1 猟犬と雷刃
猟犬がその部屋に入ると、ソファにもたれていた男たちが一斉に彼を見た。
剣呑な目つきの、一目で堅気ではないとわかる顔つきの男たちだった。
「終わったのか?」
その中の、一際強面の男がそう聞いた。
猟犬は男に近づきながら「ああ」とそっけなく呟いた。
「アレほど強情な野郎をこんなに早く吐かせるとは、一体何をした」
「背中の皮を剥いだ」猟犬は男たちの前に折りたたまれた生皮を放り投げた。脂血が飛び散る。「四分の一ほどな」
「聞き出したか?」
「僕の仕事は口を割らせることだ。尋問は貴様等がしろ」
「おい色男、口の利き方がなってないんじゃねえか」男の隣に座っていた若者が、気色ばんだように立ち上がる。「ジェラルドさんのお気に入りだかなんだかしらねえが、たかだか便利屋がアンリさんにふざけた口をきくんじゃ」
「お前、黙ってろ」
アンリの鋭い視線が若者を睨んだ。とたんに彼は口をつぐみ、静かに腰を下ろした。
「悪いな。どうも俺のところの若い衆は血の気が多くてね」
「まったくだ」猟犬は冷ややかな眼差しでアンリを見やる。「部下くらいしっかり躾ておけ」
「てめぇ!」
先ほどの若者がまたもや声を荒げ立ち上がった。
瞬間、アンリの手が若者の髪を鷲掴み、そのままテーブルに叩きつけた。
「黙ってろと言わなかったか?」アンリは乱暴に、三度、四度と若者の額を叩きつける。血飛沫が飛び散り、周囲の男たちの頬を汚す。最後に一際強く叩きつけると、アンリは髪を離した。若者はくずおれ、床にうずくまり悲痛な声を立てる。
「本当、躾ができてないよな」
手の血を拭いながら嗤い、アンリはテーブルの上に布袋を滑らせる。それを受け取り、中身を確認することもせずに懐にしまうと、猟犬は歩き出す。
「待ってくれ、忘れるところだった」部屋を出ようとするハウンドの背にアンリは声をかける。「ジェラルドの旦那からあんたに、言付けを預かってるんだった」
「なんだ」
「仕事を頼みたいそうだ」
「内容は」
「そこまでは聞かされていない。仕事に関してはアニーシャルカの姐御が知っているそうだ」
「アニーシャルカ?」不愉快そうに眉根を寄せ、猟犬は闇市場では知らぬ者のいない魔法剣士の名を吐き捨てる。「またあの女絡みか」
「この時間なら、おおかたトパーズで飲んでる。会って話を聞いてくれ」
「ジェラルドに伝えておけ、もしくだらない仕事だったら、貴様の皮を剥がすと」
「よくもまあ、あの人にそんなことが言えるな。あんたのバックだろ?」
「金を出しているからといって僕に指図していいわけじゃない」
「そうかい。まあ、なんでもいいさ。とにかく俺は伝えたぜ、アニーシャルカの姐御によろしく言っておいてくれ」アンリは部屋を出て行く猟犬の背を見ながら、ふと思いついたというように、口を開いた。「そうだ、最後にひとつ教えてくれよ、あんたの名前は何なんだ? まさか猟犬が本名じゃないんだろ? 俺が思うにアンタの顔立ちからして帝国の生まれだと思うんだが、当たってるか?」
「ひとつ忠告しておく」扉の隙間から剃刀のような眼光が覗き、刃物のように鋭い声が部屋の中に響いた。「次僕について詮索したら、貴様も、貴様の仲間たちも、皆殺しにする。覚えておけ、ユリシールのゴミども」
そう言って猟犬は消えた。
「いいんですか、あんな新参者にデカい顔をさせておいて」
傍らで、腹心の男がアンリに囁いた。
「命じていただければ、今すぐにでもあの男の首を持って帰って来ますが」
「ジェラルドの旦那のお気に入りだ。やめておけ」
「しかし、これじゃ部下たちに示しがつかないじゃないですか。コイツにしたって、ここまでやることはないでしょう」ようやく床から起き上がった若者にチラリと目をやる。額が裂け、血が鼻筋を伝い落ちていく。「あなたが侮辱されたのが我慢できなかっただけなんですよ」
「馬鹿が、ああでもしなきゃ猟犬の野郎、コイツを殺してたぞ」アンリは先ほどあの男から香った殺意を思い出す。剃刀のように鋭く、鉄のように冷たかった。間違いなく、あと一歩踏み出していたらあの猟犬は彼の部下を殺していた。
「これはあくまで噂だがな」アンリは腹心の男を見やる。「あの男はアニーシャルカの姐御と五分に戦りあったらしい」
「冗談ですよね?」
「ジェラルドの旦那が冗談をいうと思うか?」
アンリの返答に男の表情が固まる。
アニーシャルカは王国ギルドに八人しか存在しない十闘級のうちのひとりだ。剣と雷魔法を操る姿から【雷刃】と呼ばれ、他国にまでその名が知れ渡る正真正銘の強者。そんな女と互角に戦ったのだとすれば、あの猟犬という男はただ者ではない。
それにこうして対面してわかった。あの男から香る血の臭い、あれは姐御と同質の物だ。
つまり、奴は異常者だ。
殺しに執り憑かれた飢えた獣だ。
「いいか、あいつは放っておけ」
アンリはそう言って窓の外を眺めた。
夕暮れのもと、ユリシール王国 王都 第四区画は喧噪に包まれていた。
冒険者と無法者と犯罪者の集う場所。
王都の肥溜めと蔑まれる城下町の最下層。
「もともとひどい街だったが」
アンリは眼下に広がる町並みを睨みながら、毒づいた。
「最近とみに酷くなってやがる」
「悪いが、無理だな」
アニーシャルカは悪びれる風もなくそう言って、あくびを噛み殺した。
「無理?」
彼女の前に腰掛けている男は首をかしげた。
上品な身なりの、初老の男だった。その身体には貴顕の生まれの者だけが身に纏う、高貴な匂いが染みついている。あきらかに貴族のこの男は拒まれるということに慣れていないのだろう、アニーシャルカの言葉を咀嚼しきれぬというように視線を漂わせ、背後に控える護衛たちに問いかけた。
「気のせいかな、彼女は今、私に向かって無理だと言った気がするが」
「イエス、そう言っていました、バテンハルト様」
護衛隊長が男の傍らに歩み出て、実直そうに答えた。
「なるほど」男はうなずき、穏やかな、それでいて冷え冷えとした視線をアニーシャルカに向ける。「君は、私が誰なのか知らないわけじゃないだろう?」
「さあ、あいにく貴族の顔には疎くてね」アニーシャルカは嘲るように嗤い、椅子にもたれかかる。「まあでも、殺したらマズい地位にいることくらいは知ってるぜ」
「ギルドの雌犬め」怒りを露わに、護衛隊長が剣に手をかけ一歩前に出る。背後の護衛たちも臨戦態勢に入り、貴族の男を守るように取り囲む。
「雌犬?」アニーシャルカはどこから取り出したのか掌でナイフを踊らせ、蛇のような冷たい眼で隊長の顔を睨めた。「まさかとは思うけど、わたしに言ったんじゃねぇよな?」
「貴様以外に雌犬がどこにいる」
「目の前の爺さんには手を出さないけどさ、まさかアンタ等まで殺されないと高をくくってるんだとしたら、わたしをなめすぎてるぜ」ナイフの切っ先で、蒼白い火花が散る。アニーシャルカの頭髪が静電気を帯びたようにチリつく。「護衛ってのは死ぬのも仕事のうちだよな。試しに灼いてやろうか」
「噂には聞いていたが、想像以上に礼儀を知らないお嬢さんのようだな、アニーシャルカ君」進み出ようとした護衛たちを手で制し、貴族の男が静かに、だが怒りを湛えた声色で言う。
「私の護衛を手にかければ後悔することになるよ」
「あいにくわたしは後悔したことがなくてね」
「それは私への宣戦布告かな?」
「さあな。だが、わたしを雌犬呼ばわりしたソイツは必ず殺すぜ」
「君は獣だな。道理を学んだ方がいい」
「そういうもんは母親の腹の中に忘れてきたらしくてね。とりあえずその男を解らしてから話の続きをしようぜ」
「そこまでだよ、アニーシャルカ」
不意に、快活な声が響いた。
護衛たちを押しのけるように、精悍な顔つきの好男子が現れた。
「ずいぶんと遅いご登場じゃねーか、ロイク」
アニーシャルカは隣に腰掛けた十闘級の同胞に眼をやる。
「すまない、ちょっと仕事が長引いてね」
肩をすくめ、眼前の貴族に穏やかな笑みを向ける。
「どうもすいません、バテンハルト伯爵。彼女がご迷惑をかけたみたいですね」
「とてもね」バテンハルトは相好を崩し、ロイクの手を握った。「だが君が来てくれてよかった。こちらのお嬢さんはどうも言葉を解さないみたいでね」
「辛辣ですね」
ロイクは苦笑し、楽しげに雑談に興じる。
その容姿と教養、なによりその実績によって彼は貴族からの依頼を多く引き受けてきた。それゆえ社交界に顔が広く、バテンハルトとも知らぬ仲ではない。今回の会談でも、伯爵はロイクを指名していた。本来ならロイクが迎え、アニーシャルカは付き添い程度の役割だった。だが彼の仕事が予想以上に長引いてしまい、仕方なくアニーシャルカがバテンハルトと話を始めたのだった。
「気にしなくていいよ、ロイク君」伯爵は鷹揚に首を振り、謝るロイクの肩を軽く叩いた。「君のことだ、遅れたのには仕方のない事情があったのだろう。それにアニーシャルカ君との交流は、なかなか得がたい経験だったよ。なにせ猛獣と話をするのははじめてだ」
「口に気をつけろよ伯爵、わたしだってどうでもよくなることがあるんだ」
「それは脅しかな?」
「好きなように捉えろよ」
「やめるんだアニーシャルカ」
「ロイク、わたしに指図する気か?」
「いや、頼んでいるだけだよ」それより、とロイクはバテンハルトに笑みを向ける。「伯爵、私たちへの頼み事とはなんですか?」
「先ほどアニーシャルカ君にも話したんだがね」伯爵は笑い、しかし威圧するような眼差しをロイクに向ける。「私はある人物に会いたいんだ」
「誰ですか?」
「わかるだろ?」
「サツキくんですか」
「そうだ。今やこの国の上流階級で彼を知らない人間はいない。これほどの功績を一個人が納めたのは、ユリシール王国建国以来初めてのことだ。英雄といって差し支えのない業績だよ。だというのに、彼は人前に姿を現さない。彼は依然謎のままだ。わかるかね? 皆不安なんだよ。祖なる血魔を討滅し、魔獣狩りを処理したほどの男が、富も名声も求めず、ただ引きこもっているだけだというのは、いくら何でも不気味すぎる。一体彼は何を求め、何を考えている。我々はそれを知らなければならない」
「アイツが何を考えてるかなんざ、誰にもわからねぇよ」アニーシャルカはかったるそうに椅子にもたれる。「ただひとつだけわかってることがある。アイツはアンタには会わない。さっき無理だっていったのはアンタを連れて行けないって意味じゃねぇよ。案内はできるさ。だがアイツは絶対にアンタに会わない」
「なぜだ」
「豚には興味がないからだ」アニーシャルカは嘲笑に口元を歪める。「アイツがアンタに興味があるとは思えないね」
「豚? この私が豚だと?」
「伯爵、彼女の言葉は気にしないでください」ロイクは身を乗り出しバテンハルトをなだめる。「彼女は病的に口が悪いだけで他意はないんです。しかし」ロイクは何かを考えるように数秒沈黙した後、口を開いた。「確かにサツキくんは伯爵には会わないでしょうね」
「いいかいロイク君、私が会いたいと言ったら必ず会える。私はそういう地位にいるのだよ」
「地位なんか関係ないんだよ」伯爵の言動にうんざりしたようにアニーシャルカは天井を眺める。「アイツはイカれてる。わたしが言うくらいだから相当だぜ。常識もクソもねぇんだよ。会えないもんは会えない」
「何を言う。私は」
「探したぞ、雷刃」
声を荒げたバテンハルトの言葉を遮るように、氷のように冷たい声が部屋に響いた。
「よう猟犬」
護衛たちを押しのけるように現れたその男に、アニーシャルカは嗤いかけた。
「よくわたしの居場所がわかったな」
「トパーズで飲んでいたダムドの連中から聞き出した」
「バルガスの野郎、口が軽すぎるな」
「嫌われているんだろ」
「傷つくね」アニーシャルカはわざとらしく肩をすくめ、冷たい美丈夫を見る。「しかし、オメェから会いに来るとは、どういう風の吹き回しだ」
「仕事の件だ。でなければ、僕が貴様に会いに来ると思うか?」
「ああ、ジェラルドか」思い出したようにアニーシャルカは頷き、かったるそうに口を開く。「ちょっと待ってろよ。このクソ面倒くさい話し合いが終わるまでな」
「どういうことだ?」バテンハルトは眼を細め、傍らの護衛隊長を睨む。「この店は貸し切りのはずだ。なぜ部外者が入っている?」
「私の部下たちが入り口を封鎖していたはずですが」困惑したようにバテンハルトに頭を下げた隊長は、面目を潰された怒りに顔を赤く染め、肩を怒らせながら猟犬に近づく。
「貴様、どうやってここまで来た」
「歩いて」
「馬鹿にしているのか。私の部下たちはどうした」
「さあな。死んでいるんじゃないか?」
「なんだと、貴様一体何を」
「うるさい。貴様に用などない。黙っていろ」
「黙るのは貴様の方だぞ」隊長は剣に手をかける。背後に控えていた部下たちが伯爵を後ろに下がらせる。隊長は一歩前に出ると、鬼気迫る表情を猟犬に向け、威嚇するようにうなる。「貴様が誰だかしらないが、そこの雌犬の仲間だ、どうせろくでもない男なのだろう。さっさと消え去れ。でなければ、斬り捨てるぞ」
「その剣を抜いたら、貴様を殺す」猟犬の剃刀のような眼が、陰惨な光を湛える。
「それはこちらの台詞だッ!」臆することなく、隊長は剣を引き抜く。「バテンハルト様直属護衛隊隊長の実力、とくと見せてやる!」
そう言って振り上げられた剣は、しかし振り下ろされることはなかった。
血が噴き出す。
剣が地面に落ちる。
隊長は理解できないというように自らの両腕に眼をやる。
肘から先がない。
くずおれる。
痛みは遅れてやってくる。
悲痛な男の叫びが部屋中にこだまする。
「人の話を聞かない男だ」いつ抜いたのか、猟犬の手には鋭い湾曲剣が握られている。「そういう奴は死ぬしかない」
隊長の首が刎ね飛んだ。
まき散らされた血が絨毯を赤く染め上げていく。
無残に殺された隊長の死体を前に、部下たちが気色ばむ。
各々剣を引き抜く。
「やめとけよ」
アニーシャルカが立ち上がる。その手には二本の斧刀が握られている。
切っ先で蒼い雷が煌めく。
「全員焦がされたいか?」
「私に刃を向けるつもりか」護衛に守られながらバテンハルトが吼えた。「それが何を意味するかわかっているのか、私には多くの友がいる。私が一言協力を仰げば、王国騎士団が動く。いいか、私が誰だか」
「貴様など知らない」湾曲剣を軽く振り、猟犬は無表情でバテンハルトを見据えた。「それと他人の威を借りるな。虫唾が走る」
「王国騎士団ね」アニーシャルカは手の中で斧刀を踊らせながら口元を歪める。「騎士団ごときにわたしがビビると思ってるとしたら、いくら何でも十闘級を舐めすぎてるぜ。まあでも、安心しろよ伯爵、わたしもこの国に長い、アンタを殺したら面倒事が起きるのはわかってる。ただこっちの騎士崩れがどう思ってるかは知らねぇがな」
アニーシャルカはチラリと猟犬に眼をやる。
「期待するような眼を僕に向けるな」
「期待しちゃ悪いか?」
「まあ、応えてやってもいいがな」
ふたりの獣とバテンハルトとの間の緊張感が高まる。
と、それを破ったのはロイクだった。
「すいません」彼は身を低くしながら前に出て、詫びる。「今日のところはお引き取りください、伯爵。私ひとりでこのふたりを抑えるのは難しい。伯爵の身の安全を保証できません。ですので、今日のところは、お帰りください」
懇切丁寧に、ロイクは謝り続ける。
どうかお願いします、最後にそう言って、ロイクは深々と頭を下げた。




