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《雫ノ記》 4



 翌日。

 使庁に出仕した成澄はほとほと参ってしまった。

 昨日の自分の求めに応じて配下の衛士たちから〈失踪者〉に関する情報が続々と集まって来ていた。

 が、それらはどう見ても福寿丸以外のそれだった。

「何てこった! 現在、京師(みやこ)にはこれほど行方知れずの者がいるのかよ?」

 成澄が唸ったのも無理はない。

 成澄は経験上〝風聞(うわさ)〟の重要性を心得ていた。人の口の端に上ることこそ肝心である。特にこの種の人探しの場合、往々にして世間の噂の中に貴重な答えがある。

 それ故、部下を動員して失踪者の話を集めさせたのだ。集まってくる中に必ずや〈天童福寿丸〉に繋がる情報があるはずだと信じていた。ところが──

 現在、手元に上がって来た〈失踪者〉四名は全員女人だった。

 商家の娘から貴人邸に仕えている舎人の娘、鬻女(ひさぎめ)に遊女……

「名は、商家の娘が茜、舎人の娘がおと、鬻女がとね、遊女が樟目(くすめ)、です」

 府生(ふしょう)の記録した名を清顕が朗々と読み上げる。 ※府生=事務担当の職員

「ううむ……」

「そう悩む必要はないかと思いますが?」

 頭を抱え込んだ成澄を見て清顕は明るく笑った。彼に言わせれば、今まで失踪者を調べさせた検非遺使などいないのだから、知らなかっただけでこれが京師の現実なのだ。

 それに、元来こちらが調べない限り衆人が身内の失踪を一々使庁に届け出るはずもない。

 使庁を頼って、いなくなった身内を探してくれ、などと依頼するのは、日頃から人を顎で動かし、望み通りの物を得る事を当然としている貴人だけだ。

「所詮、貴人のための検非遺使なのですから」

「──」

 日頃から痛感しているとは言え成澄はそれを認めるのが嫌だった。貴人の走狗に過ぎないと思われるのは我慢はできない。検非遺使尉(けびいしのじょう)になっても未だ若気のシッポが抜けきれない、いや、多分一生、この男を突き動かす原動力こそ、この青い血潮なのだろう。

「よぉし、わかった! そういうことなら──全員捜すぞ(・・・・・)!」

 成澄は大刀を鳴らして立ち上がった。

「え?」

「福寿丸だけではない。こうして事実を知った以上、現在、京師で行方知れずとなっている全員の居所(・・・・・)を捜し出す……!」

「しかし、それは……」

「検非遺使は都の治安を預かり都人の安全を守るのが勤め。都人とは〝都に住む者〟を言う。都には貴人だけ住んでいるのではない!」



 そう言うわけで、この日、成澄は四名の失踪者の家々を訪ねてみることにした。

 自分の目で直接その住居を見、家人に話を聞こうと考えたのだった。

 清顕は内心これに不満だった。

 恐ろしい遠回りだと感じる。成澄が(内密且つ個人的に)中納言藤原長能(ふじわらながよし)に要請されたのは末息子、〈天童福寿丸〉の捜索である。その件に全力を注ぎ込むべきだ。

 とすれば、今日はこれから真っ直ぐ御室(おむろ)仁和寺(にんなじ)へ乗り込んで僧侶や稚児たちを片っ端から詰問した方が埒が開くはず。

 それを下賤の娘たちの家を廻るなんて無駄に時間を費やすだけで何の足しにもならない。

 だいたい、そんな下世話な仕事は京職(きょうしき)に任せばいい。それに、息子ではなくて他の人間を探していることが中納言の耳に入ろうものなら不興を買うのは成澄自身である。

(〝労多くして易少なし〟だ……)  ※京職=検非遺使の下部機関

 とはいえ、新米の検非遺使は、この一風変わった先輩を兄のように慕い、心から敬愛していたのでおとなしく付き従った。

 この日も約束通り御室から遥々やって来た迦陵(かりょう)丸を加え、一行は出発した。

 蛮絵の黒衣を纏った屈強な検非遺使と若草色の水干も清々しい稚児の同行(どうぎょう)は、色々なものを見慣れた都人にとってさえその目を惹く典雅な眺めであった。



 おおよそ昼までに三軒廻った。

 七条油小路の商家と、五条坊門の貴人邸と、九条は東京極(きょうごく)大路の遊女の住処。

 残す最後の鬻女(ひさぎめ)、とねは炭や薪を売り歩く俗に言う〈大原女〉なので、当然、家は遠く大原山にある。

 そこを目指して高野川に沿って行く途上、涼しげな池の(ほとり)で一行は昼餉を取ることにした。

「ああ! これだな? (いにしえ)皇子(みこ)の感動とは……!」

「な、何だ?」

「『家なれば ()に盛る(いい)を草枕……』ですよ」

 垂髪を揺らして迦陵丸が笑った。膝の上には笹の葉に包んだ屯食(とんじき)。瞳が池の漣と等しくキラキラ燦いている。  ※屯食=おにぎり

「『……旅にしあれば椎の葉に盛る』。無実の罪を問われた皇子が、殺されるのがわかっている死の旅の途上で詠んだ歌です。平素は器で食べるのに外の食事は風情があるって」

「流石、稚児殿。教養が深くていらっしゃる」

 豪快に屯食を頬張りながら、成澄は素直に感心した。やおら、後輩を振り返って訊く。

「ところで、おまえはどう思う?」

「はい、私は悲劇の皇子の歌なら、やっぱり、相聞歌の方が好きです。

 『あしひきの 山のしづくに(いも)待つと 我れ立ち濡れぬ 山のしづくに』……」

「あ、それは大津皇子の──」

 稚児が万葉談義に入りかけるのを遮って検非遺使尉は部下を叱った。

「おい、俺が訊いたのは失踪者の話だ。こうやって午前中家々を廻って──おまえ、何か気づかなかったか?」

「と言うと?」

 成澄は物凄い笑い方をした。

「俺は気づいたんだが、これは単なる偶然だろうか? ほら、身内の者が異口同音に言っていたろう? 『娘は見目麗しかった』と」

 清顕は屯食を持つ手を止めて、暫し考え込んだ。

「……娘たちは美しいから? 目をつけられて何者かに連れ去られたのではないかと考えているのですか?」

「うむ。それから、もう一つ。俺の見つけた共通すること。失踪者は皆、住居が水の(・・・・・)側だった(・・・・)……」




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