6 会談
会談場所は王都の東に位置するドルハという街。
馬車を使えば一刻、徒歩でも数刻といった距離に位置している。この街を利用するのは主に商人たちだ。ユリシール王都の宿場は主に第四区画に集中している。そしてただの商人にはあの区画は危険すぎる。自然、王都の近くに商人や旅人の為の宿場がたてられる。栄える。活気ある宿場町ドルハが誕生する。商人の安全を保証するために国はドルハの警護を王国騎士団に命じる。警護隊長をつとめるのはジェラルドの息のかかった上級騎士。いまやドルハはジェラルドの拠点の一つと言って差し支えない。
最初に馬車から降り立ったのは、ヴォルフラム。
すでに夜は深い。
ドルハの中心部。喧噪とは無縁な、上流階級が宿泊するための地区。周囲に視線を走らせる。脅威になるような気配はない。精霊も騒いでいない。正面に視線を戻す。絢爛豪華な邸。ドルハ一と名高い旅館。いつもなら豪商貴族の出入り激しい入り口は、しかし静寂に包まれている。
見えるのは、整然と隊列を組む王国騎士たち。
「問題ない」
ヴォルフラムが囁くと、幌の中からアステルが現れる。
その次に護衛の冒険者が数名。伯爵の私兵。
最後にヨハンが降り立つ。
「まったく、ひどく揺れる旅路だったね」
乱れた前髪を掻き上げ、服の裾を払う。
彼等の背後で巨躯馬が唸り声をあげる。
オルマ国の使節であるヨハンがジェラルドと密会していたなどと知れれば大きなスキャンダルになる。その為ヴォルフラムたちは荷馬車を使った。幌の中に乗り込んでしまえば外から中は見えない。王都を抜ける道順はジェラルドが手配していた。警邏はすべてジェラルドの息のかかった騎士たちだ。夕暮れの王都は喧噪に包まれる。とりわけ第四区画は。しかし彼等の乗る馬車は特に人目を引くこともなく、安全に城門を抜け、王都の外、ドルハへと続く街道に出ることができた。
赤い羽根のメンバーには王国ギルドとの会談があると言っておいた。多種族連盟と王国ギルドとの関係を改善する重要な会談があると。そしてその話し合いは王城の御歴々の耳には極力入れたくない、極秘のものであると。そのため夜更けにヨハンは邸を離れると。極秘である以上大人数での移動は好ましくない。護衛はヴォルフラムとアステルのふたりに絞る。
レオパルドとオーギュスタは納得したように頷いた。
ディアナだけがヴォルフラムに近づき、そっと囁きかけた。
「アタシじゃなくアステルを連れてくって事は、あの件?」
「そうだ」
「本当に会えるの?」
「どうだかな」ヴォルフラムは肩をすくめた。「あの女次第だ」
ホテルに踏み入る。
騎士たちが案内する。
ホールを抜ける。廊下を突き進む。
扉が現れる。
騎士たちが立ち止まる。
ひとりがヨハンの前に歩み出る。慇懃に頭を下げる。
「申し訳ありませんが、ここから先は」
「わかっているよ」
ヨハンは軽く手を振る。私兵たちが下がる。
会うときは最低限の護衛だけ。それがこの会談の条件。
「ふたりとも、頼んだよ」
ヴォルフラムとアステルにヨハンは笑いかける。
騎士たちが扉を開ける。
「ようこそ、オルマ多種族連盟副会長 ヨハン・シュハイトルム伯爵閣下」
扉を潜る彼等を、快活な声が迎え入れた。
ユリシール王国の紋章を胸元にあしらい、純白のマントを垂らした上級騎士が、歓迎するように両腕を広げていた。
「これはこれは、王都防衛統括騎士団長ジェラルド・ハプスロート閣下」
大仰な相手に合わせるように、ヨハンは快活に答え、頭を下げた。
ふたりは近づき、握手を交わした。
「久しいね、伯爵。最後に会った頃は連盟役員だったはずだが、今や副会長とは。さすがはオルマに名高いシュハイトルム家当主様だ」
「君の方もずいぶんと出世したじゃないか。統括騎士団長とはね。もっとも君の実力ならば当然といったところか。ゆくゆくは士官の地位も夢じゃないんじゃないかな」ヨハンはジェラルドに笑いかけ、首を傾げる。「ところで、そろそろこんな茶番劇は終わりにして、仕事の話をしないか?」
「貴方のそういった直截な物言いは、非常に好ましいよ。俺としても回りくどいのは好きじゃない。堅苦しいのもな」
「僕もだよ。ましてここ数日はこの国の御歴々と顔を付き合わせてばかりいたからね、今回くらいは肩の力を抜いて話し合いたいものだ」
「大変だったろうね。特に我が国の王女殿下の相手は」
「彼女がなぜ支持を集めているのかわかったよ。アレは女傑だ」
「そのとおり。すぐにとはいかないが、この国は変わっていくだろう」
「いずれは闇市場も一掃される、か」
「変わらない物などないというわけだ」ジェラルドは嘆息する。「だから、稼げるうちに稼いでおかないとな」
その言葉にヨハンは嗤う。ジェラルドも。
ふたりは席に着く。
ヨハンの右側にアステル。左にヴォルフラムが立つ。
ヴォルフラムは前方に視線を向ける。
ジェラルドの右側にアニーシャルカ。左側には、知らない男。
「よう、ヴォルフラム・レンギン。またわたしに会えて嬉しいか?」アニーシャルカが嗤いかける。
「冗談はよせ。お前の顔を見る度、傷が疼いてしょうがねぇ」
「そりゃ私も同じだぜ」
「そいつはよかった」
「仲直りする前に、どっちが上かハッキリさせておくか?」
「お前がそうしたいなら、相手になってやるよ」
「喧嘩はよしてくれ」ヨハンが鋭い視線をヴォルフラムに向ける。「今日の目的は敵対することじゃない」
「伯爵の言うとおりだ」ジェラルドが頷く。「アニーシャルカ、好戦的な態度は慎んでくれ。猟犬を見習うんだ。見ろ、無駄口ひとつ叩いていない。これこそプロのあるべき姿というものじゃないか?」
「買い被りすぎだぜジェラルド。コイツは単に根暗なだけだ」
「それでも、君よりは任務に忠実だよ」
「わかってねーな、コイツは根暗なうえに想像を絶するクソ野郎なんだ。信用しすぎると痛い目をみるぜ」
「その女の言うとおりだ」
低い声が響いた。
扉が開く。
長身の男が現れた。
深緑の肌、野性味あふれるオークの顔立ち。
「もっとも、私からすれば貴様もその男に負けず劣らずのクズではあるがな」
「いうじゃねーか」
「あまり私の依頼人にからまないでくれよ、アニーシャルカ」
オークの背後から男が顔を出す。
「ロイク?」アニーシャルカは驚いたようにその顔を見る。「オイオイ、なんでオメーがここにいんだよ」
「仕事だよ」
「私が雇った。こんな場所に手ぶらで来るほど、私も馬鹿じゃない」
「なるほど、オメーもついに裏の仕事に手を出し始めたってわけか」
「いや、これは王国ギルドを介した正式な護衛任務だ。だから私は全力で彼を護る。たとえ相手が君であってもね・・・とはいえ、私としても戦友とはできるだけ刃を交えたくない。大人しくしていてくれよ、アニーシャルカ」
ロイクを従えたオークはジェラルドと抱擁する。ヨハンと握手を交わす。
ジュルグ帝国フューラルド地方を縄張りにする闇ギルド〈亜人の坩堝〉の首領は、まるで旧友を見つけたかのように微笑しながら冷たい美丈夫の前に立った。
「アウグスト」猟犬は眉を顰めた。「なぜ貴様がここにいる」
「私は今回の会談の〈調停役〉だ。そもそもこの会談自体私がセッティングしたものだ。前々から仲人としての評判は悪くなくてね。そうだ、今度女を紹介してやろう。エルフ、オーク、なんならコボルドでもいい。私の人脈を駆使すれば、貴様のような掛け値無しのクズにも、きっとそれ相応の」そこでアウグストは言葉を止め、嗤った。「いや、そうだった、貴様は生粋の亜人差別主義者だったな。いやはや、私としたことが配慮に欠けていた。許してくれ」
「相変わらず不愉快な男だ」
「褒め言葉として受け取っておくよ。しかし帝国が誇る猟犬部隊の副騎士長、あの天才ツァギール・イリュムバーノフが、まさかユリシールに亡命していたとは。今の貴様の姿を見たら、祖国の同胞たちはなんというかな」
「同胞は全員死んだ。僕があの国に残る理由はない」
「帝国騎士にあるまじき発言だな。愛国心は無いのか?」
「面白い質問だ。逆に聞かせろ。貴様に愛国心があるのか?」
「私が忠誠を捧げているのはいつの世もひとつだけ、金だよ」
「僕が忠誠を誓ったのは部隊と、あの人にだ。どちらももはや存在しない」
「なるほど。貴様の騎士長はヤコラルフで戦死したというわけか」
「どうかな」
「実は私も気になっていたんだ。あの日ヤコラルフで何があったのか。できれば詳しく聞かせてもらいたいものだ」
「黙れ。座れ。そしてそこの拝金主義者どもと茶番劇でも演じていろ」
「いやはや、ずいぶんな物言いだな」ヨハンがくすくす笑った。「ジェラルド、君の部下は相当口が悪いね」
「礼儀は三流以下だが、腕前は一流でね。少しの欠点には眼を瞑ることにしている」
「その気持ちは僕も痛いほどわかるよ」
ヨハンは横目でヴォルフラムを見やる。
「俺を見るな」ジロリとヴォルフラムはヨハンを睨む。
「優秀な兵士を持っていて羨ましいよ」アウグストが席に着く。嘆息する。「私の兵士たちが君たちの兵士たちに勝っている部分があるとすれば、せいぜい忠義くらいのものだ」
「素晴らしいじゃないか。忠義など、この国にいると忘れそうになる」ジェラルドがにやりとする。
「同感だ」ヨハンが高らかに笑う。「まさにそれこそが美徳というものだよ」
三人の大物は笑い合う。
会談が始まる。
「楽すぎて逆にかったるい仕事だったよな」
アニーシャルカはグラスの中身を一気に呷る。琥珀色の蒸留酒が喉の奥に消える。
ホテルのラウンジ。その酒場。
テーブルを囲むのはアニーシャルカ。
ロイク。
ツァギール。
ヴォルフラム。
そしてアステル。彼はヴォルフラムの背後に佇んでいる。
アステルの体格を支えるには、この酒場の椅子は些か脆すぎる。
「そんなに気を抜いていいのかい?」ロイクがアニーシャルカを見る。「まだ護衛任務の途中だろう?」
「さっきジェラルドとヨハンは羊皮紙にサインしてただろ。ありゃ裏の世界で〈血の盟約〉って呼ばれてる契約書だ。あの契約書で取り決めた条件は絶対だ。破ればジェラルドだろうが偉大なる伯爵だろうが闇市場で取引ができなくなる。もう護衛なんざ必要ない」
「お互いを呪術で縛る魔道具のようなものかい?」
「そんなたいそうなもんじゃねぇよ。ありゃただの紙切れだ。だが歴史がある。もう二百年は続いてるこの世界の伝統だ。強固な同盟関係を作りたけりゃ血の盟約が一番だ。ま、ジェラルドの野郎があんなもの持ち出すとは思ってなかったけどな」
「お前と意見が合う日が来るとはな」ヴォルフラムが煙草を吹かす。「まさかヨハンがサインをするとは思わなかった」
すでに会談は終わっている。
非常にスムーズな会談だった。
和睦交渉。お互いの条件の提示。調整。同意。取りまとめるアウグスト。差し出される契約書。サイン。血判。頷くジェラルドとヨハン。握手。談笑。始まるビジネスの話。奴隷。価格。種類。賄賂。
思惑。策略。野望。
ユリシールとジュルグとオルマとの間に、かつてないほど巨大な闇市場を作り出そうとジェラルドが提案する。奴隷だけではない。武器。傭兵。情報。掠奪。違法なポーションに各国の開発した秘匿魔道具の取引などもする。紛争を起こすのもいいかもしれない。植民地を作るのも悪くない。我々の間で富を産むトライアングルを作ろう。
金になることにはすべて手を出そう、とジェラルドは言う。
時間はかかるだろう。根回しも膨大になる。何人か暗殺しなければならない。脅さなければならない。引き込まなければならない。大変だ。
だが、それだけの価値はある。
ヨハンが楽しそうに頷く。
アウグストは嗤う。
三人は酒杯を合わせる。
そうして会談は幕を閉じた。
会談の後にはジェラルドのもてなしが待っていた。
料理。酒。娼婦に男娼。少女、少年、美女、美男。人間に亜人。すべて取りそろえられ、どれも一級品。
ジェラルドの部下、ヨハンの部下、アウグストの部下はそれらを堪能している。
もちろんジェラルドたちも。
ヴォルフラムたちが饗宴に混ざらないのは、万が一の事態に備えてだ。
十闘級。聖銀級。これらの肩書きが有する力は絶大だ。
各国にその名が知れ渡るほどの実力者。
彼等はたったひとりでこのホテルの全員を皆殺しにできる。
だから牽制が必要だ。そんな事が起きないとはわかっている。いくら彼等が強者だとしても、国や法といった枠組みから外れて生きていくことなどできない。
とはいえ保険というものはあるにこしたことはない。
全員を一カ所に集め、お互いを抑止させる。
牽制。
宴が終わるまで、それは続く。
ヴォルフラムは今一度テーブルを囲むメンバーに目を向ける。
ロイク。王国ギルド十闘級戦士。大剣と曲剣の使い手。剣の腕前はユリシールでも一、二を争うと評判。噂によればケルベロスと互角に渡り合ったという。クシャルネディア討伐隊の一員。
アニーシャルカ。もはや説明するまでもない。悪名高い魔法剣士。クシャルネディア討伐隊の一員。
ツァギール。この男については一切情報を掴んでいない。だが先ほどのアウグストとの会話とアニーシャルカが猟犬と呼んでいることから、正体は推測できる。元ジュルグ帝国第八殲滅騎士団。右腕に小盾、腰に歪曲剣。独特な体臭がする。油と焔硝の臭い。ダストと呼ばれる対魔術戦に用いられる魔道具の臭い。この男はクラッカーだ。先ほどの会話の中でヤコラルフという名前が出てきた。数ヶ月前に壊滅した帝国の辺境都市。六万人の人間が一夜で消えた。無差別殺戮。その生き残りか。
ヴォルフラムは王都に来てから再度、独自に情報を集めた。
裏に顔を出した。第四区画を訪ねた。金を払っている情報屋と密会した。集めたのはある男についての噂。
ネズミは裏に顔が利く。そいつに案内させた。
娼館。賭博場。肉屋。闇ギルド。
皆多くを語らなかった。皆口が重かった。恐れていた。怯えていた。だがそれ以前に、そもそもその男についての情報がほとんど出回っていなかった。
その新人はほとんど人前に姿を現さない。どこにいるのかは不明。
わかっているのは、その男がクシャルネディアを討伐した。帝国に関する何らかの闇の依頼をこなした。辺境都市ヤコラルフの壊滅に何らかの形で関わっている。貴族さえ手が出せない。国さえ不干渉を貫いている。危険。とにかく危険な男。手を出すな。関わるな。放っておけ。
要領を得ない噂の数々。
到底信じられないモノばかり。
ヴォルフラムは第四区画を巡った。この街にエルフは、じつは珍しくない。だがそのほとんどは奴隷だ。
ヴォルフラムの横柄な口の利き方に人間どもは唾を吐く。罵る。侮辱する。
だからヴォルフラムは殴る。腕を叩き折る。指を斬り落とす。
ルーキーの居場所を聞く。
罵声。中指。怒号。
耳を削ぐ。鼻を折る。歯を砕く。
堅気には手を出さない。外交問題に発展しそうな行動は慎む。
だがクズどもは別だ。ヴォルフラムと同じクズども。そういう奴等には容赦しない。
第四区画の暗部を練り歩く。
ルーキーについて知りたきゃロイクを見つけろ。
チンピラは言う。
ルーキーの居場所を知りたきゃ猟犬を探せ。
ならず者は泣く。
ルーキーに会いたきゃアニーシャルカを訪ねろ。
ごろつきは血を吐く。
ヴォルフラムは待った。
会談の日が来るのを待った。
そして今、その全員が目の前にいる。
「で、話ってのはなんだよ」
アニーシャルカがヴォルフラムを見る。
会談が終わった直後、彼はアニーシャルカに耳打ちした。話がある、と。
ヴォルフラムは振り返る。アステルを見る。黒い兜に覆われた顔に頷きかける。アステルは頷き返す。アニーシャルカに向き直り、ヴォルフラムは口を開く。
「ある男に会いたい」
「誰だ」
「ルーキー」
その言葉を聞いた瞬間、空気が変わった。
アニーシャルカの眼が据わった。
ロイクの動きが止まった。
ツァギールが鋭い眼つきでヴォルフラムを睨めた。
アニーシャルカはグラスをテーブルに置くと、ゆっくりと首を傾げた。
「そりゃ誰のことだ?」
「とぼけるなよ。今この国でルーキーといったらひとりしかいないだろ」
ヴォルフラムは煙草を捨てる。踏み消す。腔内に残った最後の煙を吐き出し、真剣な声でその名前を口にした。
「サツキって野郎に会わせろ」




