14 殺戮の剣
今まで無名だった憧憬に名が与えられた。クシャルネディアはその名を噛みしめ、笑む。だが、それも一瞬だ。彼女は凄然たる眼差しをサツキに向ける。
極大魔法。
「破滅の奔流」
瘴気を帯びた血の奔流が魔方陣から放たれた。それは鏖殺の純血。血の一滴一滴が刃物の鋭さを持ち、奔流は大荒海のように荒ぶる。この魔法が通過した地には何も残らない。
サツキは極大魔法を避けない。血の激流が直撃する。だがサツキは気にしない。彼には時間がない。避け、迂回することすら煩わしい。この血の奔流を突き破った先にクシャルネディアがいる。ならば、そうするまでだ。
四肢に魔力が収斂する。浮き出す血管。軋む骨。歪む空間。
そして勝負は一瞬で終わる。
クシャルネディアの極大魔法を突き破り、サツキは彼女の前に立つ。彼は無傷ではない。おそらくは黒竜に匹敵するであろう硬度のサツキの皮膚が削られ、裂かれ、血が滲んでいた。破滅の奔流は確かに生体兵器に届いていた。クシャルネディアの牙はサツキに食い込んだ。だが、だからといってドラゴンキラーを殺せるわけではない。まして最強とうたわれた【No.11】を。
クシャルネディアの両脚が消し飛ぶ。次いで両腕が。胸元が破裂する。心臓を潰される。そして再生。
禍々しい圧威。
『あの一撃』が迫る。
クシャルネディアは避けようと後退し、しかしその首を掴まれる。引き戻される。同時にサツキの頭突きがクシャルネディアの頭部を直撃する。顎から上が吹き飛ぶ。そして一瞬で頭部は形を成す。眼球が再生され、クシャルネディアが視たもの、それは。
サツキの赤い瞳。
クシャルネディアは膝から崩れる。
(馬鹿な・・・これは・・・)
誘惑眼。
この魔技は、本来血魔の物だ。原理自体は簡単、それゆえ盗もうと思えば盗める技。だが、クシャルネディアは膨大な魔力をその身に宿す。ドラゴンキラーはさらに甚大な力を持っているが、腐っても超越存在、一族の技が通用するほど甘くはない。それはサツキも重々承知している。
だからこそ今なのだ。
サツキに殺され続け魔力を消費し、極大魔法を放った直後のクシャルネディアの頭部を砕く。そして再生した瞬間の脳には、隙が生まれる。それは0.01秒にも満たない針の先ほどの隙だったが、サツキにはそれで十分だ。
魔力の大量消費と、ごく僅かな意識の空白。
サツキはその間隙に誘惑眼を捩じ込んだ。
完璧に四肢の自由を奪えるわけではない。
相手は祖なる血魔。
それでも膝を折らせ、その動きを鈍らせる程度の効果はある。
そしてドラゴンキラー相手にその隙は、致命的だ。
今のクシャルネディアに、サツキの攻撃を避ける術はない。
「なかなか愉しかった」
クシャルネディアを見下ろし、サツキは告げる。
右腕を掲げる。
爪が赤黒く変色し、血管がのたくり、空間を歪ませる腕を。
「じゃあな」
そして振り下ろされる腕を、クシャルネディアは見ていた。
まるで時が止まったかのようだ。
時間が圧縮されている。
眼前の死に対し、脳が異様な集中力を発揮している。
走馬灯、と呼ばれる現象に近いかもしれない。だがクシャルネディアが視ているのは、極限まで圧縮された眼の前の映像だ。
死ぬのかしら。
クシャルネディアは思う。
誓いを違えて死ぬのかしら。
クシャルネディアは眼を見開き、牙を剥く。その形相に幽玄な美しさはない。蒼白な麗人は消え去り、血を啜る一匹の魔物がいるばかり。理性を捨て、死に抗う獣となる。ここで死ぬわけにはいかないのだ。誓いを破るわけにはいかないのだ。
だからクシャルネディアは、残った力を振り絞る。四肢は脱力し、全身はサツキの魔力に囚われ、しかし精神は折れていない。心の内奥で燃え上がる闘争心は、消えていない。最後の力を絞り出す。動かぬ身体を動かし、振り下ろされた腕に食らいつく。そう、食らいつくのだ。血魔の最大の武器はなんだろうか。闇の魔力?不死にさえ思える再生能力?あるいは霧に、蛇に、蝙蝠への形態変化?・・・どれも違う。血魔からそれらのベールを剥ぎ取れば、最後に残るのは牙だ。肉を断ち、血を啜る為の口だ。それこそが原初の武器。血の魔獣を血の魔獣たらしめる最大の要素。だからこそ食らいつく。
クシャルネディアは叫びを上げる。意味をなさない咆哮が月夜に轟く。
狂気に染まる蒼い瞳。
クシャルネディアは戦う。
死を前にして、絶望することなく。折れることなく。
食らいつく。
サツキの内面で何が起きたのか、それは誰にもわからない。ひとつだけ確かなことは、様々な要素が複雑に絡み合い、この戦いを終局に導いた。それは天才魔術師カルネの極大魔法を目撃し、種族全面戦争を思い出したからかもしれない。あるいは多頭獄犬との戦いで怒りに駆られ、魔力を放出したことにより、サツキの解放時間が一瞬とはいえ短縮されていたからかもしれない。そして何よりも、サツキという圧倒的な死を前にクシャルネディアが全てをかなぐり捨て牙を剥いたその姿に、瞳に宿るその狂気に、純粋な闘争心に、死んでいった同胞の姿が重なったのかもしれない。
攻撃の手を緩めたわけではない。
同胞の姿が重なり、それでも彼の殺意は揺るがない。
だからこそ、これは奇跡なのかもしれない。
あるいは、偶然の積み重ねによる結果か。
サツキの腕がクシャルネディアを殺すその直前
「時間切れか」
彼の魔力が消失した。
サツキの腕はクシャルネディアに触れ、しかしその肉体を破壊することはなかった。すでに三十秒が経過し、魔力使用は制限されている。
「本当に生き残ったのか」
呆然自失とする真祖から手を離すと、サツキは一言
「語れ」
その言葉の意味を解するに、クシャルネディアは数十秒を要する。
「語れ」サツキはざらついた声で促す。「俺と言葉を交わすんだろ?お前は生き残った。話せ」
クシャルネディアの瞳から涙が溢れ、頬をつたい落ちる。
そして彼女は口を開き・・・
もし始まりがあるとすれば、混沌の時代とはこの一夜から始まったのかもしれない。




