《雫ノ記》 2
「どうも厄介なことになった」
細殿に出た処で成澄はつい本音を吐いてしまった。
「そうでしょうか?」
ずっと傍らに付き従って、一部始終を聞いていた清顕の方は至って屈託がない。
「御年十五と言えば、遊びたい盛りだ。きっと寺を抜け出し破目を外して浮かれ騒いだはいいが、その後、帰るに帰れずどこぞに隠れている……というのが真相なのでは?」
「ううむ、だといいが。──誰だっ!?」
背後を忍び寄ってくる足音。刹那、成澄は大刀の柄に手をやって身を捩った。
電光石火の動き。日頃、鷹揚に構えているが、これこそこの男の実相である。
「失礼をお許し下さい! 驚かすつもりは毛頭ありませんでした……」
思いの他若い──幼いと言っても良い──声に、再度驚く成澄だった。
見れば、中納言の庭の、梅、柳、楓の葉影を一気に突っ切って走り寄って来たのは、歳の頃、十四、五。水色の水干に魚の縫い取りをした可憐な垂髪の少年だった。
「まさか、福寿丸殿か?」
清顕は自分の推察が的中したとばかり破顔した。
とはいえ、いくら何でも自分の屋敷の庭に潜んでいようとは──
「あ、重ね重ね誤解を与えてしまい申し訳ありません」
少年は慌てて袖を振る。
「私の名は迦陵丸。福寿丸の朋輩です」
「え?」
露骨にがっかりした清顕をよそに、少年は成澄の前へ進むと膝を追って懇願した。
「福寿丸は私の一番の友人でした。検非遺使様! どうか、どうか、私にも福寿を捜す手伝いをさせてください! 寺にいても心配で心配で……何も手につかない有様です」
「──」
中原成澄は仕事柄、たくさんの人に会って来た。たくさんの若者たちに。
若者は皆、どこか似ていて、どこか違う。今、梅雨の合間の緑濃い庭に立つ少年の、優しげな中に一筋芯の通った顔つきが成澄は気に入った。遠い日の、青春の頃の友に似ている──
成澄は思い出に微笑んだのかも知れない。
「そういうことなら、ぜひとも加わっていただこう、迦陵丸とやら? 福寿丸を直接身近に知る者がいてくれればこちらとしても心強い。但し──」
検非遺使の声に戻って成澄は付け加えた。
「寺の方から許しは得ているのでしょうな? 大事の稚児殿を勝手に連れ出したと言われては、使庁としても困る」
少年は頬を染めて頷いた。
「はい、それは勿論……!」
使庁へ戻ると、成澄は早速、配下の衛士に現在見知っている〈失踪者〉の情報を細大漏らさず報告するよう下知した。
それから、一条堀川の、通称〈田楽屋敷〉と呼び習わしている屋敷へ向かった。
自邸は別にあるのだが、そこよりもこっちにいる方が多い。云わばここは成澄の〝隠れ家〟〝秘密の牙城〟と言った処……
「遠慮はいらぬぞ。さあ、入れ」
「こ、ここは……?」
戸惑っている迦陵丸の背中を清顕が笑いを噛み殺しつつ押してやった。
清顕自身、初めてここへ連れて来られた時は唖然としたものだ。
検非遺使大尉・中原成澄──家柄は明法道系でそれなりに聞こえ、性は勇猛果敢、質は清廉潔白、体躯は長身屈強──が桁外れて変人だということは予予知ってはいた。特に田楽狂いは有名で、大刀弓箭と共に愛用の笛を肌身離さず持ち歩いているとか、格式ある正月行事に飛び入って参加した美しい田楽師を放置するのみならず一緒に舞い歌ったとか……
とはいえ、よもやこれほどとは。
どう見てもその屋敷は邪濫の族の匂いに満ちている。
「何だ、狂乱丸たちは留守か?」
飛んで出迎えた小者も一見して異形の風体である。
「はい。師匠一行は昨日より都を離れております。若狭の方の急な祭事にどうしてもと呼ばれて……」
「代わりにおまえが留守番かよ、有雪?」
襖を開け放すと座敷の中央に大の字で寝ている男がいる。
途端に迦陵丸、叫び声を上げて成澄にしがみついた。
「ひええええ! 物怪……!」
「ハハハ! 大丈夫さ、迦陵丸」
成澄は優しく稚児の肩を叩いた。
「こやつは巷の陰陽師。まあ、確かに物怪臭いがな。あの烏が怖い? 気にするな、よく慣れておるから人を襲ったりはせぬよ」
「カ、カラスですか、これ? でも、白いぞ」
「俺のカラスより──」
ムックリと起き上がった陰陽師。早速、憎まれ口を叩く。
「この屋敷の主を怖がるべきだぞ、稚児殿? 良かったな、狂乱丸が留守で。でなきゃ、今頃ただじゃ済まなかったぞ。判官に、ほれ、そのように抱きついて?」
「おまえの無駄口に付き合う暇はない。そこを開けろ、有雪。俺たちは大事な話をしなければならぬのだ」
「さて。ここへ連れて来たのは他でもない」
橋下の陰陽師を座敷の隅へ追いやって、改めて茵に腰を下ろすと成澄は言った。
「失踪した天童、福寿丸の件ではいずれ寺の方へも仔細を聞きに出向くつもりだが──その前に色々と聞いておきたいことがある。俺は見ての通り武門だけが取り柄の男。学問や仏法にはとんと疎い。大阿闍梨の前で恥をかきたくないからな」
その地位に似合わず成澄は気さくで率直な人間だった。尤も、本人が言うほどモノを知らないわけではないのだが。
「そも、〈天童〉とは?」
「はい。〈灌頂儀式〉の際、私たち寺童が供奉する大役です」
迦陵丸は涼しげな眉を上げて澱みなく説明し始める。
「それから、〈庭儀の法要〉においては、大阿闍梨様を荘厳する役でもあります」
「仏教用語は難しいな。もっと、わかりやすく、具体的に言ってくれ」
「えーと……例えば、私の寺では〈十種供養〉という儀式があって……御仏に捧げる供物を持って練り歩くのですが、その美しい行列の一番前で幡を持って先導する童をこの名で呼びます」
「それ故、〈天童〉は、別名〈持幡童〉とも言うのですよね?」
清顕が思わず口を挟んだ。明法博士輩出の学識を持ってなる家筋出身の彼は神仏の教養も深いのだ。
☆〈天童〉の図
イメージ転写しました。寺や儀式によって装束は違いますが大体こんな感じです。
ご参考までに。




