16 嵐の前 クシャルネディア討伐編 前編(了)
「アズレトを殺した男、アレが異種族殲滅用生体兵器だ。俺はダークエルフの村で奴を見た」
「冗談でしょ?」
「いいや、本当だ」
カルネの問いにバルガスは答える。彼は案内所のカウンター近くを見る。一時間ほど前、あそこでアズレトが殺された。支配人のバンホルトはすぐに掃除屋を呼び、死体を片付けさせた。床と壁に血が染み込み、肉と骨が飛び散っていたため回収に時間がかかった。話によると『トパーズ』の方でも死体が七体あがったらしく、回収作業が終わった掃除屋は「儲けた」と満面の笑みで帰っていった。死人に金は無意味なので、料金はアズレトの財布から支払われた。あの男にしては珍しく財布には金貨30枚が詰まっていた。
「カルネさん、マジですよ。あいつがダークエルフの村で上級吸血鬼を殺した人間です。見間違いじゃないです」
リアンも真剣な表情でカルネに言うが
「あんたが言うと余計に胡散臭いわ」
と一蹴され、うなだれる。
「まあ確かに外見的特徴はドラゴンキラーっぽいけどさ、やっぱり信じられないわ」
カルネはビールを飲み干す。もう何杯飲んだのかわからない。彼女は異常なほど酒が強い。どれだけ飲もうが酔っぱらう事がなく、平然と飲み続け、そして唐突に潰れる。大抵ビールを二十杯ほど飲んだ辺りで気絶するように眠りに落ちる。カルネと飲む場合、彼女が潰れるまで二人は付き合わされる。
「おかわり」
木樽ジョッキをバルガスに差し出すカルネ。バルガスは店員を呼ぼうと店の奥を見た。そしてひとりの女と眼が合う。双子のエルフ族を従えた、茶色い癖毛の、蛇のように冷たい眼をした女。
「バルガスじゃん」
「アニーシャルカか」
アニーシャルカはバルガスのテーブルに近づくと、空いている席に腰かける。双子のエルフ族はその後ろに立つ。
「久しぶりじゃん。最後に会ったのいつだっけ?」
「お前が【ダムド】に持ち込んだ王国南部のボブゴブリンを一掃する仕事の時だ。半年前だな」
「そうだったね。アレからもう半年かよー、歳はとりたくねーな」
バルガスとアニーシャルカは同じ傭兵団で姉弟同然で育った。同じ飯を食い、同じ剣術を学び、同じナイフ捌きを叩き込まれた。アニーシャルカは十六歳で傭兵団を抜け、その一年後バルガスも抜けた。以来ふたりは疎遠であるが、時々顔を合わせると雑談に興じ、仕事を紹介し合う事もある。
「そっちの二人も久しぶり。名前は忘れたけどさ」
「カルネとリアンだ」
バルガスは改めて二人を紹介する。リアンは頭を下げ、カルネは軽く手を振る。
「お前はここで何をしているんだ?」
「わたし?報酬受け取りに来たんだよ。バンホルトの糞爺、やっすい報酬でわたしをコキ使うのやめてくんねーかな。これでも王国に八人しかいない十闘級の一人なんだぜ?」
「その八人の中でいまだに裏の仕事を引き受けているのはお前くらいだろ。王国ギルドもお前に十闘級を与えたことを後悔してるだろうな」
「相変わらずさー、辛辣よねあんたって。昔となんも変わってねーな」
アニーシャルカが手を上げると店員が駆け寄ってくる。彼女は店で一番上等な蒸留酒を、バルガスはカルネのビールを注文する。店員はすぐに二つを持って現れる。
「ところでさ」彼女はグラスを越しにバルガスたちを見つめながら言う。
「あんたら暇?」
「仕事か?」
「そう。実は二日後、ロイクから呼び出しくらってんだよね。特に人数も指定されてないし、ここで会ったのも何かの縁、っていうか昔馴染みのよしみで、あんたらを連れてってやってもいいんだけど、どうする?」
そう言うと、アニーシャルカは笑いながら酒を飲み始めた。
宿屋の一室。
「アンニーナから連絡が来たよ」
ミーシャは共鳴皮紙に眼を通しながらロイクに近づく。
「内容は?」
ロイクは寝転がっていたベッドから上半身を起こす。
「『問題なし』だって」
「そうか。二日後の『顔合わせ』は無駄にならなそうだ」
ロイクは眼を閉じる。今日、案内所での出来事が瞼の裏に甦る。殺意を孕んだ赤い瞳。サツキという名の青年。私の剣を見切り、ミーシャの魔法を砕いた、到底人間とは思えない禍々しい空気を纏った男。
『抜いてみろ』
ざらついた声が耳朶にこびり付いている。
(もしあの時剣を抜いていたら、二人とも殺されていた)
そう確信するにたる凶兆が、サツキの眼には宿っていた。
「彼は来るかな」
ロイクは呟く。彼、それが誰を指しているのかミーシャはすぐに悟る。
「わからない。今まで会ってきた人間とは種類が違いすぎて、何を考えてるのか分からない。そもそも本当に人間なのかすら・・・だから不気味なんだ。ボクは彼が怖いよ」
「安心していい。私も怖いよ」
ロイクはふたたびベッドに倒れこむ。
「それでもクシャルネディア討伐には彼が必要、そんな気がするんだ。だから二日後、彼が来ることを願うよ」
それきりロイクは沈黙する。眠ったのかもしれない。
ミーシャは部屋のランプを消し、暗闇に包まれた室内で「そうだね」と囁くように言った。
「遅かったですね」
焼け焦げた娼館に戻ると、獣人族のシャルルとエルフ族のトルドルは食事をしていた。サツキは適当に腰を下ろす。今日も何処かの露店から盗んできたのだろう、シャルルはパンと串に刺さった肉をサツキの前に差し出す。
「身体から血の臭いがしますよ」
獣人族は鼻が利く。サツキに近づいたシャルルは顔をしかめながらそう言うが、サツキは獣人族を一瞥し「何人か殺したからな」と呟くと肉を食いはじめる。シャルルはそれが冗談なのか真実なのか判断がつかない様子だったが、目の前の青年が嘘をつくような種類の人間ではないと気付き、また昨夜アズレトの指を平然と抉り取っていたのを思いだし、納得する。第四区画では殺しなど日常茶飯事だ。王都の影が集まるのがこの場所だ。殺人を含む多くの犯罪はこの区画で生まれ、この区画で消費される。それゆえ第三区画から向こうは平和が保たれている。
シャルルとトルドルは食べ終わると、ベッドに横になり、やがて寝息が聞こえ始めた。
サツキは黙々と食べ続けた。
食事を終えると、サツキは一枚の羊皮紙を懐から取り出す。ロイクという男から渡された物だ。文字と数字が並んでいる。『二日後の正午、ここに来てほしい』とあの男は言っていた。『危険な仕事がある』と。そして『莫大な報酬を約束する』と。
「二日後の正午か」
しばらく羊皮紙を眺めた後、サツキはそれを懐に戻し床に寝転がった。




