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ドラゴンキラー  作者: あびすけ
第四話 地獄に堕つ五芒星編 第三部【聖都落とし】
144/150

30 好機






【30】

 ベリアルは勢いよく地面に着地する。衝撃に、白大理石の路面が砕け散り、堕天使の巨体を中心に、蜘蛛の巣状の亀裂が拡がる。ベリアルは自らの右拳を見やる。白金の手甲がべったりとした血に濡れている。肉を突き破った柔らかい感触が、骨を打ち砕いた固い感触が、今もありありと右拳に残っている。


「ベリアル様」


 呼び掛けに、彼は顔を上げる。シャルルアーサが小走りに駆けてくる。


 ベリアルは血糊を振り払い、聖女と向き合う。「人々は無事か、シャルルアーサ」


「はい。私の連れている生存者からは、いまのところ死者は出ておりません」


「君はどうだ」


「心配には及びません」つよい顔つきでシャルルアーサは答える。「こと結界術においては、私としてもその実力に絶対の自信を持っております。私にも、そして私が保護した方々にも、指一本触れさせてる気はありません」そこまで云って、彼女は口惜しげに表情を歪める。白むほどに握られた拳を胸元に押し当て、シャルルアーサはベリアルの背後、その上空に視線を向ける。


「それよりも、申し訳ありませんでした。私があと寸秒でも会話を長引かせていれば、致命傷とはいえないまでも、ある程度の深傷を彼女に負わせることができたかもしれないというのに……寸前のところで気づかれてしまいました」


「気にするな、シャルルアーサ」

 そう云ってベリアルは身を翻し、

「僅かとはいえ、私の拳は、間違いなく魔女に届いた」


 聖女にならうように、頭上を仰ぐ。


 異形の杖に横坐りした獄焰の魔女コラフェルヌ・マギスが、此方こちら下ろしている。


 唇を吊り上げ、大仰に肩を揺らし、ジュリアーヌは眼下のふたりを嗤笑する。

「残念でした」




 シャルルアーサはジュリアーヌ・ゾゾルルと会敵した直後に、此方こちらに近づいてくるベリアルの魔力を察知していた。シャルルアーサは援軍の存在に戦意を鼓舞され、同時にジュリアーヌが堕天使の気配に気づいていないことに気づいた。──聖都の現状が、シャルルアーサとベリアルに味方したのだ。セイリーネスに降り立った十体の超越魔物トランシュデ・モンストル、彼等が野放図に発散する厖大な魔力によって、聖都はいまや粘りつくような重たい魔力の泥濘の中に沈み込んでしまっていた。高密度の魔力粒子が幾重にも折り重なり、高濃度の魔力残滓が複雑に絡み合ったことによって、現在いまの聖都全域は〈薄幕ベール〉、とまでは云わないまでも、それに似た、ある種の魔力探知障害が引き起こされている。斯様な状況下でシャルルアーサがベリアルの魔力をいち早く察知できたのは、ひとえに彼女の第六感シックスセンスがベリアルの魔力に親しんでいるからだ。しかしそうではないジュリアーヌには、迫り来る堕天使の魔力は分厚い霧の向こうにぼんやりと浮かぶ、無数の魔力の内のひとつに過ぎなかった。──とはいえ、この様な状況は長くは続かない。ジュリアーヌの実力を考慮すれば、やがては気づかれる。ゆえにシャルルアーサは、慎重かつ迅速に、魔女の周囲に〈薄幕ベール〉を展開した。その性質上、内側にいる者が薄幕の存在に気づくのは至難であるが、しかし外側からならば観測は容易。いち早くシャルルアーサの意図を察したベリアルは、自身の漏出魔力を極限まで抑え込み、迅速果断にジュリアーヌ・ゾゾルルへの奇襲に打って出たのだった──




「シャルの云うとおり、あと少し気づくのが遅れてたら、危なかったわ」そう云って、ジュリアーヌは肩から黒い羽毛を摘まみ上げる。「まあでも、アタシの可愛い使い魔を持っていけたんだから、戦果としては上々なんじゃない?」



 奇襲は成功したかに思えた。


薄幕ベール〉によってベリアルがジュリアーヌの背後を取った瞬間、シャルルアーサは〈空間固定〉によって大鴉の回避行動を封じた。ジュリアーヌはそのままベリアルの拳に撃ち抜かれるはずだった。


 だが、拳が触れる寸前、ジュリアーヌの長杖が、黒く爆ぜた。


凶炸デス・エクラルゴ〉だ。


 不意に巻き起こった爆発を、しかしベリアルは意に介さず、そのまま強引に拳を振り抜いた。生温かな血汐、肉と骨を打ち砕いた確かな感触。しかしその拳が撃ち抜いたのはジュリアーヌではなく、大鴉ストリゲスのものだった。


〈凶炸〉の衝撃を受け止めず、えて吹き飛ばされる形で、ジュリアーヌは間一髪、ベリアルの拳を回避していた。



「さすがにちょっと油断し過ぎたみたい」ジュリアーヌは黒く灼け焦げた崩壊寸前の建物の屋根に降り立つ。「何につけてもあそんじゃうのって、ほんとアタシの悪い癖よね」嗤い、胸元から頸飾りペンダントの束を引きずり出す。鴉、貓、山羊、鼠──様々な紋章の刻まれた装身具、その中から〈犬〉を象ったひとつを選び出す。

「おいで、アタシの可愛い狩り犬たち」


 途端、〈犬〉のペンダントから遠吠えが轟き、ずるりずるりと漆黒の犬が飛び出してくる。漆黒の犬は次から次へと姿を顕し、瞬く間にジュリアーヌの周囲に群れ集う。


地獄の狩り犬ヘル・ハウンド〉だ。魔女の使役する使い魔のひとつ。相手を獲物に見立て、戦いを狩りになぞらえるジュリアーヌは、敵を追い立て、群れで襲い掛かるこの使い魔をもっとも好む。


 傍らの狩り犬の頭を撫でながら、ジュリアーヌは愉しげに嗤う。「知ってた? アンタたちふたりは逆五芒星アタシらが定める最重要討滅対象よ。正直手を下すのは他の奴等に任せようと思ってたんだけど、せっかく出会ったんだし、アタシ自ら潰してあげる」


 獰猛な狩り犬の唸り。周囲に立ち込める焰熱の魔力。魔女の眸が殺意に燃え上がる。


「……致し方ありませんね」完全な臨戦態勢へと移行した魔女を見上げながら、シャルルアーサは覚悟を決める。「こうなってしまっては、もはやジュリを……いえ、ジュリアーヌ・ゾゾルルをこの場で討ち倒すより他に道はありません。何としても、私とベリアル様で彼女を……」

はやるな、シャルルアーサ」ベリアルは力強い声色で聖女の言葉を遮る。「思い出せ、女王・・が何と云っていたのかを」その言葉に聖女はハッと息を呑み、「云ったはずだシャルルアーサ。私の拳は、間違いなく魔女・・・・・・・に届いた・・・・、と」


「……まさかッ」


「そうだ。すでにマーキングは済ませている」


 ベリアルの視線が、魔女の握る長杖へと注がれる。


 無数の魔道具の縫い付けられた、箒の如き異形の杖。


 その中に紛れるように、それ・・はある。


 先ほど交わされた一瞬の攻防、打ち下ろされたベリアルの拳は、勿論ジュリアーヌを狙ったものだ。しかしベリアルとて、この程度で魔女を仕留めきれるなどと思ってはいなかった。ゆえに次善の策を用意していた。いや、むしろそちらこそが本命だったのかもしれない。

 堕天使の拳は、血の女王から手渡された〈鍵〉を握り込んでいた。


 そしてその鍵は、いまや魔女の杖の中にある。


「分かるな、シャルルアーサ。この機会を逃す手はない」


 シャルルアーサは力強く頷き、ジュリアーヌに向かって素速く右腕を差し向ける。


 ジュリアーヌの周囲が結界にとざされる。


「何これ」ジュリアーヌはぐるりと周囲を見廻す。漣立つ魔力の檻。彼女は小頸をかしげ、不思議そうに聖女を瞰下みおろす。「一体何のつもり? まさかこの程度の結界でアタシを閉じ込められると思ってるわけ?」


「無論、思ってなどおりません。ですが、多少時間を稼ぐことは出来ます」


「何、もしかして逃げる気?」ジュリアーヌの顔に失望が走る。「この期に及んで敵前逃亡するなんて、正直ガッカリなんだけど」


「逆です、ジュリ」落ち着いた声色で、シャルルアーサは告げる。「私たちは逃げたりしません。その結界は、貴女の逃亡を妨げる為のものです」


 ジュリアーヌが眉を顰めたと同時に、〈鍵〉は、その内部に仕込まれた魔法を発動した。


 魔女の眼前の空間に、亀裂が走る。


 何が起きたのかを理解する前に、ジュリアーヌは魔力を練り上げる。


 ベリアルとシャルルアーサの策は悪くなかった。十中八九成功するはずだった。


 だが、相手はあのジュリアーヌ・ゾゾルルだった。


 彼女の実力を以てすれば、瞬時に四方の結界を破壊し、〈鍵〉の効果範囲から逃れることは可能。あるいは生じた亀裂に侵入ハッキングを仕掛け、発動された空間魔法を無力化することも容易いだろう。あるいは、あるいは……ジュリアーヌならばこの状況を打開する策を無数に思いつき、逃れることができただろう。


 だが、そうはならなかった。


 彼女は、虚を衝かれたのだ。


 ジュリアーヌの眼前に開かれた亀裂は、聖女の魔法ではなかった。おそらく、堕天使のものでもない。あり得なかった。神に仕える者たちがその魔法を扱うことなど、絶対にあり得るはずがなかった。それは死の魔法だった。闇の魔法であり、冒涜の魔法であり、何より不死者ノスフェラトゥの魔法だった。


「……〈魔の廻廊デモンズ・サモティオフ〉?」


 ゆえに彼女は虚を衝かれ、


 次の瞬間、ジュリアーヌは狩り犬諸共亀裂に呑み込まれた。






 気がつけば、ジュリアーヌはそこに立っていた。


 周囲には、広大な円形の空間が拡がっていた。広場だ。足下には細かな砂が敷き詰められ、四方は混凝土コンクリートの壁面に取り囲まれている。壁面の上には広場を見下ろす形で見物席が設けられ、階段状の見物席は何層も積み重なり、しかしその先に本来あるはずの天井は、無い。遮るもののない天井部は、完全な吹抜となっている。


 この造形には覚えがある。魔導学院在学中、ジュリアーヌは一度、この建物を訪れている。


 此処は、闘技場だ。


 ジュリアーヌは天を仰ぐ。


 吹抜の頭上には、闇が垂れ込めている。


 海底を彷彿させる、重く深い、夜よりもくらい闇。それ程の闇が釣り鐘のようにすっぽりと、闘技場を覆い尽くしている。──だというのに、ジュリアーヌの視界は鮮明だ。光源はない。闘技場は真なる闇に鎖されている。だというのに、壁面に刻まれた数々の傷跡を、見物席の合間合間から突き出す石柱の装飾を、ジュリアーヌは明瞭に見て取ることが出来る。


 イビルへイムの空間もそうだった。


 あらゆるものが闇に沈んでいながら、そのすべてを鮮明に捉えることが出来た。


 現世うつしよの闇ではない。現実の闇ではない。


 これは幽世かくりょの闇。魔の闇。不死者の闇。この場所は間違いなく超越魔物によって創り出された空間。


 砂利ざりと、砂を蹈む音がする。


 ジュリアーヌは音のした方に顔を向ける。


 闘技場の入場口から、大きな人影が歩み出てくる。


 明らかに人間のものではない巨躯。竜を象った異形の鎧。背中に背負うは極大の斧。そしてヘルムから突き出した一本の牛の角。


 魔女を取り囲む黒い狩り犬たちが、獰猛な唸りを上げる。


「へぇ、予想外」ジュリアーヌは愕いたように眼を見開き、「アンタの云ったとおりになったじゃない、ザラチェンコ」


 獄焰の魔女コラフェルヌ・マギスの前に顕れたのは、ミノタウロス。


 爛れた復讐者、アステル・ガンサルディード。






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