第四十伝「強くなりたい」
第四十伝です。男なら誰しも強くなりたいと思ったことはありますよね。私もその一人です。それではご覧ください。
本心だと……?
他人の本心を知ってなんになるんだ……?
銀次は龍の言葉を理解することなく、ただがむしゃらに強さを得た拳をふるっていた。
二人が落下した落とし穴の中から聞こえるのはバコッバコッという強固な拳がよわよわしい皮膚をぶつ痛々しい音だった。
二人の様子は裏闘技場の観客はともかく、リング脇で見守るチームメイトでさえも視界にとらえることができない。
つまりこれは二人だけの空間。
腹を割って話すにはうってつけの領域だ。
互角の殴り合いを繰り広げていたが、ついにパワーアップした銀次のローキックが龍の弁慶の泣き所を捉えるに至った。
「ぐあああ!」
龍は生まれて初めて地中で悲鳴を上げた。
人体の急所の一つを思いっきりえぐられたのだ。その痛み推して知るべし。
龍は一度片膝をついたものの、再度立ち上がり戦意を示した。
「まだ受け止めてやる」と、そんな想いが龍のすべての血液に流れていた。
「なぜだ! なぜここまでして俺みたいな外れものの為にここまでするんだ!?」
肉弾戦で銀次が押しているのは火を見るよりも明らかだった。
肉体的な余裕は十二分にある。だが精神的には追い込まれていた。
「やっぱりお前、俺たちにまだ未練がようだな」
龍は銀次の心の奥底に眠っていた本当の想いという化石を蘇らせるかのような言葉を告げた。
「お前たちに未練があるだと!? ふざけるな! 俺はお前らみたいな他人に興味などない!」
未練……。
お前たちに未練など……。
銀次は強がってみたものの龍が的外れなことを言っているとは思っていなかった。
実際彼はこの数日間、自分の心が不純物一つないまっさらな状態にはなっていなかった。
未練などない!!
銀次は右拳で龍の頬を今まででの殴り合いの中で最も力を入れて殴った。
自分の行動は間違っていなかった、そう己に言い聞かせるために。それだけではなく、自分の口でも上乗せした。
「あのままお前たちとつるんでいたらこの力は手に入れることができたか!? 絶対に無理だ! 戦校のような実戦なしのぬるい教育方針では一生強くなることは不可能だ!」
「……それは違う……戦校に通い、みんなと出会い、俺は強くなった。それは決して俺一人の力では成し得なかった!」
龍は殴られた頬を手で押さえながら、銀次の主張をこう切り返した。
彼は思い出していた。
銀次との初バトル、剛との激闘、進との乱戦、黄河との交流戦。
それらすべての闘いで着実に強くなった。
それは、決して一人の力ではない。仲間や強敵のおかげで強くなったのだ。
銀次は龍の切り返しに対応する言葉を容易に準備する事ができた。
「それは違うな。お前が力を手に入れることができたのは剣のお陰だ。お前自身は何も変わってはいない」
「じゃあなんで剣をもたない俺に追い詰められているんだ?」
こいつ……!
銀次は龍の言葉に一瞬ひるんだが、すぐに論破を始めた。
「追い詰められているだと? この状況を見てから言ってくれ。俺はこのようにピンピンしている。だが、お前はどうだ? お前は腫れている頬を手で押さえ今にも倒れそうではないか」
「違う。”外”の事を言っているのではない。”中”の事を言っているんだ」
中、ここでは心の事を指している。
「うるせええ!」
ボコッという痛々しい殴打音が地中を振動させた。
ついに銀次は論破することが困難になり、力による制圧を始めたのだ。
そうは言っても力は健在。銀次の効き腕である右拳が龍の腹を見事にとらえた。
龍はふらふらになりながらも、なお言葉を止めようとはしなかった。
「お前の拳には”苦しみ”しか伝わってこないんだよ……」
銀次は言葉という時に刃物より凶器になりえる攻撃をもろに受けてしまった。
銀次は一瞬ひるんだ。
龍はその隙を逃さなかった。
炎という衣をまとった朱色の拳が銀次の顔面を見事に命中した。
闘い自体は防戦一方だった龍の反撃が始まった。
銀次は反動で思わず足を一歩一歩後ろに追いやって退き始めた。
しかし、現在二人がいる落とし穴の底は非常に狭い。
退こうもんなら落とし穴からの脱出を拒む盤石なる壁面にぶち当たってしまう。ここは密室と言ってもいい閉ざされた空間。逃げ道など存在しない。
いや、一つだけ存在する。それは、銀次にしか使えない。アナグラだ。
地中を自由自在に這いまわれるこのスペシャルならば脱出は朝飯前。
ただ、銀次はアナグラを使おうとはしない。いや、使えないのだ。
敵に背を向け逃げるなどという屈辱的な行動など、ここまできてできるはずもない。
「なんだ? あいつの拳は?」
龍と同様、銀次も相手の拳からなにかが伝わっていた。
しかし、限界だった。
なにが限界かと言うと温度だ。地中は地上よりも温度が非常に高い。それも狭隘な空間だ。
温度は想像を絶する高さまで跳ね上がっている。数分間居続けている二人には限界だった。
「外に出るぞ。外で決着をつける」
限界を超えた銀次が折れるしかなかった。
龍と共にアナグラで地上に脱することに決めたようだ。
「ああ」
龍の了承もあり銀次は龍の手をしっかり持ち、片手で地面を掘り進み予想以上に簡単に地上に脱する事が出来た。
「うおおおお!!」
久しぶりに地上に帰還した龍と銀次の二人に、地中の高温とはまったく違う熱気が襲った。
久しぶりの主演男優二人の登場による、大歓声という熱気だ。
二人は久々味わう地上の空気を存分に吸い込み一呼吸置いた後、地中では取ることができなかった距離をリング一杯に取った。
最後に……。
もう一度拳を交えよう……。
二人に言葉など必要なかった。
お互い分かっていた。
これが最後になると。
二人は効き腕を構えながらリング中央に疾走した。龍は自分のスペシャルでもある炎を効き腕である左の拳に宿しながら、銀次は強さを得た頑強な右の拳で。
バキインという物々しい音が物語るように、お互いの拳がお互いの頬を強打していた。
それは皮膚と皮膚がぶつかった音とはとても思えないような、まるで戦車と戦車がぶつかったような重々しい衝撃音だった。
やるな龍……。
お前もな銀次……。
二人は拳で対話しながら、すっかり原型が無くなったリングに体を大の字にして仰向けに倒れた。
「お前の拳には炎だけではない、なにか温かいものを感じる……」
それは、銀次が龍の拳から受け取った率直な感想だった。
「お前の本当の想いがやっとわかった」
龍は裏闘技場の巨大な天井を見上げながらふと呟いた。
そして、龍はさらに言葉を付け加えた。
「お前は純粋に誰よりも強くなりたいんだな……」
「その通りだ、俺にはそれだけしかない。龍、俺の負けだ」
そう。龍の言う通りだ……。
俺は誰よりも強くなりたいだけだったんだ……。
本心を完璧に見抜かれた銀次の選択肢は投了しかなかった。
この頑固を極めていた銀次の突然の投了に、叫ぶことしか能のない裏闘技場の観客が一瞬静まり返った。
「……なんとまさかの銀次選手の降伏宣言!よってなんと一撃龍選手の勝利! なんとこの展開を誰が予想したのか! これで裏闘技場初挑戦の超伏兵、レボリューションズの二勝一敗の勝ち越しだー!」
進行役はドタバタとマイクを動かしながら、あわててアナウンスした。
「どういうことだ?」
龍ですら、銀次の投了宣言の意図が掴めなかった。
「お前の拳から伝わってきたんだよ。お前だけじゃねえ、お前の友の全員の想いがな……1vs多じゃあそりゃあ勝てねえよ……」
それは、銀次の思いもよらない言葉だった。
「じゃあ戦校に戻ってきてくれるのか?」
「それとこれとは話しが別だ。俺には俺の道がある。それに俺はエルヴィンさんに恩がある」
龍の問いかけに銀次は、あくまでこのスタンスを貫き通した。
「人の夢までけち付けることはしないが、エルヴィンと関わるのはもう止めろ。あいつは、仲間であった戦樹を切り捨て、剛を監禁した正真正銘の悪党だぞ!」
「剛さんを監禁……!?剛さんは自らの意志でこっちに入ったんじゃ……」
そんなエルヴィンさんが監禁……?
どういう……?
銀次は龍の言葉に困惑の色を隠せないでいた。
「残念ながらその子にその事は言ってないのよ。しゃべりすぎたわね坊や」
またしても、エレガンスな格好をしているエルヴィンがリング上に乱入してきた。
進行役は特に止めるそぶりを見せないでいた。これが、裏闘技の無法さを表している。
「剛さんを監禁ってそういうことですか? エルヴィンさん! 俺をだましたんですか?」
答えてくれエルヴィンさん……!
あなたは、そんなことをする人ではない……!
銀次は心の中でなんとか言い聞かせるも、疑心暗鬼になっていた。
「どうやら私の見当違いだったようね。あなたは弱い」
そんな……。
俺はエルヴィンさんを……。
銀次の切なる願いむなしく、エルヴィンは無情にも銀次を切り捨てる決断を下した。
「さよなら”弱い”銀次君。波壊乱気掌!」
エルヴィンは仰向けに倒れ無防備になっている銀次の腹に自分の両手を重ねるように置き、自分の体重を乗せ圧をかけた。
すると、ボコウという風船が割れたような破裂音が銀次の体内から響いた。
銀次は悲鳴をあげることなく、そのまま気を失ってしまった。
端的にエルヴィンの技の原理を説明するならば、人間の体内には気が流れておりその流れで気を保つことができる。その正常な流れを逆流させるのがエルヴィンの技の正体だ。逆流すると本来均衡を保っていた気が失われてしまうのだ。
「許さねえええ!!」
その一部始終を見ていた龍の理性はどこにもなかった。
龍は本能という起爆剤が暴発し、今まで放棄していた鳳凰剣を躊躇なく手に取り憎きエルヴィンのもとに猪突猛進を始めた。
「五月蠅い男はモテないわよ。破壊乱気空掌!」
エルヴィンが両手を重ねただけで龍に触れていないにもかかわらず、龍は吹っ飛びリング脇にあるロープに背中を思い切り強打してしまった。
銀次にやったものの空砲バージョンなので当然、龍の気は一瞬のうちに細い糸がプツンと切れたように途絶えてしまった。
「ちょっと場外乱闘は禁止ですよーー!」
さすがにこれはやりすぎた。
今までだんまりを決め込んでいた進行役は、荒れに荒れた場を必死でもとにもどそうとした。
「ごめんなさい、さあ進行を続けてちょうだい」
エルヴィンは場を乱した張本人とは思えない冷静な対応で、進行役に指示を出した。
「コホン、それでは気を取り直してレボリューションズvsザシャドウの続きを行いましょう! 一撃龍選手は戦闘不能によりいよいよ闘いも大詰め! いよいよ両チーム残すところあと一人! こんな熱い展開、いったい誰が想像しただろうか! さあ泣いても笑ってもこれが最後! ついに裏闘技界の絶対女王、エルヴィン選手と戦樹選手に大金星を挙げたレボリューションズの最後にして最強の砦、雷連進選手の闘いだーーー!」
「ウオオオオ!!」
いよいよ迎える最終決戦に裏闘技場はこれ以上ないような熱気に包まれた。
☆ ☆ ☆
進は一旦リング上に上がり、見るも無残に横たわっている龍と銀次を担ぎ、転法を用いながら二人をリング外の安全な場所に移動させた。
そして、進は自慢の三丁の太刀と呼ばれるブーメランを背負い、再度リング上に姿を見せる。
「それでは泣いても笑ってもこれが最後! ザシャドウvsレボリューションズの闘いの幕開けだーー!」
これが最後。
この勝負の勝敗により、銀次と剛の命運が決まる。
そんな運命の闘いがこれから始まろうとしていた。
オッズはエルヴィンが1.3倍、雷連進が2.6倍。
先ほど戦樹を倒した実績がある進ですらこの倍率。それほどまでに、この裏闘技場でのエルヴィンの存在は圧倒的!
エルヴィンはこの五日間という短い期間で、驚くほどの白星の山を築き、完全に裏闘技の観客を虜にしてしまったのだ。
「さあ見合って見合って、スタートおお!」
進行役の合図と共に、いよいよ運命の最終戦の火ぶたが切って落とされた。
「あなたも私が憎くてしょうがないんでしょ?」
試合が始まったにも関わらず、エルヴィンは手より先に口を出した。
「俺は何とも思わない。やり方さえ荒いが勝ち星も満足に挙げられない劣等者を切り捨てることは理解できなくもない」
この坊や……。
可愛いじゃないのおお!
進の意外な返答に、エルヴィンは興奮気味に口の中で舌を舐めまわした。
「へー、気が合うじゃない。私の新しいパートナーになってくれない?」
エルヴィンは敏腕のスカウトでも今時やらないような、強引な引き抜きを試みた。
「それは虫唾が走るな」
進はその誘いを、まるで他の強豪チームからすでにオファーを受けているかのようにバッサリと切り捨てた。
「坊やは口のきき方から教育し直した方がいいようね」
進の発言を受け、エルヴィンの戦闘本能が気持ち良いくらいに点火した。
あの技を喰らったら終わりだ……。
転法で標的を絞らせない!
進は口では大口を叩いているが、あくまで謙虚な姿勢を貫いていた。
相手は元バトラ。それも、脅威なるスペシャルが備わっている。進はそれを十二分に頭に叩き込んでいた。
進はシュンシュンシュンと風をきるような音を立て、快調に転法を開始させた。
早い。
進の転法は元々水準以上だが、今回の転法はいつも以上に早く感じる。
エルヴィンに対する恐怖によるものなのか、単なる成長なのかは定かではないがいつもよりキレているのは確かだ。
これでは、さすがのエルヴィンも不用意に銀次と龍を瞬殺した波壊乱気掌を放つことはできない。
進はエルヴィンの真後ろに姿を見せる。
これは凄い進歩だ。
進は転法を約四点の位置にしか転法できなかったのだが、ナーガ戦の後である程度、転法を自由な位置に移動できるように修正したのだ。
こういうところが天才と呼ばれる理由だろう。
「終わりだ」
進は太刀を背中が丸見えの無防備なエルヴィンの肩辺りに当たるように右手で振り下した。
ここで雷を纏わせなかったのは雷のわずかな生成時間すら惜しいからだ。それほどまでにハイレベルな闘いなのだ。
しかし、進の思い通りにはいかなかった。
エルヴィンは人間離れした反射スピードで真後ろに振り向き、進の右腕を掴み進の奇襲を軽々と阻止して見せた。
これがエルヴィンという女流バトラの絶対的な力なのだろう。
エルヴィンはそれだけでは終わらなかった。
今度は攻撃に転じ、人差し指と中指の二本の指で進の喉を突いて見せた。
「ハアッ、ハッ」
苦しい……!
途端に進の呼吸のリズムが乱れ始めた。
「……な……にを……した……?」
進は呼吸するどころか、しゃべることも困難な状態になっていた。
「気道波壊掌。気道に流れている気の流れを止め、呼吸困難にさせる。恐ろしい技よ。あなたには、気を失うことなく、意識があるまま苦しんでもらう」
なんと残忍な言葉であろうか。鬼畜の所業とはまさにこのことである。
こんな状態では、進は戦闘することはおろか、歩くことも難しくなる。
レボリューションズにはもはや進一人しかいない。
ここにいる全員、誰もがレボリューションズの敗北を確信した。
そんな絶体絶命の状態に綺羅星のごとく何者かが血なまぐさいリング上に華麗に舞い降りた。
「私の名はアーリー★スターである!」




