8 クエスト案内所 その3
金髪の男がサツキの前に歩み出る。長身の、よく鍛えられた肉体の男だ。背には身の丈ほどの大剣、腰には三日月刀、胸と腕を群青色の鎧が覆っている。男は輝くような笑顔をサツキに向ける。
その背後には少女が立っている。翠色の髪はポニーテールに、淡い色合いのケープを纏っている。少女は鋭い眼孔でサツキを見ているが、サツキ本人というより、その周辺の空間に視線を流している。
「私が出すよ」
男は懐から重そうな、ずっしりした財布を取り出す。
「おい、あれロイクだぜ」「十闘級の【強戦士ロイク】か?」「巨大鬼の群をひとりで壊滅された、あの?」「じゃあ後ろの女が精霊使いのミーシャかよ。まだガキじゃねえか」「実力に年齢は関係ないわよ。それにあの子、王国魔術学術院卒業してるんでしょ?案外歳くってたりして」「金の臭いがするね。僕も王族貴族の仕事して、デカく稼ぎたいもんだ」「お前はそんな夢みてねえで、まず闘級を上げろ」
ロイクとミーシャの出現により、周囲の関心はサツキからふたりに移った。羨望と嫉妬の入り交じった眼差しが、ふたりに絡まり、しかしロイクとミーシャに気にする様子は全く無い。注目されることに慣れているのだろう。
「誰だお前ら」
サツキは目の前に立つ男女を見る。明らかに、周囲の有象無象どもとは一線をかくした空気を纏っている。無骨な荒々しさはなく、研鑽を積み重ねた人間特有の洗練された、鋭い、強者の気配が漂っている。
「通りかかりの親切な二人組さ。それ以上説明が必要かい?」
「いや、必要ない」
何の見返りもなく金を出すような人間はいないだろう。おそらく、何かしら考えがあっての事なのだ。だが、サツキはそれが何であれどうでもよかった。金を出してくれるなら誰でもよい。
ロイクは財布から金貨を七枚取り出し、サツキに見せる。金貨の表面が窓から射し込む陽光で光輝き、反射光が彼の頬を照らす。ロイクは笑顔のまま口を開く。
「一つだけお願いがあるんだ」
「なんだ」
「王国ギルドへの登録が終わったら、少しだけ君の時間を貰いたい」
「好きにしろ」
「それは良かった」
ロイクは金貨をサツキに渡し、後ろに下がる。ミーシャがその後を追うが、視線だけはサツキに注がれている。
老人に向き直ると、サツキは金貨をカウンターに放る。
「これで文句は無いんだろ?」
「もちろん。金は金だ。払うもんさえ払えば、わしも文句は言わんよ」
老人の態度は変わらない。憮然とした表情も、言葉の端々に現れる刺々しさも、酒をあおる下品な仕草も。これがこの老人の性質なのだろう。
「マヌエラ」
老人が名前を呼ぶと、制服の女が羊皮紙とペン、それにインク瓶を持って来た。羊皮紙を広げ、ペン先をインクに浸すと「あんた、名前は?」老人はサツキを見た。
「サツキ」
「それだけかい?」
「それだけだ」
いやに短いねぇ、呟きながらも老人は羊皮紙に名前を書き込んでいく。
周囲の人間はすでにサツキに興味を失ったのだろう。先ほどのように、各々自分たちの世界に戻っている。ロイクとミーシャだけが、離れた場所からサツキの後ろ姿を眺めている。
「で、あんた近接職登録でいいんだろう?さすがに魔術師には見えないしよ。戦士・剣士・傭兵・騎士・冒険者・狩人、色々あるがあんたどれにする」
「何か違いがあるのか?」
「まあ、区別なんたあって無いようなもんだがね。仕事内容によっちゃ、依頼主が職業を指定して来る場合がある。例えば護衛や護送なら騎士、他国との戦争や自国の内戦なら傭兵、モンスターの討伐や捕獲なら狩人、ってな具合に、各々得意分野があるわけだ。だが別に剣士だからアレをしちゃいけない、騎士だからこれをしちゃいけない、なんて事はねえさ。特に指定がない場合、どんなクエストを受けようが自由だ。むしろ重要なのは闘級だよ」
老人は酒をあおる。
「近接職には一から十の闘級って制度が設けられている。簡単にいうと戦闘能力に順位を付けてんのさ。一闘級から三闘級には新人や実力の無いクズどもが集まる。雑用みたいな仕事がほとんどさ。四闘級から七闘級は中堅だな。そこそこ経験を積んできた奴等だからある程度信頼できる。そのぶん自分の実力を過信して、危険なクエストに手を出し命を落とす馬鹿も多い。八闘級から十闘級の人間は、本物だ。数えきれないほどの修羅場を潜り抜けてきた、猛者どもしかいない。こいつらには危険度の高いモンスター討伐や、貴族の護衛、とにかく重要な仕事が舞い込んでくる。当然報酬も高い。そして命を落とす可能性もな。もっとも八闘級以上の人間ってのは、そんな事は百も承知でね、命を賭けて金を稼いでいるような、むしろそれを楽しんでるような奴等ばかりだがね」
老人はペンにインクをつけ直す。
「で、職業は何にする。得意な事、なんかあるかい?」
「殲滅だ」
老人は怪訝な表情でサツキを見る。青年の顔に冗談を言った後に現れる、独特な含み笑いが浮かんでいないか探した。サツキの顔には何もなかった。ただ赤い瞳だけが不気味に輝いている。
「敵を殲滅する事だけが、俺の全てだ」
「なんだいそりゃ。あんた頭イカれとるのか」
「ああ、そうだな。そうかもしれない」
サツキはくつくつ笑うと「戦士でいい」と老人に答える。
「戦士かい」
「ああ。戦士とは【戦う者】という意味だろ?まさに俺のことだ」
サツキは右の肩をおさえる。服の下、彼の皮膚には黒竜の強力な呪いが刻まれている。ドラゴンの頂点に君臨し、圧倒的な魔力と凶悪な闇魔法で世界を蹂躙した、破壊と滅亡の竜王。黒竜を殺す為にサツキの同胞は散っていった。幾多の戦場で、地獄のような戦地で、そしてヌルドの森での総力戦・・・血の海に沈むNo.8・ベルガルド。下半身を吹き飛ばされたNo.46・ユリーナ。腕だけを残し食い殺されたNo.112・スラリス。眼を閉じれば、同胞の最後の光景が昨日の事のように浮かび上がってくる。その身が千切れようと、魔力が尽きようと、最後までドラゴンに食らいつき、その喉笛を咬み切ろうと全力で戦った。戦い抜いた。127人の異種族殲滅用生体兵器は、そうして散っていった。
いつの間にか力がこもり、指先が肩に食い込んでいた。
老人は羊皮紙に様々な事を書き込んでいる。
呪いは消えていない。それは黒竜が生きている事を意味する。
闇の竜王は今も何処かで生を享受している。
(俺の同胞は死んだ。無惨に、悲惨に、死体すら残らず消えた者もいた。それなのに黒竜、なぜお前が生きている)
サツキの中でどす黒い殺意が渦を巻く。
赤い憤怒が視界を覆っていく。
断片的な記憶が激流のように押し寄せてくる。
燃える空。焦げる空気。瘴気に犯される大地。黒い鱗。絶望の影。おぞましい一対の翼。哄笑。闇魔法。極大魔法。灰色の髪。赤い瞳。弾ぜる皮膚。軋む骨。噴き出す魔力。振るわれる魔剣。切り落とされた腕。潰れた眼。風穴の空いた心臓。狂気。憎悪。殺意。血。死。呪い。そして黒竜。
不意にサツキは笑ってしまう。
(簡単な話だ。俺が黒竜を殺し損ねた。俺が殺すはずだった。そう誓った。127人の同胞の名と、血と、魂に誓った。それを、俺は)
「登録完了だよ」
老人の声に、サツキは現実に引き戻された。




