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ドラゴンキラー  作者: あびすけ
第四話 地獄に堕つ五芒星編 第二部【第四区画】
103/150

3 廃城






「準備ができました。いつでも出発できます」


 バテンハルトの居室の戸口に現れた護衛隊の隊員はそう告げた。


「そうか」答えたのはバテンハルトではなく、その傍らに侍立じりつする屈強な鎧姿の男だった。あらたに伯爵の護衛隊隊長に任命された男は部下を下がらせ、主人に視線を向ける。


「いかがなさいますか」


「愚問だな」バテンハルトはゆっくりと立ち上がる。「そのために準備させたのだ」


 すぐに従者が駆け寄り、煌びやかな外套を差し出す。バテンハルトはその上着に袖を通し、部屋を後にする。隊長と従者を従え歩くバテンハルトの姿に、屋敷の使用人たちは立ち止まり、うやうやしく頭を下げる。


 下民たちがへりくだるのは当然だとでもいうように、バテンハルトは使用人たちに一切の関心を向けず、ただ傲然と歩き続ける。


 玄関を抜けると、そこには数台の馬車と、整列する護衛隊、そして第二区画には不釣り合いな、剣呑な雰囲気の集団が屯していた。


 王国ギルドから借り受けた無法者ども。


 彼等は雇い主を見つめる。


 満足そうにバテンハルトは頷く。


 引き出された豪奢な馬車に乗り込む。


「出せ」


 彼の言葉に、馬車はゆっくりと動き出す。






 バテンハルト一行は王都西門から出立し、ひたすらに街道を進み続けた。


 彼等が目指しているのは王都より西北に位置するユルド丘陵、そこで朽ち果てる廃城だ。この世界には出自の不明な遺跡が数多くある。有名なところではオルマ領南東の果てに聳える古塔だ。古塔は三百年前の種族全面戦争当時、すでにその存在が確認されている。おそらくさらに前の時代、神魔戦争の頃の遺物ではないかと考えられているが、その出所はもはや誰にもわからない。ユルドの廃城もそういった古代遺跡のうちのひとつであり、人が踏み入らない場所が総じてそうであるように、この場所には〈魔〉が棲みついている。魔獣、アンデット、亜人・・・廃城は王国ギルドが危険地帯デンジャーゾーンに指定する土地である。


 なぜこのような場所をバテンハルトが目指すのか。


 答えはひとつしかない。ここに十闘級戦士サツキが棲んでいるからだ。


 三日前、バテンハルトはサツキの居場所を突き止めた。


 情報を運んできたのはジェラルドだ。


 アニーシャルカとの会談が決裂した翌日に、奴隷市場を支配する上級騎士はバテンハルトの邸宅を訪れた。


「彼女がとんだ失礼をしたようですね」ジェラルドはそう言った。「それに私が眼を掛けている便利屋がそちらの護衛隊長を殺害したようで。いやはや、どうも私の周りは血の気が多くていけない」どうやら猟犬ハウンドと呼ばれていたあの男も、ジェラルドの関係者だったようだ。


 鮮やかな金髪を撫でつけながらジェラルドはお詫びの品を差し出すように、その情報を告げた。


「部下の責任を取るのはボスの役目です。貴方が最も知りたい情報をお持ちしました」


 それがサツキの居場所だった。


「なぜそんな場所に?」


「さあ、あの男が何を考えているかなど私にはわかりませんので。彼は異質です。長年宮廷の権力闘争や闇市場ブラック・マーケットのイカれた犯罪者たちを見てきましたが、ああいう人間は見たことがない。あそこまで冷たく無機質な人間ははじめてです。私としては、関わり合いにならないことをおすすめします。しかしなぜ貴方があの男に固執するのかはわかりますよ。祖なる血魔ルーツ・ヴァルコラキを討滅し、魔獣狩りを退けた男です。そういう強者つわものを自身の陣営に引き込むメリットを、私もよく知っています。実のところ、私に彼を紹介してくれと頼んできた貴族や将校は少なくないのですよ。アニーシャルカとの繋がりで、私なら仲介役を任せられるのではないかと考えたのでしょうね。それはあながち間違いではない。ですが、私が知っているのはサツキの居場所だけです。それにしたって、こうして情報を漏らすのは貴方がはじめてのことでしてね。この情報を有効に使ってもらえれば、私としても幸いです」


 バテンハルトはアニーシャルカと猟犬についての非礼を不問とした。上級騎士は鳴謝めいしゃした。


 邸宅を辞するとき、ジェラルドはニヒルな嗤いを浮かべ、こう言った。


「もっとも、彼に会えるかどうかわかりませんが」


「私が会えないとでも?」


「どうでしょう。ただ、気をつけることです。特に従者に」


「従者?」


「彼に仕えている従者ですよ。アニーシャルカの言葉を借りればアレは〈剣〉らしいですが、同じ事です。アレは」そこで何かを思い出したようにジェラルドは言葉を止める。一瞬、その身がふるえた。


「アレは、おそろしい女ですよ」






 目的地周辺に到着した頃には、すでに空に薄闇が迫りつつあ

った。


 前方に広がるユルド丘陵は夕焼けのもと、黒々と横たわっている。 


 空に浮かぶ薄い月。

 

 一際高い丘の上に、その廃城は建っていた。


「ここから先は馬車での進行は不可能です」護衛隊長の言葉に

バテンハルトは馬車を止めさせる。隊長とともに外に出ると、すでに護衛隊は隊列を組み、主人が現れるのを待っていた。傲然と、バテンハルトは立つ。選りすぐりの精鋭がその周囲を固める。歩き出す。整然と隊列は動き出す。護衛隊の前後左右に配された王国ギルドの傭兵たちが周囲に眼を光らせている。


 しばらくの間、進行は順調だった。


 廃城の建つ丘の裾野に来た時、先鋒の傭兵たちが立ち止まった。


 彼等は武器を引き抜く。


 隊列に緊張が走る。


 護衛隊もすぐに臨戦態勢に移行する。


「魔物か」


 バテンハルトの問いに、


「そのようです」


 隊長が頷いた。


 丘の裾野にふたつの人影が佇んでいた。


 死人のように蒼い顔をした、美しい男女だった。


「引き返しなさい」


 女の方が口を開き、


「この先はあなた方のような不逞の輩が軽々しく足を踏み入れ

ていい場所ではありません。消えなさい」


 男の方が引き継いだ。


 これだけの軍勢を前にして、ふたりは眉ひとつ動かさず、隊列を睨みつけていた。


 あと少しでも進軍すれば容赦はしない、ふたりの身体から立ち上る殺気は、如実にそう告げている。


 だが、あくまでもこちらからは仕掛けない。そういう冷静な態度でもある。


「アレは、どういった種類の魔物だ?」


 バテンハルトは隊長を見る。


 隊長は口を開き、しかし答えたのは彼ではなく、隊列の右翼に配された、無頼の傭兵たちのひとりだった。


吸血鬼ヴァンパイアですよ、伯爵閣下」傭兵団の中から男が歩み出てきた。顔面に無数の傷が刻まれた、大柄の男だった。腰に大振りの長剣をいていた。その刃が銀色に輝いている。銀剣だ。アンデットを殺す為の剣だ。


 傭兵団〈不死狩り隊〉の首領、ドミニクだ。値踏みするように吸血鬼を観察し、彼は口元を歪めた。


「それも雑魚じゃない。奴等は上位級エルダー・クラスです」


「なるほど。エルダーはかなり危険だそうだね」


「任せてください」ドミニクは不敵な笑みをバテンハルトに向けた。「名前の通り、俺の傭兵団の一番の売りはアンデット殺しです。エルダー相手とはいえ、後れはとりません。すぐに奴等の心臓を抉り出してみせますよ」


「頼もしい言葉だ」


「しかしエルダーは危険度八最上位に分類されるアンデットです。そう簡単に事が運ぶとは思えません」隊長は眉を顰め、ドミニクを睨んだ。先ほど言葉を遮られたのがよほど不快だったのだろう。この軍勢の指揮は自分が任せられているという自負もある。「バテンハルト様、彼等だけでは不安です。護衛隊からも兵を出します」


「いや、その必要はないですよ」


 その声が上がったのは、こんどは隊列の左翼、黒いローブを纏った集団の中からだった。


「こういうトラブルを解決するために僕たちは雇われたのでしょう?」


 ひとりの男がフードを脱いだ。女性と見まがうほど柔らかな面立ちの優男が、にっこりと微笑んでいた。


〈黒の魔術同盟〉の盟主オリバーは、長杖ちょうじょうを片手に前に出る。


「あの上級吸血鬼は僕たちと、そちらの粗野な傭兵たちとで片付けますよ。貴方たち護衛隊の皆様は、バテンハルト伯爵をお護りすることに集中してください。もっとも、伯爵様に害が及ぶような粗相は絶対にしないと約束できますが」


「相変わらず嫌みったらしい野郎だなオリバー」


「粗野なのは事実だろう? ドミニク」


「傭兵に礼儀作法を求める方がどうかしてるぜ」


「まあ、いわれてみればそれもそうか」


「お前等と仕事をするのは久しぶりだ。足を引っ張るなよ?」


「それは僕の台詞じゃないかな? せいぜい僕らの戦いに巻き

込まれないように努力してくれよ」


 ふたりの将は軽口をたたき合いながら魔物の前に歩み出る。ドミニクとオリバーの部下が追随する。エルダークラス二体を前に、彼等は冷静沈着だ。


 それもそのはず、今回バテンハルトが雇い入れたふたつのパーティはギルドでも有名な、歴戦の集団である。


〈不死狩り隊〉は主に六~八闘級で構成されており、ドミニクと彼の片腕の副長にいたっては九闘級の猛者である。


〈黒の魔術同盟〉は厳密にいえば王国ギルドに所属しているわけではない。この魔術師の集団は普段は王都の様々な場所で職に就いている。王国魔術探求団、魔法学院、第四区画の呪術師など。完全にもぐりの集団だったが最近ではその評価の高さから王国ギルドも黙認、ギルドから直接依頼が来るほどまでに成長した。


 本当のところ、バテンハルトは今回のサツキ訪問に十闘級を雇いたかった。


 だがその願いはギルド本部に断られた。単純に手の空いている十闘級がいなかったのだ。いや、ひとりいたがその人物はアニーシャルカであり、そしてバテンハルトがアニーシャルカを雇うことなど絶対にありえない。彼はどうにか十闘級の都合をつけてくれと要求したが、王国ギルドは過度の干渉を嫌う傾向にあり、とりわけ貴族による圧力には絶対に屈しない。バテンハルトの頼みは無下に断られた。とはいえ、王国騎士団に多大な影響力のあるバテンハルトだ。ギルドも最低限の礼儀は示した。その結果が、不死狩り隊と黒の魔術同盟だ。このふたつのパーティを率いていれば、危険地帯といえど安全な道中が約束される。


 上級吸血鬼エルダー・ヴァンパイアとはいえ、彼等ならば殺すことができるだろう。


 武器を手に迫り来る集団を前に、ふたりの吸血鬼は凶暴に牙を剥く。


「あと少しでも私たちに近づいたら、殺します」


「生まれてきたことを後悔したくなければ、消えなさい」


「吸血鬼ってのはどいつもこいつも偉そうで虫唾が走るぜ」ドミニクが銀剣を引き抜く。


「まったく同感だね。こういうアンデットにはお仕置きが必要だ」オリバーの構える杖の先端に魔力が集中する。


「俺たちは男の方をる」


「じゃあ、僕たちは女の方を屠ろう」


「始祖様の領域を土足で踏み荒らそうなどと」女の瞳が激烈な殺意に光る。


「いいでしょう。貴方達には我等が主の血に誓って、悲惨な死を約束します」男の両腕で黒い魔力が渦を巻く。


 いまにも戦いが始まる、誰しもがそう思った。


 だが。


「ずいぶんと、賑やかなのね」


 不意に響いたその声が、双方の動きを凍りつかせた。


 どこから流れて来たのか、ふたりの吸血鬼の眼前に黒い霧が

漂っていた。


 薄闇の中でもはっきりと視認できるほど、その霧は濃い闇を湛えていた。


 二体の吸血鬼はぬかずく。彼等を殺そうと控えている賊など眼に入らぬとでもいうように、いやそもそもそんな賊などはなから存在していないとでもいうように、ふたりは教会で跪拝きはいする聖職者のように、厳粛な表情で膝を折っている。


 その常軌を逸した、絶対的な忠誠心は魔の眷属のみが示す モノ。


 ずるりと、霧の中からそれ・・あらわれる。


 血と闇を支配する、美々びびしい〈魔〉が。


 不死狩り隊と黒の魔術同盟、全員の背筋を戦慄が駆け抜けた。いましがたまで彼等を捉えていた闘志が、一瞬で消え去っていた。それほどまでに、恐ろしかった。それの姿が視界に入った瞬間から、身体がふるえ、体温が奪われ、脂汗が額を伝い落ちていく。


 その無様な人間たちの姿を睨み、吸血鬼たちは口を開く。


「申し訳ありません。今すぐに始末します」


「あの無礼者どもを血祭りに上げ、その血を貴女に献上しま

す」


「別にいいのよ。せっかく訪ねて来てくれたのだから、私自らもてなすわ」


 艶然と微笑み、それの姿が掻き消える。


 黒い霧が傭兵たちの、魔術師たちの隙間を流れていく。


 隊列の隙間を縫い、もっとも警護の厚い場所に流れ着く。


 バテンハルトの眼前で、くらい霧が人の姿を形作る。


 次の瞬間。


 人形ひとがたは霧散した。


 バテンハルトの前に、ひとりの女が立っていた。


 美しい女だった。これまで彼の出会った女性の中で、もっとも容姿佳麗な女だった。


 人間の美貌ではない。あきらかに〈魔〉だけが有することの赦される、凄絶な様躰ようだい


 まるで背後に闇を従えているかのような豊かな黒髪が、夜風に揺れている。


 蒼白い唇から二本の犬歯、いや、黒獣の名残である牙を覗かせ、女はやわらかく微笑した。


「貴方がこの兵を率いているのかしら?」


 蒼い眼が、バテンハルトに注がれた。


 呼吸が荒い。動悸が止まらない。助けを求めるように、彼は隣の護衛隊長に顔を向ける。


 護衛隊長はその場に釘付けにされているかのように、微動だにしない。


 バテンハルトは焦ったように周囲を見回す。彼自ら選んだ精鋭達は、全員が隊長のように微動だにしない。


誘惑眼チャームアイよ」女はさとすような口調で喋る。

「私の視界にそんするあらゆる生き物は、もはや私の赦

しをなしに瞬きすることさえできない。貴方が動けているのは、ひとえに私の好意によるものよ。だから」わずかに眼を細め、彼女はバテンハルトを眺める。「はやく私の質問に答えてくれない?」


「し、質問?」


「貴方がこの兵を率いているのか、と聞いたはずよ」


「そ、そうだ」


「何のために?」


 女の声には微かに、だが確実に凶兆が含まれていた。


 バテンハルトは生唾を飲み込んだ。この問いに正直に答えな

ければ殺される。あらゆる生物が備える直感力が、彼にそう告げていた。


 そして思い出す。ジェラルドの言っていた言葉を。


『気をつける事です。特に従者に』


 そしてこうも言っていた。


『アレは、懼ろしい女です』


 確かに、そう言っていた。




「どうしたの?」女の白く冷たい指先がバテンハルトの頬に触れる。「一体、いつまで黙っているつもり?」


「十闘級戦士の、サ、サツキが、この地にいると聞いた」


「誰にかしら?」


「ジ、ジェラルドだ」


「ジェラルド?」女は沈黙し、それから思い出したように笑った。「ああ、確かアニーシャルカとつるんでいる騎士の名前ね。そういえば一度、アニーシャルカに連れられ此処に来たことがあったわ。まあ、別に隠しているわけでもないし、誰が来ようとかまわないのだけれど」女の声から温度が消えた。「それで、サツキ様に何の用かしら」


「は、話をするために来た」


「内容は」


「ぜ、是非、彼を、我が陣営に」


「いえ、やっぱりいいわ」女の背後の空間が、裂けた。「あの方がお会いになるのは獣だけよ。獣だけがサツキ様への謁見を赦される。そして何が獣なのか、誰を通すのかを判断するのが、従者である私の、いえ〈剣〉である私の責務よ。貴方が誰にせよ、その訪問の理由が何にせよ、貴方も、貴方の兵士達も、ことごとく不合格よ。そして」空間の裂け目はどんどん拡がっていく。冥い亀裂の向こうで長蟲と蜥蜴が蠢き、三つ首の獄犬が獰猛に吠え立てる。怪物たちを従えた女は、嗤う。「不合格の者を丁重に扱うほど、私は思慮深くも、慈悲深くもないの」


「き、貴様は、なんなんだ、なぜ、サツキは、貴様のような化け物を、従者などに」


「貴方が知る必要はないわ。どうせ」


 死ぬのだから、そう言って、女は魔物の群を解き放った。






 女はゆっくりと歩を進める。


 背後では凄惨極まる殺戮が繰り広げられている。大百足が喰らい、毒蜥蜴が呑み込み、獄犬が荒れ狂っている。


 いまだ跪いたままの吸血鬼に、彼女は声をかける。


「貴方たちもお腹が空いているでしょう?」


 ふたりの頭を軽く撫でる。


「あの子たちに混ざっていいわよ」


 そう言って、女は通り過ぎた。


 ふたりは振り返る。


 すでに彼女の姿はない。


 黒い霧が、廃城の方へ流れていく。


 その霧を眼で追いながら、ふたりはこうべをたれる。


「ありがとうございます」


「クシャルネディア様」


 そうして彼等は奴隷スレイブたちの食事に加わる。






 クシャルネディアは一礼すると、その部屋に入った。


 荒れ果てた室内は薄暗かった。すでに陽は没している。月明かりが、天井の亀裂から差し込んでいる。その光が、ひとりの男の右半身を照らし出していた。


 No.11イレブン


 腕には、そう刻まれている。


 乱雑な、灰色の髪。


 月光が、ゆっくりと薄くなる。


 雲に隠れたのだ。


 室内は宵闇に包まれる。


 クシャルネディアは立ち止まる。肌がチリつく。この数日で、サツキの纏う気配は間違いなく禍々しさを増している。敵を前にしているわけでもなく、魔力を解放しているわけでもないというのに、その身から漏れ出る殺気の重々しさは尋常ではない。祖なる血魔ルーツ・ヴァルコラキである彼女だからこそ平然と立っていられるが、先ほどの人間たちではこの部屋に入ることすらできないであろう。やはり彼等は不合格だ。


「ずいぶん、騒がしかったな」


 ざらついた呟きが、クシャルネディアの耳に届いた。


 闇の中に、サツキの赤い眼が浮かび上がった。


 その件で報告にまいりました、そう言ってクシャルネディアはサツキの姿を眺めた。その大半は陰に呑まれている。だが、その輪郭が禍々しいことだけはハッキリとしている。


「訪問者の相手をしていました」恭しく、彼女は告げた。


「何の用だ」


「サツキ様に会いに来たようです」


「それで」


「お会いになるほどの価値は、ないかと」クシャルネディアはにっこりと微笑む。「私の奴隷たちの餌にしました」


 サツキは頷いた。


「謁見を、赦すべきでしたか?」


「お前に任せる」


「ありがとうございます」


 深々と頭を下げ、辞そうとしたクシャルネディアは、しかし何かを思い出したように立ち止まった。


「ひとつ、お耳に入れたい情報が」


 サツキは答えない。ただ眼で先を促す。


「オルマ領ゼルジー地方で、超越魔物トランシュデ・モンストルたちが激突しました。麾下の者どもに探らせたのですが、どうやらその戦いにはガルドラクが関わっているようです」


「ガルドラクか」サツキの眼が、わずかな殺意を帯びる。「アレは獣だ。放っておけ」


「しかし、よろしいのですか? 仮にも〈剣〉であるのならば、勝手な行動は慎むべきかと」


「俺の剣に収まるような獣だったら、あの夜、殺している」サツキの脳裏にあの時の光景がよみがえる。クシャルネディアの血により一命を取り留め、意識を取り戻した魔獣狩りと取り交わした誓約。


『すべてが終わった時、お前が生き残っていたら、そしてもし俺が生きていたなら』


 血にまみれ地に倒れ伏した獣に、サツキは厳然と告げた。


『その時は、俺がお前を殺してやる』


『逆だろ』ガルドラクは血を吐きながら、牙を剥いた。『オレがテメェを殺すんだよ』


 一切の迷いなく、黄金の獣はそう吼えた。

 




 サツキはクシャルネディアを見る。


「奴は完璧だ」サツキは、嗤った。「羨ましくすらある」


「完璧ですか」


「ああ。あれほど自由な獣を、俺は他に知らない」


 放っておけ、もう一度呟き、サツキはクシャルネディアを下がらせた。


「お前もだ、クシャルネディア」退室する血魔ヴァルコラキの背に、彼は声をかける。「お前も自由だ。俺の従者など務める必要はない。好きに生きろ」


「もちろん、私は好きに生きています」


 微笑み、クシャルネディアは霧散した。


「城内を漂っていますので、何かあればお声かけください」


 そうしてクシャルネディアの気配が消えた。


 サツキは彼女の消えた空間から視線を外した。


 再び月明かりが差し込む。


 亀裂から外界に眼をやる。月。星。闇。地平線の彼方に聳える山稜。その遙か向こう、ユリシール王国領を越え、ヌルドの森を過ぎ去り、死の荒野のさらに先を、る。いや、見えるはずがない。だが、その世界の果てを見据えるかのように、サツキは赤い眼を細める。


 首筋の黒い呪印に触れる。


 何も感じない。


 だが、あの日、あの時、確かに鼓動した。


 奴の気配を見誤るはずがない。


 おそらくこの世界で、唯一サツキを殺せる者。


 そして、唯一、サツキでなければ殺し切れない者。


 しばらくの間、サツキはそうやって外を眺めていた。


 再び月が雲に呑まれた。


 闇。


 竜殺しは、静かに眼を閉じた。






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― 新着の感想 ―
[良い点] ほんとに良い文章、中坊から10年くらいなろう見てるけど最上位やと思う。 ゆっくりでいいんで期待して楽しみに待ってます。
[良い点] 獣だけがサツキに会える。 アステルなら会えるかな。
[良い点] 文章の質が本当に良い。登場人物一人一人の持つ狂気の表現が本当に素晴らしいです。完結まで絶対見ます
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