2 デミ・シェイカー
巨大な絶壁が前方に出現する。あたかも世界を断絶するかのように聳える山だ。長い歳月をかけ岩と氷が幾万もの層をなし、ついに形作られた過酷な巨岩。ガルドラクはその麓で足を止める。絶壁には幾つもの洞窟が口を開けている。そのうちのひとつに、人狼は眼を向ける。篝火が夜闇に揺れ、数人の獣頭が歩哨に立っている。彼等はガルドラクの姿を認めると、緊張したように背筋を伸ばし右拳を顎に当てる。これはコボルドの礼だ。ガルドラクは雪を踏み分け、彼等の前に立つ。
「アウグストの野郎は?」
「部屋に」
ガルドラクは頷き、洞窟に入り込む。
洞窟内は壁や天井に炎魔法【照明】が灯されている為、洞窟内は薄明かるい。しばらく歩くと、大きく開けた場所に出た。静寂が破られる。喧騒が渦巻く。様々な種族が至るとこに散見される。ここは【亜人の坩堝】と呼ばれるアウグストの亜人ギルド。小鬼、醜鬼人、低級吸血鬼・・・亜人や死鬼が仕事をし、酒を酌み交わし、金を払い合う。ガルドラクは無造作に喧騒を突き進む。広場は一瞬沈黙に包まれるも、すぐさま騒音が戻ってくる。皆、知っているのだ。この長寿人狼は亜人など歯牙にもかけないと。魔獣狩りが興味を持つのはただひとつ、圧倒的な強者のみ。だから彼等はガルドラクに道を開け、視線を向け、しかし干渉しない。唯一獣人族だけがガルドラクに敬礼する。歩哨の獣頭もそうだが、獣血の濃い獣人たちは、魔獣であるガルドラクに並々ならぬ恐怖を抱いている。自分たちと人狼を分かつ隔絶した気配に、畏縮してしまう。
「奴は・・・!」
「まさか、魔獣狩り?」
「アレが噂に名高い人狼か」
「なるほど、確かに凄まじい圧だ」
小鬼と話していた一団が、ガルドラクを見て口々に呟いた。藍鉄色の鎧姿の男たち、人間だ。亜人種の中にあって、その体格は他と引けを取らないほど鍛え抜かれている。剃刀のような視線をガルドラクに注ぎ、しかしそこに敵意は含まれず、あるのは絶対的強者に対する敬意のみ。帝国領にあって藍鉄色の鎧を身に纏う事の赦された騎士団はただひとつ。ジュルグ帝国第八殲滅騎士団。帝国に仇なす者を国内外区別なく排除し、一から十までの帝国騎士団を監視、背信者を見つければ処刑し、離反者が逃亡を図れば何処までも追跡しこれを処理する。その残忍さと執念深さからついた異名が【帝国の猟犬】。猟犬どもの信ずるは力のみ。たとえ敵国の人間であろうと、醜い亜人種であろうと、そして魔の住人であろうと、力ある者こそが正義。まして帝国のみならず隣国にさえその名を轟かす最強の人狼【魔獣狩り】は、彼等の理想その物である。
ガルドラクは殲滅騎士たちを一瞥し
「猟犬どもか」
ひとりごつ。
亜人の坩堝は人間にも仕事を紹介し、またこちらが引き受ける時もある。『私からすれば人間も死人も亜人種の一部だ』というのがアウグストの考えであり、このギルドに種族の垣根はない。そういう意味ではユリシール王国を中心に闇市場を支配する闇ギルドに性質が近く、それもそのはず、このギルドの支配人アウグストはもともとユリシールの裏世界で活動していた上級鬼人だ。彼はあの国の異種族への差別意識が年々増幅していくのを感じ、三十年前この地に居を移した。それから十五年後、異種族廃絶運動が巻き起こり、五万人の罪なき異種族が虐殺される。『ユリシールの人間たちに自覚は無いだろうが、あの国はイカれている』ことあるごとにアウグストはそう言い、ユリシールを非難する。とはいえ彼はいまだに闇ギルドとのパイプを切っていない。使えるものは全て使う、これもアウグストの口癖だ。
広場を抜けたガルドラクは細い通路に入る。この先にアウグストの部屋がある。扉の前には彼が厳選した護衛が立っている。だが今日は違った。護衛の亜人種に混じって立っているのは藍鉄色の鎧。なぜこんか所にまで猟犬が?その疑問は部屋に入り解消される。
洞窟内とは思えない、豪奢な部屋だ。中央に一枚板の高級テーブルが置かれ、そこに二人の男が着いている。一人は深緑の肌を持つハイオーク、アウグストだ。オークにしては比較的整った顔立ちをしており、大きな鼻も、潰れた目元も、見ようによっては醜悪な野性味と捉える事ができる。彼の向かいにもう一人が腰かけている。黒髪の、灰白の肌を持つ、酷薄な瞳の男だ。藍鉄色の鎧は所々剥げ、鋭く傷つき、しかしそれが歴戦を物語り、広場で目撃した猟犬どもにはない、冷たい雰囲気を醸している。
「ガルドラク?」アウグストは眉をひそめ「一体どうし」
「お前の部下のクソオークがオレにふざけたマネをした」
ガルドラクはアウグストの言葉を遮る。
「何があった」
人狼は牙を剥き、語る。
事の顛末を聞き終えるとハイオークは溜め息をつく。「アイツ等、まさかそこまで馬鹿だったとは」
「身の程をわきまえない者は死ぬべきだ」
黒髪の猟犬が嘲笑する。彼は立ち上がり、篭手を外すと、ガルドラクに手を差し出す。
「帝国第八殲滅騎士団、騎士長のザラチェンコ・ホボロフスキーだ」
ガルドラクはその手を握る。ザラチェンコの肌は岩のようにゴツゴツと固かった。
「こんな処で我が国最強の魔狼、ガルドラク・ド・ガルガンジュに御目にかかれるとは光栄だ。実は以前、二回ほど君と遭遇したことがあるのだが、俺を覚えているかな?」
「記憶にねえな」
当然か、ザラチェンコは嘆息する。「君のような超越魔物からすれば、俺のような人間など風景の一部に過ぎないのだろう。わかっていた事だ。だからこそ、以後お見知りおきを願いたい。蛇蝎のザラチェンコとも呼ばれ、そこそこ名も通っている。覚えておいて損はないはずだ」
最後に力強く人狼の手を握ると、ザラチェンコは手を離した。ガルドラクは感心する。オレと相対し息ひとつ乱さず、さらには平然と手を差し出した。肝がすわっている。なるほど、猟犬の長なだけはある。が、同時に不思議に思った。この男からは何も感じない、と。殺気はおろか闘気も生気も、さらには魔力さえ感じない。殲滅騎士団騎士長という地位についていながら、まるでただの人間と変わらない男だ。
「聞くだけ無駄だと思うが、アイツ等は?」
ガルドラクが腰を下ろすと、アウグストは質問した。
人狼は首を掻き切るジェスチャーで答える。
「あの三人は流れ者でな」アウグストは苦々しい表情を浮かべ肩をすくめた。「色々な国で様々な集団に所属し、そのことごとくから追い出されてきたアウトローだった。まあ、とはいえ多少は役に立つだろうと私が拾ってやったんだが、まさかお前の報酬に手を出すほど自制心が抜け落ちていたとは。手痛い誤算だ。・・・代わりの『肉』を用意する。それで勘弁してくれないか」
「誠意を見せろ。オレが望むのはそれだけだ」
「すぐに極上の肉を用意させる」
アウグストは部屋から出て、すぐに戻ってくる。おそらく護衛の亜人に指示を出したのだろう。
「しかしベストなタイミングで俺は魔獣狩りに出会えたものだ。なあ?」ザラチェンコは愉快そうにアウグストを見やる。「まったく」とアウグストは同意する。そのやり取りの意味が掴めず、ガルドラクは眉を歪める。
「実はな、こちらの騎士長殿から仕事の仲介を頼まれたんだ」アウグストは人差し指をガルドラクに向ける。「お前への」
「君と接触を持ちたければ、亜人ギルドを介するのが確実だ」
「オレに仕事?」ガルドラクは鼻を鳴らす。「つまらねえ依頼なら受けねえぞ。たった今クソみたいな仕事を終えたばかりだ」
「確かに巨人の群れなどで満足できるお前じゃないが、今回の仕事は、少しは楽しめるかもしれない。何せ殲滅騎士団騎士長殿じきじきの依頼だ」アウグストは一拍置き「血魔が暴れている。それも一匹じゃない。複数だ」
「ここからは俺が説明しよう」ザラチェンコが話を引き継ぐ。「ガルドラク、君はクシャルネディアを知っているか?」
「名前くらいはな」
「恐らく彼女は現存する唯一の【始まりの血】、真祖最高階級【祖なる血魔】だ。膨大な魔力とおぞましい奴隷魔物を従えた血闇の女王、ユリシールの怪物、彼女の住まう土地は不干渉地帯に指定され、何人たりとも足を踏みいることを赦されない禁足地と呼ばれた。過去に我々ジュルグ帝国もクシャルネディア討伐に乗り出した事があるらしいが、返り討ちにあっている。そんなクシャルネディアについて、二月前からある噂が流れ始めた。曰く、ユリシール王国が真祖を討滅した」
ザラチェンコは落胆したように肩を落とす。
「正直、俺はこの噂に懐疑的だった。だが現にユリシールは禁足地の金銀鉱脈発掘作業を開始している。噂は本当なのかもしれない。だとすれば残念だ。俺はね、クシャルネディアを殺すのは我等ジュルグ帝国だと思っていた。俺たち第八殲滅騎士団が仕留めると。たとえそれが無理でも、ジュルグには君がいる。最強の人狼と呼ばれる魔獣狩りが。君ならクシャルネディアを殺すことが出来ると、俺は確信していた。今となってはもう遅いが・・・話を戻そう。クシャルネディアが死んだことで均衡が崩れ始めた」
血魔にはヒエラルキーが存在し、その頂点に立つ者がクシャルネディアだ。現在確認されている【始まりの血】は彼女のみであり、クシャルネディアの地位は揺るぎない確固たる物であった。血に生き、血を糧に、血を重んじる血魔において、絶対的【純血】であるクシャルネディアは神も同然だ。
「クシャルネディアは積極的に人界に干渉する事が無かった。自らの領域に引きこもり、食事は配下が用意していた。そういう意味では、クシャルネディアは珍しい魔物だ。吸血鬼を見ればわかると思うが、奴等は非常に凶暴で殺戮と食事を何よりの楽しみにしている。辺境の集落や冒険者の集団がよく襲われる。だが、上位存在の血魔が人に仇なしたという報告は受けていない。奴等は個人的な好悪のレベルを超越して、クシャルネディアに盲従している。血に抗うことなど出来ない。クシャルネディアが静観するなら、他の血魔は動かない。故にこの数十年、安定していた」
「しかし」アウグストが割って入る。「五日前、フューラルド地方の村が三つ、喰い尽くされたそうだ」
「斥候から情報が届いている。血の魔物の集団がいるそうだ。その中には闇王の血魔を筆頭に、複数の血魔が確認されている。クシャルネディアの枷から解放され、これから奴等は好きに暴れるだろう」
ザラチェンコは人狼を見る。
「俺の依頼はただひとつ、その一群を潰滅してほしい」
「わからねえな」ガルドラクは椅子に深々と腰掛け、射るような視線を放つ。「そういう殺戮こそ、テメェ等猟犬の得意分野じゃねえのか?わざわざオレに頼むような事か?」
「その回答はもっともだが、実はもうひとつ問題が生じていてね、俺たち殲滅騎士団はそちらに駆り出される事になった。他の騎士団に任せる事も出来るが、敵の規模を考えると【魔物狩り】に頼むのが確実だと上が判断した。もちろん謝礼はする。たっぷりと」
「当然だ」ガルドラクはしばらく沈黙していたが「ヴァルコラキか。巨人を喰うよりはましかもな」
「決まりだ」
アウグストが笑ったその時、一人の殲滅騎士が部屋に入ってきた。
「騎士長」彼はザラチェンコに近づくと一枚の羊皮紙を差し出す。「速報です」
ザラチェンコはその羊皮紙に眼を通し
「なるほど。またか」
呟く。
「凶報でも届いたのか?」とアウグスト。
「先ほど『もうひとつ問題が生じている』と言っただろう?それがこれだ」
ザラチェンコは羊皮紙をテーブルに放る。そこにはびっしりと文字が並び、数字が並び、しかしガルドラクの視線が最初に捉えたのは下部に描かれたあるマークだった。
そこには五芒星が描かれていた。
遥か昔より不吉の象徴として忌避されてきた、逆向きの五芒星が。




