9 クエスト案内所 その4 禍々しい殺意
老人は掌ほどの大きさの木札を一枚、サツキの前に置く。
【王国ギルド・一闘級戦士・サツキ】
表にそう書かれていた。裏面には王国ギルドの紋章と魔方陣が刻まれたいる。
「そいつは王国ギルドの登録証だ。クエストを受ける際、必要になる。無くすんじゃないぞ」
登録証を手に持つ。微弱ながら木札全体に魔力が通っている。何らかの防御魔法だ。おそらく魔方陣が木札の強度を高めているのだろう。サツキは登録証を懐にしまった。
「これでお前さんは王国ギルドの戦士だ。クエストをこなし実力が認められれば闘級も上がるだろう。まあ、死なない程度に頑張るこったな」
そう言うと老人はサツキへの興味を失ったのか、黙々と酒を飲みはじめる。
サツキはクエストカウンターから離れる。
ロイクとミーシャは壁にもたれ、サツキを待っていた。ロイクは軽やかに壁際から離れた。指先がシミターの柄を撫でる。視線はサツキの全身に注がれている。静かな闘志が彼の胸中で鎌首をもたげる。
ロイクはサツキの数メートル前で立ち止まり、朗らかな声を出す。
「終わったようだね」
「ああ。金の事は礼をいう。それで俺になんの用だ」
「うん。ちょっと君に興味があってね・・・それより自己紹介がまだだったね。私はロイク。向こうにいるのがミーシャだ」
ミーシャは軽くサツキに頭を下げる。
「君の名前は?」
「サツキ」
クエストカウンターで爆笑が起こった。数人の男たちが腹を抱えて笑っている。冗談でも言い合っているのだろう。サツキの視線が自然とそちらに向く。
その瞬間、ロイクはサツキの間合いに踏み込むと、腰からシミターを抜いていた。振るわれた刀身が見えないほど、空を斬る音が遅れて聞こえるほど、凄まじい速度の剣撃がサツキの首に襲いかかる。まともに食らえば首が飛ぶ、死の一撃。しかしサツキは身動ぎひとつせず、視線をロイクに戻すと超速の剣撃をその眼で捉えていた。のみならず、剣を握る指、力の入った肩、踏み込みの甘い右脚、ロイクの様々な動きをも捕捉していた。
剣先は首筋数ミリという所で止まった。目の前で光る刃面をサツキは冷静に見下ろす。
「なぜ、避けない?」
サツキの赤い瞳を見つめながらロイクは問いかける。
「お前は俺を殺す気がない。避ける必要があるか?」
「なぜ言い切れるのかな」
「まず踏み込みが甘い。俺の首をはね飛ばすつもりならもう半歩踏み込むはずだ。次に肩と腕に力が入りすぎている。剣を途中で止める気なのがバレバレだ。そして何よりお前の剣には何も無い。俺を殺す気なら、たとえどれだけ押し隠そうと殺気が剣に乗る。それが無い時点でお前は俺を殺す気がない」
「その通りだ。一瞬でそこまで見切るなんて、やっぱり君はただ者じゃないね」
シミターを鞘に戻す。全身から力を抜き、ロイクは屈託なく笑い「これを」一枚の羊皮紙を差し出す。サツキはそれを受けとる。羊皮紙には文字と数字が並んでいる。
「これは?」
「二日後の正午、そこに来てほしい」
ロイクの口ぶりからすると、その文字の羅列は住所か何かなのだろう。
疑問を含んだサツキの視線に答えるように、彼は真剣な表情で喋りだす。
「大きな仕事がある。おそらく王国ギルドが扱うクエストの中でもっとも難易度の高い、危険な仕事だ。私たちはそのクエストを受ける為に人を集めている。君には私たちと一緒にクエストに参加してもらいたい。クエスト内容については仲間からの連絡待ちでね、今は詳しく話せないんだ、すまない。だけど一つだけ言えるのは、危険だがそのぶん見返りも大きい。今の君の闘級で受けられるクエストとは比較にならないほどの報酬を約束する。悪くない話だと思うよ」
「考えておく」
その時、サツキに向かって何か、半透明の物体が高速で飛んできた。サツキは反射的に飛んできたそれを受け止めた。風で作られた鋭い刃だった。【風切り】と呼ばれる下位風魔法だ。サツキの手の中で、半透明の刃が敵を切り裂こうと震えている。
サツキはその風魔法を握り潰した。刃は四散し、一瞬で消え去った。後には魔力の残滓だけが漂い、ゆるやかに溶けていく。
強い視線を感じ、サツキが顔を上げるとそこにはミーシャの顔があった。彼女は驚愕に眼を見開いている。
「お前か?風魔法とはめずらしいな。精霊から魔力を引き出せるのか」
サツキの身体から禍々しい気配が漏れだしていく。その不気味な雰囲気にミーシャは息を呑み、腰の短剣に手をかける。力を抜いていたロイクも、一瞬で警戒体勢を取り、シミターに手を乗せる。
三人の間の空気が張りつめていく。
「この男の剣に関しては、殺意がなかった。さっきの借りもあるし、目くじらを立てるような事じゃない。だが今の風魔法には殺気が混じっていた。明らかに殺意がある。お前は俺に牙を剥いた。俺はそういうのが好きじゃない」
サツキはミーシャに向かって歩きだす。
「動かないでくれ」
ロイクの低く重い声を出す。すぐにシミターを抜けるよう、重心を低く構えている。明らかに強い敵意を含んだ眼光がサツキを射る。
「彼女の行動は謝る。私同様、君を試したんだ。剣をどういなすのか、そして魔法をどう処理するのか。ただそれだけなんだ。殺意は無かったはずだ。もし殺気が乗っていたとすれば、それは彼女が未熟だからだ。言ってしまえば、攻撃とは暴力だ。暴力から殺気を完璧に消し去るのは難しい。彼女はまだその境地に達していない。許してくれ」
「嫌だと言ったら?」
「今度は本気で剣を抜くことになる」
「面白いな。抜いてみろ」
サツキは嗤う。ただでさえ赤い眼が、さらに色を濃くしていく。爛々と輝く瞳はもはや人間の物とは思えない。禍々しい殺気がロイクを包み込む。皮膚が泡立ち、冷たい汗が吹き出す。全身に刃物を突き付けられているような、異様な緊張感にロイクは歯を食いしばった。
「抜けよ」
サツキのざらついた声がロイクの鼓膜を擦りあげる。
(この圧力、本当に人間か?まるで帝国領に棲みつく【魔獣狩り】と対峙しているみたいだ。この男、想像以上の化け物らしい)
額から流れ落ちる汗が眼に入るが、ロイクは瞬きすらせずにサツキを睨み付ける。
(だが、今確信した。この力は欲しい。真祖クシャルネディア討伐には、彼の力が必要だ)
「頼む。悪気はなかった。彼女を許してやってくれ」
ロイクは絞り出すように、しかし強い決意を持って言い放つ。
これで駄目なら、剣を抜くしかない。
ロイクは覚悟を決めた。それは死ぬ覚悟。刺し違えてでも目の前の男を殺す覚悟。王国でも数人しかいない十闘級の自分に、それだけの覚悟を決めさせるとは・・・気が付けばロイクは笑っていた。肌が泡立ち冷や汗を流し、それでも笑わずにはいられなかった。新人の頃、ゴブリン討伐クエスト中に遭遇したオーガ。当時の実力では到底敵わない怪物を前に、しかし彼は一歩も引かず戦った。腕が折れ、爪が剥がれ、それでもオーガに食らいつき、最後に奴の首をはね飛ばした。戦わなければならない時がある。戦わなければ生き残れない時がある。それが今だ。
「この状況で笑うだけの余裕があるとはな」
不意にサツキから禍々しい気配が削ぎ落とされた。
ロイクを包む殺気が消えていく。
張りつめた空気が溶けていく。
サツキは嗤っている。
眼だけが凶悪に、赤々と輝いている。
「ただの人間にしては、なかなか気骨があるらしい」




