チョコレートの季節は、白黒兎の悪戯に舌打ちする
「おや」
大学入試も無事に終わり、あとは結果を待つばかりというとある昼下がり。
久しぶりに登校した私の靴箱に白い封筒があった。
央守明子様
と可愛らしい字で書かれている封筒を引っ繰り返すと、差出人のフルネーム。
「……これは」
全く知らないわけではないが、このような手紙をもらうような間柄でもない人物からの封書。
文字の可愛さとハートのシールで封をしているファンシーさでは誤魔化しきれない何かを感じる。
……見なかったことにして、捨ててしまいたい。
私が今日、お昼から登校してくるなんて一部の知り合いぐらいしか知らないわけだし、無視してしまってもバレやしないだろう。
今日出てきたのは担任への報告と、蔵人くんへのちょっとした贈り物を届けにきただけだし。
受け取った手前中身の確認だけはして、用事を済ませてとっとと帰ってしまおう。
――――そして、封を切った私は重いため息をつき、そもそも開けるんじゃなかったと後悔した。
文化祭の時は、嬉々として足を運んだ温室に、重たい足取りで赴く。
指定された温室の中心部にある広場には、ベンチに座って読書をするひとりの生徒。
こちらの気配を感じ、手元の文庫本から目を上げて微笑んでくれる。
立ち上がり、スカートの裾をはらりと払い小首を傾げる姿は、一言でいうと可憐である。ふわりと揺れるツインテールは、木漏れ日を受けて輝いている。
「こんにちは。央守先輩」
その容貌に似つかわしい、少し高めの声が辺りに響く。
なんでこの子に呼び出されてるんだろう? マジでめんどくさい……という心の声を極力感づかれないように余裕の微笑みを浮かべて、迎え撃つ。
「どうも、宇佐美優真さん。……こうして面と向かって話すのは初めて、かな?」
私を呼び出しやがった今期生徒会長の宇佐美優真は、一瞬おかしな間をとり、浮かべていた微笑みを深くした。
宇佐美優真。
かさねくんと同じ、一年生。
文化祭で生徒会室まで最速で辿り着いた生徒。そして、どんな勝負内容だったのか公開されていないが、あの黒岩居元生徒会長様から勝利をもぎ取った唯一の人物だ。
背の高さは、155センチくらいだろうか。出会った頃の蔵人くんよりもやや小柄であり、ツインテールに黒い二―ハイソックスと紺色のスカートの間にある絶対領域の威力なのか、美少女っぷりが半端ない。その魅力はクララちゃんに匹敵するであろう。
新副会長蔵人くんを、王子様。新生徒会長を、お姫様と呼び、その見た目のキラキラさもあって、今期生徒会は一般生徒に結構な人気を博しているらしい。
前の生徒会は、魔王と女王様が君臨する絶対権力生徒会と恐れられていたのに、なんだこの違いは。
「はい。どうしても、央守先輩とお話ししてみたくて。今日学校にいらっしゃると思いましたので、呼び出しちゃいました」
「私が今日学校に来るって情報、どっから仕入れたか確認してもいいかな?」
「副会長が、やけに昨日そわそわしてましたので」
……蔵人くん。バレバレですってよ。頼むから、もう少し取り繕え。
喜ばれているのは、大変嬉しいのだが、他人にまで分かるような態度とっていたって、どんな様子だったんだ。
「で、私を呼びつけた用事は何かな、生徒会長さん?」
宇佐美さんがゆっくりとこちらに近づいてくる。
そして、私の周りをゆっくりと、不躾な視線を寄こしながら一周する。
「黒岩居先輩、明石先輩に一目置かれ、一学年で有名な問題児の徳井が懐き、学校一の美青年と称される木屋の彼女。そして、元何でも屋の隠密担当」
再び正面に位置するところで、顔を覘きこまれる。お、そのあざとい上目使い、自分の魅力を分かっていてやってるね。
ありがとう、君の言動には何やら黒いものが交じっているが、眼福なのには違いない。可愛い顔して、かさねくんと蔵人くんをさりげなく呼び捨てにするところに、何かの琴線が刺激される。
「色んな方面から聞いてたのと違って、見た感じは本当に普通の人なんだなーって再確認しました」
おやおやおやぁ――――?
え、これ、まさかのほぼ初対面な後輩に喧嘩売られてる感じ?
卒業間際になってこんな愉快なことが勃発するとか、なんだ、これ。
――――ありがとう、君おかげで一年生にすっごく面白い子を見つけれたよ。
昨年の蔵人くんの誕生日、三年生が下級生のクラスに突撃編入の日に、黒岩居元生徒会長がつやつやした顔でお礼を言ってきたが、これが原因か?
向こうから仕掛けてきたってことは、これ気兼ねなくいじめていいってヤツだよね。
「何をどんな風にきいたかは知らないし、君が何に期待していたのかは知らないが、」
せっかく近づいてきた距離を利用して、目前でぴこぴこと揺れるツインテールの根元を鷲掴む。
「ちょっ、何を」
ぐいっと少しだけ上に引っ張って、地毛である事を確認してみる。
「あ。これって地毛だったんだ。てっきりウィッグかと思ったよ。でも、胸はパッドだよね」
さすがに偽乳でもまずいと思ったので、目線だけ胸元に向けて問うてみる。
髪の毛から手を離し、肩に手を置きその骨格をセクハラで訴えられない程度に確認し、事実を再認識する。
「見事に女の子に擬態してるね、宇佐美くん?」
ぱしっと、私の手を払い、少しだけ乱れてしまった胸元を直しながら、こちらを睨み付けてくる。
一般的には女子が着用するために学校が指定している制服を見事に着こなしている男子生徒。
それが、宇佐美優真の真の姿なのを、実は知っていたりする。
生徒会長に任命されたものの、きいたことのない名前の子だったので、興味本位で調べてみたら、なんとビックリ女装男子という事実。
普段は男子生徒の恰好で過ごしているが、たまに女装して遊んでいるらしい。……主に男子生徒の純情を片手にとって。
生徒会長へ彼がしたお願いは、女子生徒としても男子生徒としても学校へ籍を置きたいという不思議な願い。
女装姿である宇佐美優真は生徒会長に、そして本来の男子生徒としての宇佐美悠馬は図書委員として学校には登録されている。
彼が何のために、男子と女子、二つの姿をとっているのかまでは調べていないが、突ついたら面白い事実が湧いて出てくるに違いない。
そりゃ、元生徒会長もつやつやするであろう。私も、もう一年在学期間があるのなら、興味津々で近づいたかもしれない。
でも、年下のお相手は蔵人くんで十分間に合っているので、私が宇佐美という人物に深入りすることはないだろう。
「で、本来の用件は何かな? 私の人となりを確認したくて呼びつけたわけじゃないんだろう」
そろそろ蔵人くんとの約束の時間も近づいている。本題といこうじゃないか。
「……えぇ、色々と食えない人物だってのは理解できました」
じとっとこちらを睨み付け、次のことばをなかなか発しない後輩に違和感を感じる。
「もしかして、特に用事なんてなかった?」
「いいえ。用事はあります」
突如、襟首を掴まれて強い力で引き寄せられる。さすが本来は男の子と、暢気に思っていたら、
ちゅっ
と、限りなく唇に近いが頬と呼べるであろう箇所に柔らかな何かを押し付けられた。
「え?」
「御馳走様でした」
さっきとは打って変わって、大変晴れやかな顔をした見た目は美少女な宇佐美少年。
「バレンタインのチョコ代わりです。玉砕するのは分かってるので、これくらいは許してくださいね」
「いや、ちょっと、これは」
リップクリームでも塗っているか艶やかな唇に思わず目がいく。
「覚えてないかもしれませんが、以前助けて頂いたのがきっかけで、憧れてたんです。どっかの誰かさんのように纏まり付いてしまおうかと迷ったことはあるんですけど、」
――――あまりも幸せそうな顔して、アイツの隣にいるから、邪魔はしませんでした。
耳元でこっそり囁かれることばに、うっかり赤面する。
え、そんなに、私っては顔に出してた? 蔵人くんのこと言えない??
とんと、軽く肩を押されて、後ろに数歩下がると、何か背中に衝撃があった。
あれ、私の後ろには何もないはずなんだが……?
「先輩、浮気現場ですか?」
いつもよりも格段と低い声だが、聞き慣れた声がした。
「呼び方が違うんじゃないのかな?」
文化祭以来、明子さんって呼んでくれてたのに、戻ってますが。
「わざとですけど、何か問題がありますか」
腰をしっかり後ろからホールドされて身動きがとれないので、ちらりと後ろを振り向くと、そこには学校一と名高い美貌を誇る麗しいご尊顔があった。ちなみに、不自然なくらいにキラキラと微笑んでいる。あ、これは、お仕事用でよく使用している怖い方の笑顔だよね。
「アレ、見た目はあんなですけど、男だって分かってますか?」
「はい。存じ上げております」
「油断、しましたね?」
いやいや、油断っていうかさ、まさかそんな本当の本当にラブレターだったなんて思わないじゃん?
私ですよ? 木屋蔵人の恋人って有名にはなってるけど、美少女でもないし、普通の生徒ってやつですよ?
まさか、こんな可愛らしい後輩に想いを寄せられてるとか予想外にも程がありますから。
ついでにいうと、以前助けられたといっていたが覚えてないし。
「で、うちの生徒会長は放課後の会議をサボって、なに人の彼女に手を出してやがる」
「せっかくのバレンタインだし、勇気を出してみようかなっーて」
にっこりと微笑む宇佐美に、蔵人くんが盛大に舌打ちをする。
「大丈夫。安心しなよ。これっきりだから。……あ、でも、木屋と別れたらすぐに言ってくださいね?」
抱き込まれている私を覗き込んでくる。
「いや、そんな予定はないので、これっきりだと思うよ」
「人生何があるか分からないじゃないですか。一応、万が一でも何かあるかもしてないので、アピールだけはしときますね」
では、失礼しまーすと、颯爽と立ち去る後姿を蔵人くんの腕の中で見送る。
「……ついに、私にもモテ期到来か」
「そういうことを、普通彼氏の前で呟きますか?」
「一度は言ってみたい台詞だったので、つい」
複数の男性に好意をもたれるとか、なかなかないじゃないか。無論、兄貴は論外だ。
未だに不機嫌オーラを出す蔵人くんに、向きを変えてしっかりと抱き着きながらご機嫌を直してほしくて擦り寄っておく。
制服越しだけど、じわりと蔵人くんの体温が伝わってくるのが嬉しくて、さらに密着する。
「わーい、久しぶりの蔵人くんだー」
電話とか、メールのやり取りはしていたけど、こうして顔を合わせるのは本当に久しぶりなのだ。
「誤魔化そうとしてますね」
「……誤魔化されていただけたら、大変助かるんだけど」
いつもより頑張って、甘えた感じを出してみたが、ものの見事に一蹴された。
舌打ちして、ぺりっと蔵人くんから離れる。うん、慣れない事はするもんじゃない。
「だって、不意打ちだったし。本当にあの子と関わった記憶なんてないし」
さすがにあんなことされるだなんて、予想外ですよ。
「アレに耳元で何か言われて、赤くなっていたのは?」
「君の傍にいる私の様子見て、邪魔しなかったとか言われたんだよ。改めて他人から言われると、こう、ダメージが大きいというか、ねえ?」
どっちかというと表情硬い方なんだけどなーと、自分で頬をなでてみる。人の悪そうな笑みはよく浮かべていると、親友たちには罵られてたりするけども。
「…………お互い様ですよ。僕だって散々言われてきましたし。というか、未だにそのネタでからかわれますけど」
少しだけ、間をおいて蔵人くんがぼそっと呟く。
さっきまでの不機嫌顔はどこかに消え去り、苦虫をつぶしたような微妙な顔をしている。
確かに、目の前の彼氏は私以外には表情筋を使用しないと有名だった。
真正面から呼ばれたら恥ずかしいような名称を付けられてたもんね。
「そっかー。お互い様か」
好きな人の隣にいたら、頬が緩んじゃうのって私だけではないのか。
本日でちょうど、お付き合いをはじめて一年目。
この温室で泣いてた蔵人くんに遭遇し、なんだかんだと関わりあって、お互いに微妙な感じだった距離を詰めた日。
こんなに近くにいるのが当たり前になっているなんて、ここではじめて出会った時には想像なんてしてなかった。
「今日で、一年だね」
「あっという間だった気がします」
確かに、色々と濃いい一年だった。
けれども、すごく充実した日々でもあった。
今日という記念日のために、雅さん監修の元、完成させた手作りチョコを蔵人くんに差し出す。
「はい。ハッピーバレンタイン」
「……ありがとうございます。って、これ、もしかして手作りですか?」
ラッピングの仕様を確認して、蔵人くんが目を瞬かせる。
「その通り。手作りの本命チョコだね。がんばっ、」
「これ、ちゃんと食べれるんですか?」
私の料理の腕前をご存知な蔵人くんの、とても素直な一言に、速攻で腹に一発くれてやった私に非はないと思う。
顔の割に、言動が雑だと常日頃から感じていたが、こんなところでもその雑さを発揮させなくてもいいだろうに。
と、こんな感じで二度目のバレンタインは終わり、桜の舞う季節が再び巡る。
次のエピローグで完結予定です。