1 ユリシール王国・王都
「悪いけど、アタシはその話、やっぱり信じられないんだよね」
そう言うと赤毛の女はなみなみと注がれたビールを半分ほど飲み、木樽ジョッキをテーブルに置いた。
猫のような、大きなつり目が印象的な女だ。鮮やかな赤毛を少年のように短くしている。耳たぶに沢山のピアスを刺し、指にはいくつもの指輪がはまっている。よく見ると、そのアクセサリーには魔方陣や、呪文のような文字が小さく刻まれている。装飾品に偽装した魔術道具だ。髪色に合わせたのか、彼女は袖のない緋色のローブを羽織っている。その下にだらしない感じの、襟の大きく開いた黒いシャツ。身軽な服装で、一見すると女剣士のようだが、彼女は犯罪ギルド【ダムド】の魔術師カルネだ。
カルネは唇の泡を拭うと、自分と向かい合っている男を見る。
鍛え上げられた屈強な肉体。短く刈り込まれた頭髪。身体の至るところに刻まれた古傷。犯罪ギルド【ダムド】の一員、バルガス。
「あんたとは長い付き合いだよ。王国魔術学術院を追放されたアタシを拾って【ダムド】に加えてくれたのはあんただし、裏にしろ表にしろ、危険な仕事でアタシが死にかけてる時、命を救ってくれるのはいつもあんただ。感謝してるし信頼もしてる。そんなあんたの言葉を否定するつもりはないよ。でもね」
そこでカルネは言葉を切ると、残りのビールを飲み干す。ふぅ、と溜め息を吐き、バルガスに言う。
「異種族殲滅用生体兵器を見たなんて話、信じられると思う?」
「逆の立場なら信じられないだろうな。俺自身、確証がある訳じゃない。だがなカルネ、可能性はある」
カルネは手を上げる。黒いワンピース型の制服に白いエプロンをさげた女性がカルネの前に現れる。「もう一杯」と木樽ジョッキを店員に差し出す。それを受けとると店員は一礼し、店の奥へと消えた。
「可能性ねぇ」
ふたりがいるのはユリシール王国の王都だ。ユリシール王国には人口80万人が住まい、王都にはその六割が集中している。王都は逆スリバチ地形の上に作られている。そのため高低差があり、この都市には坂が多い。一番の高台に王族の住まうユリシール城が建てられている。そこを中心に、都市は円を描くように広がり、四つの区画に分けられている。
第一区画はユリシール城のある王都中心部。この区画は高い壁に囲まれ、壁面周辺や入り口には選りすぐりの王国騎士団が配置されている。さらに王国魔術探求団が魔法攻撃対策として、常に結界を張っている。厳重な警備だ。
第二区画は貴族や超大物商人など、非常に裕福な者たちの住まう区画。豪奢な屋敷や貴族専用の学校など、選ばれた者のみが住むことを許されている。ここにも王国騎士団が配置されている。だが、貴族たちはそれだけでは不安なのか、高い金を払い冒険者や傭兵を私兵として雇い入れている。
第三区画は平民の住まう区画。レンガ造りの家が立ち並び、商店が軒を連ねている。普通の学校や魔術学院などはこの区画に集中している。平凡な街並みだ。学生が多いためか、全体的に平和な空気が満ちている。
そして王都の一番外周に位置する第四区画。この区画にギルドの施設が集中している。第四区画は通称【無法地帯】と呼ばれている。冒険者や狩人といった近接職は男女問わず憧れの対象ではあるが、それと同時に忌み嫌われてもいる。モンスターや異種族を討伐し、場合によっては人をも殺す。王都に住まう人々は王国ギルドがあるからこそ平和な暮らしを享受できる。だが同時に、人々は血と死の臭いを王都に持ち込んでほしくないとも思っている。平和は欲しいが血は見たくない、なんとも勝手な理論だ。その勝手な理論が第四区画を作り出した。王都の人々はギルド関係の物を全てそこに追いやった。そうすると自然、冒険者たちは第四区画に集中する。王都となると、世界各地から冒険者や魔術師が仕事を求めやってくる。大勢の人間が集まる場所には宿場が必要になり、飯屋が必要になり、酒場が必要になる。すると莫大な金が生まれる。そうなると、今度は娼館、カジノ、闇ギルドの裏クエスト案内所など、合法非合法にかかわらず様々な物がごちゃ混ぜに第四区画に集まりだした。今では熱気と混沌に満ち満ちた、王都一活気ある区画に変貌していた。
ふたりは第四区画東部にある娼館通り、そこに建つ『トパーズ』という娼館の地下室に作られた、闇ギルドの非合法クエスト案内所で酒を飲んでいる。地下室は半分がクエスト案内所、もう半分が酒場になっている。壁や天井にぶら下がったランプが不気味に店内を照らしている。客は皆一様に険のある顔つきをしている。ここは【ダムド】のような裏の人間しか出入りできない。
店員が木樽ジョッキを運んでくる。カルネはそれを受けとると、言葉を続ける。
「魔術学術院に通ってた頃、普通に魔法の勉強するのに飽きちゃってさ、面白そうだから消失魔法技術について調べまくってた時期があるんだよね。だからその辺に関しては詳しいよ。過去の文献には確かにドラゴンキラーの記述があるし、王国ギルドも魔術学術院もドラゴンキラーの存在は認めてる。でもこの325年間、ドラゴンキラーが生存していた痕跡はひとつも見つかってないよ」
「閲覧制限レベル10の項目を学生が調べられるのか?」
「アタシこれでも学術院の成績はトップクラスだったんだよね。あの学校って成績が全てなの。平民も貴族も関係ない、魔術師の才能だけが物をいう世界。成績上位十名に入る生徒は基本的に情報制限を免除され、学校から資金が提供される。やりたい放題よ」
当時を思い出したのか、カルネは少女のようなくしゃくしゃの笑顔を浮かべる。
(王国魔術学術院でそれだけの成績があったなら、今ごろはユリシール城で働いていただろうに)
バルガスはカルネを見る。彼女はビールを飲み、楽しそうに笑っている。
(リアンといい、カルネといい、前途有望な若者がどうして俺と同じ場所にまで落ちてくるんだろうな)
バルガスは苦笑した。
バルガスはこの国の生まれではない。いや、そもそもバルガスには故郷がない。彼は各地を転々とする傭兵団の中で産まれた赤ん坊だ。物心つく前から短剣を握らされ、成長するにつれ剣術やナイフ捌きを叩き込まれ、十歳の時に初めて人を殺した。十二歳の時にはすでに歴戦の戦士のように戦場を駆け回っていた。そんなバルガスがこういう職業に就き、闇の仕事を請け負うようになるのに時間はかからなかった。血の中でしか生きられない。そしてバルガスはこれが自分の天職だと自覚している。俺の生きる場所は危険な戦場やモンスターとの戦いの中にしか存在しない。
だが、ふたりは違う。リアンは恐らく貴族の出身だろうし、カルネは天才の集う王国魔術学術院に通っていた。順調に進めば素晴らしい人生を歩めたろうに。
一度バルガスはその事についてカルネに聞いたことがある。
すると
「でもさ、まともな人生ってユリシール城の魔術師になって一日中結界を張ってるような毎日の事でしょ?そんなのつまらないよ」
と言葉が返ってきた。
「人生楽しまなきゃ損でしょ?アタシは刺激がほしいんだよね。ま、刺激を求めすぎて学術院を追放されちゃったんだけど、それもしかたないかなって思うよ」
カルネは飄々と言ってのけた。
(『刺激』か。結局のところそれが全てなのかもしれないな)
バルガスが戦場に身を置くのも、リアンが身分を捨て冒険者になったのも、カルネが有望な将来に見切りをつけたのも、刺激を求めているからなのかもしれない。ただ、平和に暮らしているだけでは絶対に味わえない、血と暴力の渦巻く、死と隣り合わせの強烈な刺激。【ダムド】の人間はそんな刺激に飢え渇いている、刺激中毒者たちなのかもしれない。
「あ、やっぱりここで飲んでた」
気がつくとバルガスの隣に男が立っていた。身長180はありそうな痩身に、ボサボサの黒髪が乗っている。リアンだ。彼は空いている席に座ると、ビールを注文した。
「魔眼の修理は終わったのか?」
「ええ、この通り完璧に」
リアンはふたりに右眼を見せる。亀裂の入っていた表面は綺麗に修復されていた。うっすらと魔方陣が浮かび上がっている。いつ見ても惚れ惚れするほど美しい魔眼だ。
見せ終わるとリアンは少し顔をしかめた。
「しかし魔眼の修理ってあんなに高いんですね。ミカルデ村の報酬の分け前がほとんど消えちゃいましたよ」
「あんたが魔眼を割るなんてへまやらかすからでしょ。だいたいどうやったら最高級の魔水晶に亀裂が入るのよ。たとえあんたが上位炎魔法で消し飛んだとしても、その魔眼だけは無傷で回収できるような代物なのよ」
「カルネさんは辛辣だなぁ。アレは僕のへまじゃないですよ。不可抗力っていうか不測の事態っていうか。もう何回も言ってるじゃないですか」
「ドラゴンキラーのせいだって言うつもりでしょ?」
「そうです」
リアンの言葉に、カルネはしばし沈黙する。
バルガスとリアンがダークエルフの村から生還して、すでに半月が経過していた。死に物狂いでヌルドの森を抜け、エーデル平原をほぼ不眠不休で歩き続けた。途中、自分たちが壊滅に導いたミカルデ村で休息をとった。吸血鬼に殺された死体は食人鬼へと変貌をとげていたが、危険度1のアンデッドなどバルガスの敵ではない。襲いかかるグールを次々と切り伏せ、ふたりは民家の屋根の上で交代で眠りについた。翌朝、ふたりはまた歩き出す。ボロボロになりながら、十日前に王都に到着したところだった。
第四区画のアジトに戻り、事の顛末を話したが、誰ひとり信用しようとはしなかった。それはそうだ。上級吸血鬼三匹を一撃で葬った人間を見たと話して、一体誰が信じてくれるというのか。バルガスも立場が逆なら鼻で笑っていただろう。だがこの眼で見た。夢や幻ではない。事実だ。
唯一カルネだけが興味を示した。魔術師であり、消失魔法技術に興味を持っていた過去があるからだろう。それにリアンの魔眼に亀裂が入っていることも、心のどこかで引っ掛かったのだろう。
だが、そんなカルネでも、やはりドラゴンキラーが生存していると考えるのは抵抗があるらしかった。
「消失魔法技術を調べていたと言ったな。ドラゴンキラーについて、何か詳しく知ってることは無いのか?」
バルガスはビールを一気に飲み干すと、カルネを見た。




