カスカニカスカナリ 1
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「お呼びでございますか、阿闍梨様?」
「おお、よう来た、恵噲。この者、たった今、越前の平泉寺からやって来た白峰丸と申す者。縁あって当寺にて預かることとなった。見た通り、まだ幼くて、田舎育ち故、ここ叡山のこと右も左もわからぬ。おまえが良く面倒を見てやるように」
阿闍梨の視線の先に畏まって座る小さな影があった。
未だ垂髪の〝喝食〟と呼ばれる僧の卵である。
「これ、白峰丸。この恵噲はな、おまえとさほど歳は変わらぬが、既に四教義に通じ三大部も読破する勢いの秀才じゃ。将来は〝唯授一人〟に選ばれて〈玄旨灌頂〉を授かるはずと期待されておる。おまえもよく見習って修行に励むように」
再び恵噲に顔を向けると、
「では、宿坊に連れてお行き」
阿闍梨の室を退出して、僧院の長い廊下を歩き始めるとすぐ、恵噲は声をかけた。
「白峰、と言ったか? そう硬くなることはない。何だ? 泣いているのか?」
越前から出て来た幼い僧の頬に一筋涙が燦いている。
小さな荷物を下げたまましゃくりあげて訴えた。
「や、やはり……私のような未熟者はここではやっていけそうにありません。賢い恵噲様に面倒をおかけする前に……す、すぐにでも越前へ帰ろうと思います」
恵噲は笑い出した。
「馬鹿だな! さっきの阿闍梨様の言葉を気にしているのか? あれはおからかいになっただけじゃ」
僧衣の懐から手拭いを出すと優しく涙を拭ってやった。
「もう泣くのはおよし、白峰丸。私もおまえも御仏の前では同じ道を歩み始めた未熟者じゃ。お互い頑張ろうな? 私は弟ができたようで嬉しいぞ。だから、遠慮はいらぬ。わからないことは何でも聞くといい」
「ありがとうございます」
白峰丸の顔に微笑みが戻った。少し恥ずかしそうに垂髪を揺らして、
「あの、では、早速お教えください。先ほど阿闍梨様がおっしゃった……げんじかんじょう? あれは一体何なのですか? 灌頂はともかく、げんじとは?
私にはひどく難しくて、言葉の意味すらさっぱりわかりません」
「無理もない」
恵噲は明るい声で笑いながら白峰丸の掌にその字を書いて見せた。
「げんじとはこう、〈玄旨〉と書いて、カスカニカスカナリ……または、ハルカナルムネ……と読むのじゃ」
なぞった掌を弟僧の胸に押し当てる。
「それ、鼓動を感じるだろう? それがカスカニカスカナリじゃ。ところで、その鼓動の根源であるおまえの心は何処にある?」
「ここに。鼓動と同じく、確かにここにあります」
「ああ。だが見ることは適わない。それがハルカナルムネじゃ。どうだ、わかったかい?」
白峰丸は首を傾げた。
「はあ、わかったような……わからないような……」
恵噲は噴き出した。よく笑う、笑い顔の似合う優しい面差しである。
「実は私もそうさ! 正直まだよくわからぬ。だから、一緒に修行しようと言うのじゃ。いいか? 二度と越前へ帰るなどと弱音を吐いてはならぬぞ?」
「はい」
春まだ浅い叡山の、ここは西塔の塔頭である。
遠く谷の底で、一声、鶯が鳴いた。
廊下に佇んだまま二人はそっちを見た。
さっきまでベソをかいていたくせに喝食は楽しげに瞳を輝かせて言うのだ。
「あれも、そうですね?」
「なるほど」
二人は渡り廊下に並んだまま、もう一度鶯が鳴くのを待った。
カスカニカスカナリ……
ハルカナルムネ……
検非遺使の中原成澄が一条堀川の、通称、田楽屋敷を訪ったのは深更だった。
これは常ならぬことである。
出迎えた屋敷の主、当代随一と評判の田楽師・狂乱丸は、夜目にも瑞々しい射千玉の垂髪を揺らして質した。
「こんな時間にどうした?」
「うむ──」
茵に座して灯台の明かりに照らされても検非遺使の表情は暗いままだった。
「実は今日、大殿直々に呼び出されてな。その足のままここにやってきた次第……」
〝大殿〟とは藤原忠実のことである。
関白の位は嫡男・藤原忠通に譲ったものの藤原摂関家の氏長者として君臨している。
今度は弟の田楽師・婆沙丸が兄と瓜二つの顔で質す。
「と言うと? ははあ、また何か表沙汰にできない仕事を仰せつかったな!」
成澄は重々しく肯った。
「ああ。それも──今度という今度は、俺などでは金輪際解き明かせない難題なのだ!」
陽気で豪放磊落なこの男が絶望するのを双子は初めて見た。
そもそも検非遺使とは──
嵯峨帝の御代、設立した京師の治安維持機関である。警察権と司法権の両方を併せ持ち、代々武略軍略に秀でた左右衛門府官人が任命されて来た。
蛮絵と呼ばれる獣文様の黒衣、これに尉の位は純白の袴という雄々しい出で立ちで、同じく蛮絵を纏う近衛府と並び、院や帝の寵愛者を多数輩出した重職である。
その天下の検非遺使と異形の輩・田楽師が親密なのには理由がある。
保延七年(1141)、正月行事の修二会に突然飛び入った美しい二人の田楽師のことが現在に残る《御修法記》に記されているが、それが狂乱丸と婆沙丸だった。
その際、現場にいた検非遺使こそ中原成澄で、この男、えもいわれぬほどあえかな声で歌い、舞う、闖入者を制するどころか、懐から愛用の朱塗りの笛を取り出して一緒に舞い狂った。(このこともしっかりと記されている。)
以来、懇意の仲となり、暇さえあれば田楽屋敷に入り浸っている。
この際、田楽師についても記して置けば──
ほとんどの都人が踊り騒いだ、とまで言われる〈嘉保の大田楽〉〈永長の大田楽〉以降、その熱は衰えることを知らない。元々は稲の豊作を祝す田植え祭事から起こったこの田楽、特異な舞いと音曲が中世の人心を魅了し、あっという間に〝芸能〟として浸透した。
僧体と俗体に分派し、地味でややもすると貧相な僧体のそれに比べ、目を射るほどの綾羅錦繍を誇るのが後者である。かかる俗体の田楽を統率した犬王の急逝後、跡目を継いだのが狂乱丸なのだ。
さて、その日、久安六年(1150)、四月某日。
突然の呼び出しに藤原忠実の邸、中御門大路にある高陽院に馳せ参じた中原成澄。
検非遺使の強装束、蛮絵を纏った屈強な体が着座するのを見届けるや、大殿忠実は叫んだ。
「前代未聞の不祥事が起こった! 〈八葉鏡〉が盗まれたのじゃっ……!」




