4 必要ない物
「本当に汚いな」
「だから言ったじゃないですか」
そこは薄汚れた小さな部屋だった。壁際にベッドが置かれ、床には衣類や書物が散乱している。天井は煤のような物で所々黒ずみ、壁には亀裂が入っている。
「適当に座ってください」
シャルルにうながされ、サツキは足元の衣類を退けて床に座る。
彼女はマントの中から果物、野菜、肉などを次々ベッドの上に放り投げる。「今日は大量だ」シャルルはひとりごつと、おもむろにマントを脱ぐ。ふわりと茶色の髪の毛と獣臭が部屋に広がる。
「お前、獣人族か」
マントの中から現れたのは猫と人間が奇妙に融合したような少女だった。獣人族は獣寄りと人寄りの二つに分かれる。シャルルは後者のようだ。頬から三本の長い髭が生え、鼻は猫のような形をしているが、それ以外は人間に近い。茶色の髪からは猫の耳が突きだし、時おりピクピク震えている。体毛はほとんど無い。ただ手足の爪は人間と違い、獣のような鉤爪だ。
「驚きました?」
「別に」
「ええ!?王都に異種族がいるんですよ?これってかなり驚くべき事なんですけど」
「なぜだ」
「なぜだって・・・お兄さんって変な服着てるし、やっぱりこの国の出身じゃ無さそうですね。いや、だから姿を晒したんですけど。ユリシール王国は異種族に対してすっごく差別的なんですよ。基本的に人間以外の種族をゴミだと思ってるんです。特に王都は酷くて、まあ第四区画はそうでもないですけど、第三区画なんかに入ったら・・・ああ、お兄さんってさっき王都着いたばっかりなんですよね。区画とかってわかります?」
「知らないな」
「ですよね」シャルルは王都の区画について、サツキに説明した。第一区画、王城。第二区画、貴族たち。第三区画、平民。第四区画、ギルド、無法地帯。
「もし私が第三区画にいるのを王国騎士団に見られたら、その場で処刑ですよ、処刑。第三区画でそれなら第二区画、第一区画に入ったら何されるんでしょうね。第四区画は無法地帯っていいますけど、私からしたらぜんぜんましですよ」
「それでこんな所に住んでるのか」
サツキは部屋の中を眺めた。
シャルルは第四区画南部の【廃屋地帯】を根城にしている。半年前、この辺りは火事にあった。第四区画は様々な建物が密集している。火事は広がり、多くの宿屋、クエスト案内所が焼けてしまった。消火したはいいが、焼けた建物はそのまま放置されている。黒く焼け焦げた骨組みだけの建物が、いつ崩れるとも知らず荒廃していく。危険なのでここには人が近づかない。彼女はその群の中にある、半分焼けてしまった娼館の一室に住み着いている。その部屋も火事の煽りを受けているが、我慢できないほど酷くはない。寝泊まりするだけなら十分だろう。
「そうです。獣人族に仕事は無いし、お金も無い。だから」
シャルルはベッドの上の食糧を指差す。
「露店から盗んだりして、なんとか食いつないでるんです」
「盗みが見つかって、あの男に追われてたのか」
「それは違います」
シャルルはベッドに腰かけると、何か陰鬱な視線を天井に向ける。悩み、怒り、そして最後に諦めたような表情をすると、口を開く。
「実は私、人形というか、愛玩具というか・・・まあそんな風に言葉を濁したって意味ないんで正直に言いますけど、私は奴隷だったんですよ。第二区画に住んでるゴードンって大物商人に飼われてたんです。地下室みたいな所で何ヵ月も過ごしました。ゴードンは獣人族好きの変態おやじで、最悪な野郎です。酷い事いっぱいされましたよ。それをここでいう気はありませんけど、本当に地獄みたいな日々でした。ある日ゴードンが部屋の鍵をかけ忘れて、だから私、逃げられたんです」
「さっさとこの国を出ればいいだろ」
「そんな簡単にいかないですよ。私の故郷はオルマ国の近くの森ですけど、ここから何百キロもありますし、たどり着く前にモンスターに食い殺されちゃいます。護衛を雇おうにもそんなお金は無いし、それにゴードンはすっごく怒りやすくて、私のこと探してるかもしれません。だから仕方なくここに隠れ住む事にしたんです。ゴードンだってまさか、逃げ出した奴隷が王都に残ってるなんて思わないでしょ?」
「かもな。じゃあさっきの男は追っ手か」
「たぶんそうです。あいつはアズレトって傭兵で、よくゴードンが雇ってました。私も何回か会ったことがあります。あいつも最低のクズ野郎です」
そう言ったきり、シャルルは黙りこむ。あの傭兵にも酷い事をされたのだろう。
ふたりの間に重く凝った沈黙が堆積していく。
「あれ、帰ってきてたの?」
その沈黙を朗らかな声が破る。
シャルルの背後に背の低い少年が立っていた。まるで少女と見間違うほど整った白い顔の少年だ。短めに切られた美しい銀髪が、その顔との間に絶妙なバランスでもって、少女のような輪郭から少年の男性性を引き出している。すらりとした手足も印象的だが、何より長く尖った両耳が目立つ。エルフ族だ。
エルフの少年は笑顔を浮かべていたが、サツキの姿を認めた瞬間、表情が固まる。
「に、人間?」
ただでさえ白い顔が、さらに蒼白さを増す。
わなわなと唇を震わせると、少年はシャルルに抱きついた。
「に、人間だよ!ど、どどどどうしようシャルル!殺されちゃうよ!処刑されちゃうよ!」
「ちょっと落ち着いてトルドル!この人間は大丈夫!大丈夫だから!」
彼女は動揺する少年に事の顛末を説明した。不安そうな顔をしていた少年だが、徐々に落ち着きを取り戻したのか、頬に赤みが戻ってきた。
「そうだったんだ」
トルドルは納得するとサツキに頭を下げる。
「シャルルを助けてくれてありがとうございました」
「取引したからな。礼をいう必要はないだろ」
「それでも、ありがとうございます。シャルルがいなくなったら、僕はひとりぼっちになっちゃいますから」
その言葉を聞くと、シャルルはトルドルを抱き寄せた。彼女の腕には力が籠っている。
「この子もね、私と同じような境遇なんです。貴族に飼われて、遊ばれて、第四区画に棄てられた。ここには最初、トルドルが住んでたんです。そこに私がお邪魔した感じで」
シャルルの眼が少しずつ潤んでいく。
「今ではトルドルが、唯一の家族です」
「シャルル、泣いてるの?」
少年はおどけたような声で言う。
「泣いてないよ」
シャルルは急いで眼を拭う。
サツキはそんな二人をぼんやり眺めていた。325年前、獣人族は腐るほど殺した。エルフ族も相当数、虐殺しただろう。両手は血にまみれ、身体に死臭を纏い、殺意と魔力を持って眼前の敵を殺し尽くす。それこそが異種族殲滅用生体兵器だ。それこそが俺だ。気がつくとサツキは嗤っていた。
「どうしたんですか?」
サツキの嗤い顔に違和感を覚えたのか、シャルルは困惑したように聞く。
「いや、俺が異種族の愛情物語を見てるって状況が、実に滑稽でな」325年前ならば、あり得ない光景だ。「世界はずいぶん平和になったらしい」
「平和ですか・・・?平和には程遠いと思いますけど」
「気にするな。こっちの話だ」
サツキは立ち上がり、窓を開ける。夜気がゆるく香った。遠くの方に、夜に沈んだ大きな城が見える。その手前には豪奢な屋敷がいくつも建ち並び、きらびやかな光を放っている。第四区画の喧騒が微かに耳に届く。人々の雑踏、浮かれたような笑い声、楽しそうな歌声、賑やかな夜の街。
(平和か)
夜風に当たりながらサツキは思う。
(もっとも俺に必要ない物だ)




