《雫ノ記》 3
「〈十種供養〉か……」
成澄は感慨深げに腕を組んだ。
実は、成澄は天承元年(1131)三月、当の仁和寺で催された|〈十種供養〉を自分の目で見ていた。
北院経蔵において覚法法親王が故白河院のために催した舎利十種供養である。
菩薩や聖衆、童たちが供養物を捧げたその日、高らかに幡を掲げた二人の童が夢のようなその行列を導いていた。
(そうだ、あれが〈天童〉だ……)
子供心にも目裏に鮮明に焼きついている。
成澄の見た天童は、柳下襲の白と萌黄の色が美しく、それぞれ赤と青の異国風の袍に滲んで春の陽炎の中揺れていた……
「全く、息も詰まるほど艶やかないでたちであったな?」
「装束ばかりではありません」
きっぱりと迦陵丸が言い添えた。
「〈十種供養〉は十種具の一つ一つに音楽を奏で、伽陀を唱えて供養するので、またの名を〈十種楽の儀〉と言います。公卿や殿上人、そして地下の楽人打ち揃って共演するその楽の音の素晴らしさ……!」
「参列者一同、楽の音に酔いしれる法会……まさに〝天井の音楽祭〟と讃えられていますよね?」
若い検非遺使の清顕はうっとりと目を細めて稚児の言葉に相槌を打つ。
「はい。昨今、巷で持て囃されている田楽なんぞとは、品においても格においても大いに趣きが違います」
言って、迦陵丸、ちょうど盆を掲げて入って来た異形の小者をキッと睨みつけた。
どうやら御室の稚児は田楽嫌いらしい。
「あいや! ちょっと待て! その、〈天童失踪〉の謎が解けたぞっ!」
突然の声に一同、ギョッとした。
座敷の隅で不貞寝していたはずの有雪がやおら立ち上がって叫んだのだ。どうやら、ずっと聞き耳を立てていたらしい。
「〈天童〉は拐かされたのじゃ! 犯人は〈天狗〉なり!」
「……いい加減にしろ、有雪」
呆れ返って検非遺使尉は頭を振った。
「いいや、よく聞け! 俺はピンときたぞ。おまえら無学とは言え、〈天狗〉のことくらいは知っておろう? そう、鳶の嘴をつけた悪しき魔物じゃ。連中はな、何より美少年に目がない。
ところで──〈天童〉と言えば美少年中の美少年。寺で最も美しい二名の稚児が選ばれるのが習わしだろう?」
「はい。先の〈天童〉は福寿丸と私が務めました」
「おっと、おまえさんはその片割れとな? ふうううん……?」
橋下の陰陽師の遠慮のない視線に迦陵丸は頬を染めて顔を伏せた。
改めて近くで見て知ったのだが。この陰陽師、白皙の美青年である。ひょっとして、名のある貴人の仮の姿? 或いは帝の落胤とか?
だが、そう思ったのも束の間、稚児は首を振った。
(この物言いはあんまりだ!)
「こりゃ、犯人はやはり〈天狗〉以外にない! その何とか法会の際、天童役のその稚児は天狗に見初められたのじゃ! そうして、隙を見て拐かされた!」
「そんな……からかわないでください。私は真剣に友の身を案じて、その行方を探しているというのに」
「俺だって真剣さ。おい、稚児殿、おまえの寺には大きな槻の木があるはず。おまえもそこへは近づくなよ。天狗は槻の大樹に巣食うというからな?」
「もういい。おい、清顕」
成澄はうんざりして部下に命じた。
「今日はこれまでだ。暗くなる前に、迦陵丸を御室まで送り届けてくれ」
三善清顕が田楽屋敷に戻って来たのは夜も更けてからだった。
「ほう? 無事帰ったか? あんまり遅いので今度はおまえさんごと天狗に拐われたかと思ったぞ」
開口一番、有雪の弁である。
「なにせ、天狗の連中、既に〈天童〉一人かっ拐っているから、残る片割れも欲しいに違いない。〈天童〉は儀式上、二人揃ってこそ価値がある。尤も──〈片具〉と言って最近は一人でも通用するらしいがな」
成澄は相手にしなかった。盃を清顕に勧めて労を労いながら、
「まあ、飲め。で、どうだった?」
元々、馬と従者付きの寺院童をわざわざ送って行かせたのには訳がある。
抜かりなく成澄は迦陵丸の身元を確認させたのだ。
「素性に怪しむべきところはありません」
清顕は言下に明言した。
「迦陵丸は、仁和寺は紫金台寺の大阿闍梨に仕える稚児です。舞童としても優れていて、法王に召されて舞ったのも一度ならずとか。父の名は源光敏。御所の武士で──そうそう、我等が同業、検非遺使の源為義殿のご身内ですよ」
「そうか」
成澄は大いに納得した。
様々な階層からなる稚児とはいえ、天童に選ばれるには容姿端麗なばかりではなく、やはりそれなりの出自あってこそだ。福寿丸が檀越の中納言の息子だったように、迦陵丸も源姓の御所の武士の子弟なら、さもありなん。
「これで、今回、中納言殿からお声がかかった、そっちの方の謎は解けましたね?」
成澄に代わって清顕がニヤニヤして言う。
「中納言の〝懇意の検非遺使〟とは、ズバリ、源為義殿でしょう? きっと中納言は先にそっちに泣きついたんだ。でも、正直な話、為義殿は今そんなことに関わっている暇はないから──」
厄介事を成澄に押し付けたのだ、とまでは清顕は言わなかった。言葉を濁して、
「ほら、為義殿はご子息が下総の御厨に乱入して乱暴狼藉の限りを尽くした、その後始末に奔走している最中ですからね?」
それにしても、東国育ちの武者の気性の激しさにはついていけない、と清顕は眉を顰める。
「──」
成澄の心中は複雑だった。
確かに、昨今の東国の武士たちには自分たち、都育ちにはない一種独特の匂いがある。
焚き込められた香の匂いなどとは全く異質な、真夏の太陽と草いきれ……新しい風の匂いだ。
そして、それを、成澄自身は決して嫌いではなかった。
そもそも今日の白中、中納言邸の庭で駆け寄って来た迦陵丸を見て『似ている』と思ったのは、他ならぬ、今、清顕が口にした乱行の主、為義が嫡男・源義朝その人なのだ!
(なるほど。似ているはずだ。あいつと血縁だったか……)
上総丸、と成澄は呼んでいたが。
父と折り合いが悪く、とある表沙汰にできない〝事件〟の責任を一身に被る形で東国へ放逐された〈上総曹司〉こと源義朝とは都大路を散々っぱら遊び回った仲だ。
つくづく成澄は思った。
例えば自分が田楽を舞い狂って発散させる〝何か〟をきっとあいつは東国の牧を馬を疾駆して紛らわせているのだろうか?
御厨乱入の件は、勿論、成澄も聞いている。何故、そんな真似をしたのか、そして、今後、どういう処分が下されるのか……
父の為義は藤原摂関家と密接な関係を結び今や隆盛の一途である。弟は東宮体仁親王の警備隊長としてときめいているというのに。
(それにしても、都の空気はついぞあいつには合わなかったな?)
酔い潰れてどこぞの辻で目覚めた朝に、上総丸が言った言葉を思い出した。
── ひどい色だな! 空も道も。
なあ、都の色はどうしてこうもナヨッとしてくすんでいるのだ?
物の全てが滲んでいて……見苦しいぞ!
それから、こうも言っていたっけ。
── おまえも、間違って都に生まれた口だな、成澄?
「のう、成澄?」
いつの間にか眼前に躙り寄っていた有雪の声に成澄は我に返った。
陰陽師の手には清顕から奪い取った盃が握られている。それを差し出しつつ、
「なあ、成澄、俺の忠告を聞け。本気で失踪天童の行方を知りたいなら──迦陵丸を見張ることだ」
意味深な言葉に思わず膝を乗り出す成澄。
「というと? 何か嗅ぎ取ったのか?」
「うむ。答えは簡単。天狗がほっとくはずないから。天童は二人とも手中に揃えたいはずじゃ」
「また、天狗か。おまえはそこから離れられないのかよ?」
成澄はガッカリした。それでも酒は注いでやったが。
「笑ったな? フン、無知なおまえは知るまいが。仁和寺には古くから天狗が住み着いているのだぞ。上古、おエライ僧正が天狗に嫌がらせを受けた記録がちゃんと残っておる」
「あ、《今昔物語集》ですね? それは確か『仁和寺、成典僧正の話』の条」
すかさず清明が声を上げた。
「う、ううむ。だが、書物を紐解くまでもない」
自分より詳しそうな新入りの検非違使を横目で見て、有雪は慌てて言う。
「俺には常人には見えないものが見えるのだ。無論、未来もな。今に天狗どもがどんな恐ろしい災いをこの都にもたらすか……成澄、おまえのような田楽狂いに嫉妬して四条の橋を落とすのなんかは序の口だ。皇を取って民と為し民を皇と為す……ああ! 騒乱の世が来るぞ!」
「勝手にほざいてろ」
成澄は肴を有雪の肩先の烏に投げてやった。
有雪の言は全て真っ赤な嘘である。
今まで幾つかの騒動でこの陰陽師の警告なり卜占なりが的中した試しは一度もない。
所詮、有雪は無位無冠、橋下の似非陰陽師なのだ。




