11 狂戦の前 2
クシャルネディアは微笑む。
「貴方たちの力じゃ多頭獄犬を一撃で葬ることはできないわ。あの子たちは眷族の中でも中層奴隷に属していた。ただの人間が、そうやすやすと滅殺するこの出来る存在じゃないわ」そこで彼女は言葉を切り「地獄に堕つ五芒星かしら?」
狂暴な陰がクシャルネディアの全身を染めていく。
「あの集団に属する超越魔物が紛れ込んでいるのかしら?」
彼女の声に極低温の殺意が混ざる。
魔眼を持たなくとも視認できるほど濃く、暗い魔力が空間を埋め尽くしていく。
メンバー全員の意識に戦慄が走る。
本能の奥の奥を犯されるような、心臓を鷲掴みにされるような恐怖が全身を覆い尽くす。
「これほどとは・・・」
ロイクは奥歯を噛み締める。
「ヤベぇな、漏らしそうだ」
冗談のように言うが、アニーシャルカの口調に余裕はみられない。
(死の三姉妹とは、比べ物にならんな)
動きを封じられたバルガスの肌を冷や汗が伝う。意思や精神力ではどうにもならない、原始的恐怖。
捕食者の前で竦み上がる獲物の気分を、全員が味わっている。
「わかるわよ。貴方たちの気持ち」クシャルネディアはアニーシャルカの頬を撫でる。「絶対的な食物連鎖、圧倒的な存在を前に自分が餌に成り下がる恐怖、どうにもならないという絶望・・・恐ろしいわよね」
「オメーみたいな化け物に、わたしたちの気持ちが理解できるとは到底思えねーな」
「貴方たちはドラゴンを知らないものね」
全面戦争を経験した種族は、ある二つの恐怖を経験している。竜血族、そして異種族殲滅用生体兵器。
「私たちの種族の多くは戦争中、ドラゴンに補食されたわ。血魔は奴等にとってたんなる餌でしかなかった。血縁を喰い荒らされ、友を殺され、全てを奪われた。だから私はね、自らが絶対的な捕食者になると決めたのよ。眼に映る全ての種族を餌にするために、ただひたすらに血を求め、血を糧に、血を貪った。そうして数百年が過ぎ、いつしか超越魔物にまで登り詰めていた。弱者でいることは耐え難い苦痛よ。力が必要なの。全てを圧倒する力がね。でなければ」
クシャルネディアは月を見上げ、心の中で呟く。
でなければ『あの人』との誓いを果たせないものね。
彼女の脳裡に残像のような光景が甦る。
両親を喰い殺したドラゴン。
弄ばれる幼少の自分。
苦痛と絶望。
迫り来る死。
ざらついた声。
灰色の髪。
赤い瞳。
【No.11】の刻印。
『強くなって俺を助けてみろ』
クシャルネディアが力を求めた本当の理由は、その言葉の中にある。
血魔とは血に生きる種族だ。まして彼女は【始まりの血】と呼ばれる全ての血魔の起源にして頂点。その祖なる血魔が自らの血に誓いをたてた。それがどれだけの重さを持つのか、他種族には理解できないだろう。真祖の血の誓いは絶対であり、クシャルネディアが滅びるまで消えることはない。
「こうして目の前にして、オメーがとんでもねえ魔物なのは十分わかったぜ。わたし等に勝ち目はねー。だが、アンタの予想通り、こっちにも化け物がいる」重い舌をなんとか動かし、アニーシャルカはあくまで軽口を叩く。「どっちが強いかね」
「それは楽しみね。それで貴女の言う『化け物』は何処にいるの?」
その時、アニーシャルカたちの背後の空間に亀裂が走った。闇棺の闇が漏れだす。裂け目は一瞬で広がり、空間が内側から弾ぜる。同時に男が飛び出す。着地に失敗し、地面を転がる。初老の男だ。血にまみれている。
「姿が見えないと思ったら【永えの檻】で遊んでいたのね、ロートレク」
「クシャルネディア様・・・」
ロートレクはよろよろと立ち上がるも、力が抜けたように崩れ落ち、四つん這いになる。
「ずいぶんと削られたわね。死にかけてるじゃない。一体『何』と遊んでいたの?」
「お気をつけください、クシャルネディア様・・・あれは・・・あれは人間ではありません。かといって我々のような魔物とも違う・・・奴が一体何なのか、私にはわかりません。しかし、間違いなく危険な存在です。奴は」
「逃げるなよ。俺を殺すんだろ?」
亀裂の向こうから、ざらついた声が響いた。




