがて三人の騎士が中庭に現れた。レヴィアが帝国に侵入してから初めて見る鎧の色だった。三人は藍鉄色の武具に身を包んでいた。
「不思議だ。数刻前に虐殺の起きた砦に、どうしてあんな少女がいるんだ?」
軽薄そうな声が笑った。
「騎士長、下がってください」
「あれは魔性の類いです」
騎士長、ザラチェンコを二人の殲滅騎士が制する。彼等はザラチェンコを守るように前方に踏み出すと、剣を抜く。
レヴィアは怠そうな眼で殲滅騎士を射る。彼女の身体が内側から波打ち、蒼白い肌から巨大な乱杭歯が何本も飛び出してくる。その牙は大海の凶獣、海巨獣の物だ。水を司る水精魔はその身に想像を絶する水魔力を宿している。レヴィアは体内で何体もの巨獣を飼い慣らしている。
「人間を食べるのはもう飽きたんだけど」
「個性的な身体だな」
おぞましい光景に二人の殲滅騎士は息を飲むが、ザラチェンコの軽口は止まらない。
「しかし女にも男にも見える不思議な魔物だ。性別はどちらなんだ?下はどうなっている?下というのはつまり、性器の事だが」
「うるせー人間だ。殺されたいのか?まあ、確実に殺すけどさ」
「悪気はないんだ。元々こういう性格でね」いつの間にかザラチェンコは剣を握っている。束から刃先までが灰白に染まった、無骨な剣。彼の肌とまったく同じ色だ。それは『石化魔法』によって生み出された岩剣だった。ザラチェンコはその剣で護衛の二人の首を撥ね飛ばした。噴水のように血が噴き上げた。『一体何が起きた?』何一つ理解できぬまま、二人は絶命した。
「無駄死にだな。護衛は要らないと言ったはずなんだが。なあ、お前たち?仕事に忠実なのは美徳だが、時と場合を選ばなければこうなる。出る杭は打たれるのさ。教訓としては面白いが・・・まあ、もはや俺の声も聞こえないか」ザラチェンコは肩をすくめレヴィアに笑いかける。「遅れてすまなかった。こう見えて俺も忙しくてね」
レヴィアは首をかしげたが目の前の光景とザラチェンコの言葉を総合し「ふーん?じゃあイビルヘイムの言ってた『帝国の同胞』ってのはお前のこと?」
「そうだ。初めましてお嬢さん。何と呼べばいい?」
レヴィアは首筋の髪を掻き上げうなじを晒す。白い肌に逆五芒星が刻まれている。
「レヴィア・リュリュサタン」
ぞんざいな口調で言い放つ。
「いい名前だ」
そう言うとザラチェンコは右腕から籠手を外す。灰白の肌にヒビが入り、砂のように表面が崩れ去る。現れたのは蛇の鱗に覆われた薄茶色の腕。人間の物ではない。手の甲には逆五芒星の刻印。「俺は殲滅騎士団騎士長の」そこまで言ってザラチェンコは額に手を当て、大仰に首を振る。「いやすまない。どうにも人間として振る舞う事の方が多くてね」気を取り直したよう正面を見つめるザラチェンコの眼は、もはや人間のそれではない。縦に伸びた瞳孔。鋭い眼光。まさしく蛇の魔眼。
「地獄に堕つ五芒星がひとり、ザラチェンコ・ホボロフスキーだ」
ザラチェンコの気配が一変する。殺気も生気も感じさせぬただの人間から、不気味な魔力を纏った魔物へと。
「へえ、完全に魔物の臭いを消せるんだ。人間かと思ったよ」
「俺の擬態は完璧だ。人狼の鼻すら欺くほどに」
ザラチェンコは全身を極薄の『岩』で覆い、魔力を消し去る事ができる。しかしそれだけで自分の正体を完璧に秘匿することは難しい。魔物には独特の気配があり、騎士団やギルド関係者などその方面に鋭敏な人間を騙すことなど不可能に近い。ましてガルドラクやレヴィアのような超越魔物ともなればなおさらだ。ではなぜザラチェンコは完璧な人間を演じられるのか?答えは簡単だ。
「俺は魔人なんだよ」
「血混じりか」
レヴィアは侮蔑するように鼻を鳴らす。
「おいおい、俺達はヘル・ペンタグラムの同類だろう?そういう蔑称で俺を呼ぶな」
冗談めかした調子で言うが、ザラチェンコの眼は笑っていない。
【魔人】とは混血を意味する言葉だ。魔と人。その間に産まれた存在を魔人と呼ぶ。魔物にしろ人間にしろ、古来より純血を重んじる観念が浸透しており、魔人は差別の対象とされてきた。ザラチェンコも幼少の頃、あらゆる差別を経験している。魔物に蹂躙され、人間に殺されかけ、しかし彼は生き残った。ザラチェンコの母親は『闇潜みの石蛇』の名で畏れられた岩蛇女であり、父親は帝国六大英雄のひとり蛮勇の騎士だった。どういった経緯で二人が出逢い、愛し合い、子を産むに至ったのかわからない。だが、石蛇の魔力と英雄の血はザラチェンコに隔絶した力を顕現させた。まさしく覚醒したザラチェンコはこれまで関わった全ての人と魔に仇なした。永劫の石化で都市を滅ぼし、英雄の剣術で死体を積み重ねた。そして人の皮を被りのらりくらりと生活を始めた。商人となり物を売った。冒険者となり旅をした。傭兵となり戦場を荒らした。そして、死霊魔術師が彼の目の前に現れる。
ザラチェンコの殺気を無視し、レヴィアは喋る。
「僕が何のためにジュルグに来たかわかってる?」
「もちろん。魔獣狩りだろ?そのわりには無駄な殺しが目立つがな。君のせいで殲滅騎士団は大忙しだ。俺と連絡を取る為だけに砦をいくつも潰されては困るな」
「人間の事情に興味はないし、お前だってもうすぐ帝国を捨てるんだからどうだっていいだろ。イビルヘイムから連絡いってるでしょ?そろそろ『刻が充ちる』って。全員が塔に集結する。国堕しが始まるわけ」レヴィアは少女のように、あるいは少年のように無邪気に笑う。「その前に魔獣狩りの件を片付けたい。クシャルネディアは勝手に死んだらしいし、そうなると残るはこの国の人狼。引き込めるなら仲間にするし、拒むなら殺す」
「俺が思うに、ガルドラクは拒否するだろう」
「じゃあ仕方ない。殺すよ」レヴィアの全身から海巨獣の咆哮がこだまする。「僕と、みんなで」
「そして俺か」
「はあ?お前は案内人として呼んだんだよ。この国の地理なんて知らないし。殺すのは僕の役目だ。アレは僕の獲物だ」
「簡単に言う」ザラチェンコは鋭い視線をレヴィアに投げる。「魔獣狩りを甘く見るな。ジャルガ山岳の飛竜を一人で喰い尽くした魔狼だ。そこらの人狼と同じに考えるな」
「ま、血混じりには無理だろうね」
「先ほど忠告したはずだ。俺を蔑称で呼ぶなと」
「汚血が図に乗るな」
「『口は禍の門』という諺を知っているか?」
二人を中心に空気が張り詰める。大量の血の臭いに釣られ砦の周辺を彷徨いていた雪大狗や一角猿の群れが猛烈に逃げ出す。あらゆる凶兆を含む二人の魔物の殺気がぶつかり、渦巻き、膨れ上がる。
「俺が剣を抜けば、貴様は死ぬ」
「大口を叩くなよ。所詮人間だろ」
『やめろ。仲間内で何をしている』
もはや衝突は避けられない、それほどまでに緊張した空間に、くぐもった声が響いた。ザラチェンコとレヴィアは声の上がった方向を同時に見る。ザラチェンコの殺した殲滅騎士の死体が黒く泡立ち、溶け合い、原形を失ったかと思うと、まるで粘液生物のように伸び上がり、漆黒の人形と成った。頭部から二本、山羊のような角がせり出している。
「なんだよ、まさかずっと見張ってたんじゃないだろうなイビルヘイム。気持ち悪い」
『私がそんな無駄な事に時間を割くと思うか? 君がザラチェンコと合流したか確認するために顕現しただけだ。たまたまお誂え向きな死体が二体転がっていて助かった。依代としての質は低いが、会話程度なら問題なく行える』イビルヘイムは溜め息をつく。『それより君達は一体何をしようとしていた? 【国陥落】を控えたこの時期に、仲間割れだと? 戦力を増やすならまだしも、減らすことに尽力するとは理解できないな』
「この魔人がウザくてさ」
『レヴィア、君は頭にすぐ血が上る。悪い癖だ』
「何をやろうが自由なのが地獄に堕つ五芒星じゃねーの?」
『そうだ。だが我々が禁じている事が二つある。仲間割れ、そして裏切り。これ以上やるというなら除名するぞ?君もだザラチェンコ。いつもの軽口はどうした。常に冷静沈着、どんな状況でも熱くならず、無駄口を叩きながら淡々と任務をこなすのが君の長所だ。私を失望させないでくれ』
「悪かったイビルヘイム」ザラチェンコは両手を上げ降参する。「血の事を言われて苛ついてしまっただけだ。以後気を付ける」
『魔人にとって血筋はウィークポイントだろう。なるほど、理解した。君の謝罪を受け入れよう』
漆黒の人形がレヴィアを向く。無言の圧力が彼女にのし掛かる。
「わかったよ」怠そうにレヴィアは頭を掻く。「これから面白くなるってのに蚊帳の外に置かれるなんてのは最悪だ。僕が悪かった」
イビルヘイムはしばらく沈黙していたが
『良いだろう。反省は見られないが、君にそれを望むほど私も君を理解していない訳じゃない。子供のように無邪気な悪意、暴力、殺戮、それが水精魔レヴィア・リュリュサタンの持ち味だ。まあ無理だと思うが、以後仲良くしてくれ』
「出来たらね」
「善処する」
『それは良かった。悪いが依代がもう持たない。魔獣狩りは君達に任せよう。・・・最後にひとつ、ジュリアーヌから言伝てを預かった。【人狼の体毛が黄金に輝きだしたら気を付けろ】だそうだ。では、健闘を祈る』
言い終わると同時に、黒い人形が崩れ去った。中庭に朝日が射し込んだ。聖なる光が二人の魔物を照らし出す。清々しい風が吹き抜ける。夜が終わり、朝が始まる。
「じゃ、喧嘩は忘れて仕事の話をしよーぜ?」レヴィアはザラチェンコを見る。「魔獣狩りは何処にいる?」
「ガルドラクは一ヶ所に留まる事をしない男でね。正確な位置はわからない。だがこれから奴が何処へ向かうのかは知っている。魔獣狩りは血魔を潰滅させるため、フューラルド地方に向かう。現在フューラルドの一画は隔離地域に指定されている。人間は全て避難しているか、歩く死体になっている。まさに死の町だ。目障りなのは血魔だが、しかし俺達からすれば死人など虫けらも同然、邪魔は入らない。存分に殺り合える」
「野犬狩りには持ってこいってわけね」
「というわけで」
ザラチェンコはひとつ手を叩き
「俺達も死の町に赴くとするか」
そして地獄に堕つ五芒星が蠢き出す。




