《雫ノ記》 1
中原成澄は手綱を引いて馬を止めた。
「何事だ?」
鴨川は四条の橋に差し掛かった辺り。橋上が何やら騒然としている。
見れば、牛車──遠目にもわかる、美々しく飾られた女車である──が、橋の中央に止まり、周囲を右往左往する舎人たち。加えて、声高に騒ぎ立てる物見高い都人の群れが川の両岸まで溢れている。
検非遺使尉・中原成澄はこの日、とある貴人の急な要請を受けてその屋敷へ赴く途中だった。
傍らの同じ蛮絵装束を振り返って、
「おい、見て来い、清顕」
その言葉も終わらぬ内に、鹿毛を拍車して三善清顕は駆け出して行った。
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巳の刻に事は起こった。
貴人の姫君を乗せた牛車が橋を渡っていたところ、突如、牛が暴れだしたのだ。
伴の牛飼い童たちが苦心して鎮めようとしたが、狂った牛は従者の列に突っ掛り、これを次々薙ぎ倒した。通りかかった者等も加勢して、牛自体は何とか取り押さえたものの、昏倒した従者の抱えていた唐櫃から小さな厨子が投げ出されて……そのまま橋下の川へ転げ落ちてしまった。
この日、天養元年(1144)、五月二日。鴨川は曇天の空を映して鈍色に畝っていた。
牛が暴走したことよりも、車が傾いで死ぬほど恐ろしい目にあったことよりも、姫を悲嘆の淵に陥らせたのは、濁った水中に消えた厨子の行方だった。
内に阿弥陀如来が収められているそれは姫の母君形見の品。姫にとっては今生無二の宝物である。
牛車の簾越しに聞こえる姫の悲痛な嗚咽、宥めすかす乳母の声、互いを責め、罵り合う牛飼い童に舎人たち……
それら喧騒を一瞬、清冽な水音が掻き消した。
舎人たちがどっと橋の手摺りに駆け寄った時、真下の川面にはただ幾重もの水の輪が拡がって行くばかり。
誰か──通りすがりの若者──が飛び込んだらしい。
「……無茶だ!」
舎人からさえも思わず声が漏れた。梅雨の雨を集め嵩の増した川に飛び込むとは……!
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「それが、かれこれ四半刻前のこと」
早速、聞き及んだ仔細を報告する清顕だった。
「その者、未だ上がって来てはおりません」
「だろうな」
成澄は唇を噛んで川へ目をやった。
こんな暗く澱んだ川底から精緻な厨子──四寸足らずと聞く──を見つけ出し、掬い取って戻ることなど常人にできるはずもない。四半刻経つと言う。跳び込んだ若者自身とっくに流されたに違いない。
「……憐れな」
だが、この時、橋上から一斉に歓声が上がった。
「おおっ──!」
「?」
今しも、抜き手を切って川を泳ぎ切った若者が、岸に上がって来た。
群衆を割って橋へ戻ると、茫然としている舎人の一人に真っ直ぐに腕を伸ばして厨子を差し出した。
厨子からも若者の腕からも無数の水滴が滴り落ちている。
我に返った舎人、厨子を受け取るや牛車へ駆け寄った。
簾の向こうに乳母らしき人の影が見え隠れした。その後──
橋上にいた者から橋手前の川縁にいた成澄も含めて、周囲に居合わせた衆人は押し並べて全員、信じられない光景を目の当たりにすることとなった。
ちょうど件の若者が雫を散らせて去りかけた時、牛車の簾が巻き上がった。
姫君、その人が姿を現したのだ。
姫は、撫子の重色目の袖を揺らして、濡れた男を呼び止めた。
「礼を言います。これは我が母の形見なれば。再びこの手に抱くことができて……心から感謝しております」
若者は弾かれたように膝を折って地に伏せた。
とはいえ、確かに、やんごとなき姫君の顔を直にその目で見たのだ。
やがて、牛車はゆっくりと動き出し、橋の上は平生の景色を取り戻した。
「良いものを見たな?」
成澄は馬上で嘆息した。
こんなことも現実にはあり得るのだ。貴種の姫君と行きずりの若者の邂逅など、当節、奇跡に等しい出来事ではある。それを偶然にも目の当たりにした幸福。生きて行くことはこれだから面白い。
「宛ら、絵巻のごとく美しい光景だったな!」
傍らの清顕も頷いて、
「何より、あの男自身が一番夢のように思っていることでしょう」
「そうだ! おい、清顕、あの男を追え!」
「は?」
上官の気まぐれがまた始まった。慣れているつもりだったが、部下は吃驚した。
この三善清顕は半月前、左衛門府より検非遺使に任じられたばかり。見習いを兼ねてこのところ公私に渡って成澄と行動を共にしている。
「勇気のある男だ! 咄嗟の際の決断力もある。ぜひとも名を知りたい」
「諾!」
だが、時、既に遅かった。若者はとっくに群衆に紛れて消えていた。
追った清顕が目にすることができたのは、若者から零れ落ちたと思しき、橋板に残る無数の雫の痕ばかりだった。
残念に思ったものの成澄もまた己の仕事へ戻った。
そもそも今日、出向いて来たのは中納言・藤原長能に是非にと請われたためである。思いがけない騒動に時を費やして約束の刻限は過ぎている。
検非遺使たちは蛮絵の袖を翻し目的地へと馬を急がせた。
藤原長能の屋敷は中御門富小路にあった、言わずと知れた一町屋である。
「ご子息が行方知れず──?」
「うむ。名は福寿丸と言って、今年十五になる……」
中納言が語る話の内容に成澄は少なからず驚いた。
数年前より御室の仁和寺に稚児として預けていた福寿丸は長能の末息子に当たる。何しろ〈天童〉に選ばれたほどの器量良し。自慢の息子だった。
その福寿丸が寺から忽然と消えたしまったと言うのだ。
何かしら事情があって屋敷に舞い戻って来るかも知れないと待っていたが、かれこれ十日が過ぎた。
無論、大切な檀越、中納言の子息とあって寺の方でも散々手を尽くして探してはいるもののちっとも埒が開かず── ※檀越=寺のパトロン、資金や物資の大口寄付者
「こうして中原殿にお縋りした次第」
「私に、ですか?」
「はい。使庁広しと言えど、武勇においても、また、心映えにおいても、中原殿ほどの検非遺使はいないと我が懇意の検非違使が教えてくれました。今回の息子の件、お任せするのは貴殿を置いて他にはおりません」
成澄は面映かった。
そもそも、嵯峨帝の御代、京師の治安維持のため設置されたのが検非遺使の始まりである。警察と司法の両方を司る重職であり、代々左衛門府より武略軍略に卓越した官人が特別に選ばれて来た。然るに、昨今、その名誉ある検非違使の中にも院や公卿、権門勢家に阿り我が身の隆盛を図る輩が多くなった。剛直で清廉な成澄はその風を心底嫌っている。
検非遺使は公の職、必要以上に権門家と親密になったり特別の関係を築くべきではないのだ。
懇意の検非遺使とやらがおられるのなら、その者に任せればよい。自分はきっぱりと辞退しようと顔を上げた時、成澄の目に映ったのは中納言の面窶れした姿だった。
「!」
讃岐・丹後・筑前守を経て内蔵頭となった長能は、いわゆる受領から公卿に上り詰めた遣り手の、富裕の人である。御室の寺領に七つも蔵を有しているとか。
だが、日頃の威風も何処へやら、繧繝縁りの畳に座してはいても、その体は一回りも二回りも縮んですっかり老人めいているではないか。 ※繧繝縁り=雲上人のみ許された畳
(我が子を案ずるに身分の尊卑、位階の上下はないのだな?)
成澄は自分の声が力強く返答するのを聞いた。
「承知しました! 御子息の行方、この中原成澄が責任を持って探し出して見せましょう!」




