6 選択
【6】
「まさか、こんなことが起こりえ得るとは」前方を見据え、ベリアルはかぶりを振る。「この眼で見ても、いまだに信じられん」
「驚くべき事態ですね」シャルルアーサも正面を見つめる。聖剣の護りを隔てて、ひとりの男が立っている。戦後生まれの彼女は生体兵器を見たことがない。だが、その姿形は知っている。魔導器官適応時の激痛により色の抜け落ちた毛髪、魔力停留によって変色した赤い瞳。わずかに残された連合軍の文献や戦時経験者の証言にある通りの、不気味な姿。そして、その右腕。そこに刻印された製造番号。「№11」その生体兵器の名を、彼女は呼ぶ。「よもや全面戦争の英雄が生きていらしたとは」
「英雄、か……」重々しく、ベリアルが頷く。「奴は黒竜を殺した。そういう意味では、確かに英雄と呼ぶにたる存在ではある」
「軽率な発言でした」沈痛な面持ちで、シャルルアーサは挙措を正す。「英雄である以前に、イレブンは自軍にさえ刃を向ける最悪の生体兵器。ザルトニア砦やシャテルメーザの地でイレブンが行った蛮行は、文字通り無差別殺戮だったと聞いております。竜殺しの征く所、赤い嵐が吹き荒れ、死屍がその地を埋め尽くしたと……当時を知るベリアル様やアルトリウス様、それにお師匠様方が胸中に複雑な思いを抱えているのは、承知しております」
「気を遣う必要はない。アレは消失魔法技術の極致、魔導師である君が生体兵器に興味を抱くのは、至極当然のことだ。それに」ベリアルは聖女の横顔を見つめる。「君の曾祖叔母にも関係がある」
ベリアルの言葉に、シャルルアーサは小さく頷く。
つかの間、重苦しい沈黙が垂れ込める。
後方に待機している騎士団の息遣いが感じられるほどの、完璧な静寂。
「それで」静寂を振り払うように、ベリアルが友に向かい合う。「どうする、アルトリウス」
腕を組み、黙考するように瞼を閉じていた聖騎士が、眼を開く。その顔に、先ほどまでの硬さはない。冷ややかな眦にも、引き結ばれた口元にも、動揺は欠片も見られない。いつも通りの聖騎士がそこにはいる。アルトリウスは組んでいた腕を解き、結界の縁へ向かう。ベリアルを一瞥し、そしてイレブンを睨む。「選択肢はあるまい」
アルトリウスが西門に赴いてまもなく、ベリアルが〈門〉から現れた。待機していた騎士たちが敬礼をする間もなく、次いでシャルルアーサが門から降り立つ。騎士たちは一瞬動揺するも、すぐに敬礼でふたりを出迎える。本来であればシャルルアーサがここにいていい道理はない。敵襲があったのだ。賢者院随一の魔導師であり、且つ類い稀なる結界術の使い手である彼女は、本来であれば巨塔にて〈神の代理人〉本部の防衛に回らねばならない。しかし今回の襲撃は大規模なものではない。敵は間違いなく超越魔物であるが、結界の拒絶反応からわかるように、その数は一体。偵察、あるいは挑発の類いか。戯れに結界に触れただけか。なんにせよヘル・ペンタグラムの本格的な襲撃ではあり得ない。ならば、とシャルルアーサはベリアルに同行を申し出た。いまだ闇に包まれたヘル・ペンタグラム、襲撃を仕掛けてきたのはまだ見ぬ成員の可能性がある。聖都にとってヘル・ペンタグラムのメンバーを明らかにするのは、何よりも急務。名は体を表し、体は魔力を表し、魔力はすべてを顕す。ヘル・ペンタグラムの結界攻略、その方法の糸口を掴むことができるかも知れない。
上記の内容をすばやく簡潔に伝えたシャルルアーサに、
「わかった。共に行くとしよう」
ベリアルは力強く頷いた。
ふたりは騎士たちに一揖し、すぐさま歩き出す。
すばやく内城壁を抜け、外城壁へと到達する。
西門の先では、騎士団が戦陣を構えている。
その先頭に、アルトリウスの姿を認める。
ひと目見てベリアルは、違和感を覚えた。誰よりも〈魔〉を憎むアルトリウスが、いまだ背の大剣を抜いていない。
何かがおかしい。
ベリアルは友の元へと急ぐ。
そして彼も気づく。結界の外に佇む男の姿に。
「お前も見覚えがあるな」その声に、堕天使は歩みを止める。「連合に忠誠を誓った魔物」耳朶を削られるような、ざらついた声。この声を知っている。覚えている。テオスセイル世界連合軍司令部で、あるいは赤い魔力に煙る戦場で、幾度となく耳にした声。その声の持ち主は、死んだはずだった。ヌルドの森での最終決戦において、黒竜と相撃ったはずだった。だが、その男が、今、目の前にいる。男は堕天使を見、堕天使は男を見つめ返す。その姿を忘れたことはない。三百年間、その姿を忘れたことなど一度たりともない。堕天使が口を開く前に、男は彼の名を口にする。「ベリアルだったな」
「№11、なのか」
驚愕に、ベリアルの言葉尻が掠れる。
「本物、なのか」
「〈天使の視線〉による精査は、すでに私が済ませた」アルトリウスはベリアルの傍らに立つ。「幻術や死霊術の類いではない。奴は、本物だ」
「間違いは、ないのか」
「私が見誤ると思うか」
友の言葉に、ベリアルは沈黙を余儀なくされる。彼はアルトリウスの実力に絶対の信を置いている。到底信じがたい事態ではある。この三百年間、イレブンに関する痕跡は何ひとつ見つかっていない。奴は死んだ。黒竜と共に、この世界から消え去った。誰もがそう信じていた。だが、アルトリウスが見誤るなどあり得ない。彼が断ずる以上、眼前に佇むのはあの生体兵器なのだ。それに、ベリアルにもわかっている。結界越しとはいえ、今のイレブンからは魔力が欠片も感じられない。当時の奴は、常時魔力装甲を展開していた。止めどない魔力の奔流により、その躯には蛇のような血管が浮き出、その眼は赤い底なし沼と化し、時折緋色の魔方陣がその表皮を走り抜けていた。戦場以外では幾分控えめではあったが、それでもイレブンの漏出魔力は膨大であり、ただ存在しているだけで周囲にあらゆる影響を及ぼした。だが、今の奴は魔力を纏っていない。おそらく何らかの形で魔力を失ったか、あるいはその使用に制限がかけられている。何があったのかは知らない、だがあの〈黒竜ゾラぺドラス〉と死闘を繰り広げたのだ、五体万全という訳にはいかなかったのだろう。奴は今、不完全な状態だ。魔力は微々たるもの、三百年前とは程遠い。
だが、それでも。
ベリアルは再び赤眼の男に視線を据える。
その眼、その声、そして、この存在感。
認めざるを得ない。奴は、№11だ。それ以外はあり得ない。
イレブンが一歩を踏み出す。結界表面が漣立つ。
「仮にも、三百年前、竜を相手に戦っていたお前等だ」赤い双眸がふたりの守護者を射貫く。「その事実に敬意を払って、選ばせてやる」
アルトリウスが冷え冷えとした眼差しでイレブンを睨み返す。
「何をだ」
「身の振り方。あるいは、お前等の行く末」
そしてイレブンは、その要求を告げる。
「しかし、本当に可能なのですか?」シャルルアーサは生体兵器から視線を逸らし、ふたりの守護者に疑問を呈する。「たとえ可能だったとして、イレブンは本当にその様な蛮行に走るのでしょうか?」
「可能だ」アルトリウスが答える。彼女と対照的に、彼はイレブンから視線を逸らさない。「それだけの火力を奴は有している。だからこそ、奴はテオスセイル世界連合軍最大戦力に選ばれたのだ。そして後者の疑問については、先ほど貴女自身が答えを口にしていたはずだ」
その指摘に、シャルルアーサはハッと息を呑む。そして自らの言葉を反芻する。
『彼がザルトニア砦やシャテルメーザの地で行った蛮行は、文字通り無差別殺戮だったと聞いております』
まさに、それこそが答えなのだ。
ベリアルは聖女の傍らに歩み寄ると、慰めるように手甲に包まれた掌を、その肩に添える。「シャルルアーサ、君の言葉は正しいのだ。三百年前、我々はイレブンが何をしたのかを目撃している。そして我々は、奴がどういう男なのかを知っている」眉庇からベリアルの眼光が鋭く光る。その眼は、黒い剣の柄を捉えている。「イレブンの腰元、気づいたか?」
「無論だ」アルトリウスは頷く。「奴は魔剣を所持している」
先ほどイレブンが聖都に突きつけた要求は、ただひとつ。
『〈門〉を開き、俺たちを聖都に入れろ』
そして、平然と、イレブンは言葉を続ける。
『拒むなら、結界を破壊する』
〈聖剣の護り〉は超規模の極大結界術。聖剣が引き出す神の魔力、魔導増幅器による出力強化、魔力機関による膨大な魔力供給、そして賢者院に席を置く幾人もの優秀な魔術師たちの調整があってはじめて成立するのが、この魔防壁だ。一度展開してしまえばあらゆる攻撃を弾き、あらゆる〈魔〉を拒絶する絶対防禦であるが、その術式構成は複雑かつ繊細、ゆえに再展開には最短でも二日を要する。ヘル・ペンタグラムからの宣戦布告を受けている現状、もし二日間も結界が消えてしまえば ──あくまで最短であり、術式調整に手間取ればその期間は更に延びる── ヘル・ペンタグラムは間違いなくセイリーネスを襲撃するだろう。そうなれば聖都は……結果は火を見るより明らかだ。結界の破壊は、何としても防がねばならない。そう、何としても。
「超高密度魔力圧縮形状固定武器」ふたりの会話を傍らで聞いていたシャルルアーサが、その正式名称を呟く。生体兵器の腰帯に、それは吊されている。刃の無い、剣の柄。表面は夜更けの湖底を思わせるような、深く重い、純粋なる黒。光沢の類いは一切見られない。材質は魔導開発局の錬成した〈魔合金〉。柄頭には小振りな、鍔側には大粒の、赤い水晶が嵌め込まれている。生体兵器の魔力を結晶化させたかのように、その色合いは深く、鮮烈で、禍々しい。こちらも人造物、錬成鉱石〈緋玻瓈〉。水晶の中にはナノ単位の精確さで、この武器の根幹を成す魔方陣が幾重にも、幾重にも折り重なるように彫刻されている。緋の只中に浮かび上がる魔の螺旋。その紋様の重層構造、その緻密さには、もはや狂気が宿っている。規格外の技術力、常軌を逸した技巧と絶技。生体兵器に次ぐ、魔導開発局の傑作軍器。
「そうなのですね……あれが〈魔剣〉なのですね」
「見るのははじめてか」些か意外そうにベリアルが云う。「巨塔の遺産保管庫に何振りか収められているはずだが」
「いくら私といえど、そう軽々しく保管庫への立ち入りは、赦されていないのです。私がお師匠様方から保管庫への入室を許可されたのは、数えるほどです」
「聖女である君でもか」
シャルルアーサはゆっくりと頷く。
「なるほど」アルトリウスの脳裡に三人の顔が浮かぶ。かつての魔導開発局の中心にいた、天才たち。「賢者たち、消失魔法技術の取り扱いについて、よほど慎重とみえる」聖騎士は腕を組み直しながら(もっとも、その気持ちもわからないではない)心中で呟く。ロストテクノロジーは危険だ。使い方を一歩でも間違えれば、聖都に途轍もない災厄を招くことになる。そう、まさに災厄だ。そしてその極致が、今、結界の向こう側にいる。
シャルルアーサは顔を歪め、黒い柄から視線を切る。「魔剣の危険性は熟知していたつもりだったのですが、まさか聖剣の護りを破壊できるほどの力を秘めていたとは……正直、予想外でした」
「すべての魔剣がそうだというわけではない」ベリアルはかつて目撃した数々の刃を脳裡に描く。幾多の戦場で瞬いた赤い閃光の数々。その中でも、圧倒的な破壊と殺戮を齎し、戦場そのものを蹂躙した赤き刃。「通常の生体兵器では、無理だ。オールド・ナンバーズの魔力量をもってしても、結界を破ることはかなわぬだろう。だが、イレブンの魔剣は次元が異なる」
通常の魔剣は、まさに剣そのものだ。その刃渡りや身幅、刀身の形状は個々の魔力量、濃度によって異なるが、あくまでも刀剣の姿を保っている。
だが、イレブンの魔剣は違う。
無尽蔵の魔力と他を遙かに凌駕する魔力密度から形成されるそれは、もはや剣とは呼べない。その刃は大気を灼き、光を呑み、空間をねじ曲げる。轢断寸前の時空から鳴り響くのは耳を劈く轟音、放たれる衝撃波は都市を断ち、刃に触れるものはすべて滅せられる。
〈赫刃〉。イレブンの魔剣は、そう呼ばれた。
ベリアルは重々しく事実を告げる。「衝撃波だけならば、聖剣の護りはびくともしない。だが、奴の魔剣、その赫刃本体ともなると、果たして何撃耐えられるかどうか」
「それだけではない」アルトリウスが厳然と云い放つ。「イレブンには、アレがある」
その言葉に堕天使は同意を示し、聖女は緊張に表情を堅くする。
当然、ベリアルは知っている。目撃したこともある。シャルルアーサも識っている。当時の記録と証言によって、心得ている。
イレブンの有する最大火力。竜どもを慄えあがらせた、赤い炸裂。まさしく鬼神にのみ赦された、魔の法則。
「聖剣の護りといえど、アレの直撃は、一撃であれ耐えられん」
「結界越しとはいえ、イレブンからはほとんど魔力を感じられません」聖女は再度、ふたりに疑問をぶつける。「あくまで天使の眼による簡易検査のため明言はできませんが、今のイレブンには枷が填められています。おそらく魔力を自由に出来ない。現在の微々たる魔力量では、イレブンは自身の保有する武器を使えないはずです。それでもイレブンが危険だと仰るのですか? 結界を破壊できると、断言なさるのですか?」
ベリアルとアルトリウスは、同時に首肯する。
ふたりの守護者はイレブンの言葉を疑っていない。確かに今のイレブンから立ち上る魔力は、微々たるものだ。人間の平均的な保有量、よくて一介の魔術師程度の魔力しか感じられない。結界越しの為、アイヘルムの精度には限りがある。シャルルアーサの云うとおり、現在イレブンがどのような状態に置かれているのか、断言することはできない。だが、それでも、ベリアルとアルトリウスは、奴がどういう男なのかを知っている。
イレブンは偽らない。駆け引きなどしない。奴が語るのは真実だけだ。誠実というわけではない。清廉でもなければ、ましてや潔白などとは程遠い。
むしろ、その逆だ。
狂気、冷酷、無慈悲。
それこそがイレブンの本質。そしてその本質がゆえに、イレブンは言葉を偽らない。
奴が結界を破壊できると断じた以上、必ず破壊する術を持っている。
そしてイレブンがそうすると云った以上、奴は必ず成し遂げる。
そう、必ず。
鉄靴を打ち鳴らす鋭い響きが、三人の背後から上がる。
アルトリウスは振り返る。
ひとりの騎士が、直立不動の姿勢で控えている。神聖騎士団の基準となる鎧姿ではあるが、その左の胸当てから背面にかけて、宗教的装飾に縁取られた青い布を羽織っている。青い布は士官の証だ。彼は西門警護の指揮を任された士官騎士であった。アルトリウスと視線が合うと、彼は素速く敬礼をする。「アルトリウス聖騎士長、ご命令通り、すべての手配が完了しました」
「委細、抜かりはないな」
「はい、西門周辺には誰も近づけぬよう、歩哨を立てております。たとえ教会や賢者院の使者であろうと、通さぬよう厳命しております。また、西門の警備についていた者は全員、城門内および兵営に集め、箝口令を敷いております」士官騎士はシャルルアーサに視線を移す。「出向しておりました賢者院の魔術師たちにも、シャルルアーサ聖魔導師様の名において、此処で起きている事柄について一切の黙秘を誓わせております。はい、抜かりはありません」
「そうか、ならば自らの任に戻れ」
「ハッ」そう声を張った士官騎士であったが、不意に顔を歪め、アルトリウスの背後を見つめる。そこに立つ巨躯の亜人、完璧な美に彩られた血の魔物、そして灰色の髪の男。その両の眼は、赤い。緊張に唾を飲み込み、士官騎士の視線が三人の間をさまよう。「あの……一体、アレは」
「これは聖都の行く末を左右する事柄だ」士官騎士の言葉をベリアルが遮る。彼はゆっくりと騎士に歩み寄り、その肩に手を置く。「疑問はあるだろう。不安も、勿論あるだろう。だが、今は私とアルトリウス、そしてシャルルアーサを信じ、このまま引き下がってくれ」
その声には、有無を云わさぬ迫力が漲っている。同時に、部下を安心させようという優しさも。
士官騎士は堕天使を見、聖騎士と聖女を一瞥し、再度敬礼する。「申し訳ありませんでしたッ、自分としたことが、命令に疑問を差し挟むなどとッ……どのような処罰でもお受けしますッ」
「よいのだ。さあ、下がれ」
最後にもう一度敬礼をすると、士官騎士は駆け去った。
「これで一応は、時間を稼げたということですね」シャルルアーサの言葉に、
「そうだ」ベリアルは騎士の背中を眼で追いながら答える。「だが、そう長くは持つまい。状況が状況、〈代理人〉たちに話が広まるのは避けられない。本来であれば、評議会による承認が必要なのだが……しかし、今の我々には議論を交わしている猶予はない」
「その通りだ。すべては事後報告とする」アルトリウスは城門に向かって鉄靴を踏み出す。その背に、ベリアルとシャルルアーサが続く。純白の門扉を潜りながら、聖騎士は屈辱に眉根を歪める。百歩譲って、イレブンは赦そう。異形の鎧を纏った亜人種も、さしたる問題ではない。だが、あの女……あの魔力、あの気配、奴は血魔だ。血を糧とし、闇を操る、黒き獣。まごう事なき神の敵。だというのに、あのような者までも、聖都に立ち入ることを赦さねばならぬなどと……だが、あの血魔がイレブンの〈剣〉だというのならば、通さぬわけにはいかない。
先ほど断じたように、選択肢はない。
(神よ、御赦しください)
アルトリウスは胸中で祈りを捧げ、追随するふたりに告げる。
「それでは、〈鍵〉を取りに行くとしよう」




