12 血の海は路地裏に
先ほどから背筋に視線を感じる。
数は四つ。つかず離れず、絶妙な距離感を保ちながら視線は移動している。
大通りは熱病に浮かされたような、異様な活気を取り戻しつつある。薄暮の迫る空に星が煌めき、夜の闇が王都に迫り、街灯に火がともる。街娼が通りに並び、露店商が声を張り上げ、クエストから帰還した者たちが疲労と安堵を胸に歩いていく。人いきれに混じって夜気が甘く香る。昨夜と同じ光景が王都に戻ってくる。第四区画は毎夜、混沌と喧騒の夢をみる。
サツキは大通りから外れた路地に入り込む。すえた臭いの漂う薄暗い道を歩いていく。一本道を隔てただけで第四区画は姿を変える。大通りを歩けない日陰の者たちが地面に這いつくばっている。悪臭を放つ薄汚れた物乞いに裾を引かれ、顔色の悪い痩せこけた娼婦に声をかけられる。サツキは一切を無視する。ただ歩いていく。奥へ奥へと、寂れた道を進んでいく。
クエスト案内所を出てしばらくすると、視線がサツキに絡み付いた。最初それは一つだった。それがすぐに二つになり、二つは三つになり、そして三つは四つになる。人の増え始めた第四区画でその位置を特定するのは難しい。サツキは適当に王都を徘徊したが、監視者は消えることなく付いてくる。あたかも獲物を観察する捕食者のような、ねっとりとした敵意を含む視線。しかし仕掛けて来ない。人混みで襲うのを嫌っているようだ。
だからサツキは路地に入る。人の少ない道を選択し、襲撃に適した状況を整えてやる。いい加減鬱陶しかった。身体に絡みつく敵意が不快だった。代償を払わせなければならない。
「わざわざこんな場所に足を運ぶなんて、気づいてやがったのか?」
前方から声がした。サツキは立ち止まる。男が二人歩いてくる。無精髭の生えた丸顔の男と筋骨隆々の大男。薄ら笑いを浮かべている。
「まあ、好都合じゃないか」
今度は後方から声がする。振り返ると、こちらも男が二人歩いてくる。綺麗に剃り上げたスキンヘッドが目立つ男と豚のように丸く肥った男。
左右には壁がある。前方と後方は四人の男たちによって塞がれた。大通りの喧騒が厚い壁に阻まれているように、ぼんやりと聞こえる。人工的な明かりの乏しい路地を、月明かりが照らす。地べたに座り込んでいた物乞いたちはただならぬ気配を察知したのか、散り散りに消えていく。四人の男が各々獲物を抜く。剣、短刀、大斧、魔法用短杖。サツキの近くで立ち止まると、男たちはにやにやしながらサツキの全身を眺め回す。
「灰色の髪に赤い瞳。服装は話と違うが、こいつで間違いねぇだろ」
無精髭の男が仲間に言う。同意の声が上がる。
「お前らは何だ。俺に用か?」
感情の無いざらついた声が裏路地に響く。
「そう、あんたに用があるんだよ」無精髭の男は剣を肩に担ぐ。「あんたは昨日、アズレトの指を切断しただろ?」
サツキの脳裡に昨夜の光景が甦る。獣人族のシャルルを追いかけていた傭兵。その指を抉り、男の前に投げ捨てた。
「それがどうした」
「あの馬鹿は弱いくせに人一倍プライドだけは高い男でね、人前で、それも大通りの真ん中で恥をかかされたのが許せねぇとおれたちに泣きついてきやがった。おれたちも別にお人好しって訳じゃわけじゃねぇがあんたの首に金貨15枚、生け捕りなら30枚出すって言うじゃねぇか。人一人取っ捕まえて金貨30枚なんておいしい仕事そうそうねぇんだよ。まあそういう訳で、一緒に来てもらおうか。抵抗するなよ?おれたちは我慢強くないんだ。首を持っていくだけでも金貨15枚は約束されてる。面倒くさくなったら殺しちまうぜ?」
無精髭の男は不気味な笑みを浮かべながら剣の切っ先でサツキの鼻面を撫でる。触れるか触れないかの、絶妙な加減だ。
サツキの眼が据わっていく。
禍々しい雰囲気が全身を覆っていく。
しかし男は気づかない。圧倒的に有利な状況を前に、警戒心が緩みきっている。もっともドラゴンキラーと対峙した場合、警戒心など無意味だが。
「さあ、死にたくなけりゃあ一緒に来ても」
男はそこまで言うと、自分の声が出ないことに気づいた。びちゃああああ、と水が地面を打つような音が響く。視界が揺らぐ。首が燃えるように熱い。とっさに手をあてると、そこにあるはずの首がない。水が地面を打つ音が止まない。頸椎が首を支えられず、視線が下を向く。足元が真っ赤に染まっている。いや足元だけではない。上半身が真っ赤な血で濡れている。そこではじめて男は呼吸が出来ないことに気づく。立っていられず、うつ伏せに倒れる。頸椎が折れる。血が広がる。
「アズレトって男には『次は殺す』と忠告しといたはずだが、言葉を理解するだけの知能がなかったらしいな。指じゃなく頭を抉っておくべきだった」
サツキは右手の力を緩める。びちゃり、と肉の塊が足元に落ちる。無精髭の男の首の肉だ。サツキは男の首を抉り取っていた。
異種族殲滅用生体兵器の人造強化骨格と略式魔方陣はサツキの身体能力を飛躍的に高めている。魔力を制限された現状では100%の力は引き出せないが、それでも上級吸血鬼を凌ぐ身体能力を持つ。サツキの一挙手一投足は血管を断ち、肉を抉り、骨を砕くのに充分すぎるほどの威力を秘めている。男たちに勝ち目はない。
「テメェ!何をした!」
筋骨隆々の大男は斧を振り上げたが、サツキが右腕を振るうと手首から先が吹き飛んだ。支えを失った斧は落下し、分厚い刃が大男の足の指を切断する。痛みに大男はうずくまる。低くなった視界に一瞬だけ指先が映る。それが大男の最後に見た光景だ。下から掬い上げるように振るわれたサツキの手が、大男の頭を吹き飛ばした。左右の壁に血と脳漿の花が咲き乱れる。噴水のように血を噴き出しながら、大男の身体が後ろに倒れる。
濃い血の臭いが周囲を満たす。
薄暗い空間に鮮血が浮かび上がる。
サツキの背後に立つ二人の男は状況を呑み込めていない。数秒の間に、二人の仲間が殺された。首を抉られ、頭を吹き飛ばされ、無惨な死体が地面に転がっている。目の前に立つ青年は無防備な背をこちらに晒している。その手は血で濡れている。豚のように肥った男はナイフを腰だめに構えると、サツキに向かって突っ込んだ。どうやったのか知らないが、この青年が仲間を殺した。殺られる前に殺ってやる!と思いながら男は跳躍する。そして死ぬ。向かってくる男の腹を、サツキは横薙ぎに蹴り飛ばす。肉の詰まった腹が破裂し、血と黄色い脂肪が壁を汚す。下腹部を失った男は痙攣しながら壁に手をつくが、自分の脂肪に指を滑らせ倒れ、小さく呻いたあと動かなくなった。
「あの男は何処にいる?」
残ったのはスキンヘッドの男だけだ。
サツキはそいつの眼を見ながら問う。
スキンヘッドは反射的に短杖をサツキに向ける。どうやら魔術師らしい。
「【氷】」
そこまで言った瞬間、スキンヘッドは背中から壁に叩きつけられた。サツキの指が男の首を掴んでいる。指先には徐々に力が込められていく。息苦しさに、男は荒々しく空気を吸い込み咳き込んだ。
「質問に答えろ。何のためにまだ殺してないと思ってるんだ?俺の首を狙ってる馬鹿は何処にいる?アズレトは何処にいるんだ?」
サツキの赤い瞳に殺意が満ちていく。
スキンヘッドは喘ぎながら声を絞り出す。
「と、東部の娼館通りにト、トパーズって店がある・・・その地下に、う、裏のギルドが開いてるクエスト、案内、所がある・・・夜になるとアズレトはいつも、そ、こにいる・・・」
「今日もいるのか?」
「いるはずだ・・・」
「そうか」
サツキはスキンヘッドの喉を握り潰した。
むせるような血の臭いが充満した路地裏を後にする。どこから沸いて出たのか、物乞いたちが四つの死体に群がり金や衣類を剥いでいく。数秒で死体は真っ裸になる。青白い肌が血の海の中で発光しているかのようだ。
サツキは喧騒渦巻く大通りに戻った。
東部の娼館通りの場所ならわかる。今日の正午、通ったばかりだ。
サツキが歩き始めたその時、ひとりの女と肩がぶつかった。蛇のような冷たい眼の女だった。茶色い肩までの髪は癖毛で、思い思いの方向に跳ねている。布と革で作られた簡素な服を着ている。その服のいたるところに刃物が隠されている。幅広の刃を持つ曲剣が腰に差されている。剣身にはうっすらと魔方陣が刻まれ、不気味に発光している。腕に魔水晶のあしらわれた腕輪を幾つもはめ、首には魔装の施された何本ものネックレスが揺れている。剣士のようにも魔術師のようにも見える女だった。
「ごめーんね」
女はハスキーな声でそう言うと、すれ違い様にウィンクし、詫びるように手を振った。サツキは女を一瞥した。女も冷たい目でサツキを見ていた。だがすぐに喧騒に呑まれ消えていった。




