《雫ノ記》13
おまえは追々後で来い、とさざら丸には言い捨てて、単騎、都大路を疾駆する成澄。
珊瑚の鞭を振る、その脳裏に僥倖が掠めた。
「〝殿御〟の正体、見えたっ!」
僧・仁慶は嘘を言ってはいなかった!
『栗とか瓜とか……』
瓜だった!
但しウリはウリでも、瓜ではなく羽林だ──
福寿丸はとっさの際、『羽林様……!』と叫んだのだ。
(それならばドンピシャ、辻褄が合う……)
〈羽林〉とは近衛府、もしくはその近衛府の中将・少将の漢語的な呼び名である。
福寿丸の逢引の相手は近衛府の者と考えられる。もしくは──
実はこの〈羽林〉にはもう一つの意味があった。
公家の家格を表すのだ。近衛府の少将・中将を経て参議や中納言、大納言に昇れる家格──四辻、飛鳥井、冷泉、山科、六条、そして四条。以上が〈羽林家〉と総称される公家である。
その大納言・四条隆房が俺に用だと?
成澄は今や確信した。
なるほどな! 四条家の息子なら福寿丸が『羽林様』と呼びかけても不思議はない。もっと早く気づくべきだった……
「きっと、大納言は子弟の誰かが行方知れずになったと俺に告げるぞ。そして? 探して欲しいと頼まれる……?」
途端に成澄の馬の足は遅くなった。
それを求められるのは辛い。唇を噛んで成澄は胸の中で呟いた。
(やれやれ、清顕の言う通りだ。俺は逃げた者を探し当てるのは不得手だ。力ずくで悪人どもを引っ捕えるのならいざ知らず……)
ところが──
予想に反して、大納言邸で中原成澄が聞かされたのは全く別の話だった。
「姫君の警護、とおっしゃいましたか?」
思わず問い返す成澄に大納言・四条隆房は頷いた。
「いかにも。このたびの件ではほとほと頭を痛めておるのじゃ。実は──」
実は、大納言の娘の元へ最近頻繁に通って来る男があった。
姫君は御年十五。行く行くは女御にでも預けようかと、大切に育んで来た手中の珠である。
しかし、父が気づいた時には、時既に遅し。当の姫は通って来る男に身も心もぞっこんの態だった。
その上、大納言がその相手について問い質しても要を得ない。姫はただただ、『麗しの君』と頬を染めて繰り返すばかり。
それなら、と実際に通って来た男に直接尋ねるべく、夜毎見張ることにした。
が、未だに捕らえること叶わず。
昨晩もやって来た気配なのだが、舎人、家司、随身、打ち揃って見張っていながら、まんまと逃げられてしまった──
やはりここはこの道の専門家、判官殿にお願いするに限る、と四条隆房は言うのだ。
「我が大事の姫の、取り憑かれたように恋い慕う様を見るにつけ、何としても相手の正体を知りたい。それまでは親として枕を高くして眠れない」
「しかし──」
戸惑う検非遺使尉に、貴殿の言いたいことはわかる、と大納言は続けた。
「私とて、若い日はあった。恋の道を知らぬヤボな身ではない。無粋な真似はしたくはないが──ただ、今回のこと、特別に嫌な予感がしてならぬ」
口では旨く言えないが胸騒ぎがする、と隆房は声を潜めた。
「どうも、通って来る男が人間でないような気がしてならぬ。連夜の見張りを摺り抜ける霞のような躰といい、我が姫をあそこまで虜にする容貌といい、これはもう妖し・物怪の域じゃ!」
「あの──」
「親馬鹿の世迷言と笑われるか中原殿? されど、内裏の女御さえ鬼に襲われたではないか! 公達に拐われた後、結局鬼に食われた姫もおったぞ!」
「それは──」
そんなのは全て昔語りの物語である。いよいよ呆れ返った成澄。
その眼前で大納言は深く息を吐いた。
「私だって昔は作り話だと思っていたさ。だが、実際、親となり娘を持ってみると……これがどうして笑い飛ばせなくなる。時に、中原殿は娘御はお持ちか?」
「いえ」
「御妻女は?」
「私には妻も娘もおりません」
「おお、そうじゃった!」
四条隆房は扇の陰から屈強の検非遺使を見やって、
「使庁と言えばその任、甚だ忙しく、その上、中原殿のように別当のみならず、帝や院、新院にまでご寵愛深い身では無理もない」
嫌な予感がする。成澄は烏帽子に手をやった。
「とはいえ、そろそろ身を固めるのも悪くはない。どうじゃ、私が良き姫を捜してやろう! そうじゃ、そうしよう! そうして、貴殿もだな、娘など持ってみればその可愛さ、身に沁みてわかろうというもの。よし、早速、似合いの姫をこの四条隆房の名において──」
「わ、わかりました! お力になりましょう!」
成澄は口早に叫んだ。
「それで──一体、私にどうして欲しいのです?」
「それじゃ! 我が邸を見張り、件の男が忍んで来た際には、即刻取り押さえて欲しい!」
成澄が何か言うより早く、大納言は付け足した。
「安心なされよ。獄にぶち込んでくれ、とまでは言わぬぞ? 取り押さえて、男の正確な氏素性さえ聞き取ることができればそれで良い。場合によっては──つまり、当家と身分が釣り合うなら婿として迎える所存なればな」
「それで、まさか、引き受けたんじゃありませんよね?」
三善清顕は絶句した。
翌、五月十一日。使庁の渡殿を二人は歩いている。
「他にどうできる? あの場で『うん』と言わなければ俺は嫁を取らされるところだったんだぞ」
「先の、中納言の〈天童失踪〉の件も抱えているというのに? またまた今度は大納言の〈姫君警護〉ですか?」
お人好しにも程がある、という言葉をすんでのところで清顕は飲み込んだ。
権門勢家に阿って自身の隆盛を図る検非遺使は多い。が、成澄の場合は明らかにそれとは違うのをこの後輩は知っていた。単に底抜けに人が良いだけだ。それにしても──
この年、天養元年は使庁別当である藤原忠通が大和国の検地に着手した年に当たる。
大和に広範に存在する寺僧領の荘園を検田し、年貢米の徴収を徹底させようというのである。だが、予想以上に南都衆徒の抵抗は激しかった。
結果、別当の関心はほとんど南都へ向き、京の都で実務を担う検非遺使たちは粉骨砕身の日々を送っている。
「京師中の巡察、刑部の沙汰や賊の追捕……検非遺使本来の業務だって大変なのに! 娘に通って来る恋男を見張るってことは、不寝番を強いられるってことですよ? これでは体が持つはずない!」
呻き声を上げる清顕。
「安心しろ」
成澄は爽やかに笑って言った。
「この件は俺が内々に請け負ったこと。俺一人でカタをつける。これ以上、おまえや衛士に負担をかけるつもりはないさ!」
益々混沌に陥った感のある、この大納言の姫の警護が、今回の騒動を一挙に回天させることになろうとは──




