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検非遺使秘録 §伝説の『白蛇天珠の帝王』とコラボ作あり§  作者: sanpo
雫ノ記 〈全20話〉

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70/222

《雫ノ記》10  ★

 

 御室(おむろ)仁和寺(にんなじ)数多(あまた)ある塔頭(たっちゅう)の一つ。

 僧・仁慶は夕方の勤行を終えて自坊に引き上げて来た。妻戸を開けて、思わず息を呑む。

 これは、観音菩薩の化現なりや? 美しい稚児が薄闇の中に端座している。

「おまえは──迦陵丸? な、何事か? 勝手に私の室に入るとは……!」

 稚児の膝の前、据え置かれた青い(うちぎ)に目を留めて、更に声を荒らげた。

「そ、その上、断りもなく他人の私物を探るとは! いかに大阿闍梨の覚えめでたき稚児とは言え、やっていい事と悪い事があるぞっ!」

 迦陵丸は動じなかった。

他人の物(・・・・)ではありません。これは、私の袿なれば」

「え?」

「もっと言えば──これは、私が福寿丸に貸し与えた袿にございます」

 たおやかな顎を上げて迦陵丸は決然と言い切った。

「それがここにある不思議。その理由(わけ)をお教え願いたく存じます」

 刹那、仁慶は僧衣を翻して戸口へ走った。が、手をかけるより早くカラリと妻戸が開いて、二天と見紛う屈強の検非遺使が行く手を塞ぐ。

「観念しろ、仁慶!」

「おまえが〝遠目〟に見たという〝福寿丸と思しき稚児〟の袿を、何故、自分で持っているのか。我々も大いに興味がある。今一度詳しく話してもらおうか?」

「あ、──」

 仁慶はヘナヘナと床に尻を突いた。


 一頻り泣きじゃくった後で、僧は掠れた声で訴えた。

「私じゃあないっ! 私は本当に(・・・)福寿丸の行方など知らない! 失踪の件には全く関わりはないんだ!」

「僧侶のくせに往生際の悪い奴だ!」

 清顕は大いに呆れた。僧の腕を捻じ上げながら、

「いなくなった稚児の着ていた袿をこうして隠し持っていた以上──誰がその言葉を信じると思う?」

「だから、言い出せなかったんだ! 私が何かしたと疑われるに決まっているもの!」

 仁慶が涙ながらに語ったのは──


        +


 確かに、福寿丸が失踪したと思われる四月十八日の昼過ぎ、仁慶は寺内、円堂の付近でこの稚児を見たのだ。そして、ちゃんと言葉を交わした。

   ── 福寿丸、待て!

   ── これは……仁慶様?

   ── 朝から具合が悪くて臥せっていると聞いたが? 何処へ行く?

 稚児は唇を噛んで顔を伏せた。

   ── 答えられんのか? ハハァ、さては逢引きだな? お仕えする維厳様の目を盗んで大胆な。

   ── 後生です。お通しください。

   ── させるか。維厳様に突き出してやる!

   ── お許しを! どうか見逃してください。殿御が……私を待っているのです……

   ── 殿御だと? 聞き捨てならぬ。仮病を使ってまで会いたいというそいつは何者だ?

 自分にはつれないくせに。愛しさ余って憎さ千倍とはこのこと。

 逆上して、取り押さえようとする仁慶。だが、間一髪、福寿丸は何事か叫んで身をかわした。

   ── □□!

   ── あっ、福寿……? 

 稚児は疾風のごとく緑滴る双ヶ丘の山裾へ駆け去って行った。

 仁慶の手に残ったのは、抜け殻のような青い袿だけ。

   

挿絵(By みてみん)

        ☆文様〈青海波(せいがいは)〉です。カスピ海の波を表しているとか……


        +


「そのまま追わなかったのか?」

「はい。見る見る小さくなって行く影を見て諦めました。でも、戻って来たら責め立ててやろうと、この袿はその際の証拠の品として自坊へ持ち帰ったのです」

 興味を覚えて成澄が訊く。

「福寿丸が駆け去る時、叫んだ言葉とは何だったのだ?」

「ですから、それが聞き取れなくて……」

「肝心なところだぞ!」

 清顕が重ねて質した。

「人の名ではないのか? 殿御とか言う相手の、本当の名前──」

「かも知れません。でも、人よりは物かも」

「?」

 検非遺使たちは顔を見合わせた。

「どう言う意味だ? 物の名とは?」

「だから、本当に聞き取れなかったんです。こっちも熱くなっていたし、短い、一瞬の叫び声だったから。強いて言えば……栗とか瓜とか……そんな感じ」

「おまえ! この期に及んでふざけているのか?」

 真っ赤になって詰め寄る清顕、その足元にひれ伏して僧は拝むように両手を合わせた。

「お、お許しを! 御仏に誓って私は嘘は言っていません。福寿丸にだって指一本触れていない! どうか、どうか、信じてください!」

「どうします?」

 清顕は上官を振り返った。

「引っ立てて行って──真実を吐くまで(・・・・・・・)責め立てますか?」

「その必要はない」

 成澄は首を振った。

「この男は真実を語っているのだろうよ」

 眼前、声を振り絞って泣いている僧は小心者に見えた。

 実際、福寿丸に何らかの危害を加えたのなら、(まか)り間違っても自分から目撃談を話すはずはない。言わなくても済んだことを良心の呵責に耐えかねてか、思わず中途半端に口走った感がある。

 それこそ小心の証だ。だが、〝気が小さい〟と言うのは、言い方を変えれば〝優しい〟ということ。

 些細な悪行すら胸の内に収めきれず漏らしてしまった仁慶が、これ以上大きな嘘を隠し持っているとは成澄には思えなかった。

「放してやれ」

 ワッと叫んで仁慶は脱兎のごとく宿坊を飛び出して行った。

「いいんですか? あやつはきっと、二度とここへは戻って来ませんよ」

「いいさ。それでなくとも左獄は罪人で溢れている。たかが嘘の証言をしたくらいで引っ捕えていてはキリがない」

 それよりも、と成澄。青い袿を愛おしそうに撫でている迦陵丸に視線を転じて言う。

おまえにこそ(・・・・・・)、もう少し詳しく話を聞かねば、な?」

 つくづく成澄は目の覚める思いがした。

 なんと人はその身の内に(・・・・・・)深い井戸よろしく、様々な秘密を隠し持っていることか!

 先日の水(さら)え人といい、今日の僧といい……

 と言うことは、あることを知りたいと思ったら、どんな些細なことでもよい、もっと積極的に周囲の人間の話を聞くことこそ肝心なのだ。

 思えば、最初から『最も仲が良い』と公言しているこの少年に、今日までに自分が訊いたことは〈天童〉についてだけではないか? これはあまりにも迂闊過ぎた!

 (ぬし)の逃げ去った宿坊に成澄は改めて腰を下ろした。

「迦陵丸よ。おまえがその袿を福寿丸に貸した際の経緯(いきさつ)を、できるだけ詳しく話してくれ」

 清顕は、さっき僧が逃げた折り、開け放したままになっていた妻戸を静かに閉ざして、月明かりと堂塔の影たちをそっと室から締め出した。


  

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