9 塵芥
【9】
ロイタードの告げた名に、場内は静まりかえる。
痛いほどの静寂。闇のような沈黙。
次の瞬間、先ほどまでの喧噪が無音に思えるほど、代理人議場は劇的な狂騒に包まれる。教会席、騎士団席、賢者院席、すべての区劃、そこに座るすべての議員が、何かしらの声をあげている。場内は感情の坩堝と化す。恐怖に顔を引き攣らせる者、興奮に頬を紅潮させる者、疑わしげに議場中央を見下ろし、しかし周囲と活発に議論を交わす者……憤怒、困惑、恐怖、歓喜、興奮、好奇、疑念……あらゆる感情、あらゆる反応が、すべてを埋め尽くしていく。
喧噪は、留まるところを知らない。
議場は混迷を深めていく。
これが誰とも知れぬ者の口から聞かされたなら、議員たちもくだらぬ冗談と一笑に付したことだろう。生体兵器は過去の遺物。生き残りはいない。それはもはや常識以前の常識として、知識以前の知識として、セイリーネスに根付いている。突然現れた男を ──確かに身体的特徴は一致しているが── 生体兵器だと云われ信じる議員など、いるはずがない。
だが、三賢者の口からとなると話は別だ。
神聖都市国家セイリーネスの知の象徴にして、かつてのテオスセイル世界連合の偉人である三人の言葉は、絶対的な重みを備えている。賢者たちが生体兵器計画の一端を担っていたことは周知の事実だ。誰よりも消失魔法技術を熟知しているのが三賢者だ。そんな彼等が、あの男の正体を生体兵器であると断じた。疑う理由などあるだろうか。それに、守護者たちの行動も、その事実を裏付けている。あの聖騎士と堕天使が法を破るなど、本来であれば考えられない。だが、相手が生体兵器となれば話は別だ。連合の保有した最大火力。全面戦争を終結へと導いた人類の切り札。それも、特級戦力第一位に選ばれた最強の生体兵器ともなれば……そうだ、この議場中央にいるこの男は、間違いなく、間違いなく、
「間違い、ないのですか」教皇ソルストレムが三賢者を見る。その表情と声は、硬い。「間違いなく、その者は」
「そうです」「左様」「然り」
イザベル、シュルツ、ロイタードは同時に首肯する。そして三人を代表するように、もう一度、ロイタードが告げる。
「この男は、間違いなく№11だ」
その言葉を皮切りに、議場内ではさらなる喧噪が巻き起こりかけ、
「静かにせよッ!」
堕天使の一喝が轟いた。普段のベリアルからは考えられぬその迫力に、場内は水を打ったように静まりかえる。
「衝撃的なのはわかる。だが、貴方がたは〈神の代理人〉だ。何時何時であろうと、冷静さを失ってはならない。そうであろう?」
「この様な醜態を眺める為に、議会を開いたわけではない」残酷なまでに冷ややかな表情で、アルトリウスは議席を睨む。言葉尻に、軽蔑が滲む。「粛々たるが代理人の義務だ。務めを果たせ」
「御ふた方の仰るとおりです」シャルルアーサが鷹揚に頷く。
「いやまったく、その通りだ」教皇ソルストレムは居住まいを正し、全議員に向け、また自身に言い聞かせるように、口を開く。「我々が挙措を失うなど、あってはならない。ましては客人の前、弁えなさい」
議員たちの好奇興奮はいまだ冷めやらぬまでも、聖都重鎮たちの言葉に、議場は一応の落ち着きを見せる。
「イレブン」最大限の威厳を備えた顔つきで、ロイタードは口を開く。「まさか、生きていたとはな」
「俺の台詞だ」赤い瞳が賢者を見やる。「お前等、なぜまだ生きている」
ロイタードは腕を晒す。「生を滞留させている」魔術師外套から突き出された痩腕、その表皮に、蒼い紋様が浮かび上がっている。〈老化遅滞〉の魔方陣。術式の身体刻印は超高等施術のひとつであり、全面戦争によって失われた技術のひとつでもある。だが、この連合の塔には、刻印の為の設備が備わっている。もっとも、完璧ではない。魔方陣の紋様には限りがあり、また施術には一時的に代理人運営を停止せねばならないほど膨大な魔力を必要とする。よって魔方陣を刻まれているのは聖都の未来に必要不可欠な人材に限られる。
三賢者と聖女シャルルアーサ、それに教皇ソルストレムにも、刻印は施されている。
「もっとも、老化を完璧に食い止めることなど不可能。緩やかにだが、我々は老いている」深い皺にまみれた腕から、視線を眼下の男に戻す。「貴様は何一つ変わっていないな、イレブン」
生体兵器に刻まれた身体強化魔方陣は戦闘能力を飛躍させるだけのものではない。軽度の負傷であれば瞬時に治すことのできる治癒術式や、肉体を完璧な状態に保つ為の老化遅滞が術式には内包されている。ゆえにイレブンが生存していても ──黒竜との激戦により命を落としたと思われていたが── 不思議ではない。だが、それにしてもイレブンの姿形は三百年前から何ひとつ変わっていない。賢者たちは約百年毎に外見年齢が十歳ほど更けていく。見目に比べ身体能力の劣化は比較的穏やかではあるが、それでもかつての壮健さは望むべくもない。〈老化遅滞〉とは文字通り、老いを遅らせるだけだ。しかし、イレブンはどうだ。生体兵器の魔方陣は賢者たちのそれを遙かに凌駕する性能だ。強化骨格は術式と連動し、魔方陣の効果を更に高める。魔力生成炉は無尽蔵の魔力を生体兵器に供給し、その結果、身体強化術式は限界を超える。だが、それでも、老いないというのはあり得ない。三百年、何ひとつ変化がないというのはあり得ない。
だが、この男はイレブンだ。
唯一、竜殺しと呼ばれた男だ。
この男は、すでに魔導生体技術理論の枠組みから外れている。
進化し、激化し、変貌を遂げている。
イレブンは、すでに生体兵器でさえないのかもしれない。
赤い鬼神とは、言い得て妙だ。そう、まさしくこの男は鬼神だ。
「それで」ロイタードは机上に肘をつき、手を組み合わせる。「突然現れ、一体何の用だ」
「お前等が生きていると聞き、些か興味を持った」そう云うイレブンの瞳からは、しかしすでに関心が薄れつつある。「それだけだ」
「なぜ聖都を訪れた。いまだ連合が健在だとでも思ったか」
答えは返ってこない。イレブンの視線は教会席へ向けられている。赤い瞳はソルストレムを捉えるが、彼が見ているのは教皇その人ではない。代理人議場は、世界連合の形式そのままだ。騎士団が〈連合軍〉。賢者院が〈魔導技術局〉。そして教会は三百年前から変わらず〈教会〉。「ギグは死んだらしいな」
「聖騎士殿から聞かされたか」ロイタードは頷く。「その通り。勇者は、病により身罷った」
イレブンの口元が、わずかに歪む。聖都を訪れてから初めて見せる、感情らしい感情。嗤い。「らしいといえば、確かにらしい死に様だ」
「まだ、私の質問に答えていないぞイレブン。なぜ、聖都に現れた」
「理由を持っているのは俺ではない。俺が連れてきたミノタウロスだ」
「どういうことだ」
イレブンは答えない。その顔からは、完全に興味が失われている。
興味を失ったイレブンから言葉を引き出すのは、ほぼ不可能だ。
「もう十分だろう」アルトリウスが口を開く。「これ以上は時間の無駄だ」
「確かに、このあたりが潮時だろう」ベリアルは力強く三賢者を見つめる。その視線が意味するところを、賢者たちは即座に理解する。三人は顔を見合わせ、ベリアルに頷き返す。イレブンは危険だ。決して制御することのできぬ、巨大な火薬庫のようなものだ。些細な行動、迂闊な発言が、凄惨な殺戮に繋がりかねない。これが三百年前ならば、止められる者がいた。もっとも長く戦場を共にした最初期番号。そして常にイレブンに付き従った二体の生体兵器。〈№05〉ブラムド・シュル。〈№09〉メイ・シルギルド。彼等の言葉には、イレブンも耳を傾けた。彼等ならば、イレブンを説得し、止めることができた。
だが、今や彼等はいない。イレブンは抜き身の刃も同然だ。
このような場にこの男を留め置くのは、あまりにも危険すぎる。
もとより法を破らざるを得なかった理由を明示するために、議場に招いたに過ぎない。
イレブン自身も、このような場を好んではいない。
ベリアルは言葉を続ける。「イレブンの目的については、私から説明しよう。その他、彼の生存によって生じる様々な懸念事項についても、至急議論を交わさなければならない。だが、差し当たってイレブンには、退場していただく」
「異論がある者は?」有無を云わせぬアルトリウスの眼光が、議場を一瞥する。
「ベリアル様とアルトリウス様の判断に従います」賢者院席を代表するように、シャルルアーサがお辞儀をする。
ソルストレムも重々しく頷く。「教会としても、異論はありません」
騎士団席から声はあがらない。聖騎士と堕天使の下した決定に不服を申し立てる騎士など存在しない。
この騒動は、これで収まるはずだった。何の問題も無く、ひとりの死傷者を出すこともなく、収集がつくはずだった。
そう、つくはずだったのだ。
「お待ちくださいッ!」
勇ましい大声が、教会議席後方から響いた。
全議員の視線が、声の発生源に向けられた。
ひとりの男が、勢いよく席から立ち上がった。美丈夫といって差し支えのない、若い男だった。鮮やかな金髪は短く刈られ、壮健な肢体は純白の礼服に包まれている。さりげなく羽織ったこちらも純白の短肩掛けには、金糸によって贅沢な縁飾りが織り込まれている。男は自身に向けられた視線に応えるように、にこやかに歯を見せる。若い貴族に特有の、傲慢なまでに自信に満ちた笑み。
眉根を寄せる三賢者、冷ややかな聖騎士の眦、困惑を露わにする聖女の横顔、硬く唇を引き結んだ教皇の険しい顔つき。重鎮たちの不快げな眼差しに、しかし男は怯むことなく笑顔を振りまき続ける。
ベリアルだけが礼儀正しく男と向かい合う。「君は確か、アヴァルティーヌ家の」
「レニスです」鷹揚に、男はお辞儀をしてみせる。
「そうだったな。それでレニス卿、一体どうしたというのだ」
「発言をお赦しいただけますか?」そう云った次の瞬間には、レニスは喋り始めている。「我等が英雄を前に、議会は些か礼を失しているのではありませんか?」
彼の周辺に着座していた幾人かの議員たちが立ち上がる。
「そこにおられるのは全面戦争を勝利へと導いた、真なる英雄なのですよッ!」レニスの取り巻きたちが賛同の声を上げる。彼は勢いを得、さらに力強く声を張りあげる。「まず我々セイリーネスがすべきことは、イレブン様の帰還を高らかに宣言し、最大の歓迎をもって迎え入れることではないのですかッ!」
レニス・アヴァルティーヌは教会革新派議員の新星だ。端正な顔立ち、気品を感じさせる挙措動作、自信に満ちた笑顔、優れた弁舌、そしてテオスセイル世界連合時代より脈々と受け継がれてきた名門アヴァルティーヌ家の威光。昨年、先代の急逝により〈代理人〉の地位を引き継いだレニスは、教会の議員たちを魅了し、瞬く間に革新派のトップにまで登り詰めた傑物だ。彼の影響力は内外様々な革新派に波及している。
レニスと取り巻きたちはイレブンを讃え始める。
若き公爵の影響力を証明するように、賢者院、騎士団の席でも、レニスに同調するように頷く者の姿がみられる。
周囲の口出しを赦さぬほど、レニスは美辞麗句を捲し立てる。
革新派が掲げる理念は、当然旧体制からの脱却。とりわけ教会革新派が求めるものは、魔導技術の成長発展だ。現在のセイリーネスは技術発展に非常に消極的だ。賢者院は日夜、魔導技術の研究に取り組んでいる。新たな魔導機器、改良された魔方陣、洗練された魔術理論……三百年前に届かぬとはいえ、それでも賢者院はその技術を磨き続けている。だが、それは研鑽の為の研鑽だ。新たな技術が賢者院の研究室を出ることはない。聖都に還元されることもなければ、人々の生活を豊かにすることもない。
革新派議員たちには、それが我慢ならない。
技術とは使う為にある。理論とは役立てる為に存在する。それなのに賢者院は、いや、三人の賢者は、全面戦争のトラウマに囚われ、今だ魔導技術の全面的普及に許可を与えない。あまりに慎重、あまりに消極。技術が広まれば聖都は今以上に繁栄し、人々はさらなる幸福を手に、輝かしい未来を歩むことが出来る。つまり、永遠の平和が得られるのだ。
平和を得るために必要なのは、力。つまり、武力だ。
革新派がもっとも求めていること、それは魔導技術の兵器転用だ。
強力な魔導兵器があれば、聖都の、そして人類の平和は、絶対的なものとなる。かつての連合軍が有したような兵器が必要なのだ。魔力機関を搭載した〈戦車〉。極滅魔力弾頭を撃ち出す〈対竜魔導砲〉。そしてあらゆる種族、あらゆる魔物を攻め滅ぼすことのできる〈生体兵器〉。そう、今一度セイリーネスは兵器を、生体兵器を造り出すべきなのだ。
教会革新派の起こりは、生体兵器信仰だ。
人類が全面戦争で勝利できたのは、生体兵器を造り出すことができたからこそだ。確かに生体兵器は多くの犠牲を出したと云われている。だが、果たして本当にそうなのだろうか。人類のためにその身を差し出した類い稀なる殉教者。黒竜に戦いを挑んだ128人の勇敢なる英傑。そんな彼等が、史実にあるような大殺戮を、本当に繰り広げたというのか? 民間人や自軍を歯牙にもかけず、赤い魔剣を振るったというのか? シュルツ、イザベル、ロイタード。三名の聖魔導師が生体兵器を快く思っていないのは周知の事実だ。賢者たちは魔道生体技術を忌み、疎み、恐れている。生体兵器に対する史実は、賢者たちの創作ではないのか? 保守派の信頼を勝ち取るために、英傑たちを貶めているのではないのか? だとすれば、なんと恥さらしな……もっとも、仮に史実が事実だったとして、だからなんだというのだ。大殺戮が真実だったとして、だからなんなのだ。現に人類はこうして生きながらえている。今だこの地上で権勢を振るっている。ならば、必要な犠牲だったのではないのか? そう、必要だったのだ。どのような犠牲すら顧みず、人類の勝利の為だけに邁進した生体兵器の方々は、やはり英雄なのだ。
その英雄のひとりが、今、目の前にいる。それも、連合軍の切り札と呼ばれた、あの№11が。
冷静な表情とは裏腹に、レニスの興奮は計り知れない。
このタイミングでイレブンが現れたというのも、レニスの興奮に拍車を掛けている。
ヘル・ペンタグラムからの宣戦布告。聖都建国以来はじめてとなる、準戦時下宣言。
運命だ。レニスは腕を広げ、頬を紅潮させ、声を張りながら、感激する。まさしく運命だ、神の定めだ、勇者亡き今、聖都を救うべく、神がこの方を御遣わしになったのだ。この方がいれば、超越魔物など敵ではない。私たちは神に護られている。ヘル・ペンタグラム討滅後、聖都は知ることになる。技術発展の重要性を、魔導兵器の素晴らしさを。革新派の主張が正しいと証明される絶好の機会、この好機を逃してはならない。
だからこそレニスは、迅速に行動したのだ。
三賢者やふたりの守護者、さらには教皇の不興を買うとわかっていながら、立ち上がったのだ。
派閥を率いる者として、レニスは正しい。迅速さと勇敢さは、上に立つ者にとってなくてはならない資質だ。
だが、同時に、慎重さもなくてはならない資質なのだ。レニスにはそれが欠けている。
そして何より、彼はイレブンを何ひとつ理解していない。
その狂気、その残虐性、そして、その誇りを。
「皆さん、わかっておられるのですかッ?」
だから、レニスは平然とそんな言葉を口走ってしまう。
「生体兵器の方々は、我々の為に死んだのですよッ!」
サツキは、踵を返そうとしていた。
もはや、この場にいる意味はなかった。
平静を繕い、威厳を装う三賢者の問い掛けになどに興味はない。監視するように傍らに控える聖騎士と堕天使の視線も、殺意を帯びぬ限り放っておけばいい。周囲を埋める人間たちの騒めきなどは端から論外だ。魔術師の好奇の視線、騎士議員の緊張を含んだ眼差し、聖職者の唱える聖句……そして朗々と№11を讃える美辞麗句。そのすべてが、どうでもよかった。何ひとつ、興味がなかった。アルトリウスやベリアルはまだしも、それ以外は面白みもない、単なる風景にすぎない。
サツキにとって重要なものは、数えられるほど少ない。
此処に、サツキを引き留めるほどのものはない。
だから、踵を返そうとしていた。
その一言を聞くまでは。
「生体兵器の方々は、我々の為に死んだのですよッ!」
サツキの顔が、上方を向いた。
教会議席後方、大仰な身振りで声をあげる美丈夫を、赤い瞳が見いだした。
「そう、そうなのですッ!」サツキの視線が自分に向けられたことに気づいた美丈夫は、頬を紅潮させ、感動に身を奮わせながら、さらに大きく声を張る。「そう、あなた方は私のため、我々のため、何より人類のためにその命を捧げたのですッ! まさに英霊ッ! まさに殉教者ッ! まさしくあなた方は英雄なのですッ!」
より激しく、より仰々しく、生体兵器賛美の言葉が議場内に響きわたる。
サツキの眼が据わる。赤い瞳が黒ずむ。魔力が、その躯から立ち上る。
「不味いぞ」
その一言を聞いた瞬間、ベリアルは生体兵器に向け一歩を踏み出した。レニス・アヴァルティーヌの発言は、目に余るものがあった。話し始めた瞬間、ベリアルは部下たちに目配せで指示を出した。代理人議場には、何らかの事態に備え、侍従騎士たちが控えている。ベリアルは彼等に『ただちにレニス卿を退場させろ』と指示した。発言権の阻害によって後々面倒な事態が立ち上がるだろうが、そんなことを云っている状況ではない。このままレニスに喋らせ続ければ、何が起こるかわからない。
幸い、イレブンはこの場のすべてに関心を失っている。
今すぐにあの若者を摘まみ出せば、何事も起こらない。
だが、騎士たちはレニスの元へ辿り着けなかった。
議場で待機しているのは侍従騎士だけではない。三賢者に付き従う魔術師、教皇を護衛する騎士聖職者、そして貴族議員が引き連れている、私兵。とりわけ教会革新派は議会の度、多くの私兵を引き連れて参上する。侍従騎士たちはその私兵に阻まれ、レニスに到達できずにいた。
その間にも、若者は言葉を捲し立てる。
イレブンに酔うように。いや、違う。レニスは自分自身に酔っている。
こうなっては、私自らが止めに入るしかない。ベリアルがそう思い立った矢先、レニスはその言葉を口にしたのだ。
次の瞬間、イレブンの雰囲気が変わった。
ごく僅かの変化だった。おそらくほとんどの者は気づいていない。だが三百年前からイレブンを知るベリアルには、明白だった。傍らのアルトリウスも気づいている。議席に着座する三賢者も、見逃してはいない。もしかすればシャルルアーサも異変を察知しているかも知れない。
イレブンの周囲の気温が、一気に下がった。落日を迎えたかのように、奴の周辺が昏くなった。
勿論、錯覚だ。しかしそう思わせるほど、生体兵器は異様な気配を纏っていく。
「不味いぞ」だからこそ、ベリアルは一歩を踏み出した。まだ、今なら生体兵器を止められるかもしれないという望みに掛け、声をあげる。「待て、イレブン。その者に悪気があるわけでは」
歩みと言葉は、傍らの友によって阻まれる。
毅然と差し出された聖騎士の腕が、堕天使の胸元を押しとどめる。
「無駄だ」鉄のように冷え冷えとした声色で、アルトリウスは断じる。「もう遅い」
その通りだった。
ベリアルが踏み出した時には、アルトリウスが遮った時には、赤い指先は、すでにレニスを捉えていた。
議場が、響めきに揺れた。全員の視線が、レニスに釘付けとなった。彼の取り巻きは冷や汗をかきながらその場を飛び退いた。周囲の議員たちは、ある者は身を退き、ある者は席を立ち、ある者は足早に、レニスの側を離れた。議員たちは平和に慣れきっている。これまで命の危機など感じたことはない。だが、それでも全員が本能的に悟っていた。この若き貴族の近くにいるのは危険だ、と。
レニスは、宙に浮いていた。恐怖に眼を見開き、苦しげに喘ぎ、逃れようと四肢をバタつかせ、しかしほとんど身動きは取れていない。
薄赤い霧の条が、若者を包み込んでいる。
レニスはゆっくりとイレブンの元へ引き寄せられていく。
あたかも巨大な掌に握られているかのように。
「なんだと」愕然と、ベリアルは呟く。「まさか、〈赫い手〉か」
冷静に、アルトリウスは生体兵器を睨む。「そうか、この魔力量で使えるのか」
「もう一度云え」サツキは、宙に浮かぶ男を見据える。殺そうと思えば、すぐに殺せる。赤い指先にあと僅かに力を込めれば、この男の肉体は四散する。そうしないのは、この男の口から、もう一度聞きたかったからだ。先ほどの言葉を。無遠慮な一言を。俺の同胞を侮辱する戯れ言を。「云え。誰が誰の為に死んだだと?」
レニスは答えない。答えられない。身動きが出来ぬほどの力で握られている。呼吸すらままならない程の圧力に晒されている。何より彼の眼前に立つ男の双眸、赤い瞳が湛える底知れない暗さに、恐怖で思考が纏まらない。だから、レニスは答えることができない。答えられるはずがない。
サツキは若き貴族を睨め続ける。
ただの人間。とるに足らない存在。足下を這う、蟻。
サツキの瞳に、狂気が迫る。
「お前の為に死んだだと?」ゆっくりと、赫い手の魔力濃度が濃くなっていく。赤い指先が、レニスに喰い込んでいく。骨が軋み、皮膚が破れる。レニスの口から喘鳴と、苦悶と、血が溢れる。魔力濃度が、さらに濃くなっていく。骨の砕ける音、レニスの絶叫が、場内に響きわたる。「お前等の為に、アイツ等が命を懸けただと?」
ざらついた声が、熱を帯びる。
サツキの時間感覚が、歪んでいく。過去と現実の垣根が、崩れていく。
回収されたロイの遺体は右腕だけ。刻まれているのは〈№78〉。シャイルの屍体は損傷を極めている。かろうじて見て取れる数字は〈№26〉。ザルトニアの地で死亡した生体兵器は、他四体。ジャック〈№24〉。クレイグ〈№41〉。ララ〈№17〉。ヴィオレット〈№69〉。原型を留めていた屍体は、一体たりともない。全面戦争中期に起こったザルトニア砦防衛戦、一度に六体もの生体兵器が失ったのは、この戦いが初めてだった。だが、その記録はすぐに塗り替えられる。数ヶ月後に勃発したサテルメージャ殲滅戦。苛烈を極めたこの大規模戦闘により生体兵器が被った死者数は、12体。カイ〈№126〉。エッベ〈№99〉。モラルド〈№114〉。ミファー〈№94〉。シーガ〈№38〉。フィオレーネ〈№19〉。レギル〈№107〉。ルカ〈№61〉。エルフリーデ〈№102〉。ジュリ〈№57〉。レックス〈№22〉。ギド〈№81〉。
それ以外にも、様々な戦闘により、同胞たちは散っていく。
様々な死に様。原型を留めた屍体は一体たりともない。
サツキは何も感じなかった。悲しみなど抱かなかった。生体兵器の務めは敵を殺すこと。同時に、敵に殺されるのも兵器の務め。だから、彼等の死自体に、サツキは何も感じない。敵を殺し、戦場を蹂躙し、死ぬ。それこそが生体兵器の有様。それこそが〈殺戮の剣〉の死に様。
サツキは何も感じない。だが、理解はしている。
彼等が何の為に死んだのか。何に命を懸けたのか。
ヌルドの森での最終決戦、サツキの率いる生体兵器は、八十九体。そのすべてが〈№11〉の前で咆吼する。
『我等これより殺戮の剣』そしてサツキの名と、血と、魂に、誓う。『黒竜までお前を護り抜く』
そうして同胞は、全員壮絶な死を迎える。
サツキは何も感じない。
『……お願い』死に際のメイの頼みを覚えている。最初期製造番号として、サツキが最も長く戦場を共にしたひとり。〈№09〉メイ・シルギルド。両眼が潰れている。頸筋から体側にかけて、抉れている。血塗れの彼女の掌が、サツキの手を握る。『……黒竜を……殺して』
サツキは何も感じない。だが、わかっている。
『竜殺しとはお前の事だよ、サツキ』ブラムドの最後の言葉を、覚えている。最も長く戦場を共にした、もうひとり。半身の欠けた身で、〈№05〉ブラムド・シュルは雄叫びをあげる。『後は任せたぜ』
サツキは何も感じない。だが、理解している。
生来から、サツキには喜怒哀楽の〈哀〉が欠けている。サツキはその出生ゆえに、生まれながら人間性に瑕疵がついている。悲しみなど感じない。感傷など抱かない。そのようなものは、端から持ち合わせてはいない。だから、サツキは同胞の死に、何も感じない。感じることはない。
だが、わかっている。理解している。奴等の誓いを、今も覚えている。
アイツ等が何の為に死んだのか。何に命を懸けたのか。
赤い瞳が、眼前のレニスを射る。
同時に、同胞たちを視る。
アイツ等は、俺の為に死んだ。俺が黒竜を殺すと信じて、命を懸けた。だから、俺は誓った。127人の同胞、その名と、血と、魂に、黒竜を殺すと誓った。
白い外衣の集団が議席の間隙を縫うように駆け抜け、サツキを取り囲んだ。数は十二、三人。魔術師外套というよりは、教会の祭服に似た質素な仕立ての外衣を羽織っている。携える短杖も、聖職者が祭祀に用いるような飾り気のない代物。それもそのはす、この集団はレニス・アヴァルティーヌの私兵だ。主人を助けるために、彼等は駆けつけたのだ。その行動は熟考のすえというよりは、アヴァルティーヌ家の私兵として、ほとんど反射的なものに過ぎなかった。幼少の頃よりレニスの護衛の為に訓練されている彼等の第一義は、何よりも主の命だ。ゆえに彼等は馳せ参じ、反射的に杖の先端に魔力を集中してしまった。
臨戦態勢。攻撃の予備動作。
ベリアルやアルトリウスが止めに入る間はない。
赤い霧が周囲に漂い、
刹那、白い集団は破裂した。四肢が舞い、血汐が噴き出す。肉塊が転がり、血霧が議場にたちこめる。集団の頽れる音が場内に響き、ローブがゆらゆらと床に舞い落ちる。純白の床が、血の海と化す。
サツキは、ただそこに佇立しているだけだ。
眼も向けず、意識さえすることもなく、瞬く間に赫い手は集団を握り潰した。
そして同時に、レニス・アヴァルティーヌも握り潰されていた。
「お前など塵だ」眼前を落下する肉片の数々。足下を汚す幾つもの臓物。「お前など芥だ」無数の骨肉、広がる血汐、そこに浮かぶ人間だったものに向け、サツキは、ただ告げる。「お前のような塵芥が、俺の前でアイツ等を語るな」




