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ドラゴンキラー  作者: あびすけ
第四話 地獄に堕つ五芒星編 第三部【聖都落とし】
141/150

27 聖女の護り






【27】

 焼け落ちた建物が、幼い兄弟に向かって崩れ落ちてきた。


 反射的に、ふたりはその場に蹲った。


 あどけなさの抜けきらぬ兄と、年端もいかぬ妹。


 ふたりに逃げ場はなかった。建ち並ぶ商業施設、荘厳な神殿、複雑に交差する街路……〈商業区〉を構成するすべての要素が、黒い焰に包まれていた。建国記念日を祝うため、兄妹は両親にともなわれ、朝早くから商業区へと繰り出していた。例年とは違い、祝賀祭フェスティバルは中止だ。現在の聖都は準戦時下態勢にある。浮かれ騒ぐのではなく、静かな一日を過ごすよう、〈神の代理人〉はセイリーネスの住民に呼びかけていた。しかし、今日は建国記念日。神聖都市国家セイリーネスが誕生した日。一家が商業区に到着した頃には、すでに大通りは盛大な賑わいを見せていた。確かに、例年の盛り上がりには程遠い。花火による祝砲も、聖歌隊による合唱も、何より〈教会〉による記念進行パレードも、今年は禁じられている。それでも、今日という一日を粛然と過ごすなど、聖都の住民には考えられなかった。


 だから人々は集まった。だから一家は街中に繰り出した。


 祝うため、楽しむため。何より神を讃えるために。


 そして地獄が訪れた。


 幼い兄弟には、何が起きたのか理解できなかった。すべてはあまりにも急激過ぎた。気づいた時には、結界が破壊されていた。気づいた時には、”魔”の侵寇しんこうが始まっていた。そして気づいた時には、兄妹の両親はふたりの眼前で──無差別に降り注いだ焰により──黒々と燃え上がっていた。


 呆然と、ふたりはその光景を見つめた。


 狂ったように両腕を振り回す母親と、烈しく身を捩る父親。その様は、あたかも焰の中で踊り狂っているかのよう。


 燃えているのはふたりの両親だけではない。大通りの至る所で人々が火達磨となり、左右に軒を連ねる様々な商店を黒い迸りが嘗め、黒い劫火はその火勢を強めていく。肉の灼ける臭い、脂血の爆ぜる音。焼け落ちる建物、瓦解の轟音。熱風と陽炎かぎろい。悲鳴、嗚咽、絶叫。瞬く間に大通りは焦熱地獄と化し、いまだ無傷の人々は、焰からのがれようと、狂気じみた恐慌をきたす。


 逃げ惑う人波から幼い兄弟が遁れ得たのは、僥倖というより他にない。人波に押し出される形で、兄妹は長細い路地に倒れ込んだ。左右の建物には、いまだ焰が到達していなかった。少年はすぐさま立ち上がり、幼い妹の手を引いて走り出した。感情は鈍麻し、思考は停止し、ただ本能のみが、生き残るためにふたりの躯を、その足を動かし続けた。そのままふたりが火の手から逃げ延びることができたのも、やはり僥倖の賜物だろう。たまたま人波の少ない場所を通り抜け、たまたま火勢の弱い場所に行き着き、たまたま魔物に遭遇せず……そうして、今まで逃げ延びることができた。


 だが、所詮は偶然。幸運は長くは続かない。


 気がつけば、兄妹は黒い焰の只中に迷い込んでいた。周囲を囲う、高々と燃え盛る焰の城壁。逃げ疲れたふたりは、その場に立ち尽くすことしかできなかった。


 そして焼け落ちた建物が、幼い兄妹に向かって崩れ落ちてきた。


 降りかかる瓦礫から妹を護るために、兄は妹を抱き寄せる。妹は兄の胸に顔を埋め、その躯に強くしがみつく。


 もはや逃げ場はない。ふたりを待ち受ける運命は、瓦礫による圧死か、焰による焼死。あるいは、その両方か。


 神に祈りながら、ふたりは固く眼を閉じた。


 どれだけの間、そうして眼を瞑っていただろうか。


 兄が異変に気づいた。


 いつまで経っても、瓦礫が降り注いでこない。


 少年は恐る恐る薄目を開け、おどろきに、その双眸を大きく見開いた。遅れて眼を開けた妹も、唖然とした様子で頭上を仰いだ。


 燃え盛る無数の瓦礫が、刻が止まったかのように、ふたりの頭上で停止していた。


 砂礫のような小さな破片から、巌の如き巨大な塊まで──瓦礫はすべて、結界術〈空間固定〉によって、その動きを封じられていた。


「間一髪、合ったようですね」


 凪いだ湖面のように穏やかな声が、背後から聞こえた。振り返った兄妹の眼に、ひとりの女性の姿が映った。


 凝乳の肌。翡翠色の美髪。身に帯びるは耀くような純白の魔術師外套メイジ・ローブ。天使の如き美貌に柔らかな表情を湛え、しかし兄妹を見つめる眼差しは、愕くほど凜凜しく、またつよい。女性はゆっくりとした歩様でふたりに近づいてくる。周囲を囲っていた焰はすでに消え、残骸の所々で熾火のように燻るのみ。向かってくる女性の名を、ふたりは知っている。知らぬはずがない。聖都にて双璧をなす〈聖騎士〉様と〈堕天使〉様、両雄に引けを取らぬ知名度を誇る、賢者院の魔導師ウィザード。三賢者最高の弟子にして、類い稀なる結界術の使い手。


「……聖女様」震える声で、少年はその名を呼ぶ。「〈聖女〉シャルルアーサ様」


「よく生き延びましたね」シャルルアーサは膝を折り、真摯に少年に向かい合う。少年の身なりは薄汚れ、手足は擦り傷に血が滲み、その顔は煤に黒ずんでいる。抱きしめられた妹も同様。シャルルアーサは兄妹を安心させるように微笑み、頬の汚れを拭ってやり、ふたりの髪を優しく撫ぜる。「もう、大丈夫です。私が来たからには、誓ってあなたたちには指一本触れさせはしません。だから、安心してください」


 聖女の言葉に堰き止められていた感情が一挙にあふれ出たのだろう、兄妹の両眼から大粒の泪がこぼれ、嗚咽に声を詰まらせながら、ふたりはシャルルアーサに抱きつく。シャルルアーサは優しく抱擁を返し、しばし兄妹が泣くがままにまかせる。純白の外套は涕洟ていいに濡れ、しかしシャルルアーサは気にもかけない。彼女はただ、慈愛をもって兄妹の背を抱きしめる。


 一体、この僅かな間にどれほどの惨事を目撃したのか……そう思うと、シャルルアーサの胸奥に刺すような痛みが走る。年端もいかぬ子供たちが、この様な目に遭わねばならぬ道理があるとでもいうのか。泣きじゃくる兄妹の背をさすりながら、シャルルアーサは静かに奥歯をむ。


「シャルルアーサ様」


 呼ばれ、聖女は兄妹から優しく身を離し、立ち上がる。


 背後に、人々が集まっていた。顔に火傷を負った学生、前掛けが血に汚れた主婦、焼け焦げた身なりの魔術師、負傷した騎士。此処ここに来るまでにシャルルアーサが救った多くの人々が、聖女の背を見つめている。


「この子たちをお願いします」


 そう云って、彼女は人々に幼い兄妹を引き渡す。人々は兄妹を迎え入れ、いたわるようにその躯を叩き、励ましの声を掛ける。いまだ幼い瞳を潤ませながらも、ふたりは泪を拭い、人々に頷きかける。


 そんな人々を見つめながら、


 そろそろ、限界かもしれませんね


 シャルルアーサは胸中でそう溢す。集団は、すでに四、五十人という規模にまで膨れ上がっている。商業区の人口密度を思えば、その人数は微々たるものかもしれない。しかし超越魔物トランシュデ・モンストルによる惨劇の只中から救い出せた事実を考慮すれば、その人数は決して少なくはない。いや、むしろシャルルアーサは、これ以上ないほどに最善を尽くしている。


 だが、それももう限界が近い。


 商業区に留まり救出作業を続行すれば、おそらく救える生命いのちはまだまだ見つけ出せることだろう。焰に巻かれ、絶望に打ちひしがれ、それでも救いがおとなうのを信じ、敬虔に祈りを捧げる信徒たちが、この区劃にはまだまだ多くいるはずだ。そういう神の子らを救出する為にこそ、シャルルアーサは〈神の代理人〉の決定を振り切って、単身渦中に──最も被害が甚大であろう商業区に──飛び込んだのだ。しかし、そんな彼女の救出作業も、もはや限界を迎えつつあった。助け出した人々は、精神的にも肉体的にも疲弊している。聖女の手前、口に出さないが──自分たちが救出された事実をおもんぱかれば、尚更──集団は、一刻も早く安全な場所に移動したいと願っている。彼等の想いを無下にすることなど彼女に出来るだろうか。それにシャルルアーサ自身も、名状しがたい不安を胸中に抱えていた。


 周囲を一瞥した聖女の視界が、静かにさざなみ立つ。


 魔力の盾。防禦魔法の真髄。


 現在シャルルアーサは、人々の周囲を結界で覆い、迫り来る火の手から集団を護っている。しかし人数が増えれば、それだけ結界の面積も拡大し、面積が拡大すれば、魔力消費量も増大する。賢者院が誇る最高の魔導師である彼女の技倆は、超越魔物に引けを取らない。〈超精密彫刻技術〉によって躯にえがかれた魔方陣によって、魔力保有量を増強してもいる。だが、それでもやはり、シャルルアーサは人間だ。いくら増強しているとはいえ、その魔力量には限りがある。現在の規模であれば、結界を長時間展開し続けることは可能だ。しかし、これ以上人数が増え、結界の有効範囲を拡げるとなると……


 決断を下さねばならない。


 このまま救出作業を続行するのか。それとも、断念するのか。

 再度、シャルルアーサは人々を見つめる。


 彼等の顔に深く刻まれた疲労、心労、怯え。


 今、何よりも優先しなければならないのは……


「皆さん、聞いてください」


 聖女が呼び掛けると、場は水を打ったように静まり返る。


「商業区での救出作業は一旦打ち切り、私たちはこれより、聖都からの脱出を試みます」


 集団から、小さな歓呼があがる。胸を撫で下ろす人々の笑顔を見つめながら、シャルルアーサは己自身に頷く。


 これは、戦争だ。”聖”と”魔”、どちらかの存亡を賭けた壮絶な戦いだ。戦争である以上、犠牲が出るのは必定。いくらシャルルアーサが聖女であろうと、その手の届く範囲は限られている。理想論だけでどうにかなるほど、この戦いは甘くはない。すべては救えない。なればこそ、その手の届く範囲の人々は、何があろうと護り抜かねばならない。


 決意を胸に、凛然たる顔つきで、シャルルアーサは一同を見廻す。「いいですか皆さん、身を寄せ合い、歩調を合わせ、私に着いてきてください。子供を連れている方は抱き上げ、負傷者の傍にいる方は、手を貸してあげてください。再三になりますが、何があろうと、私が展開する結界内から、絶対に出ないでください。もはや聖都は……」


 瞬間、上空で魔力が炸裂した。


 咄嗟に、シャルルアーサは頭上に結界を展開する。


 蒼穹より降り注ぐ、瀑布を思わせる黒き火焰の迸り。


 焰の卷曲うねりは街区を灼き、焦がし、呑み込み、しかし聖女には、集団には届かない。あらかじめ張り巡らせておいた結界と、瞬時に展開した対魔法攻撃に特化した結界。濁流が巨岩にぶつかり分かたれるように、黒き卷曲はシャルルアーサの二重障壁によって行く手を遮られ、波打ち、荒れ狂い、結界外を焰の海へと変えていく。


「やっぱり、そうだと思った」


 愉しげな女の声が、頭上より響いた。


 シャルルアーサのうなじが、瞬時に粟立つ。


 その声を知っている。その声を憶えている。


 シャルルアーサの胸中に兆していた不安、その原因は、自身の魔力保有量だけにるのではない。


 空を走る黒い光線を眼にした時から、わかっていた。黒焰に燃え盛る商業区に足を踏み入れた瞬間から、覚悟していた。


 此処ここには、彼女がいる・・・・・。 

「アタシの焰をふせげる結界張れる魔術師なんて、そういるもんじゃないもんね」


 鳥の羽撃はばたきが聖女の耳を打つ。宙を舞う漆黒の抜羽が、沫雪あわゆきのように、静かに結界に降り落ちる。頭上から投げかけられる巨大な影は、彼女の使い魔によるもの。


 ゆっくりと、シャルルアーサは天を仰ぎ見る。


 夜よりもくらい濡れ羽色の大鴉ストリゲス、その背に、ひとりの女の姿が在る。


 乱雑な紫髪。猛禽めいたひとみ。半顔を覆う逆五芒星ヘル・ペンタグラム


 この魔女との遭遇、この魔女との会敵、その可能性こそが、シャルルアーサに名状しがたい不安を抱かせた。


 超越魔物トランシュデ・モンストルにして、かつての学友。地獄に堕つ五芒星ヘル・ペンタグラムの一員にして、シャルルアーサが唯一憧れを抱いた魔術師。


 白くなるほど握り締められた両の拳を、シャルルアーサは胸元に強く押し当て、


「……ジュリ」


 聖女の口からぽつりと溢れたかつての愛称に、


 ジュリアーヌ・ゾゾルルはにやりと嗤い、残酷な声色で聖女に応える。


「久しぶり、シャル」






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