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検非遺使秘録 §伝説の『白蛇天珠の帝王』とコラボ作あり§  作者: sanpo
カスカニカスカナリ〈全27話〉
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カスカニカスカナリ 2


「はちようきょう……?」

 成澄は全く要領を得ない。前関白が何について語っているのか、とんと不明だった。

 が、忠実は責めなかった。微苦笑して、

「無理もない。今回の騒動に関しては何から何まで秘密中の秘密。叡山の連中も、院や帝の御耳に入るより先に、この私に泣きついて来たのだから。然らば、成澄よ、これから私が語ることを心して聞いて欲しい」

 いったん言葉を切ってから、忠実は言った。

「その方、叡山に〈常行堂(じょうぎょうどう)〉という仏堂のあるのは知っておろうの?」

 常行堂は念仏三昧(ざんまい)を修する〝道場〟である。

 叡山には三塔──東塔・西塔・横川(よかわ)のそれぞれに建てられているが、この場合、忠実が言っているのは最も古い横川のそれである。

 承和(じょうわ)十五年(848)、唐より帰国した円仁によって建立された。檜皮葺(ひわだぶ)き、五間四方の仏堂で、屋根には金銅の如意宝珠が燦いている。

 その輝きを思い出して、目を細めながら成澄、

「堂内には……黄金の阿弥陀像と、観音・勢至(せいし)・地蔵・竜樹の四菩薩が安置されて居りましょう?」

「うむ、合わせて五尊(・・)……」

 言って、大殿はじっと探るような目で成澄を見つめた。

 だが、その場では成澄は忠実の眼差しの意味を読み取ることはできなかった。

「?」

 忠実は声の調子を変えた。

「さて、その常行堂で行われる儀式に〈玄旨灌頂(げんじかんじょう)〉と言うものがある。

 これは遡れば、はるか唐土において天台宗の開祖・智顗(ちぎ)の印信を伝授したのをその始まりとする。

 彼の地では以後、章安・智威・恵威・玄朗・湛然(たんぜん)道邃(どうすい)まで相伝したもののそれ以後相伝に相応しい者がいなかったため、いったん天童山の石塔に埋めた。やがて入唐した最澄こそ相応しいとして再び石塔より取り出して授与したと聞く。

 以来、この印信授与は〝唯授一人〟と固く定められた。

 この度その由緒ある〈玄旨灌頂〉を相伝するに当たって、儀式に欠かせない器物とされる二面の鏡〈円鏡〉〈八葉鏡〉の内の一つが盗まれてしまったのじゃ!」

「げっ……?」

 漸くここへ来て事の重大さが成澄にも伝わった。

「〈玄旨灌頂〉は現在、儀式は口伝のみで執り行われ、その全容は〝最極の秘事〟とされている。

 鏡を用いるその部分は〈鏡像円融口決(えんゆうくけつ)〉と称して、二つの鏡に伝授する師とされる授者を映して何やら神秘の作法を行うとか……」

 ここで息を継いでから、忠実は先を続けた。

「さても、この二鏡、〈円鏡〉〈八葉鏡〉とは如何なる鏡か?

 〈円鏡〉は白銀で、隋の開皇年中(581~600)に皇子晋王、のちの煬帝(ようだい)が天台大師智顗より菩薩戒を受けた際、感謝の印に献上した品」

「ほお──!」

 思わず声を漏らした成澄を見て、

「〈八葉鏡〉の方はもっと凄いぞ。こちらは天台山の山神が獣の姿となって現れ、大師に手ずから捧げたと伝わっておるわ。いずれにせよ、ともに我が国の至宝中の至宝である……!」



「その至宝の一つが盗まれたと言うのだから、まさに末法の世ではないか? 俺も忠実殿に聞かされた時は震えが来た……」

 田楽師の座敷で検非遺使は思い出したように胴震いした。

 一方、常に冷静沈着な性、双子の兄は苦笑した。その微笑の艶冶(えんや)なるかな!

「ふーん? 〝最極〟の〝秘事中の秘事〟と言うお宝をドンピシャと盗むとは! すこぶる勘のいい盗人もいたものだな?」

「そこよ!」

 成澄は膝を打った。

 そもそも、この二鏡、普段は何処に安置されているのか、叡山内の〝とある経蔵〟というだけでこれまた秘密なのである。

 それがまんまと盗まれたのにはそれなりの理由があった。 

 ──盗んだ者が叡山内の僧侶だから。

 もっと言えば、〈玄旨灌頂〉を授かるはずだった僧、その人なのだ。

「──」

 流石に田楽師兄弟は絶句した。

「〝唯授一人〟と言ったろう? そやつは早くからそれを授かるものと、周囲も、また自分自身も信じて疑わない英才だった。ところがここに来て全く別の一人が選ばれた」

 検非遺使は爽やかに笑った。

「まあ、そこにどういう経緯があったかは、俺の知るところではないがな」

 断った上で更に続ける。

「結果、絶望したその僧──名を恵噲(けいかい)と言う──が〈八葉鏡〉を盗み取って遁走したのだ」

「フム。絶望や嫉妬や悋気は人間の業だものなあ?」

 日頃、冷静と称えられる割に悋気心の強い兄を横目で見て弟が頷く。

 兄は無視した。

「しかし、その〈玄旨灌頂〉とやらの人選は正しかったな! 選に漏れたと言ってそんな暴挙に走る輩、選んでいたら将来もっと大過をもたらしたろうよ」

「チェ、おまえたちは暢気でいいな? 有雪は何処にいる?」

 狂乱丸のあえかな眉が攣り上がった。

 それを敏感に察知して、先に婆沙(ばさら)丸が検非遺使に問う。

「珍しいな、成澄? 日頃、煩がっている〈橋下の陰陽師〉をご指名とは」

「今回ばかりは仕方あるまい。あやつの胡乱な博識に頼るより他に手はないのだ。と言うのも──

 この僧、恵噲な、明らかに嫌がらせに走っている様子。

 置き手紙があって、〈八葉鏡〉の隠し場所を自分の僧坊内に〝謎〟として残したから、悔しかったら見事これを解いて見つけ出してみろ、と言うのだ。

 どうやら鏡を求めて右往左往する関係者をこっそり隠れ見て大いに溜飲を下げているに違いない」

 実際、今日、昼の内に成澄は忠実に連れられて恵噲の僧坊を検分して来た。

 それを思い出しながら、

「いや、何の変哲もない、僧侶の室だったさ! 正面の壁に二対の曼荼羅図。問題の置き手紙は経机の上にあって……他には、経を数巻収めた厨子があるだけ」

 成澄の目を引いたのはその厨子の扉に挟まれた紙片だった。

 双子の膝前に成澄はそれを置いた。

「〈玄旨灌頂〉の際、必ず披露される〈歌舞い〉の咒文だそうだ」

「──」

 覗き見た兄弟の顔貌はそれぞれ、天の月とそれを映す湖面のごとく静かだった。



   《   シシリシニシシリシト   ソソロソニソソロソト   》






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