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《雫ノ記》 9

 御室(おむろ)から帰った翌日は、五月五日。

 端午の節会(せちえ)で使庁も検非遺使たちも忙しかった。

 御所で催された恒例の祭儀、〈騎射〉に成澄、〈競馬〉には清顕が参加して二人とも大車輪の活躍をした。

 明くる五月六日の午後。

 田楽屋敷において、迦陵丸も加えて今までにわかった事柄について、改めて検討することになった。


「さあ、これでもうおわかりになったはず」

 膝前に嵩高く盛られた、昨日、成澄が帝から賜った(ちまき)には見向きもせずに迦陵丸、あえかな眉を(そばだ)てて言う。

「寺内では、福寿丸以外、いなくなった者などおりません。ですから、〝恋の逃避行〟なんてありえないんだ! 第一、福寿は、誓って、私以外……私以上に親しい者はいなかった!」

「では逆に──仲の悪かった者はいるか?」

 検非遺使尉(けびいしのじょう)はズバリと訊いた。

「福寿丸を気に食わない者、憎んでいる者、はどうだ?」

 稚児はあっさり認めた。

「それならたくさんいます」

「ほう?」

「僧の方にも、稚児にも。だって、〈天童〉になれなかった稚児仲間は私たち、つまり、福寿を露骨に妬んでいたし……」

 ここで清顕が不思議そうに口を挟んだ。

「だが、僧たちには福寿丸を憎む理由はないだろう?」

「そんなことないさ! 福寿に袖にされた(・・・・・)僧連中は殺したいほど恨んでいたもの」

 そんな質問をするなんて、と迦陵丸は呆れ顔で新米の検非遺使を振り返る。

「ふーん? ひょっとして、清顕様はまだ恋をした経験がありませんね?」

「う、うるさい……! わ、わ、私は、その、つまり、あれ」

 後輩の狼狽ぶりを見かねて成澄が助け舟を出してやった。

「おい、清顕、失踪した検非遺使の件はどうなった? その後、何か新しい話は伝わって来たか?」

「はい!」

 面目躍如、清顕は日頃から持ち歩いている小冊子を懐から取り出すと朗々と読み上げた。

「検非遺使・高階康景(たかしなやすかげ)殿の行方がわからなくなった正確な日にちは四月八日です」

「福寿丸よりかなり以前になるな?」

「ええ。それから、康景殿についてはもっと重要な報告があります。どうやら、康景殿は、今回同じく失踪を取り沙汰されている遊女の樟目(くすめ)と恋仲だったらしい」

「何!」

 思わず成澄が声を上げた。あの真面目を絵に描いたような男が? いや、真面目なればこそ、遊女と手に手を取って出奔したのか? 家や官位、全てを投げ捨てて?

「康景殿を知る我々にとっては誠に信じられない話です。ですが、これに関しては幾つも証言を得ています。要約すると──康景殿は巡邏中に(くだん)の遊女と知り合った模様。以来、二人一緒にいるところをたびたび衆人に目撃されています。何しろ、蛮絵装束の検非遺使と遊女とあっては目立たぬはずがありません。その上、康景殿は使庁でも一、二を争う長身……」

 ここでチラと成澄を窺ったのは、実際、使庁で一番背が高いと言われているのが中原成澄その人だからである。清顕自身は一番は成澄、二番が康景、三番が自分だと見当づけていた。

 選抜基準が『容貌第一』と揶揄される検非遺使。勿論、容貌のみならず体躯も皆、長身揃いである。その中で、成澄と連れ立って歩いていてよく『二天のようだ』と囁かれるのが清顕は心底嬉しく、誇らしかった。二天とは、言わずと知れた、毘沙門天と持国天のことである。

「どうした? 先を続けろ」

「あ、はい。康景殿は屈強の長身です。が、成澄殿もご存知のごとく、人柄は大変お優しい。このことは我々検非遺使仲間のみならず、康景殿を知る者、全員が口を揃えて言っています。従って、他人の恨みを買うはずはないし、いざこざに巻き込まれた形跡もない──」

 迦陵丸が勝ち誇ったように叫んだ。

「つまり、そっち(・・・)こそ、〈恋の道行(みちゆき)〉ですね!」

「ええ。検非遺使・高階康景殿は遊女・樟目と申し合わせて出奔したと考えられます」

「ううむ。ともあれ──」

 成澄は腕を組んで頷くより他なかった。

「これで、行方知れずの六人中、二人は納得できる理由(・・・・・・・)が見つかったわけだ」

「問題はやはり、福寿丸(・・・)です!」

 清顕も迦陵丸も声を合わせて念を押す。

「わかっている、わかっているさ」

 成澄は慌てて答えた。手を烏帽子にやりながらふと外へ目をやると、ちょうど香唐櫃を抱えたさざら丸が庭を横切って行くのが見えた。

 唐櫃は成澄の物。中には衣類が入っている。自邸へ戻るのが面倒臭くなった検非遺使尉はとうとうここ田楽屋敷に長居を決め込もうというのである。そのための荷物の運び入れをさざら丸が行なっている最中だった。

 これで〈居候〉という点では橋下の陰陽師と同格になったわけだが、当の成澄はそんなことは全然気にしてはいない。

 誠実に働く元水(さら)え人の背後には菖蒲の花が青い波のようにさざめいている。

 どうやら今年の梅雨は明けたようだ。

「それにしても──〝青海波(せいがいは)〟の被衣(かづき)(ぬし)は福寿丸だったのだろうか?」

青海波(・・・)ですって?」

 風に(なび)く庭の青い花を見て、ふいに思い出して口にした成澄。その言葉に迦陵丸が敏感に反応した。

 御室に赴いた一昨日、迦陵丸は天童の装束を着けるため、成澄たちと行動を別にしていた。そのためこの話は彼には初耳だったのだ。

 改めて清顕が自慢の雑記帳を取り出して詳細を説明する。

「えーと、仁慶という僧の証言だ。この僧は福寿丸が失踪したと思しき四月十八日の昼下がり、寺内は辰巳の角の円堂付近で福寿丸らしき(・・・・・・)人影を目撃したそうだ。但し、遠目に見ただけで傍に寄って顔を見たわけではないから──あくまで、らしかった(・・・・・)という程度で自信無さ気だったが」

「へえ?」

 稚児は怪訝そうに首を傾げた。垂髪が揺れて水干を掠る。サラサラとせせらぎの流れと似た音がした。

「仁慶は、さっき私が言った、福寿を恨んでいた僧の一人ですよ。振っても振ってもシツコク言い寄ってきて閉口してるって福寿がよく私にこぼしてた。で? その仁慶が何と言ったって? 一体全体、寺内に稚児は多いのに、(おぼ)ろの遠目でどうして福寿らしいと?」

「だから、成澄殿が先刻言った通り、被衣の色模様(・・・・・・)さ! 当日、稚児が被っていた目も綾な〝青海波の(うちぎ)〟……」

 ここまで聞いて、迦陵丸、叫んで立ち上がった。

「そのこと、何故もっと早く私に教えてくれなかったんです……?」

 

 

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