第二十四伝「幻想の真骨頂」
第二十四伝です。みなさんは現実逃避したいと思ったことはありますか。僕はしょっちゅうですね。それではご覧ください。
ナーガは自分の中に眠る闘争本能という野獣を制御できなかった。
ナーガは獲物を視界にとらえた捕食獣のように、一目散に進に向かって走り出した。
ナーガと進との間合いはみるみるうちに詰まっている。
最初こそ5mくらい十分にあったものの、それは4m、3m、2mへと縮まっていった。
「焦り過ぎだぜ」
進は至って冷静だった。ナーガにボコボコにされた、あの時の進はもういない。ナーガを倒すために、幾多ものシミュレーションを行い、全てのパターンで勝利した。
そして、新技もある。
ビュンという風を切る音と類似した音が闘技場にいる全員の耳に届いた。
進の姿が一瞬にして消え、一瞬にして違う場所に姿を現した。
そう、アリサ先生直伝の転法だ。進の転法は、また一段とキレが上がって見える。
「なにかと思えばただの転法。こんな小細工が僕に通用するとでも」
ナーガは進の転法を目の当たりにしても動揺するそぶりを見せなかった。
これが、邪化射ナーガという男の格!
「ただの転法ならな」
またビュンという音。そして、またしても姿を消す進。
そして、姿を見せる。姿を見せたと思ったら、またビュンという音。
そして、また姿を消す。そして、また現れる。
それがローテーションして起こる。
まるで、上質なイリュージョンショーを見ているようであった。
「この俺がお前にただやれられるために来たと思ったのか?」
これは俺の新技……。
連続転法!
進はこの日の為にいくつもの隠し技を編み出していた。進はいつものように強気な発言をしながら、ナーガを精神的にも追い詰めようとする。
これはナーガの得意技。
進は敵のお家芸までものにしようとしていた。この貪欲さが雷連進という男の強さの一つである。
「クククッ」
白い歯をくっきりと出して、ナーガは不敵な笑みを浮かべた。
また、暴走?
会場全体が一抹の不安を抱いた。
進の勢いは止まらず、ビュッビュッバッバッというせわしい音を立てながら、転法を巧みに発動し、ナーガを錯乱させた。
「行くぞ!」
皮でできたつぎはぎだらけの巨大なブーメランの形をした武具、太刀。これが、進の相棒だ。
進が本日一発目の太刀を投じる。転法しながら投げているので、太刀の位置が掴みづらく非常に厄介だ。
進の厄介な攻撃を目にし、龍は思わず独りごとを開始した。
「ひゃー、あんなのやられたらどうしたらいいんだ」
「貴様みたいなバカより、あの進って奴の相棒になりたかったぜ。あっちのほうが頭がキレるみたいだしな」
この野郎……。言わせておけば……。
でも、声を出せばまた凛達に怒られる。
がんじがらめになった龍は怒りの声を強引に奥歯でかみちぎった。
「……」
「おい、反応しろ!」
「だって、また一人で会話してると思われるじゃん……」
「んなことどうだっていいわ!」
「どうでもよくない!」
「だから、うるせーって!」
「まったく非常識すぎますわ」
なんて不憫なんだ。俺は……。
俺が現時点で一番貢献していると言うのに。
結局、剛と凛に注意された龍はいたたまれない気持ちになった。
「ごめんなさい……」
なんで俺が謝っているんだ?
俺何も悪いことしていないよね?
しかも俺勝者だよね?
人間関係の難しさを知った龍だった。
「カカカ、怒られてやんの!」
こいつわざと俺を怒らせてるな?
俺が怒ったら注意されると知って……!
人間より人間らしいこざかしい真似をするな、こいつは!
龍の鳳凰への怒りのメーターはどんどん上がっていった。
「チッ」
舌打ちというものは嫌いだった。舌打ちというものはだいたい性格が悪い人間のする愚の行為。
でも、この状況下においてだけは使えるツールだ。龍はそのツールを初めて引き出した。
「こいつ俺に向かって舌打ちしやがった」
「龍君、最後の戦いを見届けなさい!」
痺れを切らしたアリサの鶴の一声で、この不毛なやり取りに終止符が打たれた。
「ふー、危ない危ない♪」
ナーガはその特異すぎる幻想というスペシャルがフューチャーされるが、身体能力一つとっても同世代では群を抜いている。
進の読みにくい太刀の筋、しかも転法付きの攻撃を完璧に読み切りあっさり避けてしまった。
「ちっ、外したか」
分かっていた。
進にとってナーガは自分の人生に初めて土をつけた男。
そんな男にこんな三文芝居が通用するはずはないと。
でも、悔しい……。
進の長所は切り替えの早さ。この攻撃がだめなら次の攻撃。
シュッバッシュッバッと活き活きとした音を出しながら、またしても連続転法を繰り出し相手を錯乱させる。
なるほどね……。
ナーガはあることに気付いた。
ナーガはなんと一直線に走り出した。もちろん、進は転法で常に移動し続けている。
パッと進が現れた場所はなんと……。
ナーガの目の前!
「!」
進はやばいと思った。
躱しきれない……。
これを待っていたと言わんばかりにナーガは闇牙を前に突き立てて進に突き刺すように走りこむ。
進が現れた瞬間のどんぴしゃなタイミング。このタイミングではどうしようもなかった。
さすがの進も全く対応できず、闇牙の切っ先に腕を預ける形となってしまった。
進は後ずさりをして一旦態勢を立て直した。
「どうやった?」
進は完璧な立ち回りをしたと自分でも自負していた。
常に転法を駆使し相手に照準を絞らせない戦法。しかし、ダメージを食らったのは進。
これは事実。
進はナーガの攻撃に疑問に思ったのに無理もなかった。
「簡単だよ、進君は僕の前後左右を律儀に同じ時間で順番に移動してたからね。簡単に位置を割り出すことができたよ♪」
ナーガは瞬時に進の転法の穴を見抜いた。
この理解力の高さがナーガが天才と言われる所以の一つ。ナーガは自慢げに解説してあげた。
「あんたやっぱり強いよ」
進は再確認した。ナーガの強さを。しかし、そんなことは分かりきっている。
分かった上で勝たなければならないのだ。
「進君にほめられるとは光栄だな♪」
ナーガはそんなことを言いつつ、背中の後ろで自分の両手を組んだ。
一息もしないうちに進はナーガの背後に転法する。
「しまっ……」
「油断しすぎだ。どうやらバトラにふさわしいのは俺の方らしい」
ナーガが見せた一瞬の油断。進はそれを逃さなかった。
進は太刀を掴み、ナーガを背後から追撃する。
バスンという鈍い音。確かに進の手に、ナーガの背と太刀が接触した感触が伝わった。
ナーガはクルンクルンと体操選手のように二回前転した。ナーガですら受け身を取るのに精一杯だったようだ。
「さすがに肉弾戦では圧倒しないとな」
観客の耳を刺激をするバチバチバチという雷の音。ついに、進の専売特許が交流戦の舞台で初お披露目となった。
進は帯電をはじめ、自身の電気をブーメランに伝えた。
「雷太刀!」
ナーガを倒すという大目標を達成する初のチャンス。慎重に行くという選択肢もあったが、進の高ぶる感情がそうさせなかった。
進は容赦なく雷を帯びたブーメランでナーガに止めを刺しにかかった。
紙一重だった。ナーガは不格好に座り込んでいる態勢でなんとか闇牙で受け切った。
ババババという強烈な音。
進はさらに電力をあげた。電気を通さない物質でさえ強引に通す電力。
これによりナーガの武具を通じ、ナーガの身体まで届いた。
「グハッ」
人生初の感電。ナーガは歯ぎしりしながら苦しんだ。
「どうやら僕は君を倒せないようだ……君の勝ちだ……僕のフラッグを受け取るといい……」
それはあまりにも早すぎる敗北宣言であった。
早くも達成した大目標。進は人目もはばからず喜ぶはずだが……。
「……」
進は目を閉じ、口を閉じ、何かを待っているかのように沈黙を貫いた。
「どうしたの? さあ!」
気がつくと、倒したはずのナーガが進の背後を襲っていた。
進はそれを待っていたかのように、目と口を開き、後ろを振り返りながら太刀でナーガのとんでもない奇襲を防いで見せた。
ナーガの真骨頂は理解力でも判断力でもない。
現実と幻の間を自由自在に操る恐るべきスペシャル、”幻想”!ナーガを倒すということはイコール、幻想を攻略すること。
あの日以来、常にナーガを倒すことだけを考えてきた進が幻想の対策を取っていないはずがなかった。
進はこの戦闘中、常に幻想のことを念頭に入れていた。だからこそ、進はいつの間にか幻想の中に入っていることが理解できた。
「まさか僕の幻想を見破るなんて♪ こんな人初めてだよ♪」
自分の技を破られたのなら、落胆するのが常。しかし、この邪化射ナーガという男に関して言えばその常識は通用しない。
強者を見て興奮するという性格上、自分の技を突破されることに快感を覚える。
「あの日以来、幻想のことを忘れたのは一瞬たりともない!」
ついに幻想対策が身を結んだ。進はそれだけでテンションが上がってしまった。
「面白い♪ 面白いよ♪ 雷連進!!」
ナーガは興奮のあまり珍しく大声を張り上げた。あの忌々しき発作の予兆を感じさせた。
「いつから幻想をかけた?」
幻想を攻略した進だったが一つだけ分からないことがあった。
幻想をかけたタイミング。これだけは分からなかった。これは、次なる攻防で必要になってくる事項。
普通なら教えてくれないだろうが、今のナーガなら話してくれるという根拠のない自信が進の頭にあった。
「進君が性に合わず話しかけてくれた時だよ♪」
進の予想通りやはりナーガは素直に答えた。
「腕を後ろに隠した時か」
進はナーガの行動を逐一チェックしていた。なので、すぐにタイミングを理解することができた。
「良く見てるね、こわいなー♪」
「お前にだけは言われたくない」
「逆に僕から質問ね、なんで幻想だと分かったの?」
「俺はお前の幻想を攻略するためにある一つの考えを持って戦闘に臨んだ。それは何かおかしな点があったらすぐに幻想の可能性を考えること。お前があの程度でギブアップするわけがない」
「なるほど。僕をよほど評価してるようだね♪ うれしいよ♪」
「憎たらしさならSランク評価だ」
「良いもの見させてもらったし、今度は僕から行こうかな♪」
ついに、ナーガが仕掛ける。
ナーガはあの何人もの強者を葬った右手を開いた。いつものように、感情の見えない気味の悪い眼がナーガの右掌に住み着いていた。
その姿は明らかに異様。観客の中にはあまりの気味の悪さに口を押さえるものや、悲鳴をあげるものもいた。
闘技場の空気は次第にナーガの眼のように異様な空気を出し始めた。
「三眼幻想……」
ナーガが幻想を発動するために、詠唱した次の瞬間だった。
空気を読まず、太刀が勢い良くナーガの厄介な右掌にターゲットを絞り、飛んできた。
進はあの時の対峙で気づいたことがあった。幻想には二種類ある。通常の幻想と右掌の眼を使う三眼幻想。
通常の幻想は現実の世界の中で幻想を見せる。あくまで”現実の中で”のことなので、対処はしやすい。だが、ノーモーションで発動できるため防ぎようがない。
次に右掌の眼を使う三眼幻想。これは現実とは違う世界、完全なる幻想の世界に連れ込まれる。あたり一面が真っ暗な無の世界。恐怖によりまともな戦闘ができなくなる。対処はしにくい。だが、詠唱というモーションが必要になる。
進はそれを踏まえ、二つの幻想対策を用意していた。
先ほどが通常の幻想対策なら、今のが三眼幻想対策。詠唱を邪魔すればいい。
しかし、今度は進の対策は身を結ばなかった。
ナーガは飛んできた太刀を開いている左手を使い、闇牙で簡単に弾き落としてしまった。
「詠唱中の攻撃。対幻想使い戦での基本中の基本。僕達にとってはバレバレの攻撃。効くわけがないよ。ということで、最後まで聞こうね。三眼幻想第一想・魔幻!」
あっさりとナーガは詠唱を終えてしまった。
「チッ」
進がいくら舌打ちしようが、ナーガが幻想を唱えてしまったのは事実。
案の定、進の視界が真暗闇と化した。恐怖感を煽る空気を切り裂く音が進に耳に襲い続ける。
どうせ、幻想だ……。
幻想だと分かれば何も怖いことは無い……。
幻想を攻略するコツは平常心を保つこと。進はあの一戦以来、その心持ちを忘れることはなかった。
幻想は心の乱れをつく技。心が保たれればなんら怖いことはない。
それは、あの屈辱的な一戦で得た教訓だった。
しかし、進の推測は早くも崩れた。
痛っ!
俺が今感じたのは痛み!
どういうことだ、なぜ痛みを感じる?
これは幻想ではないのか?
進の痛覚が確かに反応したのだ。おかしなことだった。
これはあくまで幻想。実際の痛みが存在するはずはない。
しかし、進が腕に感じた痛みは確かに本物のそれだった。
「幻想の闇牙の中に1つ本物を混ぜておいたんだよ。幻想に慣れてきた相手に効果的な攻撃。幻想の中の現実、現実の中の幻想、これが幻想の真骨頂だよ。聞こえないと思うけどね♪」
ナーガは丁寧に解説してくれた。
しかし、不運なことに闇の中の進の耳に届くことはなかった。
この見えない攻撃は間違いなく幻想だ!
だが、先ほどは確かに痛みを感じた。
どういうことだ?本物なのか?
その一つの迷いが今まで保っていた進の平常心が徐々にほころびを見せはじめた。
「グワアアア!」
進の口から悲鳴が聞こえた。それは、進の状況を端的に示していた。
そして、同時に一年チームの後がない状況を物語っていた。一年チーム陣営の不安はピークに達していた。
「どういうことだ? 何もしてないのに進が悲鳴をあげてるよ」
今の一度も幻想というものを受けていない龍にとって、進の身に何が起こっているのかが想像もつかなかった。
「ナーガ君の真骨頂、幻想だね。今、進君は幻を見てるみたいだね」
戦闘経験豊富なアリサは一度だけ幻想使いと戦闘した経験があった。
アリサはその経験を生かして、龍に解説してあげた。
「幻、俺も見てみたいな」
「アホか! お前みたいな単純な奴だったらとっくに精神崩壊おこしてるわ!」
龍の素っ頓狂な発言に、激しく突っ込んだのは剛だった。
「剛に単純な奴って言われるなんて……」
龍にとって単純な奴の代名詞は剛。そんな剛に単純な奴呼ばわりされるのはショックでならなかった。
「進様が可哀そうですわ……多分今凄く苦しんでる……」
幻想というものを肌で感じた凛だからこそ、進の苦しさは理解できた。
凛は両手を組みただただ悲鳴をあげている大好きな進の無事を祈った。
「幻は所詮幻。そんなまやかしに苦しむとは進とかいう奴も大したことないな」
鳳凰は、龍にしか聞こえないという特性を生かして冷ややかに進を軽蔑した。
「やっぱり俺で良かったでしょ?」
龍は鳳凰の言葉をこう解釈した。龍が相棒でよかったなと。龍は鳳凰の返答を楽しみにした。
しかし、鳳凰に返ってきた返事は実に悲しいものだった。
「いや、貴様は論外だ」
「論外って……」
それはあんまりですぜ鳳凰殿。
また一人でしゃべってやがる……気味悪いなこいつ……。
龍の止まらない独りごとに剛は次第に嫌悪感を覚えていった。
対照的にナーガ陣営は余裕の表情を見せていた。
「兄様の幻想、何人たりとも逃れることはできない」
兄の幻想が破られた記憶がないナギは早くも勝利を確信した。
「あれには僕も苦しめられたっすね」
ナギの言葉に同調しながら治療を終えた黄河がベンチに戻ってきた。
「大丈夫でしたか?」
太郎が傷を負った黄河に声をかける。
「体だけは丈夫っすからね」
ここで、黄河の日々行っている筋トレが役に立った。ナーガの攻撃を中に潜む隆々とした筋肉が拒んでくれたのだ。
「そうですか。良かったです(しかし、あの幻想またしても忌まわしい記憶がよみがえる……)」
太郎がナーガと初めて対峙したあの時の記憶。その記憶が今のナーガを見るたびに太郎の脳に駆け巡っていた。
見事に幻想の恐怖を進に植え付けさせるナーガだった。
「一度本物を喰らえば、嫌でも次の攻撃も本物の可能性を考えてしまう。そうなればこっちのものだよ♪」
しまった……。
本物だと少しでも思ったら最後、奴の術中にはまってしまう……。
そのことは頭に叩き込んできたのはずだったが……。
俺としたことが、不覚を取っちまった。
もう……。
騙されない!
同じ手に二度も引っかかるような、進の言葉で言う劣等者には意地でもなりたくはなかった。
進は乱しはじめている心を何とか落ち着かせ、次の攻撃に備えた。
「そろそろ魔幻の効果が切れたかな」
ナーガがポツリと言った。
進の心を反映するかのように、進の視界は徐々に正常の世界を写した。
完全に幻想だと思いこめば幻想の効力は弱まるみたいだな……。
進は幻想に関してまた新たな知識を拾った。
進の視界に休息は訪れなかった。進の視界の次なる労働は、本体に無数の闇牙を写すことであった。
ナーガの攻撃は進同様、とどまることを知らない。
「さあ、これは本物かな?」
これが本家本元の精神的な揺さぶり。
しかし、進はナーガの精神攻撃をもしっかりと対策を取っていた。
ナーガの言葉ではなく、周囲の状況と自分の考えを最優先させる!
それが進が見出したナーガの精神攻撃からの対策。奴があんな数の武器を持っているはずはない。間違いなく幻想だ。
進はとっさに判断し、無数の闇牙を無視する事に決めた。
空襲のごとく、ババババババと鳴る激しい闇牙の飛行音。
進は強固な意志をもち、それすらも無視し、ナーガという獲物に向かって一直線に駆けだした。
一つの闇牙が完全に進の皮膚に突き刺ささった。回避を捨てた進に避けれるはずはなかった。
そういうことか……!
進はなにか重大なことに気付いた。
「正解は本物でした♪」
「幻想の武器の中に本物の武器を混ぜたということか。さっきのやつもだな……」
「さすが天才君。もう見破るなんて」
とんでもなく厄介なことだった。
幻想の中に潜む本物。必然的に本物を警戒せざるおえなくなる。
しかし、そうなれば今度こそ奴の術中にはまってしまう……。
どうすれば……。
進は打開策を必死で考えた。
しかし、闘いは待ってくれるほど甘くはない。ナーガの容赦ない次なる攻撃が始まった。
「三眼幻想第二想・手幻!」
全てをのみ込むような、人の体ほどの巨大な手。ナーガの手は一瞬のうちに巨大化した。
これは間違いなく幻想!
だが……。
進は、先ほど本物が混じっていたことの恐怖が脳裏をよぎってしまう。
ナーガの術中にはまるには十分すぎるほどの要素であった。
巨大な手は進の矮小な体をいともたやすく呑み込み、振り払った。進はあっさりナーガの餌食になった。
ハアハアハアハア……。
ナーガの幻想には細心の注意を払っていたのに……。あれほど、警戒していたのに……。ここまで簡単に……。
なんて俺は”弱い”んだ……。
針金を刺したようにピンと張った俺の心が次第に朽ちていく。
心よ戻れ。心。心。心!心!
ああ、俺の強固な心は、スライムのように溶け出してしまった。進の心は崩壊の一途をたどった。
「これでやっと精神を崩したかな、メインディッシュといこう♪ 三眼幻想第三想・塔幻!」
終わりが見えない、どこまでも続く高い高い塔。
天からの風が吹き付けるその頂上の端っこに進はいた。
下を覗いても地は見えない。あるのは無の空間のみ。まるで夢の世界。
「ここは……どこだ……?」
どう考えてもナーガによって創りだされた幻想の世界。
しかし、今の進の精神状況で見破るのは難しい。
「おはよう♪」
後ろから陽気な声が聞こえた。
「ナーガ……?」
なんとなく進はこの声に聞き覚えがあった。
確か、邪化射ナーガという男……。
「さようなら♪」
俺の背中に両手が触れる感覚があった。
その両手は徐々に力が生まれ、俺を前へ押した。
前?
前に足場は存在しない。
足場を離れれば、出口の見えない闇が待っている。
落ちた。
抗う術を持ち合わせていない俺は、無の世界へ一直線へと落ちた。
天より高い塔からの落下、つまりそれは死を意味する。進は重力という圧倒的な力の前に成す術はなかった。




