冬は、血統書付猫奮闘の季節~後編~
2016年のバレンタインは日曜日ですが、このお話の中のバレンタインは平日設定です。
バレンタイン当日。
日本では乙女が好きな人や、日頃お世話になっている人にチョコを渡す日である。本家本元とは違ったイベントとなっている日本のバレンタインだが、私は日本人なので難しいことは考えず、素直にその日本仕様のイベントに則ろうと思う。
校内の雰囲気もいつもと違って、空気が浮き足だっているのが感じ取れる。
きっと、そこかしこで何か甘酸っぱい事件が大なり小なり起きているのだろう。
私には回ってこなかったが、何でも屋にも何件かチョコのお届けの依頼があったはずだ。
「……お待たせ、しました」
後輩に譲った、元私の憩いの場所であった第二校舎の屋上入り口。
昨日送りつけられたメールの時間より15分ほど早い時間に、蔵人くんが姿を現す。その顔には、なんで自分より早くにいるのかという疑問が浮かんでいる。
「勝手に早めに来て待っていただけだから、気にしないで」
その驚く顔が見たかったんだよね。
いつもは呼び出しに応じても、時間ピッタリか遅れてくる私が早くからいるなんて予想できなかったに違いない。
出鼻をくじけたようで、お姉さんは大満足です。
不審げな後輩を、おいでおいでと階上に招く。
「さて、蔵人くん。お好きな袋をえらんでちょうだいな」
蔵人くんの目の前に、文庫本サイズくらいの赤い紙袋を三つぶら下げる。
「先輩。僕にはどれも同じに見えるんですが」
「いえいえ、袋は同じですが、貼ってるメモの内容が違うでしょ?」
並べられた袋にはそれぞれ「義理チョコ」「友チョコ」「本命チョコ」というメモを貼っている。
「さ、君は何を選ぶ?」
にっこりと微笑み、かわいい後輩の選択を待つ。
約一か月前にこの子にある質問を投げかけて回答を求めたが、未だに返答らしきものはない。猶予期間の一か月は過ぎた。
君が動く気がないのなら、予告通り私から仕掛けさせて頂きます。この手の案件は、先手必勝だと個人的に思うのだけど、どうだろう。
「どれもいりません」
蔵人くんは、私をまっすぐに見つめ堂々と言い放つ。
おや?
あれあれ、これは、もしかして……。
「……先輩。そのネタ、昨年も友人知人の方々に使用されたそうですね」
「よく御存じで」
私を見つめる視線には、そんな手には乗ってやりませんよというあきれしかない。
「タチが悪いっていわれません?」
ぽりぽりと頬をかきながら、目線を逸らす。
昨年は、三つのチョコを並べられて変に深読みしたり、指差して爆笑されたり、無駄なことするなと怒られたりと様々な反応が見れた愉快なバレンタインでした。
ちなみに、副会長にはろくなことしないわねと冷たいお言葉を頂きました。
「それ、メモ書きが違うだけで、中身は全部一緒なんでしょう?」
「うわー、そんなとこまで調べちゃったか。せっかく仕込んできたのに、ざーんねん」
ちぇっと、肩をすくめて後輩の成長っぷりに密かに感嘆する。
どこから昨年の私のバレンタインネタを仕入れたのだろう。そこまで下調べするとは、本当に驚きである。しかも、前回みたいに私に何も伝わってこないということは、情報元には決して私には言わないでくれと口止めまでしたのだろう。
「他人と同じ内容のチョコなんて受け取りません」
「それは、以前きいた質問の回答かな?」
私からの好意などはいらないと以前からいっていたことに対して、今もそうなのかと先日問いただした。
「回答の、一部です。正式な回答をする前に、先輩にひとつお願いがあります」
「お願い?」
「先日のセクハラのお代として、僕のおねだりをきいてくれるっていいましたよね?」
「……そっか、あれは君にとってセクハラに値するのか」
ちょびっとめくっただけなのにー。
ちゃんと、了承してくれたのにー。
「あれをセクハラといわずに何をセクハラっていうんですかっ! すっごく嬉しそうに人のスカートめくってくれましたよね!? あの時ばかりは先輩の性別を疑いましたよ!!」
「えー。それをいうなら、私も君に抱き着かれたりしてるのも立派なセクハラ行為だと思うのだけど」
「こんな美少年に抱き着かれてたんだから、逆に喜んでください」
……お、おう。
強くなったな、少年。
自分で美少年っていっちゃったよ、ついに。
そう返してくるとは予想外です。
「あ、はい。役得って思っておきます」
めきめき逞しくなってる後輩に免じて、理不尽なこといわれてると思うが納得しといてあげよう。
そうか、あれは、喜ぶべきことだったのか。
「で、おねだりしてもいいですか?」
仕切り直しと、こほんと咳払いをして蔵人くんが改めてお伺いをしてくる。
「まあ、約束したし。可能な限りききましょう」
「これを、受け取って頂いていいですか?」
差し出されたのは、朱色の包装紙でラッピングされた手のひらサイズの小さな箱。飾り付けのアクセントとして使用されている金色のリボンに刻印されているロゴを見て驚いた。
「甘い物はそこまでお好きじゃないと聞きましたが、ここのブランドの冬季限定チョコだけは毎年必ず楽しみにしてるんですよね」
「え。ちょっと、その情報ってどこから……」
たぶん、ここまでピンポイントな情報を和子や栞は知らない。
私がここの限定チョコを毎年楽しみにしてるなんて、本当に限られた人しか……。
「ねえ、先輩。喜んで受け取ってくれますか?」
「ちょ…ちょっと待って。そりゃ、喜んで受け取らせてもらうけど、これ、おねだりなの? こんなレアい情報を仕入れてわざわざ用意してくれてるんだから、差し出されたら普通に受け取るよ?」
やばい、本当にどこからネタを仕入れたのかわかんないぞコレ。
どんな手を使って調べてきたんだろう?
「じゃあ、別にもう一個おねだりしてもいいですか?」
手のひらに乗せられた、大好きなチョコレートの箱を眺めながら、蔵人くんのことばをぼんやりきく。
「前言を、撤回させてください」
ぐいっと、いきなり手首を掴まれて驚いて顔を上げる。
目の前には、校内に響き渡る美貌の美少年の満面の微笑み。
ある程度の耐性はついている筈なのに、全力でこちらをタラシ込もうとして浮かべている甘い表情に、思わず魅了されてしまう。
「先輩にはこれだけ纏わりついてるんです、そろそろ僕のこと好きになってくれてるでしょう?」
ちょっと前までこんな顏いりませんとか拗ねていた子は、自分の魅力を理解しているのか、小癪にも小首を傾げてきいてきやがる。
「……私がちょっと撫でようとしたら、身を翻して逃げ出していた子猫な後輩はどこへ行った」
春先に出会ったのは泣き虫な仔猫であって、こんな人を魅了してくるような生意気な小悪魔ちゃんではなかった!!
「先輩、文句言ってますけど、顔赤いですよ」
「うっさい! 君は自分の顏の威力を……」
と、さらに文句をいおうとして、とある事実に気づく。
「あれ、蔵人くん、もしかして、また背が伸びた?」
正面にいる蔵人くんの姿をまじまじと眺める。目線の高さが同じになっている。
「ようやく気付きましたか?」
「え、いやいや。ちょっと、同じっていうか、あれ? 私より高い?」
「ほんのちょっと、僕のが高いと思いますよ」
肩を並べて、身長を確認する。
「うわ、本当だ。いつの間にか負けてるし……」
「先輩の理想って、自分より背の高い人、でしたよね」
「よく知ってるね?」
リサーチ済ってことですか。やるじゃないか。だが、これは知るまい!
誇らしげにほんのちょっとだが、私を見下ろす蔵人くんにとある現実を突きつける。
「私服の時は必ず踵の高い靴を履くから、その分もカウントしとかないとね!」
「あ、僕も私服の時ってブーツが標準ですから問題ないですね。あれって結構身長稼げるんですよ」
「……ちっ」
ぎりぎりと睨みつけるも、涼しい顔でやり過ごす後輩が憎たらしい。
「本当、色々と成長してきたね。身体も、精神も」
「そうですね、主に精神面に関しては、先輩に鍛えて頂いた賜物だと思いますけど?」
はあっと、ひとつ大きく息をつく。
「ほーんと、最初出会った時は温室でべそべそ泣いてたのにねー」
廊下で押し倒されて気を失ったり、ほぼ毎日抱き着かれたり、階段上からタックルくらっておでこを強打したり、本っ当にこの子とは色々とあった。
懐かれても、こちらが何か好意を返そうとすると、逃げ出したり拒否反応を示したりもされた。
「前言撤回するんだよね?」
「ただし、セクハラ行為は断固拒否しますよ」
おい、君は私をなんだと思っている。
確かに、たまーに無性に撫でくりまわしたくなる衝動に駆られたりなんかするけど、それは猫を構い倒したいと思うのと同じ心である。
決して、いたいけな美少年を心のままにお触りしたいというアレな衝動とは別物だ。……文化祭の時、悪ノリし過ぎたツケか、これは。
「まあ、これだけ懐かれたら、好意は抱いちゃうよね」
バレンタインといえば、乙女の告白日和。
女の子が本命チョコという武器を携えて、意中の彼に想いを伝える日。
武器の準備は残念ながらできてないが、心の準備は、今、できた。
「好きっていってあげるから、素直にお姉さんの愛のこもった抱擁を受け取りやがれ」
ぎゅっと、抱き着くと蔵人くんは不意打ちだったのか、バランスを崩して尻餅をついてしまう。
体勢的には、美少年を押し倒す形になっている。
「痛っ……」
「そうだろう、そうだろう。君に押し倒されて、後頭部を強打した私の痛みが多少は分かったであろう」
呻く蔵人くんに、にっこりと笑いかける。
少年よ、私の受けた衝撃はこれ以上だったのだよ。
「先輩」
呼ばれると同時に背中に腕が回されて、蔵人くんに抱き込まれる。
思ったより硬い胸板に顔を押し付けられてしまう。
「好きです」
何度も好きといわれていたけど、いつもと違う、甘さや熱を含んだ告白に思わず頬があつくなる。
「追いかけるよりも、貴女の隣に堂々といたいんです。メールの返事だって欲しいし、学校以外でも会いたいし、家でも電話で声を聴きたいです」
今までは要求してこなかった、私からのお返し。それが欲しいと、おねだりしてくれるのを嬉しく思う。
「やっと、素直におねだりしてくれるんだ?」
「いってましたよね。素直な子が好き、なんでしょう?」
「『素直になんてなりません。好かれなくて結構です』とかいった後輩もいたような」
「……忘れてください。前言撤回っていったじゃないですか。かわいい後輩のおねだり通り、全部忘れてくださいよ」
上体を少し起こして、ふてくされている顔を覘きこむ。
本当、かわいいなー。
見た目だけでなく、中身全部ひっくるめて好きだと思う。
こんな美少年な後輩に懐かれて、好きだといわれて、なんて幸せ者なんだろう。
いつまでも冷たい床に押し倒しとくのもかわいそうなので、身体をどかして蔵人くんが起き上がるのに手を貸してあげる。
「私も蔵人くんのこと、大好きだよ」
立ち上がるついでに、今までは声に出して伝えていなかった好意を、リクエスト通り素直にご本人に伝える。
「はい。知ってます」
こら、その返事はどうなんだ? と、問いただしたいが、とても嬉しそうなその笑顔のかわいさに、文句を飲み込む。
はいはい、私の負けですよ。
かわいいは正義、だもんね。君の勝ちだよ、蔵人くん。
先制攻撃を仕掛けたにも関わらず、主導権を握りきれずに後輩に後れをとったのは、この子の頑張りっぷりを舐めてたからだろうなー。
でも、まあ、いっか。
なんといっても、ついに、私にも春が来たわけですし?
というわけで、めでたくバレンタインという乙女な日に、年下の彼氏ができました。
これにて、一区切りです。
お付き合いありがとうございます。
年度末の話を挟み、新年度へと進みます。