13 その女、凶暴につき
「今の野郎、スゲー死臭がしやがる」
アニーシャルカは立ち止まると冷たい眼を細めた。一人の青年とすれ違いざま肩がぶつかり、胸くそ悪い死臭が漂ってきた。軽く詫びながら振り返ると、青年と眼があった。血のように赤い瞳が、刺すような視線となって彼女を貫いた。青年はすぐに人混みに紛れ、消えていった。死臭と鋭い眼光だけがアニーシャルカの中に残っている。
「「アニーシャルカ様、どうしました」」
彼女の背後で二つの声が同時に上がった。全く同じ顔の少年がふたり整然と立っていた。中性的な、少女と見間違うほど整った顔の少年だ。白金の髪から長細い耳が飛び出している。双子のエルフ族だ。首に鉄の輪を嵌め、首筋から焼き印が覗いている。エルフ族の奴隷だろう。手足の自由を赦され服装は奴隷服ではないが、眼に宿る陰鬱な光は間違いなく尊厳を奪われた者のそれだ。エルドとミルド、それが二人の名前である。
「今、わたしにぶつかった男がいたでしょ?」
「「灰色の髪の、薄汚い男ですか?」」
またも双子は同時に同じ言葉を発する。アニーシャルカはそれを不自然に思わない。この双子はいつもこうだ。慣れている。
「それそれ。アイツ、身体に死臭が染み付いてんだよ。ヤバイ野郎だ」
「「確かに新鮮な血の臭いがしましたが、ここは王都の第四区画、危険な者たちが集まりますし不自然ではないと思いますが」」
「違うんだなー、確かに血の臭いもしたけどその奥にさ、もっと強烈なのがさ、混じってたじゃん」
アニーシャルカは15年前に王国で起きた異種族廃絶運動を思い出していた。廃絶運動などと言葉を濁しているが、やっていることは異種族大量虐殺である。当時12歳の少女であったアニーシャルカだが、彼女は各地を放浪する傭兵団の中で産まれ剣術とナイフ捌きを叩き込まれすでに戦場を経験していた。9歳の頃には殺人を捨てている。傭兵団は廃絶運動で熱に浮かされたユリシール王国を訪れ、膨大な報酬と引き換えに大量虐殺に加担した。王国騎士団に混じってアニーシャルカは同じ傭兵団で育った一つ年下の少年、バルガスと共に異種族を殺して回った。一匹殺すごとに金貨一枚を約束され、二人は競うように殺していった。疫病や食人鬼の元となる死体を放置しておくのは危険であり、大量の死骸は一ヶ所に集められ魔術師が炎魔法で燃やすことになっていた。首を切断され、腹を裂かれ、頭蓋骨が陥没し、胸に穴が空いている・・・様々な死体がうず高く積み上げられていく。蝿がたかり地虫が肉を求め集まり出す。炎魔法が放たれ死体を炎がなめていく。血と糞尿と腐敗臭、それと肉の焼ける臭いが混ざり合い強烈な刺激臭となって彼女に襲いかかった。
アニーシャルカはくんくんと鼻をひくつかせる。
第四区画に満ちる夜気に混じる死の臭い。
あの赤い瞳の青年からはあの時嗅いだ死臭と同質のそれが立ち上っていた。
数百、数千という死体だけが放つ陰惨な香り。あの臭いは肌に、骨に、そして魂に染み込む。
「「その臭いがする人物は危険なんですか?」」
「そりゃね」
彼女の言葉に混じって鉄靴の足音が聞こえてきた。アニーシャルカは喧騒に眼を向ける。大通りの人混みを掻き分けるように、二人の騎士が彼女に向かってくる。黄金色に輝く上質な鎧に身を包み、不遜な態度で歩いている彼等の鎧は街灯の明かりで不気味に輝いている。腰に差してある白銀の剣、その鞘には簡略化されたドラゴンの頭部、その脳天を貫くように突き刺さった剣という、ユリシール王国の紋章が彫り込まれている。汚く荒々しい雰囲気を纏う第四区画の人間の中で、傷一つない磨き抜かれた鎧と王国紋章付きの剣を持つ二人の男は異様な存在感を醸し出している。この区画にもっとも相応しくない手合い、【ユリシール王国騎士団】だ。
「第四区画でエルフ族を見かけたと平民から報告があったが、どうやら本当だったらしいな」
「そうらしい。王都に異種族が紛れ込むなど」
二人は落ち着いた声で言葉を交わしている。
アニーシャルカの周囲から人が消え、何人かが遠巻きに眺めている。
第四区画に王国騎士団が現れるのは珍しい。王都は彼等の管轄ではあるが、あからさまに王国の風紀を乱すギルドと秩序を重んじる騎士団は折り合いが悪い。
二人の王国騎士はアニーシャルカの前で立ち止まる。一人は鎧の上からでも鍛えられた肉体なのがわかるほど腕や足が盛り上がっている。上背もあり兜に覆われた頭部がアニーシャルカを見下ろす。二人目の王国騎士は背こそ一人目に劣るものの、肉体はさらに鍛え抜かれ、ドワーフ族のようにずんぐりとしている。
「そのエルフ族は、貴様の連れか?」
長身の王国騎士がくぐもった声で彼女に問うと、アニーシャルカの背後に顎をしゃくる。エルドとミルドは淀んだ眼で王国騎士を睨み付ける。
「そ、わたしの奴隷。それがどうかした?」
「穢らわしい異種族を王国内、まして王都に入れるなど言語道断、大罪だと理解しているのか?」
「理解してるに決まってんでしょ?で、だから?」
彼女は嘲笑を浮かべ、下から王国騎士の顔に自分の顔を近づける。嘲りの浮かんだ顔、しかし蛇のように冷たい眼だけは嗤っていない。
「アンタさぁ、わたしが誰だか知らないわけ?」
「知らんな。貴様が誰だろうとどうでもいい」
王国騎士の回答に一瞬きょとんとした表情になったアニーシャルカだが、次の瞬間乾いた声で笑い始めた。彼女は眼に涙をため、腹を抱えながらヒィヒィ言っている。
二人の王国騎士は侮辱されたと思ったのだろう、身体を震わせ、怒りをあらわに鞘から剣を抜く。王国騎士団はユリシール王国、その頂点に座する王族を守護っているという誇りがあり、また護衛などで貴族と接する機会も多い。そのため王国騎士団には身分の高い者たちも多く存在する。彼等は矜持を持って王国騎士団の職務を全うしている。そんな自分たちを目の前の女は笑う。王都の掃き溜めで金を稼ぐ薄汚い存在、しかも異種族を第四区画とはいえ平然と王都に入れる無神経さ。すべてが癪に触った。
「そのエルフ族は今ここで殺す。だが女、その前に貴様だ。異種族を連れ王都に入り、我ら王国騎士団の誇りに傷をつけるような者を生かしてはおくほど我々は甘くないぞ」
二人の王国騎士は剣を構える。
アニーシャルカは笑うのをやめた。しかしその顔はまだにやけている。
「無知ってのは罪だなー、殺されても文句が言えないくらい、スゲー罪だ」
彼女は自分の首に中指を当て、そのまま横に引き抜く。挑発であり宣戦布告である首切りのジェスチャー。
「お前らが死ねよ」
アニーシャルカのその声を聞いた瞬間、長身の王国騎士は勢いよく剣を降り下ろした。閃光のようにすばやい刃を、しかし彼女は半身をそらし避ける。地面にぶつかった刃先が火花を散らす。王国騎士は不安定な態勢のまま、それでも剣で横薙ぎにアニーシャルカを切断、できなかった。
王国騎士の喉当に刃幅の広い曲剣が当てられている。アニーシャルカは左足で王国騎士の脚を勢いよく蹴り払う。同時に曲剣に力を込める。王国騎士はバランスを崩し仰向けに倒れる。鎧が擦れ合う金属的な高音が大通りに響き渡る。倒れた王国騎士の眼に飛び込んできたのは、嗤いながら曲剣を降り下ろすアニーシャルカの姿だった。彼女は片手で、軽く剣を振るっただけだが、それだけで王国騎士の首は鎧ごと切断された。血が噴き出す。頭部はガシャンガシャンと耳障りな音を立てながら人混みの中に消えていった。
「おい、誰かが頭を落としたらしいぜ。持ち主は誰だ?」そんな冗談があがり、周囲で爆笑が起こった。
「貴様!よくも相棒を!」
ずんぐりとした王国騎士が吼える。ただでさえ大きな筋肉が、よりいっそう膨らみ、剣を握る手が震えるほど力が込められていく。
「ただで死ねると思うなよ!貴様は」
そこまで叫んだ王国騎士の身体が、急に痙攣しはじめる。胸に激痛が走り、肉の焦げる臭いが立ち上る。王国騎士は痙攣しながら、なんとか自分の胸に視線を向ける。蒼白い光を放つ、雷の矢が突き刺さっていた。下位雷魔法【雷矢】である。
アニーシャルカは人指し指を王国騎士に向けている。指先には蒼白い光が集中し、雷の弾ぜるバチバチとした音が耳を聾する。
「うるせーんだよお前。さっさと死ね」
その声と同時に王国騎士の胸にさらに四本の雷矢が突き刺さる。雷矢は鎧を貫き、肉と骨を抉り、貫通する。電撃が男の自由を奪い、雷の熱が鎧を熱し、王国騎士の全身を焼いていく。鎧の隙間から悪臭が立ち上ぼり、男は絶叫しながら痙攣し続ける。やがて王国騎士は大量の煙を撒き散らしながらうつ伏せに倒れ動かなくなった。
アニーシャルカはだるそうに曲剣を腰に戻すと、くるりと二つの死体に背を向ける。
「さすがユリシール王国唯一の十闘級【魔法剣士】アニーシャルカだな」
喧騒の中から声が聞こえた。




