12 祖なる血魔 VS 異種族殲滅用生体兵器
クシャルネディアのうなじが粟立つ。
その声を、忘れるはずがない。
「まさか・・・」
灰色の髪が見える。
闇の中で二つの眼光が赤く輝いている。
「お前は本当に俺を殺せると思ったのか?そういう馬鹿な上級吸血鬼には、ヌルドの森でも遭遇した。お前等のような身の程をわきまえない存在は死ぬべきだ」
亀裂からぬるりと、サツキが現れる。
その姿を眼にした瞬間、クシャルネディアの魔力が大きく乱れ、誘惑眼が解除された。身体の自由を取り戻したロイクとアニーシャルカは、クシャルネディアが放心したように前方を見つめていることに気づく。あまりにも隙だらけだった。
格の差は歴然だ。しかしここまで来て逃げるような人間は十闘級ではない。であれば二人の取る行動はひとつ。戦闘だ。
ロイクの大剣とアニーシャルカの曲剣が左右からクシャルネディアに迫る。その刃を受け止めたのはロートレクだ。二本の刃はロートレクの身体を切断する勢いで走り、しかしロートレクは何とかその攻撃を防ぎきった。彼の魔力はサツキとの戦闘により底をつきかけている。血の魔物たちは再生不能な状態まで肉体を破壊されるか、あるいは再生に必要な魔力が無い状態で殺されると存在が消滅する。ロートレクは死ぬ寸前だったがクシャルネディアへの忠義心が彼の身体を動かしたのだ。
「人間どもがッ・・・!」
「死にかけの吸血鬼は、とっとと死ねや」
「悪いがそこを退いてくれ」
つかの間の膠着状態は、しかし長くは続かない。
「今、私の視界を塞がないで」
おぞましい真祖の声が、三人の鼓膜を撫でた。
瞬間、ロイクとアニーシャルカは全力で左右に回避する。全身から汗が吹き出している。クシャルネディアの声には、有無を言わさぬ響きが、それは憤怒と言い換えても差し支えないほどの、異様な迫力に満ちていた。
「ク、クシャルネディア様」
ロートレクはあまりにも唐突な主の憤怒に困惑し、振り返る。
いつもと変わらぬ凄艶な美貌の祖なる血魔がそこに立っている。ただひとつ、その蒼い瞳は普段とは比較にならないほど興奮に彩られている。
「申し訳ありま」
「聞こえなかったのロートレク?」クシャルネディアの蒼白の指が彼の耳元を撫でる。「私は視界を塞ぐなと言っているのよ」
ロートレクは震えながら脇へ移動する。
夾雑物の排された彼女の視界、その中心にサツキがいる。
「生きていらっしゃったのですね」
クシャルネディアは感動にうち震える。
誓いは、果たせないものと思っていた。
種族全面戦争を生き残った彼女は、異種族殲滅用生体兵器について可能な限り情報を集めた。焼き払われた都市から文献を見つけ、魔導生体技術に通ずる魔術師たちと接触し、最終決戦に参加した兵士から情報を搾り取った。そうしてクシャルネディアが知り得たことは、ドラゴンキラーが滅んだという事だけだった。ヌルドの森での最終決戦を目撃していない種族など、ほとんどいないだろう。何百キロ離れていようと、エーデル平原の地平線で巻き起こる全属性の狂乱、膨大な魔力の暴走。そして灼け、蝕まれ、消滅していくヌルドの森。その余波だけでどれだけの命が死滅したか知れない。その中心に、クシャルネディアを救った男がいた。彼は黒竜と戦い、そして滅びたといわれる。
それでもクシャルネディアは血を求めた。力を、魔力を求め続けた。
ドラゴンという圧倒的な絶望から救ってもらった恩があるから。
もしかしたら、自分の力が『あの人』の役に立つ日が来るかもしれないから。
何よりも、自らの血に誓ったから。
そして今、クシャルネディアは『あの人』と対峙する。
「この日をどれだけ夢見たことか」
クシャルネディアはゆっくりと歩き、サツキの前で立ち止まる。ドレスの両端を持ち、左脚を後ろに引き、右脚を軽く曲げる。
「クシャルネディア・ナズゥ・テスカロールです」
「お前が祖なる血魔か」
サツキは眼前のクシャルネディアを見ると、右腕を振るった。
鋭い破壊力を持つサツキの腕がクシャルネディアの頭部を狙う。通常の魔物ならコレで勝負がついているだろう。だが彼女は超越魔物だ。サツキの指はクシャルネディアの首に第一関節ほどまでめり込むも、それ以上の侵入を阻まれる。
「とてつもない魔力濃度だ。今の俺では肉を抉ることすらできない。あれだけの奴隷魔物を操れるのも頷ける」
「お褒め頂き光栄です」
「ああ、褒めている」サツキはクシャルネディアの首から手を離す。「じゃあ、殺り合うか」
「御待ちください」
そういうと、クシャルネディアは両掌を上に向け跪く。武器や敵意の無いことを示すために両掌を見せ、相手より姿勢を低くすることで敬意を表す。古来より『絶対服従』を意味するポーズをクシャルネディアは取っている。
「なんの真似だ」
サツキは不愉快そうな表情でクシャルネディアを見下ろす。
「クシャルネディア様・・・!そのような下劣な輩に跪くなど、一体どうしたというのです!こやつはクシャルネディア様を脅かす」
そこまで言ったロートレクは、灰に変わっていた。
「言葉が過ぎるわロートレク。この方は私の恩人なの。悪いけれど、看過することはできないわ」
ロートレクはクシャルネディアの血によって転化している。殺生与奪など彼女の意のままだ。命じれば、すぐさま彼の中の真祖の血液が暴走し、その身を破壊する。
「御無礼を御許しください」
クシャルネディアは、さらに深く頭を下げる。
サツキは不快げな声を出す。
「その無様な格好はなんだ?真祖が人間に跪くだと?」
「貴方はただの人間ではありません。ドラゴンキラーです」
「それがどうした。お前は全ての血の魔物の起源、祖なる血魔だろ?それはつまり種の頂点を意味する。違うか?」
「その通りです」
「つまりお前は全血魔を体現する存在という訳だ。相対すればわかる。300年前俺が相手にしたどの真祖よりも、お前は強い」
サツキの眼は殺意に沈んでいく。
「俺は生体兵器最強と呼ばれた。同胞は皆、俺を讃えた。俺こそがドラゴンキラーだと、その称号に相応しい存在だと。それが何を意味するかお前にわかるか?」サツキの口調に熱がこもっていく。「俺はドラゴンキラーの誇りその物だ。俺は127人の同胞の魂を背負っている。俺にとって奴等が英雄であったように、奴等にとって俺は英雄だ。だから俺は絶対に跪かない。服従などしない。屈服など論外だ。俺は折れない。俺が膝をつく時、それはつまりドラゴンキラーの敗北を意味する。だから、俺はもう二度と倒れない。不屈の殺意と強靭な意思を持って、必ず誓いを果たす」
クシャルネディアは顔を上げ、サツキを凝視する。
「お前は最強の血魔族だろ?」サツキの問いに「おそらく」クシャルネディアは答える。
「種を背負っている自覚の有無など関係ない。強大な力には責任がともなう。お前の魔力は血魔の矜持その物だ。そういう存在は、敵に跪くなど赦されないんだよ」
サツキは静かに言う。
「戦え」
声、表情、動作、その全てに戦いへの渇望が漲っているのを、クシャルネディアは感じた。理由はどうあれ、それは『あの人』が私を必要としている、ならば応えなければならない。
「わかりました」クシャルネディアは立ち上がり「ただ、ひとつだけお願いがあります」
サツキは無言でうながす。
「もし私が貴方との戦いに生き残ったなら、どうか言葉を交わすことを御許しください」
「それが闘争の動機になるのなら、いいだろう。話を聞いてやる」
「わかりました。それでは、始めても?」
「もう始まっている」
「失礼しました」
クシャルネディアの右腕が、一瞬で赤黒い血に覆われた。彼女は一本の剣と化した腕を高速で振るった。ガードしたサツキの腕が縦に裂け、血が飛び散る。
「血闇の魔法か」
サツキは血の滴る腕を見て、凶暴に嗤った。
上位階級真祖は闇魔法に自らの血を練り込み、その破壊力を何倍にも引き上げている。血を自在に操る血魔だから可能な魔法であり、魔導を極めし死霊魔導師、さらには闇の化身である黒竜でさえこの魔法は扱えない。血闇の魔法を扱えるかどうかで、真祖の位がわかる。
「俺の皮膚をやすやすと切り裂くか」
「本来であれば、この程度で傷付くなどあり得ないと思いますが」
クシャルネディアの指先に、黒い球体が生じる。彼女はそれをサツキに向ける。
黒い大爆発。
アニーシャルカの【雷霆】を彷彿とさせる猛爆だが、その規模は雷霆の比ではない。クシャルネディアの前方を、闇が扇状に呑み込んでいく。
上位闇魔法【血闇の猛爆塊】。
「こんな所にいたら、巻きぞえくらって死んじまうぞ!」
ネルグイの叫びに、メンバーは庭園の端の方へ逃げる。
「あれで上位魔法?」カルネは黒い爆風を見つめる。「冗談キツいよ」
後方に吹き飛ばされたサツキは、空中で体勢を立て直す。着地する。
「ただの人間ならば、今の一撃で消滅するでしょう。さすが異種族殲滅用生体兵器です。しかし疑問が残ります。貴方からは、微弱な魔力しか感じられません」
サツキの頭上で幾十もの血の槍が形成される。
「その程度の力では、私を殺すことは不可能です」
血の矛が降り注ぐ。
土を穿つ音。
石畳の砕ける音。
サツキの肩に、腕に、脚に、黒い槍が突き刺さっている。
「想像以上だ」サツキは肩から槍を引き抜く。血が噴き出す。「もはや俺の記憶にあるヴァルコラキとは別物だ。超越魔物とはよく言ったものだ。まさに隔絶している」
クシャルネディアの全身が黒い霧に変わる。
次の瞬間には、もうサツキの眼前で姿を形成している。
クシャルネディアから膨大な魔力が放出される。
全てを支配する、祖なる血魔の闇。
血闇の魔法の狂騒。
真祖の猛攻が始まる。
「おいおい、アイツが防戦一方かよ」
アニーシャルカは苦々しげに呟く。
「ヤベぇんじゃねえのか」
ネルグイのぼやき。
「彼は私の前で多頭獄犬を一瞬のうちに殺した。サツキくんは恐ろしく強い。だがクシャルネディアの、あの真祖の魔力は異常だ。魔術師でない私でさえ肌がざわつく。祖なる血魔はドラゴンキラーを凌ぐ力を持っているのかもしれない」
ロイクは繰り広げられる人外の戦いを眺めている。
「確かにクシャルネディアの魔力は凄まじいよ。正直アタシみたいに魔力に敏感な人間からすると、こんな所には一秒だっていたくない。でもね」カルネは一方的に攻められるサツキを見る。「文献に記されてた異種族殲滅用生体兵器ってのは、まして最強と謳われ、戦争を終決に導いた【No.11】の力ってのは、こんな物じゃ無いはずなんだ」
クシャルネディアはサツキの首を持ち、掲げる。
「もう、終わりにしませんか?」
サツキの皮膚は削げ、肉は裂かれ、血が全身を染めている。
「貴方の実力を測れないほど、私は愚かではありません。こうして触れているだけで、その身体の中に甚大な力が眠っていることはわかります。ですがその魔力は何らかの要因によって阻害されている」クシャルネディアはサツキの首筋にのぞく黒い蛇を見る。「その紋様は呪術ですね。それが原因ですか?」
サツキは答えない。
「なんにせよ、もう終わりです。ドラゴンキラーといえど、魔力が使えなければ、それでも身体能力だけを見れば闇王の血魔ほどもありますが、しかしそれでは祖なる血魔には届きません。私の話に耳を傾けていただけますか?」
クシャルネディアの言葉に、サツキは嗤い始める。
「終わりだと?」サツキの哄笑が庭園に響き、そして唐突に止む。「勘違いをするな。何も終わってなどいない」
血の泡とともに、サツキは言い放つ。
「これから始まるんだよ」
そしてサツキはクシャルネディアに顔を向ける。
サツキの『眼』と視線が交わった瞬間、
彼女は全力でサツキから距離を取っていた。
クシャルネディアの全身を、言い様のない不安が包む。
(なんという禍々しさ・・・)
クシャルネディアの脳裡には、サツキの『眼』が焼き付いている。瞳孔が開き、虹彩はさらに深い緋色に沈み、球結膜すら赤く染まりつつある。
その奥に、おぞましい魔力の奔流を感じた。
「お前なら耐えられそうだ」
鋭く、重い、凶兆を含む声。
「五感を研ぎ澄ませろ。魔力を纏い続けろ。何一つ見逃すな。何一つ聴き逃すな。空気の流れを読み、魔力の揺らぎを感じろ。いいか、一瞬も緩めるな。俺は『全力』を確かめたいんだ。頼むからすぐに死ぬなよ」
風がやむ。
空気がよどんでいく。
三日月を雲が覆い、月光が薄まる。
緋色の眼光が闇を貫く。
もしミーシャが生きていれば、サツキを中心に精霊が死滅していく光景を目撃しただろう。
真祖の本能が最大限の警戒信号を発し、体内で魔力が急速に練り上げられ、思考を挟むことなく魔法を発動した。高貴な血魔といえど、その根底に棲まう本性は、やはり凶暴な魔獣である。存在の危機に直面した場合、眼前の敵を屠ろうと死力を尽くすのは、何ら不自然なことではない。たとえそれが恩人であろうと、血の誓いを立てた相手であろうと、クシャルネディアの本能は全力で敵に牙を剥き、喰い千切る。喰い千切らねばならない。それこそが【魔】の理なのだ。
ゆえに彼女は、極大魔法を発動した。




