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《雫ノ記》20 ★



「それで? その後、さざら丸はどうやって姫の室まで侵入できたのですか?」

「ああ、それか。さざらは(あらかじ)め船に俺から盗み取った装束を隠して置いたらしい」

「船?」

「憶えているだろう? 庭園の池に舫ってあったあの竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の船だ」

「あ! 水鳥たちが騒いだあの時……」

 船で着替えた後、夜陰に乗じてこっそり池を泳ぎ渡り再び邸に侵入した。そして、〈麗しの公達〉姿で姫を誘い出した。実際、船にはさざら丸が脱ぎ捨てた随身用の摺衣(すりぎぬ)が残されていたし、渡殿の至る処に撒かれていた水は移動するさざら丸の体から滴り落ちた雫に他ならない。水(さら)え人として育った彼は濡れることに全く抵抗がなかった──

 こうして、恋する姫君は(いざな)われるまま邸を抜け出して、周到に用意してあった二頭の馬の片方に乗った。勿論、もう片方の馬にさざら丸は清顕の屍を結わえ付けたのである。

「しかし、そんなこと全部一人でできるんですか? 姫君はともかく、清顕様はあんなに大柄なのに」

「さざら丸は細身ではあるが水浚え人として長年働いて来たのだぞ。膂力、体力とも常人とは比較にならないくらい鍛えられていた」

 現に、七人の犠牲者たちを水底に結わえ付けるための重し(・・)も、(こも)に石や泥を詰める治水作業独特の手法で、それは巧みなものだった。と、これは犠牲者たちを回収した諸人の弁である。


 御室(おむろ)に着いてから、夜が明けるのを待って、さざら丸は清顕を水底に沈めた。

 目覚めた姫が見た暁の光の中の〈麗しの君〉は、今まさに、池の底から戻って来たさざら丸だったのだ。



「……私はどう思っていいのかわかりません」

 御室の稚児は引き攣った顔で告白した。

「友を奪われた、その悲しみは果てないのです。が、一方で、さざら丸を断罪できない自分もいて……」

 その思いは、弟同然の清顕を殺された成澄とて同じだった。

「あ、あんな忌まわしい真似をしたさざら丸は確かに狂っていた。だけど、覚鑁(かくばん)様の教えを聞いて救われたと言った時の、あの言葉がまやかしとは私にはどうしても思えません」

 さざら丸が覚鑁から尊い教えを(じか)に受け、また、その時点では正しく理解していたのは間違いない、と稚児は言うのだ。

「覚鑁様の書《密厳院発露懺悔文》に、さざら丸が言っていたのと全く同じことが記されています。つまり、さざら丸が聞いたのは、それこそ、覚鑁様の偽らざる血肉の御言葉……


   ── 私は全ての人々に成り代わってその罪過を懺悔します。

     御仏よ、ですから、私以外の誰にもその罪の報いを与えないでください……


   ── 今、何とおっしゃいました、覚鑁様?


   ── さざら丸よ、おまえの父の罪は、全てこの私の罪なのだ……


 想像以上に水浚え人と高僧の絆は深かったようだ。

 自分が命を助けたこともあり、当初、覚鑁はさざら丸を引き取りたいと申し出たらしい。

 手元の置いて育て、行く行くは僧にと願った。だが、門跡寺院に不浄をもたらした当事者ということもあり願いは許されず、寺側はさざら丸を水浚え人の長に委ねた。これは、当時を知る大阿闍梨が迦陵丸に明かした話である。

「……覚鑁様はその後も頻繁にさざら丸を自坊へ呼び、読み書きから仏法に至るまで手ずから教育を施しておられたとか。いつの日か弟子として側に呼び寄せることを諦めていなかったのでしょう」

「そうか」

 さざら丸はおぞましい殺生者ではなく、敬愛される僧侶になっていたかも知れないと思うと成澄は益々遣る瀬無かった。あの澄んだ眼差しとたおやかな所作を思い出すにつけ、人の運命に嘆息せずにはいられない。

「それはそうと──今日、私がやって来たのは、大阿闍梨様に言付かってこれをお返しするためです」

 迦陵丸の幾分明るい声に成澄は顔を上げた。

 稚児はコトリと錦に包まれた品を膝前に置いた。

「あの日、池を浚った長が、今頃になって寺に届けてくれたのです」

「──」

 成澄が肌身離さず持っていた例の笛だった。

「何でも、当初は浚った泥に混じっていて気づかなかったのだとか。乾いた泥から浮き上がるようにして出て来たそうです。宛ら、花が咲いたのかと吃驚したって。ふふ、花なら、差し詰め、茎しかない曼珠沙華だな?」

 実は、成澄は、大納言の姫を助けるためとはいえ、人の血を吸ったその笛が寺域の池深く眠るのもまた良し、と思っていた。しかし、こうして再び自分の元へ戻って来たところを見ると──

(この笛は俺と離れたがっていないのだな? つまり、俺たちはそういう奇縁なのだろうか……?)

 この笛と成澄の因縁についても、いずれ明かされる機会があるやも知れない。



 その夜、成澄は不思議なものを見た。

 前月六月には内裏の紫宸殿で(ぬえ)の声が響き渡る怪異があったばかり。

 真実、この天養元年は得体の知れない年ではあった。

 深更、成澄は常ならぬ仄かな明るさを感じて目を開けた。

 夜具を抜け出て、(しとみ)から覗くと、さほど広くもない田楽師の庭に佇んでいる人影がある。

「有雪か? 何をしている」

 橋下の陰陽師は振り返ると、白い指で弧を描いて空を指した。

「?」

 指し示す空の彼方、滑るように尾を引く星……

「おお……!」

「彗星じゃ。こうまではっきり見えるのは珍しい」

 成澄も庭に降りた。

 それにしても、有雪、この男は夜、寝るのだろうか? 昼寝をしている姿ならしょっちゅう見ているが、夜は全く気配そのものがないことにふと気づいた。

「あの星の到来がおまえはわかっていたのか? だから? こうして庭で待っていたのか?」

「何度言えばわかる? 俺に見えぬ未来はないと」

「だったら、狂乱丸たちがいつ京師(みやこ)に帰ってくるか教えてくれよ。なあ、少し、遅すぎないか?」

「フン。そんなくだらぬことは他の陰陽師に聞け」

「また、それだ。逃げたな? 本当は何もわからないんだろう? やはりおまえは似非陰陽師だ!」

「無粋な奴! 静かに星宿を味わうこともできんのか?」

 田楽屋敷の居候たちは二人並んでいつまでも空を仰いでいた。

 成澄にはその彗星なるものが、天を焦がす火の玉というよりはむしろ──空から零れ落ちた雫に見えて仕方なかった。



 検非違使・中原成澄が記録した、天養元年夏のこれら一連の騒動は後世に伝わることはなかった。

 門跡寺院に纏わる諸々故、支障有りとして抹消されたというのが真相らしい。

 件の御室・仁和寺は、橋下の陰陽師・有雪の予言した天狗の仕業かどうかはともかく、その後、様々な歴史の舞台となった後、1467年、応仁の乱の戦火によって、そのほとんどの堂宇を焼失、庭園や池もまた、様相を一変して当時のそれは今日に残っていない。




           第7話《雫ノ記》  ── 了 ──  




   




       挿絵(By みてみん) 


  

       ☆15歳だった誰かの思い出の図。

        興味のある方は《 雪丸 》を覗いて見てください。



 





 長いお話にお付き合いくださりありがとうございました!

 次作、田楽師兄弟帰って来ています!

 そして、久々の謎解き系(?)です。

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