表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
検非遺使秘録 §伝説の『白蛇天珠の帝王』とコラボ作あり§  作者: sanpo
カスカニカスカナリ〈全27話〉
98/222

カスカニカスカナリ 7



 女はかなりの出血と見えた。咬まれた箇所を、毒を抜くために更に深く自ら(えぐ)ったと言う。

 婆沙(ばさら)丸が素早く止血して、惜しげもなく艶やかな装束の袖を裂いて傷口に巻いてやった。

 その上、おぶってやる。

「こ、これ以上面倒をお掛けするわけには……」

「何の」

 女はよほど安心したと見えて背負われるとすぐ気を失ってしまった。

「割が合わぬ」

 狂乱丸がこぼした。

 狂乱丸は女を背負ってはいないが、左手に松明(たいまつ)、右肩には女の荷物──蛇でいっぱいの大袋を担ぐ破目になったのだ。今経っても『疲れた』などと散々愚痴っていた婆沙丸の方は、生まれ変わったかのように溌剌たる足取りで山を下って行く。

 田楽師兄弟が一条堀川の自邸に帰り着いたのは真夜中過ぎだった。


 

 女の素性はおろか住処も知らない上は送って行くこともできず、その夜はそのまま田楽屋敷に留め置くことにした。

 傷の方は一応乾いて血も止まったようだ。

 相変わらず意識がないので一室に夜具を敷いて寝かせた。

「似ていると思わないか? 俺は会った瞬間から気づいていたのだが……」

「え?」

 燭の灯の下、女に夜具を掛けながら婆沙丸が呟いた時、狂乱丸は心底驚いた。

 小指の、赤い珠を繋いだ指輪を撫でながら弟は言うのだ。

「ほら、ナミにさ?」

「そうかな。俺にはよくわからぬ」

 弟がその名を口にするのは何年ぶりだろう? 弟はとっくに忘れたものと──諦めたものと思っていたのに。

 ナミは婆沙丸の死んだ恋人の名だった。

「それに、おまえ、『会った瞬間』と言うが、あんな──新月から数えて二日目の真っ暗闇の中でかよ?」

「それでも、俺にはそう見えたのだもの」

「気のせいだろ」

 兄の言葉は釣れなかった。だが、これでも兄は自制したのだ。

 本当は、『おまえ、女は皆、ナミに見えるのだろう?』と言いたかったのだから。



 翌朝。

 室を覗くと夜具の中は空っぽで、女は姿を消していた。勿論、あの大袋も。

 狂乱丸は昨夜、それを玄関の三和土(たたき)に置いていたのだが、女が持って行ったと見えてなくなっていた。

「今日は薬師を呼んでやろうと思っていたのに……」

「気を使ったのだろうよ。まあ、お礼にと、蛇なんぞ置いていかれなくて良かった!」

「──」

 弟が何故こうも沈み込んでいるのか、兄には理解できなかった。



「有雪! 起きろっ!」

「──ん?」

 昨夜も何処でタダ酒を喰らってきたものやら。田楽屋敷に居候(いそうろう)の身、〈橋下の陰陽師)こと、有雪は熟睡中だった。

 陰陽師と名乗っても無位無官。朝廷に仕えるそれではなく、素性(はなは)だいかがわしい巷の陰陽師である。

 当世、一条界隈にはこの手の胡乱な輩が腐るほどいた。〈声聞師〉とも区別がつかないし、〈歩き巫女〉とは同類である。庶民の依頼に応じて憑き物を落としたり、辻で卜占を垂れたりして日々を繋いでいる。

 但し、一言だけ断っておくと、この陰陽師は美男だった。それもゾッとするくらい。陰陽師になるよりも『帝の落胤』などと吹聴して詐欺師をやった方が稼げたかも知れない。

「起きろったら、有雪!」

 枕を蹴飛ばす婆沙丸。

「頼みがあるのじゃ」

「これが頼みのある者の態度かよ?」

 着の身着のまま、白い上衣に白袴の有雪が夜具の中から(なじ)った。日中、肩に止まらせて衆目を驚かせている白い烏は枕元の襤褸布の上に丸まっている。

「で? 頼みとは?」

 寝たまま訊いてきた。

「人を捜して欲しい。その人の所在じゃ。方角だけでもいいから」

 言って、婆沙丸は陰陽師の鼻先に水干を突き出した。

「?」

「見ろ、これには片袖がないだろう? つまり、この欠けた袖が俺の探している人の居場所を告げてくれるはず。即刻、卜ってみてくれ」

「……何があった?」

 漸く起き上がった陰陽師に婆沙丸は慌てて釘を刺す。

「運命は占ってくれなくともよい。俺の聞きたいのはひとつ、居場所だけじゃ」

 この男に卜されて、良い目の出た試しなどなかったのである。

 片や、有雪、繁繁と衣を見つめている。

「昨日、おまえ、これを着ていたのか? ふうううん……何やら大変な籤を引いたな? 狂乱と障魔の匂いに満ちておるぞ?」

 頷いて、ボソリと婆沙丸。

「……常行堂に長くいたからなあ」

「おまえ等、今度は一体何に足を突っ込んだのだ? 最近、俺を避けてコソコソ動き回っていると思ってはいたが」

 陰陽師は目を閉じて秘色の綺羅綺羅しい水干に鼻を擦りつけた。一際声を高める。

「おお! これは……断悟と魔縁……生死煩悩の至極なりっ!」

「運命はいいと言うに! 早く所在を占えっ!」



 一方、検非遺使尉(けびいしのじょう)・中原成澄。

 昨夜は前関白・藤原忠実を自邸の高陽院(かやのいん)へ送り届けた後、夜も更けていたため、また万が一、賊の再度の襲撃を警戒して邸に留まった。忠実自身それを強く希望したせいもある。

 開けて翌日、そのまま使庁へ出勤した。

 邸を辞する際、今回の〈八葉鏡〉についての密命、ひいては自身への賊の襲撃に関する一切を、決して口外してくれるなと忠実は成澄に念を押した。

 さて、使庁では意外な人物が成澄を待ち構えていた。

 忠実の嫡男で現関白の藤原忠通である。

 別当室に座した忠通は成澄の顔を見るなり訊いてきた。

「最近、京師(みやこ)において、何か特別に変わったことはなかったか、成澄?」

「いえ」

「それは良かった。ところで、今一度訊く。最近、禅閣(ぜんこう)殿より私事で何事か頼まれてはおるまいな、成澄?」

 禅閣とは忠実の出家名である。現関白は成澄の双眸を鋭く見据えて、

「検非遺使は嵯峨帝以来の重職である。いかに前関白といえ、これを私兵として利用するのは専横の振る舞いと思わぬか? まして、そのことで検非遺使としての本来の任務が疎かになるようでは、嘆かわしい限りじゃ」

 成澄の目尻がキリリと上がった。

「お言葉ですが、関白殿。私がいつ、使庁の任務を疎かにしたことがありましょう? この中原成澄、自他共に認める〝田楽狂い〟ではありますが、己の仕事に手を抜いたことは未だかつて一度もありません」

「その言葉、真実じゃな? ならばよい。安心したわ」

 関白は扇で膝を叩いた。

「おお、そうじゃ! 先刻、何事か騒動が報告されていたな? ちょうど良い、この熱心な検非違使を派遣したらどうだ?」

 言われるまま傍らの使庁別当が命じた。

「三条堀川の源俊房邸周辺で何やら揉めているらしい。直ちに行って取り鎮めて来い!」

「諾!」

 現関白・藤原忠道は成澄を嫌っているのではなかった。むしろ、他の検非遺使より信頼している。だからこそ、前関白の父が事ある毎に成澄を重用するのを快く思っていないのだ。

 自分より前関白との繋がりが強いことが面白くない。

 また、藤原摂関家の親子ならではの確執もそこには仄見えた。

 忠実は長男の忠通より次男の頼長を溺愛している。忠通を退け、頼長に嫡流を継がせようと画策していることは今や全ての都人(みやこびと)の知るところであった。



 成澄は配下の衛士や放免を率いて三条堀川へ馳せ参じた。

 そこは一町家を誇る貴人の大邸宅。

 門前、豪奢な牛車が止まって何やら大揉めに揉めている。

 騒いでいるのは邸の雑色や舎人たち、それから牛車側の従者や牛飼い童等、合わせて四十人は下らない。

「あ! 見ろ、検非遺使様がいらっしゃったぞ!」

「もうこれまでだ! おまえ等、観念しろよ!」

「そっちこそ! 言いがかりも大概にしろ」

「一体何の騒ぎだ?」

 成澄は馬を降りて群衆の中に割って入った。

「投石です!」

 牛車の周りを取り囲んだ舎人たちが口々に訴えた。

「この邸の者たちのあまりのやり様……どうぞ、全員、絡め取ってください!」

「出鱈目を言うな!」

 今度は門前を固める邸の雑色や家司たちが一斉にがなり立てる。

「こっちは何もやっていない! 何度言えばわかる?」

「言いがかりです、検非遺使様! どうか、こやつ等の妄言に惑わされぬよう……」

「わかった、わかった。兎に角、双方とも落ち着いて、きちんと事情を説明してくれ」

 これまた何やら奇妙な事件である。




 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ