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ヴォルフラムは街壁に背中をあずけ煙草をふかしている。
少し離れた場所に馬車が待機している。アステルがユリシールに来るために、そしてこの間の会談で用いられた、巨大な荷馬車だ。
陽は高い。風は生ぬるい。青空と街道が地平線の彼方まで伸びている。隊商や冒険者の一行がヴォルフラムの前を何人も通り過ぎていく。すぐ近くに王都の西門がある。冒険者たちがヴォルフラムの顔を睨む。次に両隣に佇立するアステルの巨体を見上げる。最後にディアナの端正な顔立ちに見とれる。ユリシール王国の中心で堂々とその姿をさらす亜人たち。囁きかわす者、唾を吐く者、首を振る者、反応は様々だが誰ひとりとして彼等に近づいてくる者はいない。使節団がユリシールに滞在してすで十数日が経過している。〈赤い羽根〉の名はすでに王都に知れ渡っている。そして第四区画ではヨハンとジェラルドが同盟を結んだことも知れ渡っている。
会談が終了してすぐにジェラルドのお触れが王都の暗部という暗部を駆け巡った。
『オルマの使節団に手を出すな。私の盟友に失礼を働くな』
あれから数日経つが、クリムゾン・クローバーが第四区画で絡まれることはなくなった。
ヨハンの邸の周囲には今までの倍以上の王国騎士が派遣されている。
第二区画の貴族たちですら、その態度を軟化させた。
ジェラルドが王都のあらゆる場所に根を張っているという噂は、どうやら事実らしい。
「で、これからどこにいくわけ」
ディアナがヴォルフラムを見る。
「別にお前がついてくる必要はない」
「相棒に向かって酷い言い草ね」
「観光でもしてろ」
「観光するよう場所なんかどこにあるわけ?」
「さあな」
ヴォルフラムは吸い殻を捨てる。
現在、三人は護衛の任を解かれている。ヨハンはクリムゾン・クローバーに交代で休暇を取るように指示を出した。オルマの首都バルシアを出てからこっち、彼等は働きづめだった。「少しくらい羽根安めをしてたらどうだ」ヨハンはにこやかにそう言った。ジェラルドとの同盟により王都でのヨハンの安全は限りなく保証された。常に聖銀級を何人も引き連れている理由はなくなった。その提案はヴォルフラムとしても渡りに船だった。どのみち休みが必要だった。ヴォルフラムはヨハンの話を聞くとすぐに第四区画のトパーズという娼館を訪れた。地下に降りる。裏の人間たちがいた。闇ギルドを兼ねた酒場。ダムドという犯罪集団が屯していた。その中にアニーシャルカの姿があった。
「時間ができた」
「そいつはいいね」
「いつ会える」
「いつでもいいぜ」
「三日後」
「お好きなように」
「奴の居場所は」
「ちょいと遠いところだ。足がいるぜ」
「アステルは普通の馬車に乗れない。足はこっちの荷馬車を使う」
「確かにアイツはデカいな」アニーシャルカは嗤う。「ま、なんでもいいさ。三日後の正午に西門に来い。連れて行ってやるぜ。だが期待するなよ。オメー等が何を頼む気なのか知らねーが、サツキが簡単に頷くとは思えねぇ」
約束の時間はとうに過ぎている。だが、アニーシャルカは現れない。
ヴォルフラムは新たな煙草に火をつける。
いつにも増して煙草の量が多い。ここに来てから、すでに五本消費している。手の筋肉が強張っている。精霊たちがざわついている。わずかに、ヴォルフラムは緊張している。
「危険な男なのだろう」
不意にアステルが呟いた。
ヴォルフラムはアステルを見た。
アステルもヴォルフラムを見ていた。
「とてつもなく、危険な男のなのだろう」
「そうだ」
「私ひとりで会いに行っても、かまわないのだ」
ヴォルフラムは吸い殻を捨てる。まだ火が燻っている。踏み消す。煙を吐き出す。紫煙越しにアステルの瞳を真っ直ぐ見つめる。
そう、これから会いに行く男は危険だ。五日前の話し合いで、ヴォルフラムは確信にいたった。その名前を聞いただけで十闘級に席を置くアニーシャルカとロイクが、そして元猟犬部隊のツァギールが表情を硬くしたのだ。自分と同等の強者である彼等が、わずかだが恐怖をあらわしたのだ。
情報屋が語った噂話、そして第四区画で直に集めた情報。ヴォルフラムはそのすべてをアニーシャルカたちの前に並べた。到底信じられない話、どう考えても眉唾物の風聞の数々。とりわけ信じられないのが次のふたつ。
〈真祖クシャルネディアを殺した〉
〈魔獣狩りと互角に渡り合った〉
「細部は異なるが、おおむね間違っちゃいねーよ」酒を飲み干し、アニーシャルカは呟いた。
「間違っちゃいない?」ヴォルフラムは眉を顰めた。「俺は超越魔物と遭遇したことがある」
「知ってるぜ。イビルへイムだろ」
「それだけじゃない」
「それも知ってる。この国に来る前に一波乱あったらしいな」
「お前もわかってるはずだ。アイツ等は化け物だ」ヴォルフラムの脳裏に超越者たちの姿が蘇る。古塔で遭遇した髑髏の魔道士。あるいは大森林で出会った、あの怪物ども。膨大な眷属を従えた魔蟲、黒焔を操る魔女、巨大な刃を振るう蛇。そして。
「俺は魔獣狩りを見た」
ヴォルフラムは静かに呟く。
その気配、その臭い、その姿・・・今でも鮮明に思い出せる。縦横無尽に戦場を駆ける、黄金の獣。腕の一振りで蟲の大群を薙ぎ払い、咆吼ひとつで極大魔法を打ち砕いた。すべてが圧倒的、すべてが規格外。魔獣狩りと呼ばれる、最強の月の狼。戦いが終わった後には何も残っていなかった。焦土、残痕、死骸。その中心。人狼だけがそこに立っていた。すでに臨戦態勢は解かれていた。だがわずかに漂う殺気の残滓、それだけでヴォルフラムの背筋は凍りついた。獰猛、野蛮、ただひたすらに獣。そのあまりにも強大な戦闘能力ゆえに、序列第二層に分類される正真正銘の怪物。
「魔獣狩りは化け物の中の化け物だ。あんなもんと戦り合える人間なんか、いるはずがない」
「アア、人間には無理だろうな」
「なら、噂はデタラメか?」
「オイオイ、言ったろ? 人間には無理だって」アニーシャルカは唇をつり上げる。だがその眼は、笑っていない。「アイツは人間じゃねぇんだよ」
「ひとりで会いに、ね」ヴォルフラムはアステルを睨む。「ふざけているのか?」
「ふざけてなどいない」
「そうは思えないな」
「これは私の戦いだ」アステルの瞳が、わずかに揺れる。自分の戦いに巻き込み、ヴォルフラムとディアナを危険に晒してしまった。一歩間違っていたら、ふたりはあの森で命を落としていた。ふたりは仲間だ。故郷を失って以来、はじめて出来た仲間なのだ。ふたりには、死んでほしくない。無事にオルマ国に帰還して欲しい。
「これ以上は巻き込めない。私が会わねばならない男がとてつもなく危険だというのなら、私ひとりで」
「お前を連れて行くと約束したろ」ヴォルフラムはアステルを遮る。「どれだけ危険だろうと、たとえ相手が化け物だろうと、約束は守る。それが聖銀級だ」
「この馬鹿のいう通りよ」ディアナがアステルに笑いかける。「アタシたちは仲間を見捨てない。それこそが連盟の冒険者の掟。そうでしょ?」
その言葉はアステルではなく、隣のヴォルフラムに向けられた物だった。
「だからアタシもアンタたちについていく。文句ある?」
「好きにしろ」面倒くさそうにヴォルフラムは呟く。
「もちろん、好きにするわ」ディアナはヴォルフラムを小突き、アステルに近づく。その腕に触れる。「アタシたちは大丈夫。信じて。それにアタシ達はただ、王国ギルドの人間に会いに行くだけなんだから、面倒は起きないよ」
「コイツの言うとおりだ」ヴォルフラムはアステルの肩に手を置く。「別にその男と戦り合うわけじゃない。話をするだけだ」ヴォルフラムは言葉を止める。もしアニーシャルカの言ったことがすべて真実なのだとしたら、もしサツキと呼ばれる男が人間ではなく超越魔物に匹敵する程の化け物なのだとしたら、とてもではないが安全となどとはいえない。しかし、他に方法はない。アステルの目的は途方もない。どう考えても達成不可能な、無謀な復讐だ。だが、アステルに諦める気はない。ならば、賭けに出るしかない。危険をおかすしかない。
ヴォルフラムは冒険者だ。そしてアステルも。
そして危険を乗り越えることこそが、冒険者の生き様だ。
ヴォルフラムはアステルの肩を力強く掴む。
「ここまで来たんだ。今更仲間はずれは無しだろ。お前をサツキって野郎のところへ連れて行く。ごちゃごちゃ抜かすな」
決然とした声がアステルの鼓膜を震わせた。
「わかった」アステルは静かに頷いた。
「よう、待ったか? ヴォルフラム・レンギン」
女の声が響いた。
西門からアニーシャルカが歩いてくる。その後ろにロイクがいる。さらにその背後、少し距離をとったあたりを歩いているのは猟犬、ツァギール。
「連れてくのはオメーとミノタウロスだけだと思ってたが、どうやら違うらしいな」ヴォルフラムの前で立ち止まったアニーシャルカはディアナに眼をやる。「この前会ったな」
アニーシャルカの言葉に、
「まあね」
ディアナはそっけなく返す。
「コイツも行くことになった」ヴォルフラムが言う。「問題あるか?」
「別にかまわねぇよ。オメーの仲間だろ?」
「ディアナだ」
「ソイツがそうか」アニーシャルカはディアナに嗤いかける。「同じ化け物に殺されかけた同士、仲良くしようぜ」
「なんの話?」
「あの蛇野郎と戦り合ったんだろ、ザラチェンコとかいうクソ野郎と」
「なんで、アンタがそんなこと知っているわけ」
「オメーの相棒に聞いたんだよ」
三日前の会談、ホテルのラウンジ。敵のいない護衛任務ほど退屈なものはない。お互いを牽制し合っているとはいえ、同盟は完璧、万に一つも問題など起こるはずもない。自然、彼等は酒を飲む。食事を取る。そして会話を交わす。十闘級、聖銀級、第八殲滅騎士団。国や種族は違えど、彼等は幾多もの修羅場をくぐり抜けてきた歴戦の戦士達だ。そういった者同士でなければわかり合えない世界もある。彼等の口数は徐々に多くなる。猟犬でさえその重い口を開く。交わされる会話はこれまでの仕事について。血腥い冒険の数々、イカれた魔物との死闘の詳細。
血魔喰らいを殺したアニーシャルカの話。
湿地平原でトロールの群れを屠ったロイクの偉業。
帝都で六属性魔術集団を鏖殺したツァギールの逸話。
禁足地での想像を絶する死闘。
ガデル・ムカデの大群に飛び込んだアニーシャルカ。
ケルベロス相手にロイクが演じた、剃刀の刃を渡るような戦い。
「オメーも話せよ」アニーシャルカはヴォルフラムを、ついでアステルを見やる。「テメーもだデカブツ。なんかあんだろ」グラスに酒を注ぎながらアニーシャルカは嗤う。ヴォルフラムとアステルに向け杯を掲げる。「クソみたいな話を聞かせろよ。濡れるくらい血腥い話を聞かせてくれよ」
だからヴォルフラムは口を開いた。
一番血腥い話。本気で死を覚悟した話。超越魔物どもの戦いに巻き込まれたゼルジー大森林での一件を。
「蛇の、騎士だと?」話を聞いていたツァギールが、話を遮った。「それは本当か?」
「嘘はつかねぇよ」ヴォルフラムは不愉快そうに吐き捨てる。
「マジかよ」アニーシャルカが割り込む。「その蛇はバカみてぇにデカい剣を使ってやがったか?」
「ああ」
「黒髪の、灰色の肌をした男かい?」ロイクが聞く。「右手の甲に逆五芒星の刻印のある、蒼い鎧の男かい?」
「なんだ、知り合いか?」
「ザラチェンコ」ツァギールは鋭い視線をヴォルフラムに向け、そう呟いた。「ザラチェンコ・ホボロフスキー」
「そうだ」ヴォルフラムは頷く。「あの男はそう名乗った」
その言葉に、三人は押し黙る。
ヴォルフラムは煙草に火をつける。「あの男を知ってるらしいな」
「知ってるも何も、わたし等はアイツに殺されかけたからな」アニーシャルカは新たに酒を注ぎ、ジュルグ帝国でザラチェンコと対峙した時のことを思い出す。三人がかりで魔人に挑んだあの死闘を。残忍な魔力を立ちのぼらせていた帝国最強の騎士。アニーシャルカたちが今ここにいるのは、祖なる血魔の介入があったからこそだ。もしあのまま戦いが続いていれば、彼等は間違いなく殺されていた。
アニーシャルカは酒を飲み干す。ヴォルフラムを見る。
「よく生き残れたな」
「コイツがいた」ヴォルフラムは振り返り、ミノタウロスの鎧に包まれた胸を叩いた。「アステルがいなきゃ、俺は死んでいた」
彼等の前で荷馬車が止まる。巨躯馬がアステルに近づき、その手を舐める。アステルは馬の鬣を優しく撫で、それから荷台に向かう。
はじめにヴォルフラム、ディアナ、アステルの三人が馬車に乗り込む。次にアニーシャルカ、ロイク、ツァギールが荷台にあがる。
「で、どこに向かう」
ヴォルフラムが問う。
「西北だ」アニーシャルカが答える。「ユルド丘陵に向かう」
ザラチェンコと真正面から斬り結んだ。ヴォルフラムのその言葉に三人は興味を示した。アステルを見る彼等の視線には、当然疑念が含まれている。あの魔人の実力を、アニーシャルカたちは嫌というほど思い知らされている。いくらヴォルフラムの言葉といえど、簡単に信じられるはずがない。
「腕前がみたい」
そう言い出したのは誰だったか。
クリムゾン・クローバーと共に王都に来たミノタウロス。連盟副会長の護衛なのだ、実力は本物だろろう。だが誰ひとりアステルの名前を知るものはいなかった。実績も二つ名もない。その噂さえ聞いたことがない。そんな男が、あのザラチェンコと一対一で剣を交えたという。到底信じられる話ではない。
饗宴は朝まで続く。時間はたっぷりとある。
退屈している。聞こえてくるのは男どもの笑い声と娼婦たちのよがり声。情交の湿った音。そんなものを聞いているのはうんざりする。
全員がホテルの外に出た。
闇が広がっていた。夜気が甘く香る。静かだ。饗宴の音はここまで響かない。正面玄関の前の、広場に行く。警備担当の、下っ端の王国騎士たちをアニーシャルカが追い払う。
「で、誰がやる?」
アニーシャルカの問いに、
「僕だ」ツァギールは一歩前に踏み出すと、湾曲剣を抜いた。
「どういうことだ」アステルは困惑したようにヴォルフラムを見る。
「たんなる余興だ」ヴォルフラムは煙草をくわえる。「本気で殺し合うわけじゃない」
「その通り。オメーの実力の程を確かめるだけだ」
「なぜだ」
「暇だから」
「よく、わからない」
「いいからその馬鹿デカい斧を抜けよ」
「私は、意味もなく刃を交えるつもりはない」
「ずいぶん堅い野郎だな」アニーシャルカはかったるそうに唾を吐く。「オメーも冒険者だろ?」
「いや、彼のような反応が普通だよ」ロイクが言う。「こんな簡単に剣を抜くのは、裏の住人だけだよ」
「意味が欲しいなら、くれてやる。サツキに会いたいんだったな」湾曲剣を軽く構えると、ツァギールは剃刀のような眼でアステルを見た。「貴様の腕が本物なら、推薦してやる」
「推薦?」
「サツキに会うためには、まずあの女に会う必要がある。あの女に会うためには、推薦が必要だ」
「確かにな」アニーシャルカが嗤う。「そして推薦人は多ければ多いほどいい。わたし等三人がついてけば、まず間違いなくあの女に会えるぜ」
「誰のことを言っている」ヴォルフラムが聞く。
「わたし等をコキ使ってる女王様のことだよ」
「女王?」
「気にすんな。どうせオメーも会うことになるんだ」
「彼女の中では、私たちは眷属みたいな物だからね」ロイクが嘆息する。
「わたし等は化け物に仕えてる化け物に、さらに仕えてるってわけだ」アニーシャルカは肩をすくめる。「まったく、笑えねぇ話だ」
「さっさと構えろ」ツァギールが冷たく言い放つ。「あの人とサシで戦い生き残ったんだろう? 興味がある」
「あの男は、手を抜いていた」
「だとしてもだ」
「貴公を打ち負かせば、私の目的に一歩近づく、そう考えていいのだな」
アステルの手が、斧の柄に触れる。
戦いたくはない。傷つけたくない。だが、それが必要だというのなら、あの魔女に近づくために避けては通れない道なのだというのなら。
アステルは背中から断竜斧を引き抜いた。
「わかった。貴公の相手になろう」
馬車がゆっくりと動き出す。
約束通り、アニーシャルカたち全員が目の前にいる。彼等はアステルの実力を認めた。断竜斧を操る筋力と技量。それらは彼等の想像を遙かに超えていた。眼前のミノタウロスはとてつもなく強い。それも、その強さは生まれ持った物ではない。血の滲むような鍛錬、地獄のような研鑽、そしてそれを成し遂げた狂気、執念。その果てに手に入れることの出来る靱さ。おそらくこの場にいる誰よりも、アステルは強い。
だから認めた。約束した。推薦すると。サツキの元へ案内すると。
「出発だ」
アニーシャルカの言葉に同調するように、巨躯馬の嘶きが聞こえた。
馬車は廃墟を目指し、西の街道を走りはじめた。




