毘沙門天の使者 5
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月明かりの中、稚児は遥か先を駆けて行く。
日頃の鍛錬で夜目の効く成澄を先頭に、見失うまいと後を追う狂乱・婆沙の兄弟、そして、僧・遍快。
いつしかここは出雲路──二つの川の出会う河原。
「……何処へ行った?」
「あっちだ!」
今、まさに、道祖神の祀ってある小さな社へ飛び込む石寿丸の背中が見えた。
「諦めろ、石寿丸! もはやおまえは袋の鼠。悪あがきはやめて──さあ、その金塊をこっちに渡せ」
躙り寄る長身の検非遺使に向かって稚児は狂ったように頭を振った。
「嫌じゃ! これを渡したら、私は何のために修羅の道へ分け入ったのかわからなくなる。これだけは……私のもの……私が手に入れたもの……手放すものかっ!」
かなりの距離を走って来て、追う方も追われる方も息が上がって、声は掠れている。
逃げ入った社内は思いのほか狭く、石寿丸に逃げ道はなかった。
と、見えたが、石寿丸、近づいて来る検非遺使から目を転じて己の背後の壁を一瞥した。
「──」
これを飛び越えようと勢いをつけて踏み出す。
ちょうど塀の前の地面に突き出ている、杭のような奇妙な形の石を足場にして、蹴りつけ、弾みをつけて塀に飛び移る──
はずが、踏み違えて、滑った。
くぐもって鈍い音が社の中に響き渡った。
「な、何だ?」
「どうした──?」
折しも群雲が月を覆い、辺りは漆黒の闇に塞がれてしまった。
再び月が雲間より顔を出した時、成澄と双子が見たのは、黄金を抱いたまま倒れている憐れな稚児の姿だった。
足を滑らせた上に、運悪く、足場にした石に頭を叩きつけたらしい。
稚児の頭は柘榴のようにパックリと割れて、後から後から鮮血が溢れ出している。
「石寿丸──っ!」
やっと追いついて社に入って来た僧が発した声は、あの日、鞍馬詣での帰り、出雲路の辻で狂乱丸が聞いたそれと同じ悲哀に満ちていた。
「果たして、あそこまで追い詰めるべきだったろうか?」
口にしたのは婆沙丸だが、ちょうど同じことを考えていたので狂乱丸はそれを言ったのが自分なのか弟なのか判然としなかった。
一条堀川の田楽屋敷。
一向に身の入らぬ虚ろな様子で鼓を弄びながら婆沙丸は呟く。
「石寿丸が言った通り、京師では毎日、たくさんの人死が出る。その死の原因など一々顧みられることもない。幸せになりたいと願っていた稚児の罪くらい見逃してやっても良かったかも……」
「だが、手をかけたのは俺たちじゃあないぞ」
編木子を鳴らして兄はきっぱりと言った。
あの夜、石寿丸が足をかけ、滑って、挙句に頭を強打した石は、実に道祖神を祀る社の結界に鎮座する〈陽石〉であり、〈御神体〉であった……!
その意味では、辻で出会った二人の僧の、そのどちらをも破滅に追いやった稚児に、愛法神でもあり、道の神でもある道祖神の天罰が降った──と言えなくもない。
不思議と言えばまだある。
石寿丸が抱いていた金塊は、中々その遺骸から引き離すことができなかった。 だが、日頃から清廉潔白で聞こえた検非遺使・中原成澄が進み出て、自ら仏師を手配して造物することを誓うと、嘘のようにポロリと稚児の手を離れたとか。
後日、見事に彫り上がった阿弥陀三尊を、志半ばで没した僧・圓貞に代わり陸奥国の浄念寺まで運んだのもこの成澄である。
阿弥陀像は奥州ではそれまで目にする機会のなかった素晴らしい仏像と話題を呼び、参詣の人の列が途絶えることがなかったそうである。
その上──これが今回の話の不思議の締め括りである──この阿弥陀三尊の内、脇侍の観音菩薩の面差しがハッとするほど石寿丸に似ていた、とは成澄の弁である。
田楽師兄弟は実際に仏像を見ていないので何とも言いかねるが。
石寿丸の亡骸は遍快が引き取って懇ろにその菩提を弔った。
更に蛇足を記すなら──
当初、成澄が〝稚児が黄金を産み落とした〟云々を聞き覚えがあると首を捻ったのも道理。
現代に伝わる『今昔物語集』(巻17ノ44)に、これと類似の説話が載っている。
この書物は当時は秘本中の秘本であった。とはいえ、検非遺使の成澄ならこれを目にする機会は充分にあったはず。それ故、記憶に残っていたのか?
逆に、田楽師兄弟が流布した風聞を後年、物語集が採用したという可能性も否定できない、と作者は思っている。
いずれにせよ、今となってはその真相を確かめる術がないのが残念である。
高野川と加茂川が出会う地点〈出雲路〉は〝境界〟として畏怖され
道祖神が祀られていました。
夫婦和合や縁結びの神としても信仰されてそうです。
続いてもう一作、稚児の登場するお話、お付き合いください。




